思い出について
「巴先輩、赤毛のアンって知ってますか?」
レポートの資料を探しに大学の図書館に行ったところ、たまたま出会った椎菜に捕まり、休憩スペースで雑談していた時のこと。椎菜は思い出したかのように、そんなことを訊いてきた。
「赤毛のアンって、赤毛のアン? アニメでもやってた……」
「そうですね。原作小説は読みました?」
「いや、読んでない。だいぶ前だけどアニメは観たから、話はわかる。アンがグリーン・ゲイブルズに住むマリラとマシューに引き取られるところから始まるんだっけか」
「ええ、その通りです。原題を直訳するならば、グリーン・ゲイブルズのアン、と言った方が良いくらいですから。あらすじを説明する必要はなさそうですね」
「そういう椎菜は原作を読んでるんだな」
「ええまあ」
少し意外だった。社交的な椎菜と読書をしている姿とが結びつかなかった。ただ、話の引き出しの多いことから、実は結構本を読むタイプなのかもしれない。
「百合好きとして、赤毛のアンは履修不可欠ですよ」
一瞬でも抱いてしまった尊敬の念を返せ。
履修とか大学の授業みたいに言うな。
「あれ? でも、赤毛のアンって百合だったか?」
「アンと親友ダイアナの友情の深さ。アレを百合と言わずして何というのです」
「そんな大袈裟な言い方をしても、ただの友情なんじゃないのか。それに確かアンもダイアナもそれぞれ結婚してるよな」
「……先輩、可愛い後輩を萎えさせるような展開はやめていただけませんか」
「文句はモンゴメリに言え」
椎菜が萎えるのも、まあわからなくはない。少女時代のアンは「お互い一生独身で一生一緒に暮らしましょう」みたいなニュアンスのことを言っていたのに、それはあくまで少女時代の夢に過ぎなかったという訳か。
「アンブックスも読み進めていくと、結婚した途端にダイアナは登場しなくなるんですよね。アンとダイアナの百合ルートを完全に消し去った展開が続きます」
「しかも、アンの結婚相手は学生時代にいがみ合っていたギルバートだからな。学業でも競い合っていたけれど、気になるアイツ、みたいな。少女漫画にありそうな設定だ」
「萎えつつも一応最後まで読んだんですけどね」
何かで見たような気がするが、確かアンの娘がタイトルになっていたのだったかな。読んだこともないので曖昧な記憶だが、アンに娘ができたのか、という驚きでなんとなく覚えていた。しかし、
「多分先輩の言っているのは『アンの娘リラ』のことだと思いますが、違います。赤毛のアンの最終巻は『アンの想い出の日々』です」
「そうなのか。記憶違いだったか」
「いえ、記憶違いではないと思います。多分先輩が覚えていたのは、古い版のものでしょう。『アンの想い出の日々』って最近出たんですよ」
「最近⁉︎」
赤毛のアンってそこそこ古い小説じゃなかったか。
「赤毛のアンの出版事情って結構滅茶苦茶なんですよ。滅茶苦茶というか闇が深いというか」
「闇が深いのか」
「それ以上に、作者モンゴメリの人生の方が暗黒ですけれど。モンゴメリはアンに自らを投影しているきらいがありますが、そのアンにしたって孤児院出身ですから」
「ああ……」
「アンのテンション高い妄想で中々わからないですが、厳しく辛い日々を妄想で乗り越えようとしていたと考えると……」
「もうこの辺にしておこうか」
アニメで赤毛のアンを観ていた私は、物語よりもグリーン・ゲイブルズやその周りの風景の美しさをよく覚えていた。そこに住んでみたいと思ったこともある。
椎菜の場合は極端にしても、案外、自分の覚えていたい、イメージしていたい姿のみを記憶しているものなのかもしれない。
楽しかったことだけを覚えていられたら、それほど幸せなことはない。多分、椎菜も冗談を交えながらもそう思っているだろう。
赤毛のアンを小説で最初から読んでみるのも良いかもしれないーーただ。
今の私は昔のアルバムを見返すことができない。
私自身、赤毛のアンについて忘れていることも多いので、また読み返してみたいと思いました。
…………2人の雑談の中で間違ったことを言ってないかどうかも不安ですし。