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4《アンツ、アンツ&ドラゴン》

 教会に身を隠した3日目の朝、俺たちは朝霞に紛れソーダリーの街を出た。

 2日間は傷が完全に感知するのと、俺の革ジャンと刀をマライアが回収してくれるのに費やした。おかげで体調はだいぶ回復してもう腹の痒さも無い。あの痒みは魔術で傷を癒した時の後遺症らしい。確かに傷がカサブタになった時というのは痒いのが定番で、魔術での回復は強引に人の持つ回復力や再生力を増加させるため、回復させているのに痛みやかゆみを伴うのだとか。

 それから、街の間所を超える時は中々肝が冷えた。マライアが俺を修道女見習いに変装させたからよかったが、慣れないスカートは歩きにくいったらない。

 そんなこんなあって、昼頃に俺たちは街道を北に歩いていた。

「本当こっちで合ってんだろうな、その遺跡ってのは?」

「ええ、この地図にあるバツ印こそ転生勇者召喚の遺跡で間違いありません」

 自信満々に胸を張るマライアに、それでも俺の不信はぬぐえない。

 そりゃそうだろう、そのバツ印が書かれた場所というのが問題なのだから。

「この印の山だけど、ここ確か鎧蟻の巣だぞ」

 それは先日街に入る前にひと悶着あった鎧蟻たちの巣だ。こともあろうにマライアはそここそ探索目標だと言い出したのだ。今の所蟻には遭遇していないが、いつ俺たちに気づいて襲ってくるかわかったもんじゃない。

「言い伝えによればその蟻の巣の深部に遺跡が眠っているという話です」

「マジかよ。つまりアリの巣に潜るって事か?自殺願望でもあんの?俺帰るわ」

「今さらどこにですか?頑張って任務完遂させましょう!」

 回れ右をしたら、襟首をがっちり引っ張られた俺は諦めてため息をつく。

「こんなバカな任務押し付けられるってお前いじめられっ子か?」

「そうかもしれません」

 皮肉のつもりで言った言葉に、答は瞬時に返ってきた。

 その顔を覗くが俺の言葉に狼狽えた余数は無い。これが大人の対応という奴なのか?

 今後この弄りは効果無し。俺はそう覚えておくことにした。

「まぁ、手が無いわけじゃねぇけど…。こういうことやる以上はアンタにも色々我慢してもらうからな?」

 首を傾げる世間知らずにそう俺は釘を刺した。


 釘を刺したのだけど…。

「いやいやいやいやいや!ダメです!そんなの!私汚されてしまいます!」

「ウルセェ!これが嫌なら蟻の餌になるんだな!それなら蟻の腹に入って巣に潜入きるってもんだ!」

 上手く巣の近くまで近づけた俺たちは、まず巣の見張り番の蟻を一匹誘き出し風の吹き溜まりになった窪地でそいつを屠った。

 そして今まさに、そいつを解体し、体液に濡れたとある部位をひねり出した所だ。それこそ臭い袋。鎧蟻だけではなく蟻が仲間と敵の判断や、仲間の通った道を間違えず進めるのはこの臭い袋で作られる体液のおかげだと言われている。風の流れない窪地で鎧蟻を仕留めたのもそれが理由だ。つまり家畜の胃ぐらいあるこの臭い袋の液体をかぶれば、仲間と勘違いして巣の中へ侵入できるというわけ。まぁ、そこまで簡単な話ではないが鎧蟻対策の基本の“き”でもある。

 ちなみにこの体液とても臭い上に粘々して汚いことこの上ない。

「我慢しろって言ったろ!ほらいい加減観念してその綺麗な修道服を汚すんだな!」

「主よ!主よ!お助けよ!」

「主も鎧蟻の体液被るって災難まではカバーしてねぇよ!」

 羽交い絞めにして、俺はマライアに頭から体液をぶっかけた。

「うう、汚されました。もうお嫁にいけません」

「バカ言ってねぇで行くぞ。体液もずっと効果があるわけじゃねぇんだ」

 デカいケツを蹴って俺は幾つかある巣穴への入り口のうち、出入りの少ない巣穴へ潜る。入り口はしゃがんではいる広さだが、いくらか歩くと人間の体格でも無理の無い広さになるのは、巣の中で蟻たちが行きかうためだ。当然時々蟻たちと遭遇するわけだが、いつもと違う仲間に警戒心を示すものの、息を押し殺し数秒耐えると俺たちの臭いを仲間と判断し通り過ぎていく。最初は悲鳴を上げそうになるマライアの口を抑えるのが大変だったが、五匹目をすぎたあたりから観念したようで、そういうケースの時は静かに教典を暗唱し気を落ち着かせるようになった。

