5《白昼堂々大怪盗》
夢を見た。
小高い丘の上にいると俺はなぜだか勝手にそう認識していた。
柔らかな丘だった。丘だっていうのに草木の姿は無く、なんだか柔らかくて暖かくて、思わず俺はうつぶせになって暖かさに浸っていた。ぽかぽかの陽気に照らされ穏やかな小川のほとりで昼寝をするような温もりが俺を満たしてくれる。
その上、その丘は羽毛布団よりも柔らかくて、俺はもっとその感触を味わいたくて顔を埋める。
知っているような知らないような?生暖かく包み込む柔らかさ。
不意に丘が揺れて、思わず俺は立ち上がる。
だけど思いのほか傾斜は急で足場をうまく確保できない。つまり足を滑らせたというわけであり、そうなると人間は丘を転がり落ちるはずだと思った途端、俺は柔らかな丘を転がり落ちていく。真っ暗な、でもどこか暖かな谷底へ俺は真っ逆さま。
「っ!」
ビクッと肩を揺らして、俺は目を覚ました。
そして目の前の双丘と目が合った。いや、向こうに目は無いのでこの表現は誤り。ただし、女の胸に目があるなら、視線がぶつかっていてもおかしくないほど俺の顔に向け真っ直ぐ巨乳があったのは事実だ。
えらくメルヘンな夢の内容に合点がいったのは、俺のすぐ横で寝息を立てるマライアの姿があったから。
俺は自分の上にかかった安っぽい毛布と、それからいつの間にか俺の頭を抱くような姿勢で眠るマライアを交互に見て、自分が思いのほか無防備に寝ていたのだと理解した。傭兵仕事は場所を選ばない、つまり最悪な場所での仕事なんて日常茶飯事で、無防備に寝るなんてまずありえないのだ。そう考えると、夢まで見るほど寝れたのはいつぶりだろうか…。
神官様はどうにも寝相が悪いらしい。俺はマライアの腕を払いのけ立ち上がる。
「あら、起きたの?」
と、そんな俺に声をかけたのは若いロングヘア―の女。名前は確か、ルー・カマンセダーとかいったっけ?マライアほでではないけどこちらも胸がでかい。
その横には、身を小さくし火に当たるもう一人のボブカットの少女。と言っても俺より年上らしい。なのに俺の顔を見るとスッとルーの背中に隠れるのは人見知りだからだとか。名前はミー・カマンセダー、お察しの通りルーの妹だ。
俺は二人の前に倣って腰を下ろす。
「抱き枕にされちゃたまんねぇよ」
「そう?その割に結構可愛い寝顔だったわよ、傭兵さん?」
「良い趣味じゃねぇぞソレ。直した方がいいと思うけどね。ま、それにそろそろ日も登る頃だろ?」
東の空はまだ暗いが、見上げた星に巡りはそろそろ夜の終わりが近いという事を教えてくれている。こう時間に過敏なのは一種の職業病というやつだ。
「ンッ…」
ミーから差し出されたポットの茶をコップに受け取る。姉妹以外の人間とは常に距離を置くけど、俺自身を嫌いというわけではないと以前ルーが教えてくれた。湯気を立てるカップもミーなりの気づかいなのだろう。
「あんた等こそ、早起きなんだな?」
「そうね。私とミーは早起きな方ね。イーは馬車の運転で疲れてるからね」
ルーはまだ馬車の中で寝ているであろう次女の名前を出して微笑んだ。
出会いは数日前、蟻の巣から這い出てきた俺とマライアは次なる転生勇者の遺跡を求め街道を北上していた。その途中偶然出会ったのがこのルー率いる旅の楽団だった。楽団とはいってもメンバーは長女ルーを含め彼女の妹二人の計三人。驚いたことに女だけの旅なのに護衛の傭兵もつけていなかった。歩くのが嫌になっていた俺は目的地までとは言わなくても、その途中まで乗せてもらう代わりに護衛役を提案したのだけど、当初はルー達カマンセダー姉妹に難しい表情と共に辞退されてしまった。ま、自分たちより年下のそれも女の傭兵なんて、それこそいないのと同じと思ったのかもしれない。このウーユン様も安く見られたもんだとここは実力を示すために一つ喧嘩でも売ってやろうかと思っていたら、横から顔を出したマライアが神官という立場を活かして実に宗教家的手腕で同道を快諾させた。
未だにこうして、特に長女のルーからは子ども扱いされている。
「でも、楽団なんて食っていけるのかよ?宮廷楽団の所属かどこか商会のお抱え楽団にでもならねぇと辛いって聞いたことあるぜ」
俺だって旅の楽団や劇団の類の事情を知らないわけじゃない。昼間は町の路上や酒場で演奏の腕を振るって、夜はその酒場の二階で腰を振って喉を鳴らして日銭を稼ぐってのが内情だ。特にこんな女三人だけの自称楽団じゃよほど腕が良くてもその実入りは知れている。
しかし、ルーは俺の考えなんて気にも留めないという風に肩を竦めて見せる。
「心配してくれるの?あらあら、優しいのね?」
「そんなんじゃねぇよ!」
寝息を立てるどこぞの世間知らずな神官殿とは違って、俺だって世間の風ぐらい知ってる。にもかかわらずルーは余裕の表情で話を軽く受け流す。こういう話の通じないマライアとは別の意味で調子が狂うぜ。
「それじゃお返しに私からも一ついいかしら?」
ルーの大きなお瞳が、何を問われるのかと身構える俺を映す。
「貴方ってハーフなの?私たちと同じ青眼族に見えるけど、黒い髪に黒い目なんて見たの初めてよ」
先の下品な質問に対する仕返しのつもりか、嫌な事を聞きやがるぜ。
