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会議

「……で、どういうわけなのか、きっちり説明してもらおうか」

 伊太利の店内、もっとも大きいテーブルを5人の男女が囲んでいる。木目の美しい表面の上にはナポリタンとペペロンチーノの皿が並べられており、夜の冷ややかな空間に温かい香りを漂わせていた。

「陸人くんが伊太利で働いていることを責めているわけじゃない。それ自体は労働者の権利で認められているからな」

「だったらはやく帰ってくれると嬉しいんだけど」

 西班牙の店主である忠弘の対面に足を組んで座っている遥香がぶっきらぼうにいった。昼間とは違って、挑発的な赤いワンピースに着替えている。その首筋には大きな真珠の首飾りが飾られており、艶やかな雰囲気を放っていた。

「あと、食事代はきっちり払ってもらうから」

「サービスじゃないのか、これ」

「当たり前でしょ。うちは飲食店よ。無料で食べものを提供するわけないじゃない」

「その割には自分達も食べているみたいだけどな」

 忠弘が向けた視線の先では、無理をいって会合に出席した景子がパスタをフォークに巻きつけているところだった。

 遥香と同じように昼間よりも化粧が濃くなっている。

 時刻はまだ夜の七時だったが、活気のない商店街は早々にうす暗い闇に包まれる。窓を開けていても物音ひとつ聞こえないほど寂れた通りばかりが縦横に走っていた。

「……まあ今回は特別におごってあげるわ。今日も十分にもうかったし、貧乏なあなたたちには嬉しい食事なんじゃないの?」

「それはそこの金髪の子にいったほうがいいんじゃないですか?」

 陸人を挟むようにして、怜奈は反対側で口をもぐもぐ動かしている景子を睨んだ。

 怜奈と景子は、話し合いの議題である張本人の両隣に位置している。気のせいか景子と陸人は密着するような近さだった。

「食い意地はってるだけかもしれないですけど」

「――そういえばちょっと気になってたんだけど、あんた誰?」

 景子が顔を寄せる。長いまつげが目に入りそうだった。

「陸人さんの同僚の浅尾怜奈です。わたしのほうが長く陸人さんと働いていると思いますけど」

「ふーん、まださん付けなんだ」

「なにか悪いことでも?」

「べつにぃ」

 景子が見せびらかすように陸人へ体を寄せる。こころなしか胸が腕にあたっているように思えて、怜奈は対抗するようにすこしだけ席を近づけた。

 当の陸人はいつもの微笑を絶やさず、ときどき思い出したように腕時計を確認している。どうやら争いの火種をまいている自覚はあまりないらしかった。

 えほん、と忠弘が大きな咳払いをした。

「伊太利がもうかっているのは実に結構なことだが問題はウチの店のキャンペーンを丸パクリしたことにある。お前にはプライドというものがないのか、昔から分かっていたことだが厚かましくて――」

「あら、半額セールなんてそんなに珍しいことでもないじゃない。とっくの昔に誰かがやってたことを真似したくらいで元祖を名乗られたんじゃ、商売あがったりよね」

「それはそうかもしれないが、わざわざ数日後にまったく同じことをする道理はなんだ。ウチの繁盛っぷりが羨ましくなったんだろう」

「いいたくはないんだけどね」遥香はワンピースの下に伸びる足を組み替えた。「これは陸人くんが考案したことであって私はゴーサインを出しただけ。文句があるなら彼にいってちょうだい」

