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次の日も試験はぶじに終わり、最終日を迎えるころには、緊張感もかなり和らいでいた。
今回の試験は、浩一にしては、なかなか上出来だと思うほどの結果が期待できそうだ。赤点は、まずないだろう。
とにかく、期末試験をやり終えた浩一は、ひとつの山を越えたことにホッとする。
夏休みまで、あと一週間となる。教師から手渡されたテストの結果は、だいたい浩一の思ったとおりだった。
席に着いてにんまりと笑みを浮かべていると、突然、教頭先生の室山が教室に来る。生徒たちはもちろん、教壇に立つ川村教師も驚き、室山教頭に視線を合わせたまま、石のようにかたまっている。
室山教頭は深刻な表情のなかに、困惑が入りまじった顔つきで、誰かを探すように教室を見まわしている。
「川村先生、ちょっと」
教頭はそう言って川村を廊下へ呼び出し、二人のあいだで話がはじまる。ただ事ではないなにかが起きたことは、生徒たちにも明らかだ。
誰も、なにも言わないまま、時間だけが不安を募らせるように刻々と過ぎてゆく。
不意に、教頭と話していた川村が、教室に足をふみ入れる。そして、ひとりの生徒の名前を呼ぶのだった。
「吉野」
先生に名前を告げられた友理奈は呆然となり、他の生徒たちは驚いた。まさか、この状況で友理奈が呼ばれるとは、あまりにも予想外だ。
川村が顔をひきつらせたような固い表情で、ふたたび友理奈に声をかける。
「吉野、ちょっときて」
友理奈が、いぶかしげな顔をしながら教室の外に出る。彼女はそのまま教頭先生につれて行かれてしまった。
生徒の一人が質問する。
「先生、吉野になにかあったんですか?」
川村の顔に、困惑の想いがあらわれる。彼は生徒の質問には答えず、教師としての自分に立ちかえった。
「みんなが気にすることじゃない。さあ、テストの答え合わせを続けるぞ」
そういう川村だが、彼の顔には、やりきれないという感情を隠すことができずに浮かびあがっている。
浩一は、友理奈になにがあったのか気になって仕方がなかった。
放課後のまえに迎えたホームルームで、生徒が口々に担任の和泉教師にたずねた。
「先生、吉野はどうしたんですか」
「吉野さん、なにかあったんですか」
やはり浩一だけでなく、みんなも友理奈のことが気にかかっていたようだ。ふつうならありえない形で教頭先生につれて行かれたのだから、無理もない。
友理奈は、とても事件を起こすような生徒とは思えない。苦しい家庭環境にあるのは確かかもしれないが、だからといって友理奈は不良じみたことをしたり、いかがわしいアルバイトに手を出すような、そんな女子には見えない。
頭が良くておとなしくて、目立たない彼女からは想像もできない。
にわかに教室が騒がしくなってくる。神妙な顔をしていた和泉が、言いにくそうに口をひらいた。
「吉野のお父さんが、亡くなったらしい」
ざわついていた教室が、一瞬で凍りつく。物音ひとつしない空間は、寒気を感じるほどの雰囲気におおわれた。
「くわしいことはわからないが、みんなは大学受験があるのだから、人のことより自分のことをきちんとしなさい」
思わぬ出来事に、生徒も教師もショックをうけて動揺したまま、放課後となった。
その後、友理奈が学校に来ない日が続き、終業式がおとずれる。
自宅を出るときに空を見上げると、灰色の雲がひろがり、いまにも雨が降りそうだった。多くの生徒は、傘を手にして学校へ向かっている。
終業式になっても、友理奈は学校へ来なかった。クラスの生徒たちのほとんどは、この場にいない友理奈を気にかけてはいない。
そんななか、浩一は彼女のことが何度も頭をよぎる。
──吉野、大丈夫かな
教室の窓から外を見ると、雨がパラパラと落ちてくる。明日から夏休みなので、ふつうなら喜び勇んでウキウキするのだが、妙に気が重い。
それは、雨のせいだけではないことを浩一は感じていた。
浩一は、先生から受けとった通知表を見て、どうにか一学期をぶじにのり越えたことに安心する。
ホームルームも終わり、帰ろうとすると雨が降っていた。まだ、たいした雨ではない。どしゃ降りになるまえに自宅に帰り着きたいと思いながら、傘を片手に歩を進ませる。
公園の外まわりの歩道を歩いているとき、なにげなく公園のなかに目を向けた刹那、ギョッとした。
小雨の降っている空の下、ブランコに誰かが座っている。女のようだ。ブランコに座っている彼女は、雨に打たれるまま、そこから動こうとしない。
まだ本降りではないとはいえ、このままでは彼女はずぶ濡れになるだろう。いや、いまでもけっこう、びしょびしょなのではないか。その女は、自らそうなることを望んでいるとしか思えない。
不気味に思う浩一は、彼女に関わらないようにしようと顔をそむけた。
まっすぐ帰ろうとして、なにかを思い出したように、ふたたび彼女に目を移す。じっと観察する感じで眺めていたが、うつむいている彼女の顔はよく見えない。
だが、着ている服は、たぶん学生服だ。しかもスカートを見ると、自分が通学している学校ではないかと思う。
浩一は足をしのばせるようにして、彼女の近くまで歩いて行く。注意して見なければわからないが、おそらく彼女は眼鏡をかけている。
──まさか!
その「まさか」だったことに、浩一は愕然となって声をもらした。
「吉野……」