大陸五属の一つ青眼族は、ブロンドや黄色が一般的な髪の色で、男も女も青か灰色の瞳が普通だ。俺のように黒髪黒目という人間は珍しい、らしい。そんな種族の特徴と合致しないのに俺を青眼族と憶測ながらも判断したのは、他の種族の特徴もまた俺のどこにも見えないからだろう。背黒族や黄腕族のように俺の顔は狼や猿には見えないし、額に角だって生えていない。そうなると消去法で青眼族と判断するのは妥当なのだけど、その種族的特徴である髪や瞳の色にルーは違和感を抱いていたという話だ。
「………」
これ見よがしにミーが長女とおそろいのブロンドを弄る。
同行する初日からこの時間までずっと訝しんで聞く機会をかがっていたって所か。
「掃き溜めの生まれでね。どこぞの女がどこかで毛色の違う種貰って産み捨てたのが俺って事さ」
まぁ、物心ついた時にはスラムのゴミ山の中、親の顔なんて知らずにドブネズミのように生きてきたので正確な所は分かんねぇけど。状況証拠だけ積み重ねると自然とそういう答えに繋がる。そして見た目ってのはそんな憶測が正しいかどうかなんて別にして、俺の人生に重くのしかかるわけで、純血主義的な傾向が強いこの王国じゃ色物扱いの半生。スラムでの幼少期何度物好きな奴隷売りに捕まりそうになったことか。
瞳の色はともかく髪は染めればいいのだけど、維持するのに金と手間をかけるほど俺は勤勉じゃないし、人の目から逃げるためなんて理由でそんなことするのはまっぴらごめんだ。もっとも昔はともかく今じゃ文句ある奴の腹を蹴り上げその顔に拳を叩きこむ程度には“成長”したのでこんな話にならない限り気にも留めない。
ポニーテールに触れて俺はそんな風に考えていた。
「大変だったのね」
同情して欲しくて喋ったわけじゃねぇから、ルーの言葉は見当違いだ。だけど、俺は黙って聞き流した。こういう反応は慣れている。
こういう説明をするのも思えば久しぶりだ。知った仲の傭兵達は今更俺の見てくれを冷やかしても質問してきたりはしねぇから、かれこれ一年ぶりぐらいにこんな話をする。
それにしても、まんまと意地悪に特大の仕返しをされてしまったのでつまらない。
俺は込み上げてきた欠伸をかみ砕く。
「眠たいならまだ少し寝てても良いわよ。出発は日が登ってからのつもりだから」
その提案は充分魅力的だった。
「そうだな。今度は丘の夢を見ないように注意するさ」
「?」
意味が分からずキョトンとするルーを置いて、俺はマライアから引っぺがした毛布にくるまって草の上に横になる。ただ焚火のパチパチという音だけが終わりかけの静かな夜の中に響いていた。
町への到着は正午、空の太陽がちょうど一番高い場所で輝く時間だった。
ここが俺たちの目的地ではなかったけど、カマンセダー姉妹にとっては数日楽器の腕を住民たちに披露する場所ではあったので、つまりつかの間の同行は解散と相成った。マライアはこの敬虔な信者にお互いの旅の無事を神様に祈り合っていたのを、俺は横で詰まらなさそうに眺めていた。
そんなことより飯だ、飯。
「んで、どうすんだ?おいおい、何がって顔するなよな。神官様の今後のご予定だよ。まだ足で旅するのか賢く馬でも買うのかって話だ。わかる?」
ミートボールと茹でたての麺を頬張りながら、テーブルの向こうのマライアにフォークを向ける。
「それなのですが、数日この町にいようと思います」
「はぁ?なんで?」
ミートソースに鼻先を汚す25歳独身にわけを問う。良い相手でも見つけたってのか?
「銀行、教会銀行で聞いた話なのですが…」
マライアはどう話したらいい物かと口籠る。
教会銀行別名神託銀行、おおざっぱに言えばその日暮らしと宵越しの銭は持たないをライフスタイルにする俺には無縁の施設だ。聖十字教圏内において、金融と言えば聖職者に金を貸したり借りたりするこの教会銀行か、ヤクザが元締めの地銀のどっちかだ。
そんな場所で聞いた話なのだから、うさん臭くないわけが無く、俺は眉根を寄せる。
「なんだよ、言いにくい事なら言わなくていいんだぜ。俺は面倒な話は聞きたくねぇの」
「そうもういかないのです。あの、その、聞く所によるとこの町ウィーブには領主の館があるのですが、何でもその領主がその館に異世界勇者の遺品を保管しているという話なのです」
「へぇ、それで?」
そう大きな規模の町ではないが、その中央に領主の館があるのは俺も気づいていた。そして権力者というのはだいたいが無駄に財布が分厚くて、そんでもって無駄な買物をしては花瓶や絵画で家を飾るなんてのはお決まりだ。勇者の遺品なんてそんな無駄な買い物にピッタリじゃないか。
「転生勇者の痕跡を探る資料としてお貸しいただけないか領主様にお話ししてみようと思います」
「うんうん、そうかそうか、いやはやなるほど。ま、なんだ…俺から一つアドバイスをするなら、お前はもう少し神様より人様について学んだほうが良いって事だな?」
相変わらずの世間知らずっぷりに、呆れを通り越し慈悲の念すら抱きそうだ。
これを本気で言ってる上に、俺の返答の意味が分かっていないという顔をしやがる。その間抜け面を即刻止めやがれ。
「間抜け素っ頓狂世間知らずの三拍子が奇跡的に揃っちまった神官様のために、優しい言葉で教えてやるけどな。領主なんてクソみたいな人間はなぁ、人からクソッタレな税を搾り取ることにはクソ熱心だけどよ、人に何かを預けたり貸したりなんていうのはクソしたがらねぇクソなんだ。分かるか?」
