彼にとっての青春
エアコンをつけないと暑すぎる日中午後1時。
初夏とは何かを問いただしたい今日この頃だ。
丸テーブルの上には教科書とノート。開かれたページには付箋であったり、下線であったり。
シャーペンが文字を書く音、時折力んで折れる音。
そんな音がしばらくして。
「……なぁ、登張」
「なんだい?」
ふと、英語の単語を書き写していた達也が尋ねてきた。
「よく漫画だとよ、男勝りな女キャラが『こんな格好させやがって』とふりふりな服きたりするシーンあるだろ?」
「まぁ、あるね」
「で、じゃあ何で律儀に着てるんだよってなるじゃんか」
「そうだろうけど、どうしたの?」
「俺、今それなんだわ」
僕はノートに書きこむ手をやめた。
「え……今、恥ずかしい格好をしてるの?」
「ちがうちがう、そうじゃない。そうじゃなくてよ――」
「はぁ」と達也がため息をついた。
「なんで俺たち、勉強してんだ?」
「だって中間テストそろそろだし。赤点とるよ?」
「じゃなくて!」と、達也はばっと立ち上がった。
「俺たち、青春イベントをやろうぜって話してたじゃんかよ! それが何がどうして勉強してんだ、俺たち!」
「勉強会。これもよくある青春の一コマでしょ?」
恐らく日常ものや恋愛ものでは必ずと言っていいほど挿入されているシーンだと思う。大体途中でギャグかコメディ描写が入るからまともに勉強しているのは見たことないけれど。
「それに、これならお金もかからないし、テストの勉強もできるし、一石二鳥だね」
「野郎2人で勉強会しても青春も何もねぇよぉ……」
失礼なことをいう達也に僕はため息をついた。
「そんなこと言ってもお互い部活もしてなければ女子生徒との交流もない、バイトもしてなくてお金もなければ、身近にできる青春イベントを考える事もできない頭なんだから仕方ないでしょ」
「その言葉で心折れそうだ……くそ、世のリア充はどうやってんだよ……」
「僕たちの場合は出力がそもそも小説、漫画、アニメ、ゲームだからね。多分現実の青春ものとは何か認識が違うんじゃない?」
人生経験が殆ど以上4種の僕たちには、圧倒的に経験値が足りていないようだった。
「そんなバカな……」
「というか、青春は楽しいものばかりでもないでしょ。時には辛いことや苦しいことだってあるだろうし。勉強会だってね」
「……ゲームしねぇ?」
「はったおすよ。僕だって我慢してわざわざ達也につきあってあげてるんだから」
部屋の片隅においてあるゲーム機器につい目移りしそうになるけれど、実際テストはそろそろで、勉強しないといけないことも分かっている。
「そもそも達也はどういう気持ちになれば青春してる感じになるのさ。一応これだって行動自体は青春イベントといって差支えないと思うけど」
「んー? そりゃ、こう、爽やかーな気持ちとか、今、エモい感じになってる! と感じられるとか」
「なんか特別感に浸れてるってこと?」
「うむ」と達也がうなずいた。
「女子がいりゃあなんでもかんでもそんな気持ちになれんだろうけどなぁ」
「達也の中で女子は万能薬かなにかなの? そんなに思うくらいなら自分から絡みにいけばいいのに」
僕がそういうと、達也はすべての動きをとめた。
そして、俯く。
「……いや……だって……変に声とかかけてさ……きもいやつって思われたら、嫌だろ……?」
「どうしてそこで自己評価の低さがポップアップしてくるのかな。口調とか見た目からはちょっとやんちゃそうなムードメーカーだろうに」
「俺はな、中学で『久野くんって結構うるさいよね』って女子達が陰口を言ってんのを今でも覚えてんだぞ……」
過去の出来事を思い出したようで、達也は苦悶する人間のように頭を抱え始めた。
「でも、そのトラウマに囚われてたらこの先ずっと女子と縁なく高校生活終わらない?」
「はぁ……はぁ……!」
ついには息切れも始めた。このような感じでリアクションは面白いのだけど、女子の前では良い子を演じようとして結構空回りしているのがこの達也だ。
「そ、そんなこという登張はどうなんだよ!」
「や、僕は達也ほど絶対に、という気持ちはないし。無難に高校生活を終えればそれでいいかなって。あと僕に彼女ができるとかそんなのは微粒子レベルでないと思ってるし」
「くそっ、陰キャの発言かよ……」
「まごうことなき陰キャだよ。なんなら青春イベントにつきあうのも疲れるし、僕は降りてもいいんだけど」
「それはダメだ。お前、ひとりで青春イベントなんぞできると思うか?」
「うーん」と僕は首を傾げた。
「ひとり動物園、ひとり遊園地、ひとりプール……まぁ、当人が満足できるならいいんじゃない?」
「俺が無理なんだわ!」
「あ”あ”ぁ」と声を上げて達也が後ろに倒れた。