 どういう内容の教えなのか聞くと、天国への道を指し示す物らしく、俺は即刻やめるように言った。縁起でもない。

「だいぶ奥まで来たかな」

 いくらか歩いてきて俺はそう呟いた。

「そうなんですか?」

「薄ぼんやりと周りが見えるだろ?目が慣れてきたんじゃないぜ。この壁に生えてるキノコが光ってんだ」

「確かに光っていますね。不思議な光景ですわ」

 青とも白ともとれる淡い光を称えたキノコが、進むにつれ壁のそこかしこに見え始めた。さらに空間自体も広がり、今までの倍は道幅も天井も広くなった。

 そうここら辺は今までの暗く狭い通路とはちょっと事情が違ってくる。

「なんでこんなに光るキノコがありますの?蟻さんたちは臭いで判断するなら、光があったところであまり意味はないんでしょ?」

「明かりで照らすのが目的じゃねぇよ。ここのキノコは蟻たちにとって光ることより、キノコから垂れるエキスが重要なんだよ。幼虫は成虫のような発達した顎が無いからな、キノコやそのエキスが栄養になるってわけだ」

 そう無知な雇用主に俺は優しく教えてやる。巣への入り方や巣の構造に詳しいのは、傭兵仕事で時々この幼虫を狙って巣へ潜ることがあるかだ。成虫は面倒な害虫だけど、幼虫たちは薬や珍味として高値で取引されそこそこ良い金になる。

 ――生憎、今回は幼虫に用はねぇから素通りだけどな。

「へぇ、つまり離乳食ですのね、幼虫にとっての」

 そんな風に納得したとマライアが頷いたのと同時、まるで話が終わるのを待っていたかのように黒い影がボトリと狙いすましたかのようにマライアの頭の上に降ってきた。

 何が起きたのか分からず真っ青になって硬直するマライア。

「……ウーユンさん…た…た、助けてください…」

 青を真っ青にしてマライアはそう懇願する。

 だけど、俺がそれに応えて手を伸ばすよりも早く、そいつはあろうことかズルっと頭の上からバランスを崩し、マライアの大きな胸の上に落ちた。

 鎧蟻の幼虫、猫ほどもある芋虫を目の前にするのは、先ほどようやく成虫に慣れてきたばかりの温室育ちにはなかなか酷だったようだ。

「キャアァァァァァァァァァァ――――!」

 俺が口をふさぐよりも早く、甲高い悲鳴が周囲に響き渡った。

「バカ!そんぐらい我慢しろっての!」

「でもでも!こんなの無理です!」

 幼虫を放り出し半泣きになったマライアをいつまでも責めてはいられない。幼虫たちの部屋で異変が起きたと感知した蟻たちはすぐにやってくるだろう。

 案の定すぐにギシギシという独特な足音が、俺たちの来た方から聞こえてきた。

「走るぞ!」

 俺はマライアの手を引くと、一目散に巣穴の奥へ伸びる道へ走り出した。

「痛っ!痛いです!頭!頭ぶつけてますー!」

 振り向くと必死に走るマライアの肩の向こうに、鎧蟻たちの群れが見えた。最悪な事にその数は既に十は超えている。

 なまじ通路が広くなった分蟻が多く集まりやすくなったのかもしれない。

 こうなってはもう臭いの効果も期待できない。せめてどこか隠れられる場所でもあればいいのだけど。

「ウーユンさん、光です!あそこ!光が見えます!」

 確かにマライアの言葉の通り、壁の一角から僅かに白い光が漏れている。キノコの淡い光ではなく、明らかに見知った日の光だ。

 駆け寄ってみれば壁と床の間、足元の高さに人一人が通れる程度の小さな穴が開いていた。そして微かに感じる清涼な風。

「風が…。外に繋がってる?」

 とはいえ巣穴を奥に進んできたので、地上というのは腑に落ちない。それともまた別の出入り口に繋がっているのか?今ここで穴の先を確かめる方法はない。ただ一つある方法は言わずもがな。俺は唾を飲み込んで腹をくくった。