「ですが、頼んでみなければわからないではないですか。神の試練と友愛の念をもって説けば何人も分かってくれるものです」
「んなわけねぇだろ」
どこまでお人よしなんだか。性善説なんて流行らねぇよ。
「OK、欲しいなら手段を選ぶな。間違いなくアンタの話に領主は首を縦に振らねぇよ。じゃあどうする?子供にだってわかるぜそんな事。ようは盗むか奪うかって話だ」
皿の上の最後のミートボールを俺が食べたいと思ったら、後はマライアのフォークが伸びてくるより先に奪い取るだけ。つまりそういう話だ。
十歳も年下なのに聡明な俺の的確な指摘に、こともあろうにマライアは口を尖らせた。
「盗みはいけません、勿論奪うのも。神の教えを裏切る不誠実な行為です。貴方は分かったように言いますがいいでしょう、私が領主様を見事説得してみせます。そして貴方は私の正しさに神へ祈る尊さを学べばいいのです」
マライアは無駄にデカい胸を張ってそう宣言した。
――そこまで言うならお手並み拝見といくか。
「ダメだ!ダメだ!ダメに決まっている!!」
小太りチビの領主は眉を吊り上げそう喚いたのだった。
口の端から泡をふくさまは興奮した家畜がピーピー鳴き喚いているのに似ているな~、なんてマライアの背後で俺は呑気に思うのであった。
「何故ですか!?」
大仰に身を乗り出し問うマライア。
要望を告げた途端、今まで自慢のし甲斐がある神官を相手に喜々としてコレクションについてあれこれ語っていた外面をかなぐり捨てた領主の豹変に、マライアの方は心底予想外といった顔で食い下がる。
いや、ま、何故も何もないわけだけど…。
「いかに教皇領からの神官殿であっても、そのような要請には断じて答えられぬのです!私の大切なコレクションをお渡しするなど論外!高名な学者ですらこれが何か未だ突き止めていないのですぞ。貴女程度がこれの謎を明かせるとはとても思えない!」
「そこをどうか。教会にとって、この大陸にとってどうしても欠くことのできない研究なのです」
そんな言葉で顔を真っ赤にする領主の熱が冷めるわけもない。
マライアの同行者である俺でさえ、領主の言い分と反応の方が納得できる。いきなりわけわからん理由で秘蔵のコレクションを貸せというのだから、まぁ、そりゃそういうリアクションになる。
当の勇者の遺品だとかいうコレクションは、マライアと睨み合う領主のその背後、ここ応接間の中央に小さなガラスケースにいれて大切に飾られている。見た目は手のひらサイズの黒い板状のもの。トランプより少し大きい程度で、ガラスとも鉄ともつかない独特な光沢を放つ素材でできたそいつを、領主は“スー・マフォ”だと教えてくれたのが、こんな話を始める数秒前になる。
どれだけ大切なものか、いくら金をつぎ込んだか領主の自慢話をこれでもかと聞かされた直後だというのに、あんな要求を面と向かって口にできるのはいっそ清々しいとすら思える。そして、やはり揺ぎ無い馬鹿なのだなとも思う。
事態は誰がどう見ても交渉決裂だ。領主が聖十字教の信徒であることと、アポ無しで尋ねた神官のデカい胸をちょいちょい盗み見ているそんな態度から、若干期待していたけど件のアイテムは信仰心と下心を上回る物だったみたいだ。
「とにかく、貴方には協力しかねますな。これ以上話がこじれ私が領主の立場を持ち出すより先に、正門より帰られるがいい。ほらお客様のお帰りだぞ!」
領主の指示に従い、部屋の隅にいた執事や私兵が俺たちの方へ進み寄る。
「領主様!た!大変ですじゃー!」
だけど、俺たちが追い出されるその一歩前、数名のメイドと共に部屋に飛び込んできた白髪の老人の姿に、領主も執事たちも動きを止めた。
「どうした、執事長?」
「領主様!こ、これを!」
老体に鞭打って走ってきた執事長が、領主へ差し出したのは一枚の紙きれだった。
『今宵月が天に昇る時、深き闇夜より領主殿が寵愛を注ぐ伝説の勇者の遺品“スー・マフォ”を頂戴しに参上する。怪盗猫の瞳より』
「これは予告状!」
顔を真っ青に変え領主は狼狽した。
「怪盗猫の瞳といや、聞いたことあるな……」
「有名なのですか?」
いや、さほど有名じゃない。
俺も王族や領主など問わず相手を選ばず活動する盗賊という程度の認識だ。こうやって狙われた被害者から傭兵ギルドに警護の依頼があるらしいので、その伝手で知っていた。
ただその驚きっぷりからして領主は知っていたようだ。やっぱり、狙われる対象の貴族や領主なんかの間じゃ有名なのだろう。
「猫の瞳、狙った獲物は逃がさない凄腕の怪盗です。…噂では女三人組で大陸を旅していると聞きますが……」
と、そこまで言って何かに気づいたように顔を上げた領主の視線は、真っ直ぐ俺たちの方へ。あ、なんか嫌な予感がすごい…。
「スー・マフォ…女怪盗…。怪しいと思ったのです!このタイミングでの予告状!つまり貴様たちが猫の瞳だな!」
「なんでそうなるんだよ!」
領主が指さすのに応じて、執事や守衛の私兵が俺たちを取り囲む。
たしかに状況証拠だけを積み上げれば、俺たち二人はとんでもなく怪しいだろうけど、これは完全な言いがかりだ!
