2、平穏
朝食は天むす。昨日用意しておいたものだ。
両親は今二人で海外に行っている。なんでも結婚記念日の近くを二カ月も休みにしてもらったのだそうだ。嘘臭い。
つまり、今の彼にとって学食ほどありがたいものはない、ということ。
三秒で荷物を詰め込み、カバンを持つ。六秒かけて玄関に行き、靴を履く。
外に出た。その二秒後。
「わーーーーーーーっっっ!!」
電信柱の陰から、奇妙な少年が襲いかかってきた!
のだが、眞希は冷静にこう返した。
「なんだ、ただの藤岡藤巻か」
「誰がポニョだ!一文字もあってねーじゃねーか!」素早い切り返し。高いテンション高い身長。目立ち始めたニキビ。彼は高園隆大。眞樹の親友。
こういう掛け合いもいつものこと。
二人で学校へ向かう。
「なぁ」と声をかけたのは隆大だった。
「ん?」
「お前、なんか今日静かじゃね?」
「・・・ウッ」ギクリとした眞希。
「どーせテメェ、カンナちゃんとのスイートな時間を妄想してたんだろ?」
「それはお前だろ、俺は柑奈とは何ともねぇ」
「ったりめーだ、カンナちゃんは俺の・・・」なんかとんでもない宣言が出そうだったので、先手を打つ。
「あ、あんなところに水橋柑奈が!」
瞬間、体のくねくねした動きを一瞬で硬直させ、黙り込み、辺りをきょろきょろする隆大。
だが、本当に、いた。眞希の幼馴染の水橋柑奈は、何時ものようにふわふわした感じで、眞希が指さした一五三度違う方向に、戸惑ったように立っていた。
「お、おー、おはよう、水橋」と、隆大が言う。無理に絞りだした声は、異常に震えている。
「俺らの会話聞いてないよな?」と、一応眞希が念を押す。
「高園君が『どーせテメェ』って言ったところから聞いてた」
「ほぼ全部じゃん」と二人が会話していると、隆大が空中で悶絶するという離れ業をやってのけた。
二人はぼけーっと見つめるしかない。
「じゃ、じゃあ私、莉音と約束あるから」困った柑奈がふわりと去って行った。
隣を見ると、隆大はこの世の終末が訪れたような表情をしている。
「お、死んだか?」
と、わざとふざけたように言うと
「勝手に死なせるな!」
ほら、やっぱりすぐに起き上がった。
学校に着いた。いつも通りの会話が飛び交う。
「おっはよー」
「おっす」
「一時限目なんだっけ?」
「あーっと、英語」
「あぁ無念、ワタリズムか」
ワタリズムとは、英語の渡大成先生の隠れた愛称で、語源は、喋る時いちいち体をそれこそDJの様にシャカシャカ振ることから来ている。
「まぁ、それを越えれば体育だし」
「その次も芸術だしね」
「そだね」
不毛な会話。でも、平和だった。
そんな一時限目。
「・・・で、あるからして、ここはアフターオールと・・・」眠い。非常に眠い。実際、このワタリズムの日本語的イングリッシュは生徒の惰眠を誘い、かつ文句なしに減点する恐ろしい効果を持っている。
「丹波、ここの動詞は?」
「原型」
丹波竜。所謂「不良」と呼ばれる連中の一人で、春休み中髪が金色だった過去があるのを、眞希は知っている。
「違うぞ、それじゃあ、寺井」
寺井裕人。サッカー部の元気なやつだ。元気すぎて女子との折り合いが悪い。
「be動詞・・・じゃないすか?」
「そうだ、それじゃあ(3)、崎ヶ谷」
「I have to…」
崎ヶ谷 倫。頭がよくて運動が苦手、メガネの典型的なガリ勉の女子。その天然なキャラクターからクラスでなぜか大人気。
「へくしゃん!」ほら、不思議なタイミングでくしゃみが出た。天然にもほどがある。
なんだかんだで、授業の過ごし方は自由だ。
安眠をむさぼるもの、
ひたすら勉強するもの、
陰でこっそり持ってきてはいけないもので遊ぶもの、
・・・などなど。
いつもの日常。でも、気づいたかもしれない、空気が少しだけ、おかしいことに。そういう勘が一番働くのは眞希だったはずなのだが、彼は浮かれていた。無理もない。
その日異様な気配を少しだけ感じたのは、柑奈の親友、箱崎莉音だけだった。しかし莉音も、それを気にもかけなかった。当然だろう。これから起こることを予測できた人間はいただろうか。否。断じて否。
そこまで、奇妙で、不思議で、それから残酷な話なのだ。
時が過ぎていく。