 事実その通りだった。

 陸人はなんのためらいもなく他店で通用したノウハウを遥香に提供した。もともと自分のアイデアなのだから、やり方については熟知している。

 店長として遥香は陸人に一任しただけだ。

「私の予想だと西班牙の待遇が悪いから仕返ししてやろうってつもりだったんじゃないかしら。もしくは美人な店長さんのいる方を応援したくなったとか」

「そんなべっぴんがいる店ならぜひとも行ってみたいもんだね」

 忠弘が皮肉を飛ばす。

「どこぞの初老のおばあさんがやってる店なんか、誰も好き好んで行きそうにないな!」

「私が初老だったらあんたなんてひん死のジジイじゃないの。ほんと、相変わらずロクな性格してないわね」

「口の悪さだけは衰えてないな」

「あんたもね!」

 そのまま掴みかかりそうな勢いだったので、陸人が「まあまあ」となだめながら仲裁をする羽目になった。

 彼の隣に座っている女子ふたりもお互いに火花を散らしている。静かなはずの店内は、無言の圧力によって耳鳴りがするくらいにうるさかった。

「だいたい怒鳴りつけるなら私じゃなくて陸人くんにするべきでしょ。さっきから一言も事情を喋ってないじゃない」

 遥香が話題の矛先を向けると、陸人は微笑しながら頬をかいた。

 笑うと目が細くなるが、綺麗に整った顔のパーツは崩れていない。そのなかで、目の下にうっすらと黒い模様が浮き出ているのを怜奈は見逃さなかった。

「すみません、僕のせいでご迷惑をおかけして」

「迷惑なんてこれっぽちもあなたのせいじゃないのよ。この頭の固いアホが無駄にぎゃあぎゃあ騒いでるだけなんだから」

「……僕はただ、両方のお店がにぎわえばいいなと思っています」と陸人はいった。「そのためには何か行動を起こさなければならない。僕のつたない知識では同じようなことをやるのが精いっぱいでした」

「悪いことだとは思わなかったのか?」

 忠弘が非難するような口調で訊いた。

「さきほど店長――遥香さんがいったように、僕のとった手段自体はごくありふれたものです。このくらいのことなら小学生だって思いつくでしょう。それをパクったと表現するのには、ちょっと無理があります」

 つまり、なにも悪いことはしていないという意思表示だった。

「どちらの利益を損なうわけではありません。僕は片方の店を潰そうだなんてこれっぽっちも考えてませんから」

「だったら」遥香は長い髪をかき上げ、まっ正面から陸人の瞳を見据えた。「伊太利に専念してくれないかしら。給料はもちろん増やすわ。なんだったら西班牙の時給をそのまま上乗せしてもいい。あんな店、さっさと見限ってウチに来たほうがあなたのためになると思うわよ」

 どん、と木製のテーブルをたたく鈍い音がした。忠弘が赤くなったこぶしを背中の後ろに隠しながら、勢いこんで席を蹴った。

「そっちがそのつもりなら、こっちはさらに高額で雇おう。この女の泣き顔を見るだけでも金を払う価値はあるからな」

「あらそう。だったらその倍は支払ってあげるわ。今日の売り上げが続くようなら一人分の給料なんてわけないし」

「こんなちんけな店が長続きするとは思えねえな」

「あんたもね」

「たしかに僕にはお金が足りていません。一円でも多くもらえるなら、どんな努力だってするつもりです。けど前にもいった通り、僕はそう長くとどまっていることはできませんから」

「え? 陸人どっか行っちゃうの?」

 ひとり横でパスタをつまんでいた景子が大きく目を開いた。慌ててフォークとナイフを置く。

「いつ? っていうかどこに?」

「あと一カ月もしないうちに。店長たちにはもうお話ししてあったことですが」

「うっそ。そういう大事なことは早目に教えてよ。そうだと分かってたら遠慮なんてしなかったのに」

 そういうと、陸人の腕を無理矢理とった。引っ張りだすように腕を組みながら立ち上がる。

「というわけであたしたち失礼しまーす。さ、帰ろ」

「待ちなさい。勝手に陸人くんを連れていかないでくれる、まだ大事な話し合いの途中なんだから」

「細かいことはいいってば。陸人の好きにさせてあげればいいじゃん。お互い仲良く。なんか喧嘩してる理由でもあるの?」

 怒りで顔を紅潮させている忠弘と厚塗りの化粧の下に表情を隠している遥香の目が一瞬だけ合った。すぐにお互い顔をそむける。

 なにかあるらしいな、と怜奈は直感的に悟った。昔からやけに仲が悪いので不思議だったのだが、なにかしら事情があるのかもしれない。今日の夜にでも問い詰めてみようかと物騒な思案まで浮かんでくる。

 それよりも重大なのは陸人が景子に拉致されそうになっていることだ。

 風に吹かれれば流されてしまいそうな雰囲気だから、景子にどんなことを要求されても断れないだろう。

 それだけは絶対に阻止しなくてはならなかった。

「じゃ、わたしも帰ることにする。お父さんあとはよろしくね」

 景子に負けじと腕をとりたかったが、父の手前でそれをするのは恥ずかしい。

 せめて陸人から寄生虫のような景子を引きはがしてやろうと強引に二人のあいだへ割って入った。

「おい。ちょっと待て」

「こんなつまんないところいないで、さっさと帰ろう。陸人このあとカラオケとか行く?」

「そうですね――」と陸人はしきりに気にしている腕時計の針を確認した。「僕もこの後用事があるので、今日は失礼します」

「ちょっと、まだなにも解決してないじゃない」

 遥香が抗議の声を上げる。が、陸人は接客用のスマイルを浮かべていった。

「僕はどちらの店もひいきするつもりはありません。結果は出します。ただ、ふたりとも喧嘩はしないでください。僕は昔からどうにも――」両脇に控えている女子ふたりから、そっと距離をとった。「態度があいまいなもので、周りの人を揉め事に巻きこんじゃうんですよね」

