承 前菜
椅子に座ると給仕はどこかに消えた。
文字通り。消えた。
あら、この椅子超ふかふか。そう思って座面を見た時には視界から消えていた。
「よしっ。そろそろ認めてやろうじゃないか」
私は椅子の上で仰け反り、あぐらを組む。行儀は悪いが、これがマイスタイルなのだ。
「どうやら私はおかしな世界に迷い込んだらしい。私、マジアリス」
いちいち口に出す。そうしないと超現実逃避本能が、『これは夢なり〜』とささやくから。
私は天井を見上げた。
はるか頭上に何かの宗教絵画が描かれている。知識がないからよく分からん。どうせなら桃太郎とか、金太郎とかの絵にしてほしい。ここは日本なんだからさ。
あとできれば桃太郎も金太郎も鋭い顎のイケメンを希望する。受けは桃太郎だな。桃とか金とか。もうそれさ、隠語だよね。
そんなことを思いながら用意されている結論にたどり着く。
私はもう死んだのだろう。多分そうだ。
くそっ。余韻もクソもない。神様は古典日本映画を見て勉強するべきだ。
「あー、部下くんは絶対にBL本で爆笑するわ。ま、しんみり葬式よりかはマシかもね」
「お待たせいたしました」
私の浅く長い溜息に給仕の声が重なった。
身をよじって振り向くと、長身の黒い給仕が銀色のトレーを持って立っている。よく映画で見るやつだ。銀製の半球が乗っかっているやつ。
「あのさぁ。もういちいち突っ込みたくないんだけどね、いきなり背後から声かけないでもらえる。私がゴルゴなら殺してるからね」
「申し訳ございません。以後気をつけます」
無感情にそんなことを言う。
絶対に申し訳ないとか思ってない。分かるから。そーゆーの分かるから。
給仕はまるで隙のない作法で私の前に料理を置く。コトリと音も立てない。
なんの料理かは分からない。例のボールが乗っかったままである。どんな高級料理が出てくるのか、少し楽しみ。
今の私は持ち前のスキル、超現実逃避を繰り出している。だいたいのことでは驚かないし、ある程度の理解不能な事態も飲み込んでみせる。
だからこの中にドラゴンの尻尾のステーキがあったとしても、ノーリアクションで給仕に対抗しよう。そう決心した。
「ひとつ」
給仕は私に指を一本立てて静かに言った。
「間違ってはいけません。ここは死後の世界では御座いません。貴女は死にますが……」
「……おい。もう少し言い方」
「貴女は死にますが、ここではないどこかで、です。ここは死にゆく方々に相応しい料理をお出しする空間で御座います」
給仕がボールについた取っ手をつかむ。いよいよ料理とのご対面。
と思いきや、じっと私の目を覗き込む。黒い給仕の目は意外につぶら。昔ひっ捕まえたカラスのカー太に似ていると思った。
「食事というものは、特別なもので御座います。まずは視覚を刺激し、次に嗅覚を支配します。跳ねる油は聴覚をくすぐり。箸やナイフは食材の触覚を伝え、咀嚼することで新たな触り心地を。そして舌は味覚を提供し、吐息が鼻を抜けて再び嗅覚を働かせます。そのようにあらゆる刺激を与える行為は、食事以外には御座いません」
「……たしかに」
私は素直に頷いた。
ひねくれた私にそうさせる迫力と説得力が、目の前の男にはあった。
「では、お召し上がりください」
給仕の指がボールをそっと持ち上げる。
ゴクリと私の喉がなる。
こいっ!
猿の脳みそだろうがスライムのスープだろうが、なんでも喰らってやる!
