4、瓦解
次に、水橋柑奈と箱崎莉音。柑奈には、ちょっとした不思議な能力があった。
それは「昆虫などの甲殻類と普通に触れ合える」という能力だ。
当たり前のように蜘蛛を腕に這わせていたのを、眞希は見たことがある。ちなみに眞希は、這わせられるのは尺取り虫が限界だ。
お陰で、頭の軽い何人かの女子に疎外されていたが、本人は全く気にしていなかった。
そんな時、一匹のムカデが、よたよたと這ってきた。
「あ、ムカデ、かわいー」と、柑奈が掴もうとした。でも箱崎莉音は、それによって彼女がいじめられるのを読み切った。だから、莉音に罪はない。追い払おうとして、振り払っただけなのだから。
けれど、それでそのムカデは、寺井裕人の方へ向かった。
「っ何しやがんだよ!」と寺井が叫ぼうとその口を大きく開けた―
すさまじい悲鳴に、眞希は我に帰った。
悲鳴の方向は、自分のクラス。二年四組。
(もしかしたら何か・・・草津さんの・・・いや、みんなの身に何か・・・)
虫の知らせが、彼を走らせた。
陸上部の快足が、廊下を駆け抜けた。そして、クラスに駆け込んだ。
「閉めろっ!!!」鋭い声が突き刺さった。
丹波だった。彼の顔は恐怖で歪んでいる。
床に目をやると、寺井が倒れている。うつ伏せで表情はわからない、でも、いつものおどけた死んだふりとは、明らかに何かが違った。
「寺井・・・どうしたっつーんだ・・・」
丹波が説明しようとした、その時だった。
サイレンが鳴った。避難訓練の時の、あの不安感を煽るコール。
放送のためのマイクの電源が入った。でも、何の声もしない。その代り、すさまじい悲鳴がした。
ただ事ではない緊張感が漲る。何かが違う。明らかに違う。
ドアが開いて、クラスのみんなが入ってきた。サイレンで戻ってきたらしい。
クラスの全員が、揃った。
「寺・・・井?」
「何で?どうして裕人君が?」
嫌なざわめきが、広がっていく。
「こっ・・・こいつの所為だ!!こいつらのせいだ!!こいつらが殺ったんだ!」
声を上げたのは丹波だった。無理に震えた声を引き裂くかのように絞りだしている。
だが、彼は、莉音と柑奈の髪を掴んで立ち上がらせていた。反射的に叫んだ。
「何しやがんだよ!!」だが、叫んだのは、眞希だけではなかった。眞希の声を相殺し余りある凄まじい大声で、隆大が同じ台詞を叫んでいた。
教室が、静まり返った。
「事故だった、誰がこんなこと予測できる?」
声を無理に落ち着かせた隆大。しかしその眼は、まるで燃え盛りその姿を熱く揺らめかせる石炭の様に燃えていた。その眼で、射すように、否、貫通するように丹波を睨んでいた。
「箱崎はムカデを振り払っただけだし、柑奈は見てただけだ。あいつらがやったわけじゃ・・・」
「だって柑奈は虫と遊んでいんじゃない!その虫が何をしたかくらいわかるでしょ?」
隆大の主張はかき消された。
さらに周りが好き勝手に意見を言い出した。
馬鹿らしい・・・馬鹿らしすぎる。眞希は思っていた。目の前で寺井が大変なことになっているのに、もしかしたら何か他のことがあるかもしれないのに・・・
とにかく黙らせたくて辞典を掴むと、机に叩きつけた。
バァァァァァァアアアン!!!
教室が静まり返った。
「それより、何があったかと、これからどうするか話すのが先だろう」
眞希も、ある意味焦っていたのだろう。
誰かが、かいつまんで事情を説明したとき、動きがあった。
寺井、否、寺井の亡骸だった。
腹の部分が痙攣していた。
メリメリッ!!
あってはならない筈の、響き。
おぞましい音をたてて、寺井の腹が、割れた。
そして、腹から二十匹くらいのムカデが飛び出した。
大きさは変わらない、けれど、触角がいまにも伸びそうに震えている。これが延びて口をとらえ、体内に入っていくのだろう。寺井の体には、傷がないのだから。
眞希は、寺井がどのようにして死んでいったかを知った。気づいてから、知らなければ良かったと、心から思った。まだ、人生の半分も終わっていないのに。
最期の伝えたい一言すら、穢していく。壊していく。
心からの怒りがわきあがった。
飛び出したムカデたちは、寺井の体の近くにあった。故に、一番早く狙われるのは、丹波、莉音、それから、柑奈。
気づいたら、隆大と一緒に走り出していた。
「何してるのよ!早く逃げなきゃ!!」叫んだのは、草津さん。
弾かれたかのようにほかの人たちは逃げていく。
とにかく、隆大と眞希は、逃げ遅れた三人、本音を言えば、柑奈、それから莉音を助けようとした。
「こっちに走ってこい!!」
叫ぶ眞希。硬直する柑奈。莉音は何とかここまで来た。丹波は焦った顔をしてひとりで走って行った。
残り8m、ムカデが動き出した。いまにもその触角を伸ばそうとする。
「間に合ええええええええええ!!!!」叫んだのは、隆大だったのか、眞希だったのか。
それは、分からない。でも、駆け寄ったのは、陸上部で遅いといわれていた、隆大だったのだ。理由を問われればこう答えるしかないだろう。「守りたかった」のだ、と。
触角が延びてくる。隆大は飛び込んだ。
次の瞬間を眞希は今でも、そう、地上デジタルの録画の様に鮮烈に思い出すことができる。
隆大が、柑奈を突き飛ばし、血を腹から吹き出した、その瞬間を。
どう、と糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた体に、ムカデが群がってくる。その体を少しずつちぎり取る様はそう、どちらかというならハゲタカ。
友を呼ぶ叫び、否定の叫びが眞希の口から迸り出でた。