悲しみも愛しさも……
お待たせしてすみません。
今回はやや長めです。
明かりを消した真っ暗な部屋だけれど、時間が経って目が慣れてきて、天井が見えるようになった。
それでも、視界に映る部屋の様子よりも、暗闇では想像の方が勝る。だから。
少女と愛犬の回想を聞いて、わたしは胸が詰まるようだった。
少女だった巴先輩の愛情の深さを理解して、やっぱり納得できて。
犬が人よりも早くその寿命を終えてしまう事実を再確認して、どうしても受け入れられなくて。
わたしが思っていた以上に巴先輩はとても優しくて繊細な人だった。だからこそ、先輩の心の傷を思うと、わたしも悲しくなる。
長い話を聞かせてもらって、わたしは先輩にかけるべき言葉を考える。
いつもは饒舌なわたしでも、言葉が、心が中々まとまらなかった。
「椎菜? リアクションがないけど、どうした? 寝た?」
「寝てません。眠れませんよ」
「はは。寝物語にしては暗いよな。ごめん。忘れちゃって良いよ」
茶化したような口調で話を流そうとする巴先輩。
ああ、ダメだ。ここで話を打ち切られちゃいけない。大事な機会を逃してしまう。そんな気がする。
もうなりふり構っていられない。
後先考えず、策を巡らす余裕もなく、わたしは思うままに言葉を継いだ。
「先輩、悲しい時は悲しいままで良いんです」
「…………」
先輩からの相槌はなかった。ただ、暗闇の中でも意識がわたしの方に向いている気配がする。
「悲しみだけを心から切り離すことはできませんよね。喜びと悲しみは表裏一体ですから。かと言って、喜びごと、全ての感情ごと悲しみを封じ込めてしまうこともできません。機械やプログラムじゃないんですから。どうしようもなく、わたしたちは人間なんです」
今は聴覚が冴えているからだろう、静かな暗い部屋でひゅっと息を吸い込む音が聞こえた。
「だからね、先輩。悲しい時は悲しいままで良いんです。その悲しさや寂しさは、モカちゃんを愛していたからこそのものなんですから。モカちゃんとの日々の喜びや楽しさと一緒に、悲しみや辛さも大切にしてください」
目が慣れてきて、過去に置いてきたはずの少女の顔をした巴先輩をはっきりと見据えて、わたしは言う。
「想いも思い出もなかったことになんてしないでください」
わたしは話の上でしかモカという犬のことを知らない。
わかったようなことを言いながらも、散々あらゆる方向から探りを入れておきながら、本当のところは何も知らない。
巴先輩の愛情も喜びも悲しみも、全て巴先輩のものだから。
せめて、わたしはそれを大切にして欲しいと願う。
巴先輩は枕から顔を上げて、布団の上で頬杖をつく。
「ねえ、知ってた、椎菜? 私は実は結構な人嫌いなんだよ」
「ええ、知ってます」
出る杭は打たれる。周囲を圧倒してしまうほどの美人である先輩は、普通の人がしないような苦労をしてきたのだろう。少なくとも、人の醜い面を多く見てきたに違いない。
自分の美貌を気にしないようにしなければ、やっていられなかったのだろう、と思う。
「だから、私が本当に好きになれたのは家族くらいしかいなかった。両親や妹の環、そしてモカ」
「はい」
「環のことも可愛がっていたけど、姉としてどうしても意地を張って弱みを見せたり愚痴を吐くのは躊躇われてね。生まれた時から一緒にいたモカ相手にはそういう本音も話せたんだよ。犬とか人とかそういうのは関係ない」
「はい」
「モカが側に居るのが当たり前で、それがずっと続くことを願っていた。だけど、モカは逝ってしまった。悲し過ぎて辛過ぎて、現実を受け入れられなかった。椎菜の言うようになかったことにしてしまいたいくらい」
不意にカーテンが揺れて、窓から月明かりが差した。ぼんやりとした光に当てられた、巴先輩の横顔は息を呑むほど美しかった。
先輩はわたしの方に向き直り、正面から巴先輩の顔を見ると、彼女の頬を涙が伝っていた。一筋なんてものじゃない。次々と大粒の涙が溢れていく。
「わたしがこんなに悲しいのは、モカのことが大好きだったからだよな」
「はい」
「なかったことにしなくて良いなら、こんなにみっともなく泣いたって良いんだよな」
「みっともなくなんてないです。だから、どうか遠慮なく」
巴先輩は声を上げて泣き始めた。このひと時、少女に戻った彼女の頭を、わたしはそっと抱きとめる。
今まで泣けなかった分も泣いて欲しい。
気の済むまま。本当の笑顔を取り戻すまで。
泣いている彼女を抱きとめるのは、慰めたいから、というと少し違う。
ただ、この人の側に居たいから。
彼女の存在をすぐ側に感じながらも、わたしはそう願い続ける。
どれほど時間が経ったかわからない。
すっかり泣き止んだ巴先輩は濡れタオルをアイマスクのように目の上に乗せながら、仰向けに寝ている。
……心なし、わたしと目を合わせないようにしているような気もする。
照れているのかな。
すっかり可愛らしくなっちゃって。
「おい、椎菜。今ニヤケてないか」
「うふふ。何のことでしょう。わたしは普通にしているだけですよ」
こういう風にペースを握るのはとても楽しい。可愛い先輩もわたしは大好きだ。
「そういえば、先輩。先輩は人嫌いって言ってましたけど、わたしのことはどうなんですか?」
「ん?」
「家族くらいしか好きになれなかったということは、わたしのことも好きになってもらえないんでしょうか?」
冗談めかしているが、これは結構重要なことだ。流されやすいところのある先輩は、懐くわたしに嫌々付き合ってくれた可能性も実は否めない。
もしそうだったら結構傷つくな。
でも、わたしの普段の行いもそれほど良くないしな。
わたしが密かに悶々としていると、巴先輩は息を漏らすようにして笑った。
「ちょっ、何がおかしいんですか、巴先輩」
すると、いつのまにか濡れタオルを取り払って、巴先輩の顔がわたしの間近にあった。
わたしが動揺している間に、額に柔らかな感触。そして、少しだけ顔が離れて、巴先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さあ? どうだと思う?」
混乱の渦に片足を突っ込みながらも、わたしの意識は現行時間にやっとのことで追いつく。
え? わたし、今、額にキスされた?
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