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死神とワルツを  作者:
1/4

起 来店

 例えば、あなたの命はあと一日と言われたら。

 悲観して自殺する?

 それとも有り金すべて使い切って豪遊とか?

 いっそ、恨んでいる人を殺すだろうか?

 愛する人と穏やかに死を迎える、なんてのもアリかもしれない。


 別に正解はない。どれが正しいとかもない。きっと人それぞれ。おそらく十人十色。終着駅は同じだけれど、路線は違う。

 結果が同じならば何もしないほうがいい? 何をしても意味はない?

 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そんなことは誰にもわからない。だから、好きにすればいいと私は思う。生まれた時から誰でもそう。私たちはそういう風にできている。



 私の場合



「悪性の腫瘍です」と告げた医師の顔は、まるで地蔵のようだった。慈愛に満ちていたとか、そういうのではなく、風雨にさらされていい感じに風化している。そんな感じ。


 なんでそんな風に見えるのだろう。

 そう考えて、私はハタと気付いた。

 そうか。何百、何千の患者の死を見てきたからだ。


「へぇ。なんかすごい」と思わず声が漏れた。

「え?」

「え?」


 地蔵の眉間にミキミキとシワがよる。


「あ、いや。わかってますか、宮本さん。あなた癌なんですよ」


 地蔵はペンを置くと、丸椅子を回転させて私に向き合う。

 スチール製の椅子がギシギシと音を立てる。まるで地蔵が無理して動ごくきしみ。私にはそう聞こえた。


「あ、分かってます分かってます。いざ自分がその立場になると、意外と現実味がないですね」


 慌てて私は答えた。向き合った地蔵が一瞬のうちに人間になったからだ。


「みなさんそう言います。それで、すぐにでも入院が必要ですが……」


 私の言葉は医師に安心感を与えたようだった。いつものルーティーンに戻れる。そんなホッとした顔をする。

 そして再び回転椅子を回した。まるで逆再生だった。

 私が診察室を出るとき、医師は地蔵に戻っていた。

 やっぱりすごい。



 宮本さつきとして生まれて三十五年が経つ。

 ずいぶん生きた気もするし、そんなもんかという気もする。若くもないし、老齢と呼ばれるほどでもない。なんとも中途半端な年齢だ。

 遠からず私は死ぬ。中途半端な年齢で死ぬ。


 私は入院の手続きを終え、準備のためにいったん帰宅することを医師に告げた。

 今すぐにでも入院が必要だ。準備はご家族に頼めないのか。そんな事を地蔵は言った。

 あいにく両親は遠方に住んでいて無理である。そう伝えて、私は強引に病院を出た。


 それは嘘ではなかったけれど、理由としては正確性に欠けていた。


 私は病院の敷地内にあったベンチに腰掛けた。

 すごく体が重い。死んだ人間は重いと聞くけど、死にかけの人間もそうなのかもしれない。


 私はなんとなく天を仰いだ。

 すこぶる晴天だ。少しムカつく。こんな日は曇天であるべきだ。神か悪魔かは知らないが、配慮が足りないんじゃないだろうか。


 遠からず私は死ぬ。中途半端な年齢で死ぬ。

 んーー。そうなんだろう。そうなんだろうけれど、やっぱり他人ごとに思えて仕方ない。なぜだ? 再び私は考える。


「ふふっ」


 意図せず笑いがこみ上げた。

 まるで実感がないのは、それは中途半端すぎるからだと気付いた。

 年齢もそうだが、それだけではなく。

 私には夫も子供もいない。

 友達は少なくないが、その中に親友がいるとは言い切れない。

 両親は健在だけれど、もう十五年も会っていない。


 私はここに、この世界に生きているけれど、私と何かを繋ぐものは驚くほど少ない。全くないわけじゃないのがミソだ。とても中途半端。フワフワしている。だから現実味がないのだ。