「飛び込むぞ!デカいケツと胸引っ込めてしっかりついて来いよ!」

「は!はい!」

 俺を先頭に、マライアも穴に飛び込んだ。目前まで迫っていた蟻たちには穴は少し狭い、通れたとしても一匹ずつで一斉には無理だろう。

「うわぁぁぁぁぁ―――――――――――――!」

「きゃぁぁぁぁぁ―――――――――――――!」

 悲鳴が二つ分縦穴の中に響いて落ちていく。

 飛び込んだ穴は予想以上に急勾配のスロープ、ほとんど落ちる速度で俺たちは穴の壁をケツでこすって滑り降りていく。摩擦でケツが燃えそうだけど、止めることもできそうにない。

 風を切り滑り落ちる先に見えてきた光は、どんどん強くなる。その明るさに目が慣れず思わず顔を腕で覆った次の瞬間、俺たちはその光の中へ投げ出され、固い地面の上を転がった。

「ここは?どこですか?」

 砂をはらい立ち上がった俺が見たのは蟻の巣の中とは思えない広い空間に高い天井。見上げるだけで目がくらみそうな壁のずっと上、そこはぽっかりと開き青空を見せている。広場とも呼ぶべきこの空間の中心に土や岩が盛り上がっている所からして元々は塞がれていた天井が何かの拍子に崩落したのかもしれない。

 そして壁や床や壁を埋め尽くす見たことも無い幾何学模様。法則性があるようにも見えるが、何がどうなっているのかよく分からない。

「まさか、ここが遺跡ってやつか?」

「そうですこれです!間違いありません!壁や床の模様こそ今は失われた旧文明による転生勇者召喚の儀の証拠に他なりません!すごいです!ワクワクします!」

 ――そいつはよかったなぁ。

 小躍りしてこの儀式の間らしき場所を見渡し駆け回る姿を見るとマライアの方も特に怪我はないようだ。もっとも回復魔法が使えるから多少の怪我はあの耐えがたい痒みを我慢すれば無視できる。

 今転がり出てきた穴を見る限り、狭さのせいかどうも蟻どもはここまで追ってくる気配は無い。そして運よく目的の遺跡も発見できたわけだし、俺の仕事もほとんど解決出来たも同然だ。後は調査とやらをすませてアイツの伝手を頼って背中の刺青を消しさえすれば万事解決、めでたしめでたしってね。

 ――ああ、修道服ボロボロだってのにあんなにはしゃいで屈んで見上げて思わず転んでせわしない奴だ。お!何か驚いてる、周囲をあんなにキョロキョロして、ん?こっちに戻って来たぞ?

「どうした?そんなにはしゃいで。いい歳してみっともないぞ?」

「シーッ!シーッ!」

 まるで悪魔でも見たかのような形相で走り寄り、マライアは俺の口を手でふさぐ。

 その手を払いのけ俺は意味不明なマライアに眉を寄せ睨み返す。しかし、どうにもその青い瞳は、俺を映していない。というか、なんだか俺の頭の上を飛び越え背後にむいているように思うのだが…。

 つられて俺も振り向く。

 まず目に入った俺たちの出てきた穴、は特に何の変化もないし、その上の壁もまぁ見慣れない材質だけどマライアの表情の説明にはならない。

「?」

 そして俺はそのまま首を上にあげて、それからやっとのことで後悔した。何を?今ここに至る全ての事情に対してだ。あの穴を選んだこと、この仕事を受けたこと、ソーダリーの町に来たことからそもそもこの仕事を始めた遠い昔の記憶まで全部ひっくるめて、一瞬で人生振り返って後悔した。

 生暖かく感じる風を吐き出す尖った口元には槍の様な牙、蛇やトカゲに似ているがその数百倍は大きな目玉、そして全身を覆う鈍く光る赤色の鱗。そうそうお目にかかるものじゃないが、出会いたいなんて思いもしない。地上最強にして最悪の化け物、ドラゴンが俺たちを見下ろすように、壁の上の窪みに寝そべっていた。

 それこそ先日の抗争レベルの修羅場をいくつも経験してきた俺ですら、ドラゴンの鼻先に立つなんて経験は無い。人に刃物を向けられるとは全く別種の腹の奥底から震えが込み上げる恐怖が俺の背筋を汗で濡らした。

 ――本当に生死に関わる不幸続きすぎだろ!

