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伊太利

 うらぶれた商店街には珍しく、西洋料理を出すレストランが二軒あった。

 それぞれが通りの入口に面しているため、昔ながらの仇敵としてお互いにしのぎを削り続けていたのだが、やがて商店街全体の顧客が減るにつれ繁盛しなくなった。景気の良い頃は経営に困窮したこともなかったのでのんびりと仕事をしていても問題なかった。だが時代の波は無感情に商店街そのものを包んでいった。

 増えていくシャッターの数にもめげず両店は試行錯誤を重ね、どうにか客を呼び込もうとしたが、どれも目立った効果を上げることはできていなかった。

 その日までは。

「あー、忙しい、忙しい」

 わざとらしく店の外の行列を眺めながら伊太利の店主である遥香がため息をついた。

 いつもは閑散としている道沿いにずらりと並んだ人々の視線は西班牙の入口に向けられている。この光景は間違いなく伊太利の店主である浅尾の目にも入っていることだろう。

 歯噛みして顔を赤くしている彼の顔を思い浮かべると微笑が漏れた。

「まったく同じ手段というのがちょっとシャクだけど、商売に元祖も本家もあったものじゃないわよね。向こうだって使い古されたことをやっているわけだし。混雑がこんなに愉快なものだったとはね、しばらく忘れてたわ」

「店長! ぶつぶつ独り言いってないで、ちょっとは手伝ってよ」

 背後からどなり声がする。

 振り向くと、アルバイトの景子が長いまつげを逆立てていた。おそらく本来の三倍くらいは盛っているのだろうと見当がつく。そもそも彼女のすっぴんを拝んだことがないので真偽は不明だが。

「怒ると化粧が崩れるわよ」

「そんなヤワなメイクしてないし! 呑気に外なんか見てないでお客さんの対応してよ。陸人が頑張ってくれてるけど全然人手が足りてないんだから」

「はいはい」

「店長!」

「うるさいわね。まったく最近の若い子は――」

 といいかけて、自分がずいぶんとやつれた台詞を口にしていることに気がついた。

 金髪にピアスといういかにもギャルな恰好をした景子に対しては、どうしても説教口調になってしまう。アルバイトの面接の時には黒髪で大人しい雰囲気を装っていただけに腹立たしい。

 バイト初日にはすっかり金色に染まった髪になっていた。

「上司を働かせてなんとも思わないのかしら」

「あたし店長のことは友達だと思ってますから」

 頭が痛くなるようなことをいって喧騒のなかへ戻っていく。

 遥香は先ほどまでの幸せな気分とは違ったため息をついた。

「友達ねえ……」

 ぼやきながら店のなかに入るとすぐさまレジを任された。伝票を持った客が財布を片手に並んでいる。ちょうど開店直後に入れた客が帰る頃合いなのだ。

 普段の半分程度しかない金額がレジに表示される。それを満足そうな顔で払って出ていく。この瞬間だけは何度見ても飽きないものだ。幸福な気分に浸かる間もなく次の会計にとりかからなければならないのを除けば悪くない役割だと思う。

 もはや陸人も景子もレジを担当するつもりはないらしく、せっせと料理を運んでいる。従業員の数が足りていないのは明らかだが、臨時の募集をかければすぐに戦力になるというわけでもない。

 というより今日の混雑は遥香の予想を遥香に超えていた。前回の西班牙の半額キャンペーンが好評だったためか、すこし宣伝しただけで嘘かと思うほど集客効果があった。

 もう二人くらいはバイトを雇っておけばよかったと後悔するには遅すぎる。今いる人数で対応するしかないのだ。

「みんながみんな陸人くんと同じくらい有能なら困らないんだけど――」

 伊太利の制服を着ている陸人と、隙あらばそちらを見ている景子の関係は分かりやすい。彼女が休憩時間中しきりにボディタッチを試みてはやんわり回避されているのを何度も目撃した。

 奥ゆかしさもなにもあったものじゃない。

 遥香はふたたびため息をつきたくなった。今度採用するのはもっと真面目で、店長を友達あつかいしない子にしようと決意する。

 フライパンと話し声とレジキーの音。それらがミキサーに放り込まれたみたいにぶつかりあって、鼓膜を揺らす。だんだんと思考が不鮮明になっていくのを自覚する。

 考えながら動いていたのでは間に合わない。とにかく出来ることを片っ端からさばいていく。何十年もレストランを経営しているがここまで切羽詰まっているのは初めての経験だった。

 あわただしさを濃縮しすぎてなかなか流れようとしない時間が徐々に進み、キッチンに置かれた巨大な冷蔵庫の中身が空っぽになったころ、伊太利はようやく閉店の看板を出した。

