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 浩一の声に、友理奈がゆっくりと顔を上げる。


 眼鏡をかけてはいたが、いつものおさげではなかった。さらに、その髪が雨に濡れて、彼女の印象をガラリと変えていた。

 まるで別人のような気がする。だが、確かに友理奈だった。


「こんなところで、なにやって……」


 話しかける浩一の言葉を断ち切るように、友理奈は震える声で割り込んだ。


「わたしが」


 友理奈の目から、涙がこぼれ落ちる。


「わたしが、お父さんを死なせたんだ!」


 彼女の言葉を聞いて顔をこわばらせた浩一は、どうすればいいのかわからず呆然となったまま、その場にたたずむ。


「わたしが、お父さんを……」


 進路のことで争っていた父親だったが、その父親は、本当は娘を大学へ行かせたかったのだ。

 娘の大学生活のために少しでもお金を蓄えておこうと、毎晩おそくまで働いていた。年が明けてからは、日曜日でさえ会社に出向くこともあった。そして、連日の疲れが限界をこえて無理がたたったのだ。


 葬儀の場で、偶然その話を耳にした友理奈は、涙が止まらなかった。父親の優しさが全然わからず、理解しようともしなかった自分が、イヤでイヤでたまらなかった。


 何度も自分を責めようとする友理奈に、浩一は雨に打たれないようにと傘を前にさし出す。しかし、ブランコの鎖がそれを阻み、じゃまをする。


「吉野、濡れるよ」


 いうまでもなく、もうずぶ濡れといっていい状態だ。だが、他にかける言葉が見つからない。


 友理奈は、座っていたブランコから立ち上がる。


 そして


「──っ!」


 友理奈が、いきなり浩一の胸に抱きついた。浩一は、心臓が止まるかと思った。


 友理奈は泣きながら声をしぼり出す。


「わたしが、絶対に大学へ行くって……お父さんの話を全然、聞かなかったから、お父さんは無理して……」


 友理奈に抱きつかれた浩一は、身体が熱くなる。友理奈の声が聞こえてはいるが、それは頭の中を素通りする。

 すでに浩一のなかで、なにかが弾け飛んでいた。


 ──抱きしめたい


 このまま、強く。


 ──キスしたい


 そのくちびるを、強引に奪いたい。


 ──押し倒したいっ


 理性が壊れたかのように、欲望と妄想がどんどん溢れ出てくる。


 次の瞬間、常識では考えられないことが、浩一に起こる。地獄の底から響いてくるようなおぞましい声が、浩一の身体の内側から全身の肌に伝わってくる。


『獣になれ 』


 顔から血の気がひくほど驚いた。自分のなかに、誰かがいる。

 浩一とは性格のまったくちがう、得体のしれない何者かが、己の(うち)にひそんでいる。


 その声は、色であらわせば真っ黒というほどの禍々(まがまが)しさに満ちていた。 心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえてくる。


『獣になれ』


 浩一だけに聞こえる邪悪な声が、友理奈に襲いかかる衝動(しょうどう)へと駆り立てる。


 ──もう、がまんできないっ


 そう思った瞬間、頭の中が真っ白になる。だが、身体は動かなかった。なにかを恐れるように、全身が震えている。

 理性など、とうに失われているだろうに、どういうわけか身体が欲望に抵抗しているのだ。しかし、この状態は、長くは続きそうになかった。


 またたく間に限界がおとずれる。


 ──吉野をめちゃめちゃにしたい!


 そんな浩一を、コンクリートで固めたように一寸の身動きもできなくさせたのは、友理奈のつぶやいたひと言だった。


「死にたい」


 浩一に戦慄が走る。悲痛な想いをともなった友理奈の言葉は、浩一の欲望と妄想を一挙に吹き飛ばした。


「吉野」


 浩一の口から、探そうとしてもなかなか見つからなかった言葉が、自然に出てくる。


「あまり頭の良くないぼくでさえ、大学へ行きたいと思っているんだ」

「………」

「ぼくより頭のいい吉野が、大学へ行きたいと思うのは当たり前じゃないか」


 友理奈の両手が、浩一の身体をギュッと抱きしめる。 その手から、彼女のつらい想いが伝わってくるようだ。


「吉野」


 自分は絶対に間違っていないと思う浩一は、彼女に言いきった。


「君は、悪くない」


 それを聞いた友理奈は、声をあげて泣きだした。 浩一は思った。


 ──吉野は悪くない。吉野のお父さんが亡くなったのは、彼女のせいじゃない


 浩一は、そう思う自分をどこまでも信じた。


 ──だから、吉野


 ずっと持っていた鞄から手を離した。バシャッと地面に落ちても気にせず、自由になったその手を友理奈の背中にまわす。

 自分の想いが、叫ぶように泣いている友理奈に伝わることを願わずにはいられなかった。


 ──死にたいなんて、言わないでくれ!


 浩一は、ゆっくりと友理奈を抱きしめた。


 ──どんなことがあっても、吉野を守らなければならない


 なぜか、そう思った。



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