 では、と軽く頭を下げて伊太利の店を後にする。

 それに続いて景子と怜奈が出ていってしまうと、さきほどまでとはまるで違った重苦しい沈黙が降りてきた。

 時計の動く音さえ聞こえてきそうな静寂。

 見知らぬ電車の女性専用車両に間違って乗ってしまった中年男性が感じるような気まずさが、テーブルをはさんで横たわっている。

 忠弘も遥香も動こうとしない。

 時間ばかりがゆっくりと足を刻む。

 五分も経っただろうかというとき、ようやく忠弘が口を開いた。かすれた声がのどの奥から発せられる。

「……ロクな従業員を雇っていないみたいだな」

「あんたの娘だって変わらないでしょ。……ま、私が人を見る目がないのは矯正できてないみたいだけど」

「おまえと食事をするなんて何年ぶりのことかな」

 忠弘はフォークとスプーンを器用に使って、景子が食べ残していった分のパスタを拾い上げた。もう冷めてしまっているが、かすかに香りは漂ってくる。

 ゆっくりとした動作で一口含むと適度にきいたタカの爪が存在感を放った。

「この味は昔よりずいぶんマシになった」

「私じゃなくてシェフが作ったものだもの。違って当然よ」

「お前の作った飯は不味くて食えたもんじゃなかったからな、最初に料理人を雇って正解だった」

「そういうあんただって」遥香はワンピースから伸びる足を組み替えた。白い肌があらわになる。忠弘はそちらへ視線を向けまいとするように、壁の時計を見つめていた。

「いうほど上手じゃなかったわよ。いろんなことを含めて」

「もう終わった話だ」

「そうね。……奥さんとは上手くやってるの?」

「ほどほど、というところだ。怜奈のやつはどんどん母親そっくりに成長している。日ごとに口やかましくなっていくな」

「……へーえ」

「自分から聞いたくせに興味がなさそうだな」

「あの娘を見てるとイライラしてくるのよね。この年齢にもなって恥ずかしい」

「おまえがこんな近くに店を建てるからだ」

「あのときはまだ若かったのよ。それに景気も良かったし。今じゃ退くにひけない状況だけど」

「――昔の話だな」

「過去のおとぎ話よ」

 さあ、といって遥香は立ち上がると店の奥からシャッターの鍵を持ち出してきた。長年使っているせいで錆びついた鍵は、遥香の手のなかで揺れるたびに鈴のような音を奏でた。

「帰るか、それとも泊っていくか。どっちにする?」

 忠弘は今初めて気付いたとでもいうように遥香のワンピースを上から下まで指をはわせるように確認した。そこに昔の思い出を重ねているのか、それとも目の前の彼女を改めて発見しているのか、遥香には判別がつかなかった。

 少しして、忠弘は伊太利の出口に身体を向けた。

「バカなことをいうな。おれにはもう嫁も娘もいるんだ。こんなところで油を売っていられるほど暇じゃない」

「あなたの娘は泊って来るかも知れないわね」

「そんなはずはない」忠弘の声は上ずっていた。「怜奈はすぐ帰ってくるさ」

「いつまでも女が変わらないと思っていたら大間違いよ。悪いことなんて、すぐ踏み破っちゃうんだから」

 忠弘は返事をよこさなかった。

 代わりに、後ろ手にドアを閉めたあとの寂しげなベルだけが残響をくゆらせていた。遥香はしばらくなにかを探すように夜の商店街に消えていった姿を追っていたが、ため息をひとつついてシャッターを下ろした。

 明日はまた忙しくなる。

 ふと陸人の腕をつかんでいった景子のことを思い出したが、頭を振って金髪のギャルを追い払った。若いときにはいつだって恋に多忙になるものだ。

 しばらくタンスに眠っていたのを引きだしてきた赤いワンピースのすそを揺らしながら、遥香は忠弘の左手に光る銀色のリングの輪郭をかみしめていた。

 馬鹿らしいと分かっていながら、いつも会うたびに見つめてしまう。

「いつまでたっても変わらない、か……」

 誰もいなくなった店内はひどく静かだった。蛍光灯の光はすぐに消えた。

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