そして私の目の前に料理が現れた。
「……え?」
「ジョリーパスタのスパゲティで御座います」
「……ジョリーパスタ?」
「ジョリーパスタ」
確かにパスタである。トマトベースのパスタ。皿にも見覚えがある。
「ええっと、なぜにジョリパ? つーか、ジョリパって配達してくれんの?」
「いえ、当店で完全再現しております。皿もオーダーでお作りいたしました」
給仕に茶目っ気は見えない。
両手を腹の上で揃えて、うやうやしくお辞儀をする。動く石像だ。
「あのさぁ。なんつーか、力の入れる場所、違くない?」
「はい?」
「はい、じゃなくってさ。ホラここ、こんなに豪華なレストランじゃん?」
「お褒めに預かり光栄です」
「いや、そうじゃなくって!」
私はホールを見回す。広すぎて地平線まで見えそうだ。
「こんな雰囲気の店で、なぜジョリパ?」
「それが、貴女に相応しい料理だからで御座います」
「あー、うん。つまりお前は安い女だと。そう言いたいわけ? ホラぁ、なんかあんじゃん。フォアグラとかトリュフとか!」
私は両手でテーブルをバンバンした。バンバン。
私の期待を返してっ。
「ちっ」
頭上で舌打ちが聞こえた。
「……今、舌打ちした?」
「いえ、めっそうも御座いません。お気に召さないようで御座いますが、せめて一口でも。そうすれば先ほどの私の言葉をご理解いただけるかと」
どうやら泣いても喚いても高級料理は出てこないらしい。
つーか、パスタ。前菜でパスタってそもそもどうよ。
そんなことを思いながらも、私はスプーンの上でフォークを回した。
湯気が細かい粒子となって漂う。同時に酸味が鼻腔を刺激する。トマトの酸味とニンニクの香ばしい香り。そしてオリーブオイルの穏やかな香り。地中海の風と太陽を浴びたオリーブの香りだ。知らんけど。
まあ、一言で言って食欲をそそる香りである。
「まあ、美味そうなんだけどね」
私はほおばる。
アルデンテに茹でられたパスタがプチプチと踊る。程よくソースが絡んで美味い。まあ、なんというか、ジョリパの味だ。
「……美味いけど」
「シェフも喜びます」
私は息を吐き出す。
そりゃ美味いよ。美味いけれどさ、死ぬ間際の私に相応しいって、そりゃねーよ。
でも美味いので食は進む。
そして私は気付いた。気付いてしまった。
パスタの上に乗っかる野菜に。いや、この緑色の物体を野菜と呼ぶのはふさわしくない。草だ。
「あのぉ、これ」
私は恐る恐るフォークで草をつつく。
「パクチーで御座います」
やはりかっ!
私の両手からフォークが落ちる。
私は基本的に好き嫌いはない。人間以外はっ。
大概のものは美味しく食せる幸せ人間である。だがっ、しかしっ、こいつはダメだ。いつからそうなのかは忘れたが、これだけは食べれない。
だって草だゾ♡
しかもカメムシの匂いのする草。
同じ匂いがするということは、きっと成分はいっしょ。つまりこの草はカメムシである。(証明完了)
仮にステキなイケメンに迫られたとしよう。もし口からパクチー臭が漂うものなら、私の認識ではその男はただのデカイカメムシとなる。
カメムシとキスなどできるか?
カメムシに抱かれたいか?
私は断固拒否する。
「あなた名前は?」
「グリム・リーパーと申します」
「じゃあグリムさん。あなたこの草を食べれる?」
「さて、私は食したことは御座いません」
「ですよねー。私はこれ嫌いなのよ。死ぬ前に嫌いな食べ物食べたくないじゃん? 下げてもらえる?」
グリムさんは無言で頭を下げる。完全拒否の構えだ。石像らしくテコでも動かない。そんな風に見えた。
無言で食べることを要求しているのだ。
「くっそーっ! 分かった分かったわよ! 食ってやろうじゃないの!」
私は大胆にフォークで草を刺す!
「おりゃーーッ!」
そして小さく刻む。ちまちま。そんな自分を可愛いと思う。
5ミリくらいの塊を摘んで凝視してみる。
嗚呼、カメムシ。紛うことなきカメムシ。
なんかさ、六角形に近くって丸い小さなカメムシいるじゃん? 葛の葉の裏にいる緑色の。アレに見える。
「はぁぁぉぁぁぁぁぉー」
クソデカイため息とともに口へ。
鼻をつまもうとする。その刹那っ、グリムさんに阻止させる。こ、こいつ! ぶっ殺してやる!