 今私が考えている事を、ぶっちゃけようではないか。

 電話を取り出し両親に連絡する。彼氏に泣きつく。そんなことではない。ちょっと盛った。いま彼氏はいません。死にたい。あ、死ぬんだった。


 今私は、「あーー、死んだら携帯とか自動解約されるのかな?」とか、「やべっ。DVD借りたままじゃん」とか、「念のためPCの閲覧履歴は消しておこう」とか、「BL本の処分はどうしよう」とか、そんなことばかり考えている。マジ超現実的。現実に向き合っているようで、じつは超現実的に逃避してる。

 あ。クソ高いシャンプーを買ったばかりだ。勿体無いことしたかもしれん。


「よいしょっと」


 私は立ち上がった。あいかわらず身体は重いけれど、しなければならないことがあるのは、ある意味楽だった。



 ひとまず帰宅しようと思ったけれど、気付くと職場だった。世界と私との接点なんて、ここくらいにしかないのかもしれない。そう思うと少し寂しい。


 事務所と工場の間を幾人かが行ったり来たり。年末進行と私の不在が重なり、なかなか修羅場っているようだ。

 私の顔を見るなり部下が破顔する。


「おー、遅れて悪いね」

「遅いっすよ! ロット55360の仕掛かり終わりました。あとジーンズペンケースの前工程も終了です」

「了解。55360はすぐに前工程に回して。あ、先出しで1釜回すように指示出しておいてね。25インチはモデル着用分でメーカー出しね。半日遅れてるから巻きで。遅れたら殺す。あとペンケースは……」


 言いながら、何してんだ私は、と思ったりもした。けれど思いのほか悪い気分じゃない。


「あ、それと!」


 駆け足で出て行こうとする部下を呼び止める。


「来月の飲み、悪いけど参加できんわ」

「えぇっ!? せっかく連れのイケメン紹介しようと思ったのに!」


 なにそれ!? 詳しく! 

 一瞬だけ後ろ髪を引かれたけれど。

 私は意味ありげに微笑んで彼の肩を叩いた。

 私亡き後は、お前が生産管理だ。せいぜい胃に気をつけて頑張れ!



 カバンの中でブルブル震えている携帯をガン無視して私は終業まで仕事をした。

 とりあえず近々に処理しなければならない事案は目処をつけた。二ヶ月分の納期調整も終えた。あとは知らん。部下の彼がなんとかするだろう。

 特定の人物がいなければ回らない組織なんて、実はない。いないなりに回っていくものだ。私がいなければ、なんて思うのは傲慢だ。そうあって欲しいという欲求だ。会社は、私がいなくても回る。



 事務所を出ると粉雪が舞っていた。

 おお、やっとそれらしくなったじゃないかと思った。

 タバコに火を灯し思いっきり吸い込む。

 私の腫瘍は肺に住んでいるらしい。家賃くらい貰いたいな。


「ははっ」と乾いた笑いが漏れた。


タバコは厳禁だ。でも今更やめたところで、どうにかなるもんでもないだろう。


 体内に満たされた煙を、私は真っ黒な空に吐き出す。すこぶる旨い。

 そしてスマホを取り出して『肺ガン 生存率』を検索した。そしてそれは意味のない事だと知った。

 私のステージはまだ分からないらしい。精密検査しなければ、なんとも言えないと地蔵は言った。しかし医師の顔は人間ではなくって、私には地蔵に見えた。彼から見て私は、すでに半分死人に見えているのだろう。



 私は駅まで歩くことにした。

 たぶん最後の帰宅路になる。そう思うと、じっくり味わうのも粋な気がした。


 病気の検索やめて、私はスマホの電話帳を開いた。

 やはり誰かに連絡くらいはしておこう。そう思ったのだが、誰に電話するのがふさわしいのか分からない。

 というかアドレス超少ぇ……。


 私は定期的に電話帳を整理する。

 一年くらい連絡していない相手はデリートする。しかし逆に消されている場合もあるから、そこはおあいこだろう。私はひどい人間性だとの自覚はある。

 なんせ……。

 私は画面をスクロールする。やはりない。

 両親の連絡先すらデリートしているのだから。人間としても、娘としても最低だ。

 ためしに実家の固定電話の番号を思い出そうとしたが、まるで覚えていなかった。


 私がいなくても会社は回る。

 私がいない世界も回る。

 一個人なんて、この世の歯車にすらならないのだ。世界はそういうふうにできている。


「素晴らしきっ、この世界っ!」


 私は叫んでいた。

 両手を広げ、往来のど真ん中で涙声。世界の中心がどこかは知らんけど、ここが私の世界のど真ん中だ!