領主の言葉に俺だけじゃなく面喰ったのはマライアも同じだ。ローブの裾を持ち上げ勢いよく領主の前に飛び出した。
「お待ちください、領主様!確かに私たちは領主様の大切なコレクションに用があり赴きました。しかしお借りしたいと思いはしても神に誓って決して盗もうなど思いもしておりません!」
「ええい!偽神官のくせに神を語るか!不届き者!」
思い込みと興奮で冷静さを欠いた領主にマライアの言葉は届かない。
「問答無用!」
その号令を合図に迫ってくる私兵に、俺ができた事と言えばあきらめきって肩を竦める程度だった。
ケツの下が痛くて冷たくて、嫌になるのが牢獄の午後の風情。
俺は手入れの行き届いてない、つまるところ使用頻度の低い牢屋の中でため息を溢した。牢屋、それに類するものに入ることに関して片手で足りない経験を持つ身から言わしてもらえば、地下牢なんてのは常に手入れしてなんぼである。牢屋特有の備え付け簡易トイレから臭う糞尿臭の代わりに鼻を突くのは埃とカビの粉臭い匂い、鉄格子も錆が目立つし煉瓦も所々崩れている。あまり使っていないのが良く分かる。
そりゃまぁ、領主というのは統治者ではあるが警察機構や自警団ではないのだから、前線付近でもない限り人を捕らえておくなんていう経験は本来少ないだろう。その点ではあの領主は常識的と言える。ただ思い込みと早とちりが過ぎるわけだけど…。
「ああ、神よ…。どうか私の罪を贖いたまえ。…そして私に試練を乗り越える強さをお授け下さい」
自分の家のように――そんなもの未だに無縁の人生だけど――胡坐をかいてくつろぐ俺とは正反対に、がちがちに緊張しテンパってるのが投獄初心者のマライアだ。
牢屋に入れられたという事実だけで自分に罪があったと勘違いして、ああして神に赦しをこい祈りをささげている。宗教家というのは難儀な生物だなぁ、とか思うわけだ。あくまでも俺たちは誤認逮捕で、罪はないのだけど、マライアはそんなこと忘れて初めての投獄に絶望し後悔している様子。
先からずっとこんな調子で気が滅入るというか、面倒くさいというか…。
「馬鹿野郎め、いくら神に祈ったって無駄だっての。それで牢屋から出られるなら、今頃盗人も殺し屋も敬虔な十字教信者で首から鎖の代わりに十字かぶら下げて表を歩いてら」
「そういう貴方こそどうしてそんなに余裕なんですか!?」
「あのなぁ、投獄童貞と一緒にすんじゃねぇよ。こちとらこんなの慣れっこだっての。豚箱の壁のシミを眺めるのなんて二度や三度じゃねぇぞ」
そういう俺に、マライアは顔を青ざめさせる。
「な!今までどんな罪を犯してきたのですか!盗み?詐欺?まさかまさか殺しですか?恐ろしい!」
「何が恐ろしいだ。んなもん全部だ、全部!お前、俺の仕事が何か忘れてねぇか?」
自分で俺を傭兵として雇っておきながら、何だと思ってんだか。傭兵なんてのは金さえもらえりゃ、盗みも詐欺も殺しだってする底辺のクズだ。特に殺しなんて、戦があれば一番の商売だっての。
マライアは牢屋の一角に向け祈り始めた。今度は俺の罪を償うための祈りらしいけど、大きなお世話だ。
ともかく、慌てたり焦ったりしても意味が無いのでしないけど、この後どうすべきかは考えておく事にする。妥当なのが、あの領主が早々に俺たちを町の警邏へ引き渡そうと考えているだろうという点。そうなればなったでむしろ俺たちの身の潔白を示すチャンスだ。もう一つ気になるのは、見当違いな俺たちを投獄しても本物の怪盗は捕まえられていないため、予告通りの夜には件のスー・マフォが盗まれるという点だ。
気になるのは前者より後者。これは図らずも俺たちの無実を証明してはくれるけど、マライアの目的を妨害する事にもなる。そして、盗みが成功し俺たちの無実が証明された時、釈放されたマライアが考えるのはスー・マフォの奪還だろうし、俺はどこに隠れたかもわからない逃走慣れしている怪盗一味を探さなければならなくなるだろう。これは勘弁してほしい。
ならどうすればいいのか?答えは簡単だ。
俺は渋々立ち上がる。
「ま、そうだな、悪い事は止めねぇとな。怪盗の正体にも見当はついているし」
女三人組の怪盗、俺らよりよっぽどその条件に合致している奴らの顔が俺の脳裏によぎる。外れの可能性もあるので外れた時恥をかかないように口には出さないけど。
「ではさっそく領主様にお話ししなければ!」
「馬鹿野郎、ただでさえ怪しまれてる俺らの話なんて素直に聞くかっての。思い込みで突っ走るタイプの人間ってのは神様より質が悪いんだ。うまくやるにはそれなりの方法ってのがあんだよ」
言って俺は鉄格子を思いっきりブーツの底で蹴りつける。大きく揺れ細かな塵を落とす。唐突な行動にびっくりしているマライアだけど、驚いてるのは彼女一人でこれだけやっても階段下の詰所から看守が出てくる様子はない。いや、そもそも数年ぶりレベルで使われていない牢屋に看守なんていやしないのかもしれないけどそれならそれで好都合だ。
「言っただろ、牢屋に入れられるのは慣れてんだ。こういうのはな煉瓦と鉄格子、素材の違うものを繋げてる場所が脆いんだ。ほら、見て見ろよ、ここなんて煉瓦の隙間にたまった湿気で鉄格子が錆びてら」
これにはマライアも納得の表情を見せる。伊達に牢屋慣れしてるわけじゃないし、牢屋に入れられてもこうして生きて外を歩いてるって事はつまりそういう事だ。手入れもしていない放置気味の牢屋ってのはこれだから駄目だ。牢屋ってのは汚くて暗いイメージがあるけど、その用途を考えると最もメンテナンスを欠いちゃいけない場所ってのは常識だ。
ま、牢屋を破るのも時間の問題だ。俺は次に何をすべきか考えながら、今度は先の蹴りで脆弱性が分かった個所を更に蹴りつけた。
昼下がりの陽光は優しくのどかに町を照らすが、ここ領主の館の応接間はそれに反してピリピリした緊張が走っていた。部屋の中の各所に難しい顔した守衛の私兵が立ち、その中を領主が落ち着きなく行ったり来たりしている風景は穏やかな午後の風景ではない。
