41歳白ねぎ農家は小学生と戯れる
地元小学校に依頼され、農業体験を行ったお話です。
軽いエッセイですので、良かったら読んでみてね♪
「あなたの生き様を語ってください」
さて、このような要望、皆さんは受けた事があるでしょうか?
こんな感じの質問は、就活中に味わったことがあるかもしれませんね。
自分語りは自己PRの基本中の基本ですから。
とは言え、社会人になってからこの手の話が出てくることはまずないでしょうが、自分は久々に味わいましたとも。
それも小学生を相手にして。
まあ、何のことはありません。白ねぎ農家の自分に、地元の小学生を相手にした農業体験と、講演会の依頼が来たというわけです。
「よし、こいつを連れて来い。課外授業はこれで行こう」
小学校の校長先生のこの一言から、今回の話は始まりました。
脱サラして、白ねぎ農家の師匠のところで修行を1年ほど積み、独立して白ねぎ農家を始めて早6年目に突入。
その間、指導員が驚くほどの急成長で事業を軌道に乗せました。
また、“元”調理師と言う事もあって、白ねぎを活かした料理研究を行い、今では白ねぎ料理研究会の会長にも収まっています。
そんなこんなで農家としても、料理研究家としても順調に実績を残し、ついにはテレビ出演や新聞の紙面に登場するようにもなりました。
各種イベントにも駆り出されたり、農家と料理研究家の二足の草鞋を履いて、やりがいのある日々を過ごしています。
そして、地元小学校の校長の目に留まり、今回の依頼が来たというわけでございます。
まあ、ざっとした流れを言いますと、自分の畑に学童を呼び寄せ、そこで白ねぎの収穫体験と白ねぎの育成に関しての講義を行います。
また、作業場での梱包作業や、各種機械の説明も行います。
最後に学校で講演を行い、白ねぎ農家として歩んできた6年分の歩みや苦労話、逆にその魅力や今後の展望などを熱く語らせていただきました。
“食育”に関しては自分も色々と思う事もあり、社会貢献の一環として引き受けましたが、小学生の威勢の良い事!
自分は独身の身の上なので子供はいませんが、子供自体は大好きですからね。
こういう小学生との絡みは一切なかったので、子供たちの元気な姿を見ていると、この国もまだまだ大丈夫だなと思う次第です。
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さて、まずは畑でのねぎ掘り体験ですが、みんな喜んでやってくれました。
天候も好天で、雲一つない秋晴れの下、自分が畝を崩して掘りやすくしたのを、白ねぎの首回りを掴んで「エイッ!」っと引っこ抜いていきました。
子供達は大はしゃぎです。
まあ、普段は農業体験なんて滅多にやっていない子供ばかりでしょうし、畑にやって来て、野菜を掘るなんて楽しくて仕方がないのでしょう。
普段やらない事をやるからこその課外授業です。
小学校から畑まで足を運び、少しばかりの土にまみれ、その手で白ねぎを掘る。
なかなかに太い白ねぎも含まれていて、意外と粘る白ねぎもいましたが、そこはグイッと思い切り引っ張って抜いてくれました。
歓声や笑顔の飛び交う空間に、掘られる順番を待つ白ねぎ達もご満悦でしょう。
普段はひたすら一人で掘っているものですから、こういう賑やかな畑と言うのも、自分にとっては新鮮な体験となりました。
そして、お次は機械でのねぎ掘りです。
自分はすでに手掘りを卒業し、大型の白ねぎ収穫機を導入していますので、それを使っての掘り作業を見学してもらいました。
そして、「わぁ~!」という歓声がまた畑に響く。
なにしろ、みんなで一生懸命掘った白ねぎが、機械を使うとあっと言う間に掘れるわけですから、驚きの声が上がるのも無理ない事でしょう。
なお、1台400万だぞと付け加えておくと、さらなる歓声が上がりました。
こういう素直な反応があるのはいいですね。元気いっぱいの小学生の反応は、見ているこちらもほっこりします。
それから畑の作業に関する質問タイム。
白ねぎの育て方や品種について、分かりやすく説明しました。
いやはや、相手は小学生ですから、理解しやすいように難解な単語を避け、分かりやすく説明するのに、事前に飛んで来る質問を予想して、頭の中でカリキュラム組んでおいて正解でした。
まあ、今でこそ白ねぎ農家&白ねぎ料理研究家として活動していますが、教員免許も持っていますからね。
一度も使う事がなかったペーパーティーチャーですけど(笑)
普段やった事のない農業についてあれやこれやと質問が飛び交い、なるほどと納得しては頷いたり、喜んだりと賑やかでした。
小学生の元気をこっちが貰い受けた気分で、実に楽しかったですね。
***
お次は作業小屋で梱包作業やビニールハウスを見てもらいました。
みんなが収穫した白ねぎの箱詰めですね。
