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浩一はいつものように学校へ行くが、もはや、いつもの日常ではなくなってしまった。
友理奈のことが思い出されるたびに、心に爪痕がきざまれる。その傷が罪悪感をよびおこし、浩一を苦しめる。
悪いことは、なにもしていない。それなのに心で犯した罪は、こんなに苦しまなければならないほど重いものなのか。
不意に響いてくる、おぞましい声。
『獣になれ』
浩一の裡に棲む何者かが、浩一を獣へと変貌させようとする。苦悩する浩一を見て、あざ笑っている。
浩一のなかで、なにかが狂った。狂ったままどうすることもできず、一ヶ月が過ぎた。
秋の体育祭もぶじに終わり、日を追って大学受験がせまってくると、三年生たちは落ち着きがなくなってくる。
浩一たちモテない連盟も、さすがに遊ぶような余裕はなくなっている。
いつもと雰囲気が変わり、顔つきまでちがってくる生徒もいるのだが、そのなかでも顕著なのは浩一だった。ピリピリした空気を身体中から発散させ、人を寄せつけないオーラを放っている。
ここしばらく、浩一は教室で誰とも口をきいていないが、浩一自身はそれどころではないという感じで、まったく気にもしていない。
クラスメートから見れば、よほど受験勉強に気合いをいれて取り組んでいるように思えるだろう。
浩一の苦しみを知る者は、誰もいない。
ある日の放課後、浩一は公園に立ちより、ベンチに座った。鞄を自分のそばに置くと、がっくりとうなだれる。
「だめだ……」
この公園で、思いがけずに起きた友理奈とのことが、頭から離れない。自分のなかにいる、悪意に満ちた存在が気になって仕方がない。
大学受験で忙しいこの時期に、まったく関係のないことで悩んでいるのは、自分くらいなものだろう。仮に、誰かに相談したところで、どうにもならないにちがいない。
浩一が苦悩の渦に巻き込まれているとき、まったく予期せぬことが起きた。
「よう」
自分以外に人がいるとは思ってもみなかった浩一は、いきなりかけられた声に驚き、顔を上げる。
同じクラスの外山という生徒が、目の前に立っている。頭を角刈りにした彼は一八〇センチの身長で、がっしりとした体格は刑事の職務をこなしている父親ゆずりだ。
そんな外山は、防衛大学への進学を希望している。
体育会系の生徒たちと仲が良く、女子にも人気があり、クラスでは存在感が強い生徒だ。浩一とは正反対の印象をうける。
その外山と浩一が、こうして面と向かって話をするのは、とてもめずらしい。
──ぼくに、なんの用だろう?
いぶかしく思う浩一に、外山が話しかけてくる。
「吉野が心配してたぞ」
「え?」
「森川が、なんか勉強以外のことで悩んでるんじゃないかって」
友理奈が浩一のことを心配するのは、浩一には意外だった。彼女が外山にそのことを相談したのは、彼が頼りがいのある人間だからだろう。
外山は、ベンチに置いている浩一の鞄を指差して、いった。
「そこ、座っていいか?」
「あ、ああ」
浩一はあわてて鞄を手にとり、足元に置く。
外山は浩一のとなりに座ると、精悍な顔を浩一に向ける。
「おまえ、ここんとこずっと悩んでるよな、真剣に。ふだんと顔つきが、ちがうからよ」
「………」
「なにがあったんだ? 言ってみろよ」
外山はそう言うが、彼に話してもこの問題が解決できるとは思えない。
「まあ、俺にはなにもできないかもしれないけど。でも話せば、少しは楽になるかもしれねえしな」
確かに、そうかもしれない。
「誰にも言わねえから、その点は任せろ。俺は、刑事の息子だ」
彼なら、信用できるだろう。そう思った浩一は、外山に自分の悩みを打ち明けることにした。
「一学期の終業式の帰りに、ここで吉野に会ったんだ」
「吉野に?」
「最初は誰だかわからなかった。近づいてみると吉野だった。雨が降ってて、びっしょりになってブランコにのってたよ」
浩一はそういいながら、ブランコのある方に右手の人差し指を向ける。
「吉野に声をかけると、吉野は立ち上がって……」
ここで言葉が途切れる。当時の記憶が、心臓の鼓動を全力疾走させる。
ここまで話を聞いた外山は、どうやら浩一と友理奈とのあいだには、二人だけの知る関係があると思った。
浩一の困惑している顔が、それを裏付けているようだった。
──森川は、吉野になにか変なことをしたのだろうか?
一瞬そう思ったが、その友理奈が浩一を心配して、自分に相談をもちかけてきたのだ。
とにかく話の続きを聞かないと、なにがなんだかよくわからない。
「森川、吉野が立ち上がってから、どうしたんだ?」
「吉野が」
次の言葉が、外山を飛び上がらんばかりに驚かせる。
「ぼくに抱きついてきた」
「ほ、本当か!」
友理奈は確かに頭が良いが、けっして目立つ生徒ではない。むしろ、おとなしくて全然といってよいほど目立たない女の子だ。
そんな友理奈が男子に抱きつくなど、まったく想像できない。
──それにしても
なぜ? と、外山は思うことがある。それを浩一に訊いてみた。
「なんで、吉野はびしょ濡れで公園にいたんだ?」
「お父さんが亡くなったって、先生が言ってたろ。あの日、吉野は学校へ行ってなかった」
「ああ……そうだったな」
外山は思い出した。夏休みまであと一週間というときに、友理奈が教頭先生に呼び出され、終業式を迎えても学校へ来ていなかったことを。
「お父さんが亡くなったのは自分のせいだって、吉野は自分を責めていたんだ」
外山は、なんともいえない気分になった。
浩一は語り続ける。
「吉野は泣きながら、他にもなにか言ってた。でも、抱きつかれたとき、ぼくは吉野の話していることが頭に入らなかった。あのとき、ぼくは」
ここからの説明を躊躇する。話したところで、はたして外山は理解してくれるだろうか。
そんな浩一の想いを知ることのない外山は、興味津々な顔で、話の続きを催促する。
「教えてくれよ。それから、どうなったんだよ」
ここまで話したのなら、やはり最後まで話すべきだろう。
「ぼくのなかに、得体のしれない誰かがいるのを感じたんだ。そいつが、ぼくにささやくんだ。『獣になれ』と」
外山は、予想もしなかった展開に目が点になる。
「ぼくは、吉野に襲いかかりそうになった」
外山はドキドキして、唾をのんだ。
「理性は飛んでた。でも、身体は震えてた。自分ではよくわからないけど、なにかを恐れていたんだろうね。それで、すぐには吉野を襲うことはなかったけど、限界だった」
外山は息をのみ、胸の鼓動がはやまるのを感じながら、焦ったように浩一にたずねた。
「吉野を襲ったのか?」
「あのとき、吉野が言ったんだ」
「なんて言ったんだ?」
「『死にたい』って」
外山は絶句する。