「むむむ…、怪盗め…」
関心ごとは言わずもがな、予告状を送りつけてきた怪盗だ。
つい先ほどそれらしい見るからに怪しい二人組を牢屋にぶち込んだのは良いが、よくよく考えてみれば件の猫の瞳は三人組、後一人足りないのを見逃す領主ではない。つまりまだ怪盗の脅威は拭いされていないのである。
それが気になって未だに安心できないのである。
「領主様よろしいでしょうか?」
歳で歯の数が不安な執事長がそんな領主を見かね声をかけた。
「何だ、爺?」
高齢な執事長は領主がまだ先代の、つまり父親の代からこの家に執事として仕える最も信頼できる人間である。だからこそ領主もそんな執事長の言葉に耳を傾ける気になった。
「その様に気になるのであれば、私兵に怪盗の残党を探しに行かせてはいかがか?ここに来なかったという事は残る一人は今頃逃走の準備をしているはずですじゃ」
「むむ、確かに。それはそうかもしれぬな。しかしどのようにして探すのだ?」
生憎件の怪盗の噂は耳にしていてもその顔までは知らない。
流石に領主もこの町で何の当てもなく人探しをするのが一日でできるとは思っていない。
「怪盗は旅の者、つまり最近町に入った女を調べれば自ずと答えに近づくやもしれませぬ」
「なるほどのう。それはいい考えだ。最近ボケてきたなコイツとか思っておったが、中々良い考えじゃ爺」
サラッと本音が漏れたが、執事長は無視を決めた。
「そうと決まれば、館の私兵に町の警邏も動員し急ぎ調べさせましょう。人が多い方が効率がいいはずですじゃ」
「うむ、それだけいれば十分な人数だな。よし、急ぎ向かわせるか。貴様らも捜査に向かうのだ」
部屋の警護を任せていた私兵たちにも声をかける。
人や物の出入りはあるもののあまり人口変動が激しい町ではない、それだけの人数がいれば人一人の捜索も無理ではないと領主は考えた。
今まで不安で曇っていた表情を明るくさせる領主と、その横で領主の気苦労が晴れたのを喜ぶかのように執事が目を細めた、まさにその時だった。
「ちょっと待った―――!」
応接間の扉を押し開き飛び込んできたのは、牢屋に入れたはずのポニーテール姿。
自称神官の女にくっついていた女傭兵。部屋にいた全員の視線がその少女に注がれた。
「な!貴様何故ここに!?牢屋に入れたはずでは!」
目を丸くし狼狽する領主の姿は俺の予想通りだった。
部屋にいた私兵たちが槍を俺に向け構えるのも同じく予想通り。部屋の中の全員が全員俺の登場がよっぽど予想外だと言いたげな間抜け面をしているが、当の俺にとっては何にも驚くことはない。
「あんなのが牢屋かよ。親切で言ってやるからよく聞け。今度からは使わなくてもちゃんと手入れはちゃんとするんだな」
腐食の部分から折り曲げられた錆びの目立つ鉄格子を思い出し俺は言い返す。
マジで看守すらつけていなかったのはラッキーだとかいう以前にこっちが心配になる警備レベルだ。
「ついでの親切でもう一つだ。領主さん、執事長の話に乗っちゃいけねぇぜ。そいつこそ本物の怪盗猫の瞳さ!」
俺は言って抜き放った刀の切っ先を執事長の鼻先へ向けた。
「な、何を言っている?爺が怪盗?貴様自分の嫌疑を晴らすために出鱈目を言っているな!かまわん即刻捉えよ!」
そいつも俺の予定通りのご質問だ。
「待ちなって言ってんのが聞こえねぇなら、その無駄な耳削ぎ落して豚の餌にしてやろうか!おかしいと思わねぇのか?何で館の警護を減らそうとしてるって、そりゃ自分たちの盗みをしやすくするためだっての。なぁ、そうだろ執事長、いや、怪盗さんよぉ?」
一見執事長の提案は筋が通っているように聞こえるが、それはあくまで怪盗が町にいればの話だ。もし既に館の中に潜んで、しかも目当てのお宝の近くにいたとすればどうだろう、見当違いな捜索に私兵まで向かわせるってのが誰にとって得なのか言うまでもない。
「な、何をおっしゃいます?ワシが怪盗ですと?何の証拠があるのですか?」
迫真の演技で怯えた表情を作る偽執事長に、俺は鼻で笑ってやる。
「残念だったな。執事長の奥歯は今朝抜けたばっかりだぜ、間抜け」
ハッとした顔で執事長は自分の口に手を伸ばし、そしてさらに息をのんだ。
馬鹿野郎め、まだ本物の執事長に会ってすらいない俺が執事長の歯並びなんて知るかよ。怪盗のくせにはったりにまんまとかかってんじゃねぇっての。
「爺…」
分からず屋の領主もこれで納得したようで、執事長から一歩距離を取る。そんな雇い主の動揺を察し、守衛の包囲の槍は俺ではなく偽執事長へ向けられた。
「お待たせしました!」
さらに、空いたままの扉を潜って現れたのはマライアと、女神官に引きずられてきましたという風のへとへとの老執事長。
「ウーユンさんの推理通り、庭の納屋におられました!」
もはや説明は不必要だ。完全に追い詰められて臍を噛む偽執事に向けられる視線は疑いの視線から最早確信のそれだ。
「観念してもらおうじゃねぇか。代わりに牢屋にぶち込まれた借りは安くねぇぞ」
「中々やるじゃないの、女傭兵ちゃん。甘く見てたのは謝るわ」
ガラリと声と表情を変え執事長は若々しく背筋を伸ばす。そこに老執事長の雰囲気はすでにない。あるのは得体の知れない不気味さだ。
ただ、俺にはその声に聞き覚えがあった。いや、俺だけじゃなくマライアもそうだろうが、そっちはまだ正体までは気付いていないようだ。怪しいと思ったのだ。女三人の楽団で旅をしているなんて。
「叩き切られたくなきゃ大人しく縄にかかるんだな、ルー・カマンセダー」
「あらあら、選ばせてくれるなんてやっぱり優しいのね」
その言葉が終わるのを待たず、俺は袈裟切りに刀を振るったが、切ったのは黒と白の執事服だけ。
「まさか貴女たちまでここに用があるなんて思わなかったわ」