まずは白ねぎの根を剪定ハサミでチョッキンチョッキン。
長い葉を葉切り包丁でバッサリ。
そして、エアーコンプレッサーで圧縮した空気を白ねぎにぶつけ、表面の泥や痛んだ皮を剝き、店頭で見られるような真っ白な白ねぎがお目見え。
ここでもエアーコンプレッサーの凄まじい轟音と、奇麗に剥かれる白ねぎにご満悦。
興奮隠しやらぬ歓声が上がっていました。
そして、剥いた白ねぎをクルクル結束テープで束を作り、次々と箱詰めをして、出荷できる状態にして完成。
なお、昨今の値上がりにより、1箱1890円にまで上昇していると説明すると、当然のごとく驚きの声。
そして、箱の山。
白ねぎ農家って儲かるんだぞと、“こちら側”に来ないかとさりげなくアピール。
ふふふ、農家の後継がいないから、どこも後釜や新規参入者の登場を心待ちにしているんですよ。
こういう機会に農家の事を知ってもらって、自分もやろうかと思うように英才教育しておかないとね。
ちなみに農家の間では「2千万 黙っていても 跡を継ぐ」という格言があるように、そのくらいまで稼げるようになれば、割と継いでくれるんですけどね。
自分は新規参入組なんで、自力で始めましたが、まあ道具が一から買い集めるところから入りましたから、結構苦労しましたね。
離農の農家のところから道具や作業場を買い取れたら楽だったんですが、自分はそう言うのが一切ないところからのスタートでしたんで、見てもらった作業場、ビニールハウス、各種機械は全部購入したものばかりでした。
その値段を説明していくと、むしろ引率の先生の方が驚いていましたね。
普通に1千万超える金額ですから。
まあ、商売が軌道に乗って、稼ぎがぐんぐん上がってきたから問題ないよと言って〆ておきました。
各種機械の説明にも目を輝かせていましたね。
普段大型の機械やなんかには縁がないでしょうし、珍しかったのでしょう。
畝を上げる管理機や、苗を植え付ける移植機、種の芽出しをする発芽機など、興味深そうに見ていました。
それと発芽機より取り出したばかりの、白ねぎの赤ちゃんを見せた時には、その日一番の歓声が上がりましたね。
なにしろ、種から発芽したばかりの白ねぎは、本当に糸くずが土に刺さっているようにしか見えないほどか細いのです。
それが先程畑で必死に抜いた白ねぎになるほどに太くて大きくなるのですから、不思議で仕方がないのでしょう。
自分も修行中に味わった経験ですが、子供達の反応はかつての自分を思い起こさせてくれました。
初心を忘れず、発見の連続であるのは、6年目を迎えた今も変わりません。
子供達との交流はそれをしっかりと胸に刻み付けるよい経験となりました。
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料理研究家も兼業していると書きましたが、そちらのレクチャーも忘れてはなりません。
やはり“食べ物”に関することは、食い付きがいいですね。
以前、どういったテレビ番組に出演したのかを解説し、その際に作った料理のサンプルを見せましたが、注目度は抜群でしたね。
長時間、白ねぎの事ばかり話していたので、まあ、子供ですし、集中力が切れて散漫になっていた子もいましたが、そこは料理の魔力。
やはり胃袋を掴むのは最強の誘引策である。
料理の話になると食い付いて来て、あれこれ質問も飛び出す勢い。
「テレビに出るとかすげぇ~」などと言われて、こちらも少しばかり気恥ずかしいですね。
たまたま仕事が回って来て、ご縁があって何本か出演しましたが、子供たちの興味を引けたのであれば、出演した甲斐があったと言うものです。
自分は元々、大阪や京都で調理師として働いていましたが、うだつの上がらぬ日々に悶々とし、脱サラ農家を目指しました。
そこから今日にいたるまでの苦労話をして、持っている料理のスキルを活かし、こちらでも活動中であると話しました。
この話には食い付きが良かったので、話しているこちらもノリノリでした。
ここの辺りは料理人としての自分の努力が巡り巡って報われた想いであり、感無量と言ったところです。
昨今、農家の後継不足に悩むブランド産地も多く、高齢化が進む一方です。
やはり、若い頃より農業や野菜に慣れ親しみ、それを取り扱ってくれる職業に将来就いてくれれば、これに勝る喜びはありません。
“食育”の重要性を理解しながらも、やはり事業拡大に邁進していて時間が取れず、また実子もいない独身ですので、学校にも関わりなく過ごしてきましたが、ここへ来てようやくその想いが遂げられたと感じ入りました。
食は生きていく上で基本中の基本であり、食べなくては誰も生きてはいけません。
しかし、その事を分かっていながら、『勝手に食べ物が湧いて出てくる』と勘違いしている輩もまた多すぎます。