「俺の青春は、どこにあるんだ……」
「青春より先に目先の問題をどうにかしたほうがいいと思うけどね。まぁ、そんなに特別感を感じたいなら……そうだね、こんなのはどう?」
と、僕はまずエアコンの電源をきった。
代わりに物置から扇風機をとりだし、
「あ、こんなのもしまってたっけ。ちょうどいいや」
「登張、なにやってんだ?」
まぁまぁと達也を誤魔化しつつ、扇風機をつける。
窓にはちょうどみつけた風鈴をぶら下げる。
そして、窓をあけると、熱風と共に「ジジジ……」という蝉の音が聞こえた。実は昨日から家の周りで聞こえるようになったのだ。
――夏の始まりを感じる蝉の音。風にそよぎ、風鈴が鳴る。ぬるい扇風機の風が部屋を回る。麦茶を冷やす氷が解けていき、からんと音を立てる。暑さに額の汗をぬぐい、彼らは勉学に明け暮れていた。
「シチュエーションとしてはよくない?」
「お、おお! これ、これだよ!」
達也が目を光らせる。
「この主人公みたいなシチュ、そうこれだよ!」
「達也にとってはこういったアニメや漫画にありそうなシチュエーションの方が青春と感じやすいのかもね」
「確かに!」
徐々に暑くなっていく部屋に僕は麦茶を一息に飲み干した。
「俺の中の青春像が今、決まった気がする!」
「青春像なんて考える人、何人いるんだろうね」
ただ、達也のなかではずっともやもやがあったようで、嬉しそうだった。
「じゃ、ちゃんと勉強もして青春をその身で感じないとね」
「おう!」
と、また僕たちは勉強に集中することになった。
なった、のだけど。
「……」
「…………」
昨今、日本の暑さは尋常ではない。
もしかしたらアニメや漫画の世界では、暑さに対する耐性は現実よりも高いのかもしれないけれど。
つまるところ。
落ちる汗、乱れる息、切れる集中力。
「……なぁ」
「……言いたいことは察するけど、なに?」
「暑すぎねぇ?」
「同意。でも、達也が望んだシチュだからね。ほら、さっきもいったでしょ? 青春は何も楽しいことばかりじゃないって。苦労なども含めて青春なんだよ。それがいやなら風情もへったくれもない状況に戻すけど」
「ぐぉ、ぐぉぉ……」
そのような中、勉強は続いていった。
・
・
「やーっと涼しくなった!」
夕方。時間も時間とのことで勉強会は終わりを迎え、現在は達也を途中まで送っている最中だ。
空をみればオレンジ色の夕日が地平線に消えていこうとしているところだった。
風はまだぬるいけど、汗をかくほどの気温ではない。
「シチュだけでいいなら、いっそ図書館とか図書室での勉強もよかったかもしれないね」
「あー、確かに。んだけど、俺、静かなところとかそんな得意じゃねぇんだよなぁ」
「達也、女子と付き合ったらいけるデート場所一気になくなるじゃん。映画館とかプラネタリウムとか」
「い、いや、我慢できねぇとはいってねぇし!」
と、説得力を感じない反論をしてから、達也は前を向いた。
「ただ、今回のでわかったけど、青春を感じるって難しいんだな」
「そう? 達也の場合はアニメとか漫画にありそうなシチュエーションに青春を感じるタイプってわかったし、色々とできそうな気がするけど」
「けど、そういうのってどうやってみつけるんだ?」
「そうだね」と僕は先程から考えていることを実行することにした。
「ねぇ、達也。ちょっとそこの縁石の上を歩いてもらえる?」
「ん? おお」
「で、腕を伸ばして――そうそう、で、楽しそうに歩いて、笑いながらこっち振り返る感じで」
「俺は演劇の指導でも受けてんのか? えーっと、楽しそうに楽しそうに……で、笑えばいいんだな」
意外と達也は自然な動作で僕の注文を受けてくれた。
そこで僕はスマホのカメラのシャッターを切った。
「……うん、いいんじゃないかな」
達也を呼び、撮った写真を見せると、「うおっ」と声をあげられた。
映っているのは、まるでとある一場面を切り取ったかのようだった。
――夕方。ひとりの男子が楽しそうに縁石の上を歩いている。バランスを崩す心配もしてなさそうな、単純な笑顔を向けながら話しかけてくる。夕日に照らされながらも、男子は今日あったことを離してくれる。髪が、揺れている。まだ初夏のぬるい風が、彼の汗を拭っていた。
「え、やだ、エモい……」
「こんな感じでさ。ちょっとした工夫でも特別感を感じる瞬間を経験することはできると思うよ。というか、そういうのって言われないと気付かないことだって多いと思うし」
「そ、そうか」
所謂、演出次第で、というやつだ。
写真をみつめていた達也は、やがて「よし!」と力強く頷いた。
「まずは身近なものから始めてくぞ!」
「そうだね、身近なものから、具体的には中間テストから」
「……うっす」
そうして、今日の一日も終わった。