応接間の真ん中に立つのは何故か肢体にぴったりフィットしたいわゆるレオタード姿のルー。顔は半分覆面で隠しているけど、女性的な凹凸に富んだ体と豊かな金髪は間違いない。
俺は油断無くルーの動きに注視する。先の一刀は何も牽制のつもりで振ったわけじゃない。にもかかわらずルーは見事にかわして見せた。俺に見破られてるんじゃ怪盗としては三流だけど、その身のこなしは間違いなく本物だ。
「どう?数日とはいえ一緒に過ごした中じゃない。ここは見逃してくれないかしら?」
「抜かせよ」
俺の返答に肩を竦めたルーがどこからか両手に取り出したのは手のひらサイズの球体。見れば球から伸びる糸には真っ赤な炎が灯っている。既に糸の殆どを燃やし終えた二球をルーは床の上に投げつけた。
「爆弾!」
顔を青くした領主の叫びに、全員が身を竦めた直後、それは爆発ではなく真っ白な煙を吐き出した。それも纏わりつくような濃厚な白煙。
一瞬で視界は白一色に覆われた。
「チッ!」
狙いは一か所だけ。俺は煙幕の中にガラスの割れる音を聞き舌打ちした。
視界を奪われワ―キャー悲鳴の響く白煙の中、ルーは自分の背後にあったガラスケースを近くにあった花瓶で叩き割る。
予告にはまだ随分早いが、予定は大幅変更。まさか先日同行していた二人が自分たちの邪魔になるなんて予想できただろうか?いや、不可能だ。
しかし、後一歩の所で出し抜いたのは自分だ。件のスー・マフォに手を伸ばしルーはほくそ笑む。
鉄とも木ともつかない滑らかに光る黒色のボディ。ルーもこれがはるか昔この大陸に訪れた異世界勇者の遺物だと聞くが、その用途や目的は知らない。知っているのは、こういった遺物は好事家たちの間で高く売り買いされているという事。こんな所で飾ったままでいるのはもったいない。
「させねぇぜ!」
後少しの所で、ルーの腕を掴んだのは白煙の中から飛び出してきたあの若い女傭兵。
力強く腕を握り締め、振りほどこうとしてもピクリともしない。伊達に荒事慣れの傭兵を名乗っていたわけではないようだ。
「あら、捕まっちゃったのかしら?」
しかし、こんな状況になってもルーは余裕を滲ませた微笑でウーユンを見つめ返した。
危なかった。後少しでまんまと逃がすところだった。
でも、当のルーは俺の前で余裕の笑みを浮かべている。その不穏な余裕を一秒でも早く消し去ろうと、刀の切っ先をその喉元に向けた。
が、その切っ先の先に割って入ったのはルーがもう片手で持ち上げたスー・マフォ。
「テメェ!」
俺は慌てて刀を止める。
そりゃ、ま、片手を掴んでももう片手は自由だ。
「何のつもりだ。逃げられると思ってんのか?」
「あら怖い。でも、何か忘れていないかしら。猫の瞳は、私だけじゃないってこと」
ルーはニコリとほほ笑むと、殆ど予備動作なくスー・マフォを俺の背後に向け投げた。俺の背後、つまり開いたままの扉だ。
飛んでいくそれを追って振り返った俺が見たのは、スー・マフォをキャッチするメイドの姿。いや、その幼さの残る顔には見覚えがあった。
「ミー、任せたわよ!」
姉の声にミーは即座に踵を返し走り出す。思いの外その足は早い。
「逃がすか!」
叫んで俺は刀を振るう。握っていた細い腕から力が抜けた。
動きを封じたルーに人質の意味があるかと思ったけど。あんなに躊躇いなく身内を見捨てられる相手には期待できない。なら後は邪魔にならないようにするだけ。俺の刃はルーの胸肩腰を走り、薄いレオタードだけを切り裂いた。
「キャッ!」
片手で豊満な胸を隠すルー。
流石にお互い顔も知ってる間で、やりづらさもあるし、何よりたかだか盗み程度で殺しまでするのは寝覚めが悪い。素っ裸にひん剥けば、たいていの女は胸と股をおさえて動けなくなる。これでルーはこれ以上邪魔にはならないはずだ。
これもこれで卑怯かもしれないけど、盗みの代償にしち安いはずだ。
「マライア、追うぞ!それから領主、警邏や私兵にあいつ追わせろ!」
マライアがついて来るのも待たず俺は部屋を飛び出す。背後で領主が何か叫んでいるのが聞こえたが、無事なら俺が言った通りにするのは間違いないだろう。あれだけ大切なコレクションだと言ってたのだから座して見ているわけがない。
そして俺もアレを逃がす気はさらさらない。マライアが煩いのもあるし、こけにされたまま終わるなんてのはもっとごめんだ。
館を飛び出したミーはそのまま北へ向かったと守衛たちが教えてくれた。町を抜けそのまま北の山麓にある森に逃げ込めば追うのは難しくなる。良い判断だ。
俺は即座に館の門番詰所横の馬に飛び乗った。
「おい!お前馬を!」
「緊急事態だ!領主には了承を得ている!」
門番が目を白黒させる間に、俺は追いついたマライアも馬上に引きずり上げ馬の横っ腹を蹴った。乗馬の経験はあるが豊富とまでは言えない。けど、走ってたんじゃ追いつけないと俺は判断し少ない経験で手綱を取った。
「追うぞ!しっかり掴まっとけよ!」
町の中だってのもかまわず馬を駆ること数秒。
俺はその背中を見つけた。
「見つけたぜ!」
馬のいななきと逃げ惑う人々、そして俺の怒声に振り返った顔は間違いなくあの夜俺にコップを渡した女の顔。
ルーは見事に変装していたけど、ミーの方は変装は得意ではないのかそれともそんな余裕もないのか。とにかく、メイド姿で走ってちゃ目立ってしかたがない。
俺は露店の杖かつっかえ棒かよく分からないぼうっきれを馬上から拾い上げると、それをミーの背中めがけ投げつける。
だけど、それが偽メイドの後頭部に当たることは無く、振り返ったミーの持つ短剣二本が即座に切り砕いた。
――やるじゃねぇか。変装より武器の扱いが得意って所か。
「まかせた!」
馬を手綱ごとマライアに押し付け、俺は鞍を蹴って飛び降りる。明後日の方向へ馬を暴走させるマライアを無視し、それよりも面白い相手に俺の興味と抜いた刃を向けた。
ミーも短剣を構えて俺に睨み返す。
