自称食の詩人が噂の食堂にいってみた話
いつか書いた小説の改訂版を書こうとしたプロローグ。
その主人公は一言しかしゃべってませんが、何処にいるでしょうねぇ?
私は今、古い…趣のある店の前に立っている。ここは数年前に出来て料理の評判が悪いにも関わらず、潰れる気配すら見せない食堂だ。
いや、それは失礼か。だがあえて言わせてもらう。この店の料理はまずい。それはこの町の世間一般的な常識だ。どこの店がおすすめか?と問われれば肉の伝道師と呼ばれる『ヤキニクスキー』という定食屋。この国の王様も足蹴なく通うレストラン『天の食』だ。
じゃあ、おすすめできないのは?と聞かれたら、ここ『魔物の安らぎ園』だ。もう名前からしてあれだが、間違ってないので、なんとも言えない。この店は町の中央から大きく外れた南区の魔の森と道を一本挟んだ場所にある。
そして魔の森とは魔物がひしめき合う魔窟。奥にはAランクの魔物もいると言われている場所であり、魔物を討伐する職業である冒険者でいえば、熟練者であるCランク以上からしか入ることの許されない場所でもある。
ただし、この魔物の安らぎ園付近だけは初心者であるFランク冒険者も入ることを許されている。なぜか、それはこの魔物の安らぎ園の近くには通常の魔物では近付けない臭気を纏っているためだ。
臭気、なんとも優しい言い方だ。はっきり言おう。毒だ。調理過程で発した香りが見事に魔物が苦手とするものとマッチしているのか定かではないにしても、冒険者ギルドの見解では、はっきりと魔物避けとして販売しているほどだ。
ここまで言えばなんとなく察するだろう。しかし魔物避け、そう言われただけで、本当に料理なのか?実は錬金術で作られているのではないか?という疑問が出てくる。
だが、ここで足踏みをしているだけでは始まらない。いざ、参る!
店に入るとまず香ってくるのは、魔物避けの臭いと完全一致をしたものだ。もう察するしかない。魔物避けの料理が出るのだ。そうに違いない。
店の内装はといえば、落ち着きのあるカフェのような、木を基調とした静かな空間、ここが森の中なのか?と思えるほどリラックスのできるものがそこにはあった。臭いを除けばだが。
中にはあれだけの臭気を纏っているにも関わらず盛況であり、そのほとんどが冒険者、あとはこの料理を完食するべく現れた食の挑戦者たちだ。その中にはもちろん、私も含まれる。
「おまたせしました。オムライスです」
現れたのは天使だった。光を発しているのではないか、と思わず錯覚してしまうほど艶やかな銀の御髪、この世のすべての女性がひれ伏すほどの肌。クリっとしたつぶらな瞳、彼女こそまさしく、神の容姿を持つと言われているこの店の看板娘、エレオノーラ、7歳である。
純真無垢な表情で出されたその料理が悪魔の誘いだと思っていても、つい手を出してしまうかもしれない。そう思えるほどの天使の営業スマイルである。
これだけ聞けば彼女を見るためだけにこの店に来たと言われたら、否定もできない。
彼女はお客さんに料理を差し出したあと、こちらに気付いたのか、すっと笑顔になり、近付いてきた。
「いらっしゃいませー、おひとりさまですか?」
「あ、あぁ」
「あちらのせきでおまちください」
彼女に示された方向に移動し、席に着く。その間、私は呆けることしか出来なかったが、耳はしっかりと機能しているのかひそひそと声が聞こえてきた。
「なぁ、聞いたか?この店の看板娘、エレオノーラちゃんなんだが、この店の全種類の料理を完食でき、なおかつエレオノーラちゃんがいいと言えば、エレオノーラちゃんを嫁にできるって話…」
惚けた頭が一瞬で正常に戻り、思わず耳を傾けた。
「おいおい、そりゃあ本当か!?飯を食うだけであんな美少女を嫁にできるのか!?」
「声が大きいって。だが、先輩たちはおすすめしないとも言っていた」
「なんでだ?料理を食うだけなら簡単じゃないか?」
「ここの料理はあの凶悪なオーガですら、一口で気絶したらしい」
「お、おい。それって…」
男たちは料理を持ってきたエレオノーラに気がつき、直ぐ様話をやめた。下世話な話をまだ純粋な子に聞かせるわけにはいかない。いや、もし聞かれでもしたら嫌われてしまう。そう考えた男たちはすっと姿勢を正して笑顔を振り撒く。