 目の前を通り過ぎたカップルが私を振り返っている。

 知らん!


「あの、少しお話を」と、なんとかの塔というパンフを持った中年女性が声をかけてくる。


「知らんし!」


 私に気圧されたのか、女性はよく分からん笑みのまま雑踏に消える。


「お待ちしておりました」


 今度は背後から声がかけられる。

 振り返ると黒い男だった。

 シャツも黒。蝶ネクタイも黒。そして喪服よりも黒いタキシード調のスーツを着た老齢の男。髪だけが月よりも銀色だ。


 変なやつらは死の匂いでも嗅ぎとるのだろうか。

 まさに自然界。超ハイエナ。


「誰?」

「終活レストラン『it's a Wonderful World』の給仕でございます」

「知らんし!」


 関わったら負けだと思った。

 私は背を向けたまま歩き出す。というか、歩き出そうとしたけれど……。


「はっ?」


 間抜けな声が出た。


 私の周りから雑踏が消えた。あの幸せそうに手をつなぐカップルも、布教に勤しむ宗教女も、街を蠢くヘッドライトの影も。すべて消えた。


 そして目の前には驚くほど広い煌びやかなホールが広がる。どこかヨーロッパにでもありそうな、厳かな教会の大聖堂みたいだ。


「は? え? どこ、ここ」

「終活レストラン『it's a Wonderful World』へようこそ。ご予約は承っております、宮本さつき様」


 名前を呼ばれてゾッとした。

 黒い給仕はまるで石像のように冷たい雰囲気をまとっている。一瞬だけ地蔵の医者を思い出し、頭を振る。

 そんな良いもんじゃない。

 石像の怪物ガーゴイルだ。

 口元だけがスローモーションのように動き、言葉を発しているように感じる。


「し、知らんし! 帰る!」


 と言ったものの、見渡しても扉は見当たらない。ホールから外へ向かう回廊も見当たらない。文字通り、目の前を広大なホールが支配していた。


「お帰り頂くかどうかは、恐れながら私どもが判断いたします。まずはどうかお席についてお食事をお楽しみください」


 冷静な声で言うと、給仕はパチンと指を鳴らす。

 その途端スルスルと豪奢なテーブルと椅子が頭上から降りてきた。


「は? マジック? あー、ちょっと待って」


 私は芝居掛かった仕草でカバンをまさぐる。


「あー、いっけね。悪いけれどさ、私、財布忘れてきたみたい。マジックと料理の支払いできんわ。てへっ」


 舌を出してウインクしてみたけれど、給仕は冷ややかにお辞儀をした。


「お気になさらず。お代は料理に御満足頂けた時に。それに相応しい対価をいただきます」

「いや、だから、ほんと知らんし!」


 いいかげんイラついて私は叫んだ。

 それどころじゃないんだ。帰ってBL本を灰にしなければならないのだっ。私が灰になる前にっ!


「ここはヒトが死ぬ間際に訪れるレストランで御座います。宮本さつき様」

「いいかげんに……」

「貴女様の死期はすぐそこで御座いますゆえ、ここに予約されたので御座います」


 駄々をこねる私を軽くいなす。幾度も幾度も繰り返され、研ぎ澄まされて洗練されたように。


「食事を味わい、最期の終活を。貴女様にもっとも相応しいコースをご用意いたしております」


 有無を言わさない迫力だった。

 男勝りだと言われる私でも、あがらうことはできそうになく。

 私は椅子に座らされたのだった。









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