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7

 友理奈の泣き声が小さくなる。いつまでも、ここにいるわけにはいかない。


 浩一は、友理奈に声をかけた。


「吉野、帰ろう」


 友理奈は、なにも言わない。浩一は手離した鞄をひろうと、ふたたび彼女にいった。


「行こう、吉野」


 友理奈は、黙ったままうなずいた。二人が横にならんで公園を出る。


 当然、相合い傘になる。彼氏や彼女のいない者たちから見れば、うらやましがられるシチュエーションだ。しかし、これほど気の重い相合い傘もないだろう。


 傘をにぎる浩一は、友理奈が雨に濡れないようにすると、自分の肩に雨が降りかかってしまう。


 だが


 ──これでいい


 浩一は友理奈のために、雨の犠牲になる自分を受け入れた。



 友理奈の自宅を浩一は知らない。ゆえに、彼女の歩くのにまかせた。


 ふと、気づいたことがあった。いままで、気にもとめていなかった。


「吉野、鞄は?」


 その言葉に、友理奈は首を横にふる。


 ──学校に行こうとしてたんじゃなかったのか?


 浩一は「だったら、なぜ学生服に?」と考えたが、重い空気がますます重くなりそうだったので、それ以上は詮索(せんさく)するのを止めた。もちろん、友理奈にはなにも言わない。


 妙に気まずい状態のまま歩き続けていると、しばらくして前方から叫ぶような声が浩一たちに伝わってくる。


「ユリちゃん!」


 その声にハッとした二人は、足を止める。紺色のレインコートを着た体格のよい中年の女性が、傘を手にして彼らの方へ駆けよってくる。

 友理奈の親族だろうと浩一は思った。やはり、友理奈を探している人がいたのだ。


 友理奈の前で立ち止まったその人は、ホッとして目元をゆるませると、友理奈に言葉をかける。


「見つかって良かったわ。みんな心配してたのよ」


 慈愛(じあい)にあふれた声だった。浩一はあとで知ったが、彼女は友理奈の叔母だった。


 朝、学校へ行ったはずの友理奈の鞄が玄関にあり、母親が気になって学校に問い合わせたところ、友理奈は学校へは来ていないという。


 友理奈の携帯電話は自分の部屋の机に置きっぱなしであり、母親は娘と連絡をとることができない。彼女は親戚中に電話したが、娘の所在がわからず、親族の人たちは友理奈を探しまわることとなった。


 実は、事情を知った学校側もたいへんあわてて、現在はそのことで職員会議の真っ最中である。


 友理奈は、話しかけてくる叔母の言葉にはなにも返さず、うつむいたままでいる。


 浩一は、友理奈の親族に言っておくべきだと思い、口をひらいた。


「あ、あの……」


 なんとも頼りない響きのする声が、浩一の口から出てくる。 まったく関係のない部外者が割り込もうとすると、こんな感じになるのだろうか。


 それでも浩一は、友理奈のために言葉を続ける。


「吉野を怒らないであげてください」


 友理奈の叔母は、(おだ)やかに微笑んで答えた。


「ええ、わかってるわ」


 彼女の返答に、浩一は思った。


 ──これが、大人なのだ


 なにかと感情的になる学生の自分たちとは、ちがう。人間が成長すると、こういう大人になるのだろう。

 友理奈が家族のもとへ帰り、誰かから怒鳴られそうになっても、この人が(いさ)めてくれそうだ。


 彼女たちが二人で話をしているあいだに──といっても、話しているのは叔母だけで、友理奈は黙りこくったままなのだが──浩一は、じゃま者はさっさと消えるべきだと思い、静かにその場を離れてゆく。


 だんだんと雨が強くなる。自宅に帰り着いたときには、どしゃ降りになっていた。


「吉野は、ぶじに帰れたかな」


 保護者ともいえる人がいっしょなので大丈夫とは思うのだが、やっぱり気になる浩一であった。



 自分の部屋に入った浩一はジャージに着替えると、ベッドに仰向けに寝そべった。

 当分、着ることのない学生服のズボンとシャツは、すぐさま洗濯機に放りこんだ。


 両親は、二人とも仕事に出かけている。ぼんやりと部屋の天井を眺めていると、公園での記憶がよみがえってくる。


 ──あのとき


 胸に渦巻く欲望を、抑えることができなかった。不幸の最中にある友理奈に、心の中で襲いかかった。


「最低だっ」


 自己嫌悪におちいる。欲望のままに友理奈を襲っていれば、自分は犯罪者になっていた。

 考えてみれば、ゾッとする。しかし、実際には犯罪者にならずにすんだ。


「これで良かったんだ」


 浩一は、強引にそう思うようにした。


「今日のことは、もう忘れよう」


 忘れたかった。だが、できなかった。この日の出来事は、浩一の心に、いままでにない強烈な衝撃をもたらした。


 するどい爪痕(つめあと)をのこすかのような、心の奥深くまでえぐり込まれた記憶は、簡単には忘れられない。


 これ以降、浩一の日常が崩れてゆくことを、浩一自身は知るよしもない。いまはまだ、その序章にすぎなかった。




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