天使の前では誰もが邪気を失うのだ。彼女は料理を持ってくるとそのときの定型文を述べる。それだけでもまるで自分達のことを気遣っているのではないか?と錯覚してしまうほどだ。
「からあげてーしょくとオーガステーキです。おまちがえないですか?」
「「はいっ!」」
元気よく返事をして彼女の機嫌を伺う。少し驚いた彼女はきょとんとするが、すぐに立て直して去っていった。持ってきたそれは見た目が普通だ。だが、それが地獄の始まりでしかないことを彼らはまだ知らない。
「なんだ、先輩も怖じ気づいたものだな。見た目はこんなに美味しそうなのにな」
「いや、待て。臭いが尋常じゃない。これは…ギルドで売ってる魔物避けじゃないか?」
「そんな馬鹿な!しかも高級な方じゃねぇか?え?もしかしてここの料理だったの?有名な錬金術師が作ったんじゃねぇかって言われてた…」
「まてまて、とりあえず食べてみようじゃないか。食べてみないとまだわからない。ここは公平に同時に食べよう」
「あぁ、どう考えても普通だし、一気にいくぞ」
二人の男はそれぞれ大口とも言われるほどの量を箸で持ち、それを口許に運ぶ。臭いだけで体が拒否反応を起こし、冒険者特有の警戒の鐘が鳴り響くなか、二人は視線を、息をぴったりと合わせていった。
「「せーのっ」」
箸で掴んだそれを口に放り込むとお互いに見つめ合い、拍子抜けか。と笑みを浮かべた。
「「なんだ…普通じゃ…」」
掛け声を合わせ、感想も合わせ、二人はほぼ同時に出された食事に顔を押し付けた。まぁつまり、食べた瞬間、さらに詳しく一噛みした瞬間にすべての細胞に抗えないほどの衝撃を与え、彼らの身体は悲鳴を上げた。
盛られた料理はすぐに身体を伝い、意識を奪っていった。それでもなお、身体を巡る刺激に、あの者はこう言った『バイオテロクッキング』と。
その現場を眺めたあと、席についたことへ後悔し始める私がいた。一口であれなら、どうやって食べればいいのだろうか。そう思っていたもしょうがないとも言える。
しかし自らその噂を聞き、自らの意思でここに来た。なら、ここは人生の分岐点とも言える場所ではなかろうか。
「すいません、注文いいですか?」
「はーい」
考えろ、考えるんだ。これからのことを考え、無事に帰るにはどうすればいいのか。品書きを数瞬し、どれがいいのか、どれならいけるのか?人生のなかで一番頭を使ったとも言える瞬間だった。
これだ、これなら大丈夫だ。絶対にあんなことは起きないはずだ。
「おまたせしました。ご注文はなにになさいますか?」
天使の笑顔でそう告げる彼女に一瞬惑わされて一番高いものを口に出そうとしたが、なんとかこらえた。
「このコーヒーをください」
よし、これならいける。コーヒーで失敗したとしてもおそらくすごく苦いかすごく甘いのどちらかだろう。
「コーヒーにはいくつか種類がございまして…あら?ここにはないですね。ちょっと待っててください」
大人びた彼女の言動に戸惑ったが、慣れたもので顔には出さずに平静を保った。彼女を待っている間に普通の世間一般のコーヒーを思い描く。だが、そんな夢物語は叶わずに終わったとわかるのは僅か数十秒後のことだった。
「こちらはトッピングメニューと今日のシェフのおすすめです。コーヒーには特に力を入れてまして…こちらのトッピングメニューから一つあるいはシェフのおすすめを選んでいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
なん…だと…!?え?普通にコーヒーってないの!?なにトッピングってコーヒーってトッピングするものあったの?いやいや、まてまて、まずはトッピングから大丈夫そうなものを…。
「あの…これ…」
メニューを眺めていると普通ではあり得ないものがそこには書かれていた。思わず彼女に聞いてみると、首を傾けて不思議そうにしていた。その表情も可愛い。また騙されるところだった。
「はい?」
彼女が不思議そうにするのでついついそれが気になり、聞いてみた。
「なんでコーヒーにバジリスクの牙のトッピングがあるんですか?」
「シェフの趣味です」
シェフの趣味。もはやなにも言うまい。
「あ…はい。トッピングなしにできます?」
「なしだとシェフのおすすめになりますが、よろしいでしょうか?」
「あ、はい」
「シェフのこだわりコーヒー入りまーす」
彼女は親指を大きく開き、他の指を揃え、厨房の方に向かって大きな声で告げた。その声に反応したのはテンションが異常に高くなったシェフの声だった。
