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夏朗様にはご兄弟はおられないのですか。篤弘は聞く。夏朗にカミソリで眉を整えてもらいながら。
夏朗は世話好きなのだ、篤弘が寝癖を直すのに苦戦していたりだとか、手に霜焼けができたりだとか、唇が荒れたりだとか、そういった時はいつも、来なさい、そう言って篤弘を個室に呼んではその手で処置をしてくれた。
まさに兄なのである。だから聞いたのだ。しかし夏朗は答えない。さあてな、忘れた、といった具合に。
聞きたいことは山ほどあるし、それはいつこの国に入ったのかとか、ご両親はどちらへとか、いろいろなのだが、そのいろいろに対して夏朗はいつも答えなかった。
聞いてはならぬのである。夏朗も篤弘に対して何も聞かなかった。何も聞くなと暗に言っているかに思えた。だから心にメモをする。
夏朗は写真が好きなようである。ポラロイドカメラを所持していた。夏朗はたびたび篤弘を個室に呼び寄せるのだが、しばしば篤弘の肩を抱き寄せてはカメラのレンズを自分達に向けてシャッターを押すのだった。
何とも光栄なことである。夏朗と二人、写真に閉じ込められる喜びである。
出てくる写真に映る二人はまさに兄と弟であった。それを夏朗はノートに貼りつけつつ一言を書き添えていて、思い出を大事にされる方なんだろうなと篤弘は思うのだった。
唐突に李凰が夏朗の個室に姿を現したのはそんな日々のさなかであった。就寝時間の間際であった。薄ぼんやりとした黄色い照明に照らされながら夏朗と篤弘は布団の上にいた。
篤弘の頬にニキビができたのでそこに夏朗がクリームを塗っているその最中、突如として引き戸が開いたのだった、ノックも声かけもなく。
その日は李凰の訪問日でもなかったし事前に何の連絡もなかったので動揺が走った。篤弘の全身から汗が噴き出し、そして夏朗もまた動揺したようだ、しかし彼の動揺したさまを目にするのはこの日が初めてのことだった。二人並んで布団の上に正座し、一人の側近を連れた李凰に向かって深く頭を下げた。
「顔を上げなさい」
笑った声でそう言うと李凰は二人の前にあぐらをかいた。
「いきなり悪かったね。少し話がしたかったものでね。善は急げというものだ」
「事前にご連絡を頂ければきちんとご準備致しますので」
しっかりと両手をついて武士のさまを保った夏朗だがその声は明らかに動揺していた。
「だから悪かったと言っている。うたた寝をしていたら恐ろしい夢を見たものでね。飛んで来たのだ」
一目で高級であるのが分かる浴衣を身に着けた李凰であるがその目尻の下がった目は穏やかに笑いながら夏朗を見ていた。恐ろしい夢を見ていたとはとても思えぬ笑みである。
「いよいよこの国は危ない」
唐突に李凰は切り出した。
「あと数ヶ月で結婚して一年になるが世継ぎができない。姪はいるが虚弱であるから世継ぎの役は果たせないだろう。私が死ぬようなことがあればまさにこの国から王は消える。私が死ねば」
「そのようなこと」
李凰の言葉を夏朗が遮る。
「李凰様のお命は我々が必ずお守り致します」
「もしもの話だ」
李凰が可笑しそうに笑う。
「それに戦だけでなく病に倒れることだってあるだろう。早急に世継ぎが必要なのだ。しかし世継ぎができないのだ」
「涼華様はお若い。焦ることはございません」
王妃の名を口にしたその声が若干掠れたように思えた。李凰もそれを感じたのだ、夏朗の目をじっと見た。それからゆるりと笑って、
「そうだな、涼華は全く問題ない」と言った。「問題があるのは私だ」
「どういった問題があるのでしょう」
「私は女を抱くことができないのだよ」