「大人しく返す気はねぇって目だな」
「…渡さない…」
「なら奪ってやらぁ!」
こちとら素直じゃねぇ奴に容赦する気はねぇ。
殆ど奇襲同然の一刀。半身に隠していた刀を、俺はミーへ向け砂埃と共に振り上げた。
けど、ミーはそれを呼気一つ、両手の短剣を×印にして受け流す。
二人の間で火花が散った。
「やるじゃねぇか!ただの根暗じゃねぇな!」
返す袈裟切りはメイド服の胸は割いたが、肉には届かなかった。隙間から肌色が見えても、ミーに怯む気配は無い。
むしろ歯を食いしばって俺の懐へ飛び込んでくる。がら空きになった俺の肩口が狙いだ。
けど、俺だってそう簡単に革ジャンを裂かれてたまるものか。
さらに踏み込み、ミーの可愛い顔面に向けタックル。
ドスンとお互い肩でぶつかり、俺は素早くミーの背後に身を回す。背中と背中がぶつかり、次いで逆手に持ったミーの双剣が俺の腹を狙うのを、一寸先に俺は地面を転がりそいつをかわす。
「シャッ!」
石畳を擦るような俺の足払いはミーに軽くいなされたけど、その勢いで俺は立ち上がる。もちろんぬかりなく刀の切っ先はミーへ向けたまま。
短剣が交互に襲い掛かり、その度に通りに刀は火花を散らす。
反撃はメイド服の裾や袖を切り裂き、ミーの柔肌を晒す。
攻めれば守りそこに反撃の隙を見て攻勢に転じる、お互いがその繰り返し。いつしか俺たち二人を遠巻きに見物する間抜け共まで集まってくる始末。
一際大きな快音を響かせ、俺たちは弾け飛び距離を取る。
「そろそろ警邏隊も到着する。どうだ?ここらでギブアップしようって気にならねぇか?」
「……」
当然返事は無くてだんまりのまま。面白くない奴だ。
「ま、いいけどよ。俺も一仕事終えたみたいなもんだしな」
「?」
首を傾げるミーを花で笑って俺はそいつを手に掲げて見せた。
俺の左手の上にあるのは手のひらサイズの四角形。そう、噂のスー・マフォだ。
ミーの眠たそうな目が大きく見開かれる。
「生憎俺も悪ガキな育ちでね」
スラムで育って何とかこの年まで生きてきた奴にとっちゃ、スリや盗みなんて息を吐くのと同じレベル。言葉を覚える前に身に着けてなきゃスラムじゃ生きていけない。
一瞬でも相手と触れ合う隙があればそれだけで十分。背中がぶつかったあの瞬間、俺の目的は完遂し終わっていたわけだ。
「返せー!」
聞いたことの無い大声で食って掛かるミーをかわして、俺は舌を出す。
「やなこった!」
言うと俺は背にしていた露店から人の頭ほどのある瓜をミーへ投げ捨てた。
斬った拍子に大量の果汁をミーが被るその隙に俺は走り出す。今度は俺が逃げる番だ。間抜けな見物人の円陣の中へ飛び込み押し分け俺は走る。
当然、ミーも遅れて追ってきた。
俺が来た道、つまり領主の館の方向へ向け走り出したのだから、ミーだって間抜けじゃなけりゃ俺の狙いはわかるはずだ。そして彼女はそれを必死に阻止しようと思っている。
警邏隊か領主の私兵と合流してしまえば、ミーも迂闊に手を出せない。なんせ相手が倍以上に増えるのだから。言いかえるなら、俺がそこまで逃げ切れればこの怪盗ごっこも終了だ。
肩越しに振り向いた瞬間、野次馬の存在も無視して、ミーが短剣を振り投げた姿が見えた。
「馬鹿野郎!そう何度も同じ手を食らうかよ!」
数日前の嫌な記憶を胸に、俺は投擲された短剣を明後日の方向へ弾き飛ばす。
もう一本も投げようと考えていたらしきその表情も、俺の反応に意味の無い事を悟って舌打ちする。
視線の端に見えてきたのは、この騒動に気づいてこちらへ向かってくる鎧姿の数名。一人二人、顔に見覚えがある。間違いない、領主の私兵だ。
その姿を見て勝負あったと俺が確信した、その時だった。
「キャ――――――――――――――――――!」
絹を割くなんて可愛い物じゃなく、大皿を叩き割るような悲鳴を響かせ、修道服姿を乗せた暴れ馬が目の前に飛び出してきた。
今の今まで忘れていたし、ついでなら全てが終わるまで忘れていたかった。
馬上のマライアは未だに馬を御すこともできず、振り下ろされまいとその太い首に捕まり泣き叫ぶばかり。背中の馬鹿の金切り声で興奮状態になった暴れ馬は、あろうことか俺めがけて前足を大きく振り上げる。
舌打ちを溢し、風を切って振り下ろされる二つの蹄から俺は横へ跳び退る。
「ふわぁぁ――!」
だけど、逃げたはずの俺にむけ覆い被るような黒い影。見上げた先にあったのは、とうとう暴れ馬の上から放り出されたマライアのデカい尻。
ズドンという衝撃で、俺はマライアと地面に潰された。
「どけ!どかんか!このデカ尻神官!」
伸びたマライアを押しのけ俺は立ち上がる。その間にも暴れ馬は恐怖に駆られた野次馬を割いて領主私兵集団に突貫する始末。俺たちの方へ向かっていた一団は突然の暴れ馬に大混乱の様相といった具合だ。
もちろん、俺の勝利への予定が全てパーで、その上目の前に突き付けられた鋭い短剣とミーの殺意のこもった瞳。どこをどう切り取っても絶体絶命以外何物でもない。
「さぁ、…返して…」
口調は聞き慣れたぼそぼそ喋りに戻ってはいるものの、その目には間違いなく殺気と怒りがあるし、二度三度茶化した俺に対してもう手段は選ばないと書いてある。
その上、刀は…俺の手に無く石畳の上にあってミーのブーツの下で踏みつけられている。
「そう怒るなよ。ちょっとしたお茶目だよ」
「…」
「洒落が通じねぇな」
ミーの短剣が俺の首の薄皮を割く。
「わかった!わかったよ!でも、渡すも何も無理だっての!」
「…」
無言で短剣の刃を傾けるミーに、俺は慌てて路上を指して叫んだ。
「あれ!ほらあそこに転がってんの見ろって!」
「!」
「俺のせいじゃねぇからな!馬が踏みつぶしたんだっての!」
そこにあったのは粉々かつぺしゃんこになった件のスー・マフォ。
全てはこのタイミングで戻ってきた馬と、ついでにまだ伸びているダメ神官が悪い。俺は悪くない。
