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5


 広々としたデスクの上にあるパソコンの前に和服姿の夏朗が座っている。そのタイピングは目にも止まらぬ速さだ、ブラインドタッチである。

 ふとその手が止まる。目はパソコンの画面を見たまま左肘がデスクに置かれてその手のひらの上に顎が乗り、右手が引き出しを開け、中から何かを取り出しそれを口に入れる。眉間に皺を寄せながら彼はそれを噛み、飲み込むとまた引き出しから同じ何かを取り出し口に入れる。目はパソコンの画面から動かない。


 夏朗のもとで適正検査が行われ、タイピングの速さや電卓を叩く速さが買われて篤弘はこの会社に入社するに至った。五階建てのビルのような造りであり、すべての階が事務所となっていて、篤弘は三階に配属されることになった。


 総勢五十人ほどを収容する広々とした三階事務所にはいくつもの島があり、一番奥の窓際の席に夏朗がいた。皆を監視するような向きにデスクが配置されており、夏朗の視界の中で皆ひたすら指を動かして事務所いっぱいにキーボードを叩く音だけを響かせている。

 この階の社員の年齢はかなり若いようだ、少年部や少女部が大半を占め、そこに青年部の者が混じっている感じである。全員和服だ、灰色一色である。


 ふと夏朗の目がパソコンの画面から離れた。その目が篤弘の目をとらえ、篤弘はすぐさま自分のパソコンへ目を戻した。よそ見をしていてはだめだ、あとで怒られてしまう。


 ふと一人の少女が夏朗に近づく。夏朗様、失礼します、と言って。篤弘の席から遠く離れているというのにその声が聞こえてくるというのは事務所が静か過ぎるということを意味する。

 総務の少女である。篤弘の入社手続きを行った者だ。十八歳だと聞いた。名は夏子といった。会社の規則に関することや、給与の一割が現金支給され残りはすべて天引きされて国民達の生活費や李凰国の資金となるという話もてきぱきとこなした。


 うん、と夏朗の声が続く。夏子が差し出した書類を受け取りそれに目を通す。しばらくして、やり直しだ、と夏朗は夏子の顔を見ることなくそう言って書類を返却した。

 申し訳ございません、夏子が言ってそれを受け取る。窓から差し込む太陽の光を受け、肩までの長さの黒髪には天使の輪っかのような艶が存在し、真っすぐに切り揃った前髪の下にはぎゅっと小さく締まった、色白の、目を引くほど凛とした美しい顔があった。

 視線を感じる。夏朗と目が合った。




 あの総務の女、ちょっと前に夏朗様と噂になった女だぜ、と慎也が言ったのは昼の休憩時間のことである。社員食堂では屋敷の食堂とは違って私語が許されるようだ。それでも辺りに気を配りながらの言葉だった。それもそのはず、内容が内容である。

 慎也は十八歳だという。入国して二年半になると。同じ部屋で寝ているはずだがどのあたりに寝ているのかは分からない。会社では篤弘の二つ隣の席に座っている。筋肉量が多いのが和服の上からも見てとれ、射撃の腕がいいとの話を人づてに聞いた。


 慎也の話によると李凰国では十五歳になったら男女交際の許しがおりるとのことである。ただし結婚を見据えた者同士に限るとのこと。事前に幹部の許可をとれば空き時間に会いに行くことができるとか。ただし、手を繋ぐ以上の触れ合いは禁止、もしそれ以上の触れ合いが発覚した場合は罰則があるらしい。

「そのまま噂は立ち消えた。夏朗様の気が乗らなかったようだ。あの二人は児童部からの幼馴染だ」

 唐揚げを口に放り込みながら慎也は言う。

「夏朗様は幹部だからな、交際許可は李凰様から取ることになっている。だから煩わしいとか何とか。今までも何人かと噂が出てるんだがな、そのほとんどが噂止まりだ」


 夏朗様は今どこにおられるのだろうかと辺りを見回すもその姿はどこにもない。

「どうだ、慣れたか」

 慎也が机に肘をついて口をもぐもぐさせながら聞いてくる。随分とくだけたさまである。五分刈りの頭の下にある細く整った眉、さらにその下にある大きな目が篤弘をじっと見ているが威力のある目だ。李凰国の者は大抵こういった目で人を見る。


「通常であれば工場勤務から始まりそれから数年かけて事務職に成り上がるもんだ。それにおまえまだ十五だろ、極めて異例だ」

 入社してまだ数日である。隣の席の少女部の者に業務を教わりながらの日々だ。タイピング速いですね、と少女はこれまでに数回言った。

「俺は二年半かかって事務職に上がったんだぜ、これでもかなり早いほうだ。しかし肩が凝るな」

 首をばきぼき鳴らしながら慎也は言う。

「そしてここじゃ満足に屁がこけねえ。工場は立ちっぱではあるが気は楽だ、機械の回る音で屁の音がかき消されるからな、いくらでもこき放題だ。おまえここでどうやって屁こいてんだ、すかしっ屁か」

 李凰国の和服姿の少年が食事中に熱心に屁を語っている。オフの時間となればどこにでもいる普通の少年になるのだ。


「しかし一番の苦痛は朝の正座だな。屁がこけねえ以前に、ありゃ拷問だ。何度逃げ出そうと決意したことか。しかし逃げ出したが最後、闇小屋行きだ」

「ヤミゴヤ?」

「いや、何でもねえ」

 慎也が茶を飲み干す。

「何にしても、この国は外界よりずっとましだ。外界は、くそだ。だろ?」

 同意を求めて目を見つめられるも聞き取れなかった言葉が気になった。しかしその話はもう終わったようだ。

「一千万でおまえを買ったらしいな」

 話は夏朗のことに移っていた。

「噂だ。全部、手持ち金からだったとか。持ってんなあ」

 まあいい、俺は昼寝しに行くぜ。慎也が颯爽と身を翻してゆく。外の風に当たりに行こうと篤弘も立ち上がった。


 屋上で秋の風に吹かれながら、ふといずみを思った。もうすぐいずみの誕生日だ。生きていれば十五歳になるところだった。

 互いに十五歳になれば交際が認められるから共に李凰の神に祈りを捧げ、声高らかに歌いたかったな、そう思っていると、

「お疲れな」

 だしぬけに背中に声がかかった。またも不意打ちのような登場だ。篤弘はすぐさま後ろを振り向き、胸の前で手を合わせて頭を下げる。

 夏朗は壁に肩をもたせかけている。くだけたさまだ。そのまま篤弘にキャンディーを差し出してきた。食うか、と笑いながら。

 この国では菓子を口にすることは原則禁止となっているから、頂いて良いのですかと篤弘は聞く。夏朗は篤弘の手首を掴み、その手のひらにキャンディーを乗せた。

 何の変哲もないキャンディーである、どこにでも売ってある。しかし夏朗の指に掴まれていたそれは特別な何かとなっている。

 食えよ、と夏朗は言う。だから篤弘は深々と頭を下げたあと包み紙を広げてそれを口に入れる。レモンの味が口の中に広がってゆく。

 美味いか。夏朗が篤弘を見下ろしてゆったりと笑っている。



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