シンカリオンの父
個人的な価値観が多分に入っているから
軽く読んでください。
これは今年の四月のことだったと思う。
土曜日だった。
いつものように川越線にのって大宮に行く。
そんなところだったと思う。
僕の反対側に座っているのは5,6歳の男の子とそのお父さんだった。
二人は何かの紙を見ていて、
大宮とか、
赤羽とか、
小金井とか。
駅の名前を話していた。
僕は感動してしまった。
名も知らぬこのお父さんのことを
僕はシンカリオンの父と呼んでいる。
これぞ、教育だ。
そう思った。
スマートホンが普及してから、電車内での親御さんの行動はスマホを見ること。
ご自分のお子さんと顔を会わせている親子がどれ程のものか,,,。ちょっとわからない。
だからといってスマホが悪い。という話でもない。
スマホがなかったら今こうして僕は執筆できていないからだ。
そして親御さんが悪いなんて、無責任なことも言えない。
普段、お仕事を頑張っているわけだし、家族を養っているわけだからだ。
そして自分が楽しくなかったら、何で生きてるの?ともなってしまう。
そして僕は子供もいないし、結婚すらしていない。
親御さんを非難するなんてお門違いも甚だしい。
でも教職課程で勉強した身としては、子どもが気になってしまうのだ。
この記事で僕はテーゼとアンチテーゼを戦わせてジンテーゼを導こうというわけではない。
ただ、僕が、尊くて、美しいと思ったシーンだったということだ。本当は写真に納めたかった。
僕が、シンカリオンの父が凄いと思ったのは、以下の点だ。
1.子供の話に会わせている。
2.内容を少しずつ広げ考えさせている。
(ヴィゴツキーの最近説領域)
3.約束は具体的に。
(今度ではなく、来週末とか)
4.会話を楽しんでいる(←ここすごいよ)
(風にしているだけかもしれないが)
如何だろうか。
まるで教師か保育士のような働きぶりである。
すごく子供のことを勉強されている。
(若干女性の取り扱いと似てないでもない。)
程々の会話。
それだけで子どもが愚ずることも、不満を持つこともない。
自分、相手にされてない、と子どもが思うこともない。
これは後々大切なことになる。承認に関する子どもの成長阻害は年齢が進むと重症化するからだ
(↑言い過ぎか?斉藤環等参照求む)
もしこの文章を読んでいる親御さんがいるならば、
今後のお子さんとの接し方を顧みてもらえると僕は嬉しい。
お子さんとの時間を大切にしてほしいと思う。
少なくとも僕は
子供にとっても、
親御さんにとっても、
社会全体のステークホルダーにとっても、
絶対いいことだと思っている。
評価・ブックマークしてくれた皆さん、ありがとうございます。
投稿日に23位(エッセイ、日間)まで行けました。
翌日11位。快挙である。
これからも気付いたこと書いていくんで、
都合がつくときにでも"undecane"をよろしくお願いします。
連載中・短編は
「オンラインノベルに於ける傾向分析を科学的にしていく」
https://ncode.syosetu.com/n4436fo/
「僕は席を譲りたい」
https://ncode.syosetu.com/n6250fo/
「或る日不思議な文具に出会った。その名もガンジーのインキ消しという。」
https://ncode.syosetu.com/n6000fo/
他、ノクターン作品もあるよ。