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当時、夏朗は十四歳だった。まだ華奢だった。突如として外界に――外界で暮らしていた慎也の前にその姿を現した。
切腹か、と夏朗は言った。それが彼にかけられた最初の言葉であった。おまえの先祖は武士なのか、とも聞いてきた。その切れ長の目をゆるく笑わせて。俺が介錯してやろうか、とも言った。
カイシャクの意味も分からず、とりあえず虚をつかれて間抜けな気持ちになったから慎也はナイフを鞄にしまい、露出していた腹に服を被せた。隣に便所座りをした灰色の和服姿の夏朗はくっくっと笑いながら、どうせなら和服でやりゃあいいのに、と言った。
のちに聞いた話だが当時夏朗は李凰に連れられ、たびたび外界に出ては勧誘を行っていたという。そうして夏朗が目をつけたのは自殺を志望する中学生だった。
当時の慎也は絶望していた。中学三年であったがいくつもの死に方を思案して、どうせなら社会を震撼させてやろうと切腹を選んだのだが邪魔が入った。
どいつもこいつも邪魔ばかりしてくるのだ。筋肉の引きちぎれそうな厳しい鍛錬、それによってようやく手にした中学生最速に近いと言えるほどの球速そして抜群のコントロール、本気で思い描いた甲子園、そこでエースナンバーを背負って投げるという夢はいとも簡単に潰えた。
両親の逮捕、その容疑は殺人であったしセンセーショナルに報じられた為、友達も仲間達も付き合っていた女も当然のように慎也のもとから去り、教師や監督からも冷たい視線を降らされ、親戚すべてから受け入れを拒否され児童養護施設に預けられたのちも、顔に水をぶっかけられたり靴の中に画鋲を仕込まれたりすることはまるで当然の報いかのような扱いを受けた。柄本慎也という名を下げて生きることは困難となった。あの日まではまるで栄光のように口にしていた名前だったというのに。
とりあえずさ、と夏朗は言った。切腹してえんなら和服でやれよ、俺が首を落としてやるからさ、と。そして笑った。
こりゃあ、やべえ奴だと慎也は思った。その目に思った。そのへんにいくらでもごろごろ転がる粋がったヤンキーの比ではない、と。
その日からその目が毎晩のように夢に出てきて、それはまるで媚薬となって慎也の身を溶かし始め、引きずり込まれるかのように慎也は入国を決めた。慎也が中学を卒業したのち夏朗は当時の少年部幹部と共に慎也を迎えに来た。
夏朗は言った。おまえはいい目をしている、と。その目を捨てちゃならねえよ、と。つまり、死ぬなとのことだった。
野球の夢は諦めた。一般社会は諦めた。代わりに李凰国を――夏朗というその少年を得た。その目はいつだってそこにあった。彼は多くを語らないが、というよりむしろ寡黙であったが、その目が自分の近くに存在する、それだけで慎也は生きていける気がした。
突如として慎也は取り乱す。もはや錯乱状態に陥った。その死を尊厳すると言ったもののそれは結局口だけだった。
「畜生! 畜生!」
発狂する。魂の限りに発狂する。発狂したって無駄である。時は無情にも過ぎてゆく。鎖に手首を繋がれた夏朗が、執行の瞬間を待っている。その目を、じっと、銃口に向けて。
お慈悲を! 大河様! お慈悲を! 大河様! 絶叫が揃っている。どこまでも広がる青空を割らんばかりに。だから慎也もそれに合わせる。
「お慈悲を! 神様!」
神様、と慎也は叫んでいた。神様と叫びはしたが、脳裏に思い浮かべたのは李凰の神ではなかった。
一瞬、夏朗が笑ったような気がした。
銃声が響いた。