ミーの短剣から力が抜け、両肩からも緊張が抜け落ちたのが見て分かった。
「…そんな…」
愕然という風にミーは呟く。
その横顔にはご愁傷さま以外の言葉が見当たらない。
俺は茫然自失で戦意を失ったミーの短剣から逃げ出すと、手近に転がっていた角材を刀代わりに構える。
「ショックなとこ悪いけど、まだやり合うか?もう意味はねぇはずだよな」
俺の言葉に帰ってきたのは言葉ではなく殺気立った眼光。でも、態度こそ刺々しいがミーもこれ以上やり合う意味が無いこと、私兵や警邏隊が集まるまでもう時間の無い事は理解している。
だから、身を翻すと俺に背中を向けミーは走り出す。瞬きの内にその姿は雑踏にまぎれて消えた。
もう追う理由の無くなった俺と違って、雇用主への面目がある私兵達が少女を追いかけ俺の横を通りこしていったけど、多分奴らに捕まえるのは無理だろう。チャンバラをやり合った相手だから確信できる、アイツはそんな簡単な相手じゃない。
ともあれ、騒動はこれにておしまい。
「ふう、やれやれだ」
とんだ追走劇だった。怪盗の企てを暴いて追いかけて、最後の最後は暴れ馬に潰されお終いだなんてまるで笑い話だ。
まだ路上で目を回しているマライアを見下ろし、俺は肩を竦めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最悪な事に二人だけ、貸し切でも嬉しくない狭い乗合馬車の荷台。
対面に座ったマライアはまだ項垂れていた。
そりゃまぁ、件の転生勇者の関する重要なアイテムらしいそれが、こともあろうに盗まれそうになり阻止したらそれで馬に踏まれてぺちゃんこなんて楽しくなれるはずもない。領主に怪盗の代わりに責められるのも面倒だったので、俺はあの後すぐにマライアを馬車に詰め込み、こうして町を出たのだ。
そして目を覚ましてからずっとこんな調子で気が滅入る。
「馬鹿野郎、いつまでメソメソしてんだよ」
「でもでもウーユンさん、奪い返すどころか潰してしまってそのまま逃げ出すように町を飛び出し、領主さんにごめんなさいも言えないというのは聖職者として忍びなく。またやはり、一研究者としても心残りなのです」
そんだけ喋れてるんなら問題無い気がする。
「ったく、こんなのにどんな価値があるってんだか」
金や銀でできているわけでも宝石の類でもないってのにどいつもこいつも必死になって、俺にはさっぱりこいつの価値はよくわからねぇまんまだってのに。
件のスー・マフォを手に俺は肩を竦める。
と、俺の視界の端っこでマライアが目を丸くしているのが見えた。
「えっ!」
白くて細い指は俺の手の中にある例の物に向け、口をパクパク金魚みたいに開いている姿は間抜け以外の何物でもない。
「そ、それ!え!なんで?壊れたはずじゃ」
「ま、そう思うだろうな」
というか、そう思ってもらわなきゃならんかったわけだけど。
たしかに馬に踏まれて潰れたのは間違いないけど、それは俺が用意した偽物だ。牢屋から出た後領主の館にあるであろう庭師の物置に押し入って、そこにあった修繕道具やら資材を勝手に使って作ったのが即席のスー・マフォ(偽)。本当は怪盗が盗みにきたどさくさですり替えようと思っていたけど、ルーやミーに先を越されたのは予定違い。ただし、その後暴れ馬のどさくさで踏み砕かせて本物とすり替えたのは結果オーライだ。
マライアだけじゃなく、領主も怪盗たちもスー・マフォは粉々になったと思って疑っていない。そりゃそうだ、領主が言っていた通り誰もこれが何なのか分かっていないのだから、それが粉々に砕かれた姿を誰が本物か偽物か判断できるだろう。
おかげでこうしてまんまと持ち出せたというわけだ。
そんな事の経緯を俺から聞いたマライアは、それはそれは複雑な表情を浮かべた。こんな間抜けでも一応聖職者なんだからそんな顔もするだろう。
「ウーユンさん、怪盗よりも悪質ですね。しかし、それなら領主さんにお返ししないと…」
「いいじゃねぇか。あの調子じゃ領主は死んでも貸してくれなかったぜ?俺たちは怪盗の魔の手からこれを守ってそのお礼に少~しだけ、そうさ、調査がすむまでの間だけ貸してもらおうってだけじゃねぇか。後で誠意を込めて返せばいいだろ?なぁ?」
グッと言い返す言葉を飲み込むマライア。彼女だってあれだけ拒否した挙句牢屋にぶち込むような領主がそう素直に貸してくれるなんて思ってないし、これがチャンスだってのは分かっている。
「分かりました。ですが、後で必ず返しに行きましょうね。良いですね?」
「はいはい、借りてるだけだから、最後は返さねぇとだもんな」
ま、ここは合わせておいてやるさ。怪盗が狙って領主が渇望するこれの正体は分からないけど、金銀財宝以上に金になるのは分かったんだ。今はマライアに渡しておくけど、必用になれば金にしてしまうっていう算段だ。勿論世間知らずで騙しやすい神官殿に気づかれないようにはしておくけど。
マライアは受け取ったそれを眺めると、ローブの懐から取り出した書物で何やら調べ始め、先ほどとは別の意味で黙り込根でしまった。文字が得意じゃない俺には分からないけど、多分何かの学術書なんだろう。
馬車は揺れ、俺は手持無沙汰に外の景色を眺めるのだった。
5月12日、曇り。
独立記念日が近いってのに、北の野蛮人共は徒党を組んで荒野を走り、今日も空を爆撃機で埋め尽くしやがる。
クソマズいレーションもとうに底をついて、とうとう曹長殿は野鼠を追って地雷原に走って行ったきり帰って来なくなった。
ああ、おふくろの作ってくれる茄子のファラフェルが食いてぇな…。
おっとそろそろ見張りの時間だ。タバコ一本のためにいつもより十分も早く交代しねぇといけねぇ。
神様の御機嫌が今日も麗しくありますように。明日もこうして日記を続けられるよう祈ってる。
次回 《ハード・ホリデー・ハード・バップ》