 生気のない顔をした景子と遥香が椅子に突っ伏している横を、陸人が掃除機を携えて通り抜ける。

 夜になっても残っている春先の陽気のせいか額に汗を浮かべているが、疲れた様子はない。それどころか今からでも働けますというように軽々と後処理を行なっている。

「陸人くん、そんな真面目に働かなくてもいいのよ。今日はもう閉店したんだからさ」

「そうそう。あとは店長がやっておいてくれるって」

 呑気にヒラヒラ手を振っている景子を睨みつけるが、遥香のメッセージが当人に届くことはなかった。

「まだ仕事は残っていますから。店長たちはそこでゆっくりしていてください」

 ひとしきり業務用の掃除機の轟音が店内を回ったあとで、食器洗いを済ませてきた斎藤佑介がくたびれたように首の関節をパキポキと鳴らしながら景子の横に腰をおろした。

 いつになく働いたせいで白いはずのエプロンはトマトの赤に染まっている。絞ればケチャップの一本分は抽出できそうな汚れ具合だ。

 佑介は横目で陸人の動きを追いながら、しきりに自分の肩をもんでいた。もうひとりの料理担当であるバイトはすでに帰っている。無事に帰宅できるのか不安なくらい足元がふらついていたが。

「お疲れ様でーす」

 そうは思っていないような口調で景子がねぎらいの言葉を祐介にかける。返事はなかった。

 掃除機の音がやみ、陸人がキッチンの裏手に消えたのを確認してから佑介は、

「陸人さんって何してたんだろうなあ……」

 と誰に向けたわけでもないようにつぶやいた。

「なにって、ふつーに大学を出てるんじゃないの?」

「大学で人並みの勉強をしたところであんな風に賢くはなれない。他に、特殊な勉強をしてたんじゃないかと思って」

「店長なら知ってるんじゃない? 履歴書に書いてあったでしょ」

 ね、と。さも当然のように遥香を見やる。

 小さなレストランの店長は、

「個人情報は教えられません」

 つっぱねたが、景子と佑介は不満げに唇を尖らせた。

「ケチ」

「そんなに知りたかったら自分たちで聞けばいいことじゃない。誰にものを頼んでるのかわかってるの? 店長よ、店長! あなたたちの雇い主なんだからね。その辺きっちり覚えておきなさいよ」

「それってパワハラですよー」

 無駄な知識ばかりよく持っているものだと呆れながら、遥香は景子を黙殺することに決めた。

 絶対近いうちに新しいアルバイトを雇おう。もっと物分かりのいい、清楚でおとなしそうな娘を採用しようと心にかたく誓う。今日すでに五度目だ。

 入口のドアにかけてあるベルが鳴った。

 たまったごみを陸人が外へ捨てに行ったのだろう。生ゴミだけでも恐ろしい量になっているはずだ。

「陸人さんって就職しないんですかね。あれだけ仕事できるなら、どこの会社でも行けそうなのに」

 佑介が腰をさすりながら、再びぼそりとつぶやいた。

「きっと人事のおっさんどもに見る目がないんだね。その点うちの店長はあたしを採用するくらい優秀だから、陸人の才能を見抜けたんだよ」

 蔑んでいるのか褒めているのか判別がつかないな、と遥香は思った。少なくとも景子を合格させてしまったのは間違いだった。

「そうかなあ――陸人さんなら大会社に行っても通用しそうだけどなあ」

 佑介はしきりに首をひねっている。

 そこへ、再びベルが鳴って陸人が戻った。激しいスポーツにも匹敵するくらい動きまわっていたのに制服のシャツには皺ひとつ付いていない。それどころかソースの染みひとつすら見当たらない。

 佑介のものとはクリーニングの前後のように美しさが違っていた。

「ねえねえ、今話してたんだけどさ、陸人ってここへ来る前は何をしてたの?」

 無遠慮に身を乗り出して聞く。

 本物の三倍は長く盛られたまつ毛がしばたいた。

「それは、秘密ということで」

「じゃあじゃあ、今は何してるの? 資格の勉強しながらアルバイトやってるとか?」

「僕はしがないフリーターですよ。毎日が勉強で忙しいので、資格なんて取ってる暇はないですけどね」

 愛想よくはぐらかす。

「ふうん。でさ、お昼くらいに窓際に座ってたカップル覚えてる? あれあたしの友達でさー」

 景子はとにかく陸人と話せればいいといった調子で次々と話題を変えてしまったので、それ以上陸人の素性について知ることはできなかった。

 佑介も含め、若い三人で話を弾ませているそばで、遥香はカレンダーにペンを走らせていた。

 眉間にシワを寄せ、ペンの尻で机を叩く。思っていたよりも時間がない。

「どうにかなる方法はないもんかね……」

 赤いインクが、真新しいバツ印を描いた。それはほんのひと月後の日付だった。

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