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西班牙

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「本日の売り上げは――ほう、普段の四倍か。素晴らしい。利益はそれ以上になるから、陸人くんには約束通りボーナスを支給しよう。怜奈と大岡くんには特別支給として時給あたり百円を上乗せする」

 それを聞いた大岡海人は唇を尖らせた。

 小柄で坊主頭の彼は、シェフの帽子が似合わないことで評判だった。髪形のせいではなく雰囲気が料理人らしくないのだ。浅黒く日焼けした肌は、どちらかといえば船乗りのそれに近かった。

「普段の三倍は働いたと思いますが」

「わたしもー」

「ストライキを起こします。労働者として当然の権利です」

「ちょっと待った」店長である忠弘が大きく手を振ったが、その拍子に水をこぼしてしまった。すぐさま陸人が布巾を持ってくる。「いつもは店が閑散とし過ぎていたんだ。これからは毎日このくらい忙しくなるから覚悟しておくように」

「お父さんだってヒーヒー弱音を吐いてたじゃん。素直に従業員を増やしたらどうなの?」

「そんなことしたら利益が減るじゃないか。家のローンも車のローンも完済していないんだぞ。それに母さんと怜奈の生活費も稼がなくちゃいけないし……」

「お父さんが煙草とパチンコに浪費しちゃうからでしょ。それさえなければ今ごろ外車の一台も買えてただろうに」

 都合の悪い説教はきかないことに決めたらしく、忠弘は怜奈の話を無視していった。

「君たちの昇給は契約に含まれていない。それを温情でだしてやろうというんだから、むしろ感謝してほしいくらいだな」

「陸人さんにはボーナス支給するんですね」

 海斗が不満げな口調で店長を睨んだ。目つきが悪いため、正面から睨みつけられると迫力がある。

「それだけの実績があるということだ。悔しかったら君も計画、立案まで関わってくることだな。そうすればボーナスだって好きなだけ支給しよう。ただし失敗して赤字が出た場合、全額を負担してもらうことになるがな」

「……鬼店長」

「今日は機嫌がいいからな、なんとでもいえ! はっはっは!」

 酔っ払っているみたいに高笑いする忠弘に冷たい視線を向けながら、怜奈は陸人の温和な表情を眺めていた。

 陸人がアルバイトの面接を申し込んできたのは二ヶ月前のことだった。

 店の前に張り出してあった「アルバイト募集中!」の文字を見て、応募したのだという。とくに時給が良いわけではなかったが、飲食店での経験を活かせると思ったのだそうだ。

 大学には行っておらず、フリーターとして生計を立てているのは、店にいる時間の長さからもわかった。ただ怜奈としてもやみくもに陸人の過去を詮索するようなことはしたくなかったので、すこしずつ氷を溶かすように人柄を知ろうと努力していた。

 どこか漂々とした雰囲気のある陸人は、守銭奴のようには見えない。

 それなのに独自の契約をして、怜奈たちとは比べ物にならない給料をもらおうとしているのはなぜだろう。

 借金でもあるのだろうかと考えると、陸人の笑顔の裏に隠された本性が不気味に思えた。忠弘のようにギャンブル好きではないことを願いつつも、かれのように無害そうな人間ほど黒い歴史を持っているのだという経験則が頭をよぎったりする。

 ふと、怜奈のぼんやりとした視線に気付いたのか、陸人が目を合わせ小首を傾げた。

 あわててテーブルの木目に注意をそらす。

 心の中を見透かされた気がした。同じくらいの年齢なのに、たどってきた人生がまるで違う。そんな確信めいたものが浮かんできては、怜奈の脳内をぐるぐると回り続けていた。



「ちょっと陸人くーん、聞いてよう。腹が立つったらありゃしない。あの浅尾のアホが自慢げに店の売り上げが好調だって電話してきたのよ。ふだんは用事がなければ口もきかないくせに、ちょっと調子がいいからって天狗になるんだから。男として最低の部類に入ると思わない?」

「はは……まあ、そうですね」

「それに『お前もせいぜい頑張るんだな』なんて嫌味まで付けて! あんなゲス野郎はパチンコにお金を全部吸い込まれればいいのよ。それで奥さんと娘さんに愛想尽かされて一人身になって、雨と空腹に怯えながら暮らすべきね。あたしのところに命乞いに来ても許さないけど、靴のひとつやふたつ舐めたらちょっとは考えてあげてもいいかしら。考えるだけだけど」

「大変ですね」

「そうよ。いつもはウチのほうが売上いいからって妬んでるくせに、ちょっと偶然に自分が儲かったからって有頂天になるんだから。そんなやつは地獄に落ちたって足りないわ」

 渡辺陸人は適当に相槌を打ちながら、レジのなかに残った現金の総額を数えていた。

 話し相手が他の作業に集中していようとも関係ない。ようは愚痴を聞いてほしいだけなのだというのを陸人は理解していた。

 真剣に千円札の枚数を数える陸人をよそにイタリア料理屋「伊太利

イタリー

」の店主である北川遥香は、とめどなく悪態を吐きだしていく。

 お気に入りの派手な赤いワンピースをまとって煙草の煙をくゆらせている姿は、料理屋の店主というよりもバーのママみたいだった。

 遥香は白いドーナツ状の輪を浮かべながら、ライバル店の文句を連ねる。

「今まで何年もハズレを引きつづけてきたくせに。通算の売り上げだったらウチの方がよっぽど上なのよ、それを――」

 と、ふと上を見上げて、

「そういえば、いったい誰が助言したのかしら。あのアンポンタンに考えるだけの頭はないし、娘だって同じくらいの知能指数でしょ。だれか有能なアドバイザーにでも依頼したのかしら」

 陸人は答えない。

 黙々と電卓をうちこんでいる。その背中に、遥香はぼそっと声をかけた。

「ねえ、あなた約束は覚えてる?」

「もちろんです」

「あれはあなたが成果を上げる自信があるってことでいいのよね」

「ええ」

「――じゃ、任せるわ。あの浅尾をぎゃふんといわせてちょうだい」

 ぎゃふん、は死語ですよ、というかわりに陸人は少しだけ口元を歪めた。端正な顔の横で、遥香の吐きだした煙がゆらゆらと揺れていた。

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