スーパーの店先に並ぶ食料品は、どこからともなく湧いて出てきたわけではありません。
米や野菜は農家が、魚は漁師が、卵や肉は畜産家が生み出し、それぞれが都会に運ばれて流通してきたものです。
都会の人口を支えているのは他でもない、郊外や地方にある農園や厩舎、あるいは漁場です。
都会にはそんなものがない以上、供給が止まればたちまち飢えてしまいます。
それを子供のころから理解してもらうために、“食育”にはもっと力を入れていくべきだと考えている現場の人間です。
食糧生産の担い手がいなくなれば、困るのは“将来”の国民です。
荒れ果てた農地ばかりの国土とならぬよう、自分もまた農家の一人として奮戦し、一人でも多くの子供を啓蒙していきたいと考えています。
***
てなわけで、ぶっちゃけて言います。
農業って、やり方次第でめちゃくちゃ儲かりますよ。
俗にいう3K(きつい、きたない、金にならない)なんて言いますが、あんなのは嘘っぱちです。
前2つについては異論ありませんが、“金にならない”わけではありません。
機械導入による近代化と省力化、新品種や新薬、あるいは新農法を積極的に取り入れていけば、以前とは比べ物にならないほどの収量を得る事が出来ます。
儲からないと嘆いているのは、そうした時代の変化、やり方の変化に付いて来れなかった“お年寄り”の方々なのです。
自分が働ける年数も限られていますし、機械に投資するのも及び腰なのも分かりますが、それでは収量が伸びません。
果敢に戦える若い力が必要なのです。
つまり、世代交代ができていれば、農業の抱えている問題はある程度は解消されるという事です。
逆に言うと、新規参入や後継がなければ、確実に消えゆく状態であるとも言えます。
実際、ひと昔前のやり方を続けておられる年配の白ねぎ農家は、今一つ収量が上がっていません。
幸い、自分のいる地区は若返りが進み、30代、40代の農家が増えてきていて、世代交代に成功した場所でもあります。
もう一度言いますが、人間は食べなければ生きてはいけません。
ゆえに、他のどの職業がAIなどで消えていっても、農業だけは絶対に残ります。
機械化はできても“自動化”は、まだまだ不可能な段階です。
繊細な機械では、まだ泥だらけの中を作業するのも、畑の癖や急変した天候の対応などができないからです。
まあ、完全自動化にできるのであればそれもまたよいのでしょうが、今の技術ではまだまだダメです。
だからこそ、後身の教育には力を入れていきたいと、新人を卒業したばかりの自分も強く感じています。
その想いが叶ったのが、今日の課外授業と言うわけです。
あの学童の中から、一人でも農業を志す子が出てくれれば、こちらとしても何も言う事はありません。
実際、授業が終わってからも話しかけてくる子がいて、講演の仕事を受けてよかったと心より思いました。
そういう事で皆さん、あなたも農業、やってみませんか?
ここに脱サラ農家に転身して、6年目でン千万稼いでいる奴もいますよ?
もちろん、全員が全員成功するとは限りませんが、成功例があるのもまた事実です。
荒廃した国土を子や孫の世代に残さないためにも、色々とやれるだけのことをやってみましょう。
「人事を尽くして天命を待つ」
今日の講演で子供達に強く言った言葉です。
人の手でやれるだけの事はやり、あとは天の配剤を待ちましょう、と。
しかし、人の手と言う“努力”を挟まねば、天のお沙汰を待つ資格すらありません。
努力が全て報われるとは限りませんが、成功するには努力が必要です。
自分も稼げるようになるまで、大いに努力したと自負しています。
それが実り、機嫌の良さは預金残高と共に上昇し、テレビ、新聞、雑誌の依頼も舞い込むようになりました。
これも努力の結果です。
だから、夢や希望に向かって努力をしようと、白ねぎを掲げて力説しました。
子供のいない身としては、今日語った子供達が白ねぎのように真っ直ぐ大きく伸びていくことを願うばかりです。
また来てくださいと、先生に言われましたので、頼まれればもちろん行きますとも。
こうして人の意志は綿々と受け継がれていくのですから。
その歯車の一つに成れる事を、今日は噛み締めて満足しています。
自分が白ねぎと共に頑張っていけるのも、子供達の笑顔と、数字がマシマシの預金通帳のおかげですね。
そして、41歳白ねぎ農家は、明日もまた畑を走り回るのです。
~ 終 ~
いや~、子供は元気いっぱいな上に、好奇心旺盛でいいですね。
こっちまで若返った気分になりましたよ。
こうした積み重ねが、“食育”にとって重要なのですよね。
これからの励みになりますし、もっと自分自身も研鑽を積まねばと思う次第です。
(*^▽^*)
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ヾ(*´∀`*)ノ