「よっしゃああああっ!」
普通ではない。それはシェフがつくる料理だけというのはおかしな話だ。おかしいのは料理ではなく、シェフ本人ではないか。今やっと気づいたのだった。
天使のような彼女を見送り、神に祈るように手を組んだ。もうここまで来ると神頼みだ。不味くていいから普通のコーヒーが来ることをこれだけ祈るなんてことはこれまでの人生一度もなかった。
待つのに何分経ったかもわからない頃、そのときはやってきた。
「おまたせしました。パ…シェフのこだわりコーヒーです」
天使の笑顔で悪魔のような料理を運んできたのは先程のエレオノーラとはやや身長が小さい気がする。ついには幻覚をみるようになったのかもしれない。
「あぁ、ありがとう」
「はいっ」
彼女はいい笑顔で悪魔のコーヒーだけ置いてその場を去っていった。私は残されたコーヒーが思ったよりも悪くない香りがすることに気がついた。もしや、これだけ当たりなのでは?そう考えた。
「いけるか…?」
シェフには失礼だが、私の初見が今も料理に顔を埋めた二人だけあって印象はすごく悪い。だが注文した料理を食べずに、飲まずにやめるなど、自称、食の詩人たる私が許さない。
ならばやることは一つ。
まず香りを楽しむ。次に一口含む。
「…おい…しい?」
まさか本当においしいとは思わなかった。私は自分の舌がおかしくなったのではないか?そう考え、幾度となく口にしたが、やはり私の舌がおかしいのではない。このコーヒーが美味しいのだ。
最後の一口まで飲みきり、満足感を得られ、コーヒーのおいしさに頷く。運は私に味方したようだ。
「すまない、会計を頼めるか?」
「はーい、今いきます」
ふむ、これが激マズ料理の帝王である『魔物の安らぎ園』か。私の前ではゴブリンにも等しい。そう自分に言い聞かせ、会計を済ませる。そして店の扉に手をかけた。
その瞬間、視界が大きく変化した。
「なっ?え?ここは…?」
視界の先は外ではなく、どこかの天井だった。それを覆い尽くすように現れたのは神殿でよく見かけるシスターだった。
「お加減はいかがですか?」
「え?あ?なぜ私はここに?」
困ったような顔をしたあと、すぐにその口は真実を述べ始めた。
「貴方は魔物の安らぎ園から数日前にここへ運ばれてきました。もちろん、ここには同じような方がよくいらっしゃいます。どの方も意識を数日ほど失い、目を覚ますと健康体でむしろ元気すぎるくらいになります。つまりは貴方はここに数日、3日ほど眠っておりました」
「え?3日?」
驚きのあまり、開いた口が塞がらなくなった。シスターに疑いの目を向けるも、嘘をつくような方ではないので、それはありえない。
「はい」
「え?確か私はコーヒーを飲んで会計を済ましたはずですが…」
「店員の話によるとコーヒーを飲むこともなく、香りだけで倒れたそうです。そういう成分が入っているかと言われると厳密には入っておりません。分類としては毒でしょうか。それも即効性ですぐに体から消えますが…」
まさかあれほど鮮明なものが夢だったとでも言うのか。だが、なら、あのコーヒーには一体何が入っているのか?
「それって違法なんじゃ…」
「違法薬物を使っていればの話ですが、そういうものは一切入っておりません。ただ、あの店のシェフが特殊だからかもしれませんね」
「特殊?」
「聞いたことはありませんか?人の魔力には千差万別の力が宿り、火を操るものも入れば、水を操るものもいると」
シスターの言うことは子供の頃から聞かされてきたことだ。それも世の中の常識、世間一般的な話だ。
「はい…私も身体能力を向上させることができます」
シスターは少しだけ感心したように目を輝かせ、まっすぐとこちらを見つめてきた。
「それはいい魔力特性ですね。話は戻りますが、彼の料理人は『魔物の潜在能力を引き出すこと』ができる魔力特性です。つまり、彼の意図しない形でそれが料理に影響してしまうのです」
それはつまり彼の料理人の料理は当たり外れ問わず、全てに置いて規格外ということだった。それを聞いて私の飲んだコーヒーのトッピングにはどのようなコンセプトがあり、あれは狙ったのか。それともたまたまそういう効果になったのか、聞かずにはいられなくなった。
そうして私は彼の食堂、『魔物の安らぎ園』に通い詰めることになったのだ。