カレー論
正月明けは自慢の腕を奮う。
おせちも雑煮も、飽きるというより物足らなくなるからだ。
料理は段取りが命。
材料の調達、仕込み、味付け。
そしてカレーとあらば『定番であれ。冒険はしない』という信条を忘れてはならない。あとはご飯をいっぱい炊いて、相棒の寸胴にお願いすればなんとかしてくれる。
カレーの良いところは男料理の王道であり、大鉈さえ振るわなければ万人受けするという利点と、なにより作る楽しさがあるところだ。
玉ねぎの攻撃に負けてはならない。
灰汁取りを怠れば勝者になれない。
忍耐と愛情を忘るべからず。
工程が煮込みに入れば、ビールで喉を潤し一休み。たまらん。
料理半分の楽しみはこれで決まり。
一息ついて、鍋の産声に合わせて火加減を整えると、あとは小生のカレー文化のおさらいである。
子供の頃、外で遊んでいると漂うカレーの匂いに期待が膨らんだものだ。
大鍋の前に立つ母は聖母マリア。
らしからぬ太めの脇腹に抱きついて味見をねだれば、炊き途中のジャガイモに爪楊枝。白く糸ひく湯気をふぅふぅ飛ばし、ホクホクと頬張った。
学校でも、給食がカレーの日は朝から討入同様に気合いが入り、おかわり番長の名は誰にも譲らなかった。
今思えばなんとも幸せな時代であった。
誰の町にもカレー自慢の名店はあるだろう。学生時代は私も地元のカレーを食べ尽くした強者だ。
どれもこれも美味しかった。
家庭では味わえない贅沢で上品な、いわゆるデリシャスカレーだ。
唯一、不足といえば、それは満腹に至らぬことだ。今日のように大食い処やチェーン店などない時代。これはカレーを愛する者にとって極めて悲惨な事であった。赴く手間と限られた小遣いでは、致し方ないことではあったのだが。やはりカレーといったら満腹あっての誉れではないか。
若くしてそう気付かされた小生は、それ以来、カレーは自前に拘っている。
僭越ながら家族の中では私のカレーが一番とは思いつつ、なぜか妻のカレーを無言で平らげてしまうところは、惚れた弱みとしておきたい。
どちらに惚れたかは言うまでもない。




