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声を聞いた気がしたのだ、地から這い上がってくるかのような、まさに地獄で鳴り響くもののような。だから慎也は目を開けた。もとより眠れずにいたわけだから布団から身体を起こすことは容易であった。
なんだ、と小さな声がする。隣の布団からである。李凰の側近だ、彼もまた眠れずにいたのだ。手洗いへ、と慎也は答えた。間髪入れずに側近は言った、何か聞こえたか、と。やはり慎也の耳鳴りなどではなかったのだ。はい、と慎也は答えた。側近が起き上がり、行こう、と言った。目的地など言葉にする必要もなかった。
人には第六感というものが備わっているという。眠れずに動悸を感じていたのはそのせいか。そして目的地に近づくにつれ心拍数が上がってゆくのは静かに漂うこの線香のような妙な香りのせいか、それともそこに混じるひたひたとした、冷気のような、これまでに感じたことのない種の気配のせいか。
やはり感じるそれも確かなものであったのだ、森閑としているのだ。眠っているのとはまた違う、不気味な静けさであった。これも第六感とやらのよこす感覚か。
当然のように鍵がしっかりとかかっているので扉を開けることなどできない。いや、呼びかけに応答もないまま扉に手をかけることそのものが不敬となる。だから慎也は側近と共に地にしっかりと正座し手をついて、ただただ李凰と夏朗の名を呼び続けた。就寝時間中に呼びかけることも不敬なのであるが構わず慎也らは静かに、しかし確かなる声を出し続けた。
突如として現れたのは梨子である。足音も立てずに近づいてきたから猫であるのか。びくりと身を震わす慎也らを梨子は立ったままじっと見下ろしていた。真っすぐに揃った前髪である、いつもと同じ。人妻であると言われなければ誰もそうとは思わないであろう幼さだ、しかしれっきとした人妻で、そして李凰の神の血縁者なのである。
その手には鍵が握られていた。梨子様お疲れ様でございます、などと慎也らが頭を下げる間にも梨子の手は実に淡々と鍵穴に鍵を差し込んだ。梨子は何も言わなかった。なぜここに唐突に現れたのかも不明であった。慎也らと同様、不気味な声を聞いたのか。
扉が開いた。扉の近くに篤弘がいたから慎也の身は思わずびくりと震えたのだがそれは篤弘のほうも同じであった。畳に正座をした彼の目は慎也らを見上げて明らかに怯え、その身はわなわなと震えていた。部屋には黄色い明かりが広がっていた。線香のような重い香りが鼻に強く入り込んできた。
李凰の名より先に慎也の口から出たのは夏朗の名であった。夏朗様は、との声が掠れた。答えようとする篤弘の唇は震え、そこからまともな声が出てくることはなかった。慎也の目が捉えたものは畳にこぼれ落ちたかのような液体の跡であった。それは少し離れた場所にある衝立のもとに向かって続いていた。てんてんと続くそれはまるで血であった。
だめです。篤弘の声が張り裂けた。それは慎也の背中にぶつかってきた。慎也の身は真っすぐに衝立のもとへ向かっていた。