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やたらと若い客だった。しかも男だ。そして和服だった。
どうぞごゆっくり。案内役の女がにこにこと客を通し、それから一瞬だけその目を篤弘に向ける、さっと笑みを消して。
用心しなさいよ。その目は言っている。
噂には聞いていた。灰色の和服姿の男が飲み屋街を巡回していると。それは勧誘目的だと。
この男もそうか。篤弘はゆったりと客を見やる。口元には笑みを広げ、いらっしゃいませ、などとセリフを吐きながら。
十八、九あたりか。和服を着慣れているのが一目で分かった。慣れた様子で客席に正座をするが、その背筋や膝の上に乗る手の隅々にまで神経が行き届き、ああ、この男は経験が長いなと篤弘は思った。硬質な、武家のさまだ。自分とは流派が違う。
客のほとんどは女である。和服姿の少年に茶を点ててもらうことを目当てとする女が集まる店だ。深夜に抹茶を提供するという、夜行性の人間向けの妙な店であるが客が途切れることはなかった。しかし大抵は客席に脚を崩し、ねえねえ、あんたどこ住み? あとでお姉さんと遊ばなーい? などと篤弘に話しかけてくるだけに、この男の礼儀正しさ――相手に敬意を払い真っすぐに向き合うという姿勢は見事なまでに際立った。
閉店時間の間際だ。この男が本日最後の客となる。
篤弘は静かに息を吐いた。茶道歴は十年ほどになるがこの仕事を始めたのはまだほんの半年ほど前のことである。客が茶道を全く知らないというのが一番の理想だ、知っているとなると厄介なものと化す。
集中だ、全神経を所作に集中させる。いつも通りに、いつも通りに。
薄ぼんやりとした黄色い照明の下、袱紗をさばく絹の音だとか、建水に水を落とす音だとか、そういった音だけが静かに鳴った。あとは客の視線だけを感じ続けた。
やばい宗教だよ、と店の女は言った。仲間内で殺しがあったそうじゃん、いつの間にかもみ消されてたけど。どんどん勢力を拡大してるよ、特に若いうちから洗脳しようと若い子を狙って取り込もうとしてるって。
お菓子をどうぞ。いつものセリフを吐きながら客の目を見た時、しっかりと目が合った。
据わった目である。切れ長の、威力のある――
すぐにその目はそれていった。客としての所作が始まる。
やがて茶が渡る。道具の拝見が行われる。その間の沈黙の静寂、そして、彼の凛とした、堂々たる武士のさまは見事なものであった。
どうだった。客が帰った後、店の女が駆け寄ってきた。
別に何も、と篤弘は答えた。本当に何もなかった。会話ひとつしていない。
あらそう、と女は意外そうな口ぶりである。何だったんだろうね、ほんとにただのお客さんだったのかな。
篤弘はさっさと着物を脱ぎ始める。ちょっと、ここで着替えるのやめてっていつも言ってるでしょ。女が顔を赤らめる。
裏口で待ち伏せをされることはよくあった。しかし男にそれをされるのは初めてのことだった。
先ほどはありがとうございましたと言うべきか迷っていた。迷いながら黙っていた。相手が女であればこちらが黙っていても勝手にぺらぺらと言葉を飛ばしてくるし、べたべたと触ってくるからそれをあしらうだけのことで済んだ。
しかし今日はどうしたものかと思った。月の明かりに照らし出されながら、和服の男はただ、立っているのだ、篤弘を真っすぐに見据えて。
くっつき合うように建ち並ぶいくつもの飲み屋の窓から明かりが漏れ出し、そこから酔っ払いの笑い声や皿を洗う音などが響いていた、いつも通りに。その音に揉まれながら目を伏せ、そっと消えてしまおうと思った。思った瞬間、
「おまえいくつ?」
声がやって来た、ふわりと。低い声だった。
随分とくだけた物言いだなと篤弘は思った。先ほどまで纏っていた凛々しさが一蹴され、とたんに距離の近いものとなる。
「十五です」
「中学生か」
「いえ」
「じゃあ高校一年だな」
「高校には行ってません」
そうか。和服の男はその締まった頬にゆるく笑みを浮かばせる。歳の離れた弟に笑いかけるような性質のものである。
下駄の音が近づいてくる。ゆっくりと、ゆっくりと、だが着実に距離を詰める。もう逃げられなくなる。男の目に捕らえられ、もはや動くことを許されない。
背の高い男である。篤弘を見下ろしながら彼は穏やかに笑い、
「立派な看板ボーイだ」
と言った。言いながら手を伸ばし、篤弘の頬に触れた。
「可愛いな」
秋のさなかと言える夜風が肌を通り過ぎてゆく。足元を野良猫が走り去ってゆく。
至近距離である。月夜の似合う男だと、篤弘はその目に思った。
「あなたは何者ですか」
月明かりの中、篤弘の問いかけを受けて、男はふっと笑う。
「分かってんだろうが」
男の指が篤弘の頬から首筋へと、ゆったりと降りてゆく。硬質な、男の指である。