かくしてカメムシは私の口へ。
もむもむ。
むっはー。
「くッ! さーーーーッ!」
カメムシの大群(妄想)が喉の奥に突撃し鼻腔へ駆け登る。
えもいわれぬ臭さ。
それは私の失われた記憶を呼び戻した。
私はまたしてもフォークを落とす。
なんか、また舌打ちが聞こえた気がするけど、それどころではない。
「そっか……。私はジョリパでパクチー食べたことあるんだ」
「思い出せましたか?」
私は頷いた。
「記憶と食事は密接な関係に御座います。それもそのはず。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。五感が記憶を整理して収納します。そして同じく、五感が引き出しから古い記憶を呼び出すのです。食事とは五感を強烈に刺激する行為。宮本さつき様、ここは食事によって過去を振り返っていただく場所なので御座います」
「なるほど」
「したがって、食したことのないトリュフやフォアグラなどは、ぷっ、お出ししていないというわけで御座います」
「……今、笑った?」
「滅相も御座いません」
なんかいちいちカンに触るけれど、たしかにそのおとりで。
私は思い出した。
十九歳の時。初めての彼氏と別れて半年後、私はジョリパでこのパスタを食べた。
午後の講義が終わり、私は女友達たちとジョリパに出かけた。それはよくあることだった。しかしその日は少し事情がちがう。
別れた彼氏がはす向かいに座っていたのだ。
思わず飲んでいた水を吹き出してしまい、友達の顔面にクリティカルヒットしてしまったのは苦い思い出。
元彼は私の姿には気付いていない様子だった。私は前髪をガッツリ下ろして聞き耳を立てた。友達が「……貞子?」とか言っていたが知らんし!
元彼は一緒にいる友人たちとウェーイとはしゃいでいた。今考えたら典型的なウェーイ系男子。どうやら話の内容はエロ系だった。
自分たちの経験談を面白おかしく話している。それは別に構わん。が、そーゆーのは居酒屋でやれ。そう思った時、聞きたくないことを聞いた。
「で、さつきちゃんはどんな感じやったん?」
話を振ったのは元彼と同じゼミのクソだった。後でぶっ殺すと誓った。
な、何を話すのだろうか?
私は貞子のまま待機した。正直言って、もう店を出たかった。しかし、迂闊にもすでにオーダー済み。まだメニューは来ない。
今の私ならBダッシュで距離を詰めてぶっ殺す。しかし当時の私はまだまだ乙女であった。ちなみに黒髪である。
「あー、あいつな。処女だったくせにイキまくりよ」
ぐはっ。
私のヒットポイントは一撃でゼロになった。
私の顔色で異変に気付いたのか、友達が心配そうに声をかけてくれた。
ありがとう。でも無理。今は声出せない。気づかれる!
私は貞子を継続しながら笑ってみせた。大丈夫と伝えたつもりだけれど、友達は薄気味悪そうに眉をしかめた。
その時に料理が来たのだ。カメムシ乗せのパスタが。
「で、食べられたので御座いますか?」
「食ったわよ。一皿を3口で!」
正直言えば味わう余裕なんてなかった。
「後にはカメムシだけが口の中に居続けたわ」
私は皿の上のパクチーを睨む。
嫌な思い出と、生涯唯一の嫌いな食べ物を同時に味わったのだ。あの日に。
「あーーッ! ムカつく!」
「お察しいたします」
「察する!? 分かるわけないでしょグリムさんには。とりあえずソッコー食べて一人で店を出るはずだったのにねっ、頼んでたの! 食後のコーヒー!」
「それは……また」
何かを堪えるようにグリムさんは言った。
彼の眉がピクピク動いた気がした。
「あーゆー店ってね、グループ全員が食べ終わらないと食後のコーヒーが出てこないのよ。苦痛だったわ。あの時間」
そしてテーブルに置かれたコーヒーを、私は一気に飲み干したのだった。熱々のやつ。
「よし決めた!」
私は椅子から立ち上がる。
「今から元彼をぶっ殺してくる!」
「……は? いや、あの、」
初めて戸惑いを見せるグリムさんを残し、私は走った!
走って、走って走った!
「ちっくしょーーう! 言っとくけどな! あんたでイったことなんてないからな! 頑張って演技してたんじゃいボケーッ!」
走って走って、2分後に諦めた。
だって、どこにも扉ないし、出口ないし。
私はしぶしぶグリムさんの元に帰った。
「……おかえりなさいませ」
「お嬢様が足りないわ」
今度は明らかにグリムさんの表情に変化が起きた。
「笑ったでしょ?」
「滅相も……」
また彫刻に戻ろうとするグリムさんの口に、私はパクチーをねじ込んだ。
「ぶっふぉッ!」
グリムさんは小田和正みたいに仰け反ると、盛大にパクチーを宙に撒き散らす。
しかしそれも一瞬。
コンマ何秒後には両手を腹の上に添えて澄ましていた。
「今さ、ぶっふぉッって言ったよね?」
「いいえ、決して」
「言ったし」
「さて、次の料理をお出しします」
「逃げたわね。ま、いいわ。食べ終わったらソッコー元彼ぶん殴りに行くからさ、早くしてね」
「……かしこまりました」
そう言うなり彼は目の前で消えた。
もう隠す気もないらしい。