祖母
休日の午後二時。
家の空気が少しだけ慌ただしい。
父が車のキーを片手に「そろそろ出るぞー」と玄関から呼ぶ。
今日は、家族三人で祖母のいる老人ホームへ面会に行く日だ。
私は後部座席に乗り込み、シートベルトを締める。
車が走り出すと、視界の端にいつもの半透明ウィンドウが浮かんだ。
【家族間空気安定度:良好】
【本日の推奨行動: 会話を埋めすぎない】
最近分かってきた。
この能力は、“正解の会話”を教えるというより、空気の流れを少し整えてくれるものだ。
父が運転しながら言う。
「紗奈は、最近どうなんだ仕事」
「うん。まあまあ楽しいよ」
「今度、CMの展覧会が図書館であるじゃない?お母さんも見に行くから」
助手席の母と何でもない会話をしているうちに、老人ホームへ着いた。
エントランスには季節の飾りが並んでいる。
六月らしい、柔らかな新緑色。
受付を済ませ、祖母の部屋へ向かう。
コンコン、と父がノックした。
「母さん、来たよ」
「はーい」
中から聞こえた声は、思ったより元気だった。
部屋に入ると、祖母は窓際の椅子に座っていた。
「あらぁ、みんなで来てくれたの」
柔らかく笑う顔を見て、胸の奥が安心する。
「久しぶりおばあちゃん」
「紗奈ちゃん、また可愛くなったんじゃない?」
「おばあちゃん、それ毎回言うよね」
笑いながら椅子を寄せる。
父は冷蔵庫に持ってきたゼリーを入れ、母は花を花瓶へ。
自然と役割が分かれている感じが、なんだか心地いい。
【“家族慣性”を確認】
【長年の関係性による無言連携が発生】
(そんな分析まで出るんだ……)
祖母は私の顔を見ながら言った。
「お仕事、どぅ?」
「まぁまぁかな」
「無理はだめよ。紗奈ちゃん昔から頑張りすぎるから」
その言葉に、少しだけ言葉が詰まる。
昔から。
確かに私は、周囲を気にして、空気を読んで、疲れてしまうことが多かった。
けれど、今は。
「……最近はね。前より上手くやれてるんだ」
ぽつりとそう言うと、祖母は嬉しそうに目を細めた。
「それならよかったわ」
窓の外では、春の風が木々を揺らしていた。
父と母の会話。 テレビの小さな音。 花の香り。
賑やかではない。 でも静かで、優しい時間だった。
帰り際。
祖母が私の手をそっと握る。
「また来てね」
「うん。また来る」
その温かい手を握り返した瞬間。
【“安心できる居場所”を認識】
【疲労軽減効果:微上昇】
(……こういうのでいいんだよね、たぶん)
老人ホームを出る頃には、空はすっかり茜色になっていた。
車へ向かいながら、父が言う。
「腹減ったな、どこかで食べて帰ろうか?」
「そうしましょう」
結局、昔からよく行くファミリーレストランに入る。
窓際の席。
運ばれてくる料理の匂い。
周囲の控えめな話し声。
どこにでもある店なのに、家族で来ると少し安心する。
「紗奈は、何にする?」
「うん……オムライスにする」
メニューを眺めながら答えると、視界の端に文字。
【家族会話イベント発生率:上昇】
【話題予測: 仕事/結婚/健康】
(げげ)
私はそっと水を飲んだ。
料理が届き、しばらくは普通の会話だった。
祖母の様子。最近のニュース。
父の会社の話。
だが。
母がサラダを取り分けながら、何気ない顔で言う。
「紗奈はどう。いい人いないの?」
来た。
【回避推奨】
【ただし不自然回避は逆効果】
(めんど……)
父も「お?」みたいな顔でこちらを見る。
「別にいないよ」
できるだけ平坦に返す。
「職場とかは?」
「そんな出会いないかな」
「常連さんとかで素敵な人とかどうなのよ」
「それは出会いって言わないから」
嫌な感じではないのだ。
ただ、一人娘の恋愛事情が気になるだけなのは分かる。
「気になる人もいないのぉ?」
母のその言葉に、少しだけ手が止まる。
“気になる、人”
……頭に浮かんだのは。
静かで。距離感が自然で。
必要以上に踏み込んでこない。
狸の栞、読書する横顔。
「……」
「え、いるの?」
「いないよ」
ちょっと早口になった。
視界の端。
【動揺を検知】
【母の観察精度が上昇しています】
(うう……)
父が面白そうに笑う。
「違うからね」
「怪しいわぁ」
母が完全に楽しみ始めている。
でも不思議と、嫌ではなかった。
前ならこういう話題は疲れるだけだったのに。
私はオムライスを食べながら、目を瞑った。