 ドラゴン、いわゆる前足を蝙蝠に似た翼に進化させた飛龍と呼ばれるタイプだ。そいつが、ぎょろりとした両目の瞳孔を蠢かせ、寝起きの深呼吸よろしくス~ッと鼻で空気を吸う。

「っ!」

 そんな動作に俺が感じたのは後頭部を突き刺す悪寒。叫ぶより何をするより早く、俺は呆けているマライアの腰にタックルを決め、転がった巨石の陰に飛び込んだ。

 次の瞬間、マライアの非難じみた悲鳴をかき消す大気を焼く劫火の咆哮。隠れた岩の周囲を灼熱の炎が濁流のように吹き抜けた。

 身を隠し炎に震えながら、俺はようやく思い出した。昔片腕の老兵から聞いた話だ。飛龍の最大の武器はその口から吐き出す炎で、その一呼吸は傭兵団一つを灰にするほど、もし龍が息を吸ったらその合図だと。聞いた時は与太話だと聞き流していたけど、どうやら頭の片隅には残っていたらしい。おかげでまだ生きてる!

「何でこんな所にあんなのがいるんだよ!クソ!」

 街ではドラゴンのドの字も聞かなかった。こんなのが住みついているなら噂になってておかしくない。

「天井が崩れた後、住みついたようですね。落ちてきた土や岩の状態からしてごく最近のようですが。ここは儀式の間だったのでしょうからマナも凝りやすいですし、ああいう怪物は好んで住みつきます」

「冷静な解説ありがとよ!ついでに人間松明にならねぇ方法も何かないか?」

「…天の園の門は何人にも開かれています」

「ダメじゃねぇか!」

 最低最悪の外れクジだけど、最近死にかけたばかりで俺だってまだ死にたくない。

 岩陰から覗くと龍は哀れな侵入者を見逃す気はないらしく、首をもたげると翼を大きく羽ばたかせ窪みから広間へ飛び降りた。本気で仕留めに来る気でいる。

 その全長はマスト三本を張る貿易船に匹敵する。あちらからすれば俺たちなんて産まれたての子猫も同然だ。落ちてきた穴から未だに鎧蟻が一匹も追って来ないのは、つまり縄張り意識の強いあの鎧蟻ですら手を出さないぐらいヤバい相手って事で間違いない。

 戦って勝つなんてまず無理だ。

 そうこうしている内にヒュンという嫌な風切り音と共に、俺たちの隠れていた岩が粉々に砕ける。確認するまでもない、飛龍がその尻尾の一振りで叩き砕いたんだ。

 俺とマライアは身を丸め即座に別の岩に身を潜める。が、慌てていたせいもあって運悪く俺たち二人はそれぞれ別の岩の陰に隠れていた。

「一つ方法があります!」

 マライアは早口で俺に叫んだ。

「ここは伝承では異世界勇者の召喚を行っていた場所です!」

「だからお前に付き合ってこんな目にあってんだけどな!」

「ですから!ここで伝説の勇者を召喚し、助けてもらうのはどうでしょうか!」

「クソッタレな名案だ!苔まで生えてる儀式の間が使い物になるんならな!」

 そう都合の良い話が通用するなんて思っちゃいねぇけど、当のマライアは何かあるのか自信満々で頷き返した。

「まだ私も神の御許へ至るには修行不足ですので!」

「そいつは同感だ」

「では、囮になってください!あ、飛龍がそちらに向かってますよ!」

 と、嘘だろと俺が呟くより早く、岩がまたも砕かれる。見えたのはドラゴンの長い鼻、それから大きく開かれた真っ赤な口。

「これでも喰らえ!」

 今まさに噛みつこうとするその口へ目がけ、俺は手にしていた石を投げつけた。

 全身を鎧で覆っているとはいえ、口の中まではそうはいかない。案の定致命傷にはならなかったがくぐもった唸り声を上げ怯ませる程度にはなった。ただし、俺もそうだが食事の最中に邪魔が入ると誰だって機嫌を悪くするわけで、その大きな目ん玉は俺を捕らえ怒りに燃えている。

 大気を振るわせ轟く怒りの絶叫。それを合図に飛龍は俺に向かって突進する。爪や尻尾の攻撃や、吐き出す炎はもちろん、単純な突進でさえ飛龍ほどの体重があれば破壊力は並大抵のものじゃない。直撃を受けて五体満足でいられる自信は、俺には無い。

「っ!」

 寸での所で俺は横に跳んで床を転がり回避。

 急停止した飛龍は俺めがけて棍棒のような尻尾を薙ぐ。風を切って襲い掛かる凶悪な一撃。

 そいつをさらに床を蹴ってギリギリ、コイン一枚分程度の距離でよけきった。何とか生き延びている俺に誰か拍手して欲しいぐらいだ。ただ今は集中して逃げていられるけど、いつまでもというわけにはいかない。体力という点ではどう見てもドラゴンが有利。

「マライア!まだか?早くしやがれ!」

「あ!後少しです!」

 俺のおかげで飛龍の視界の外へ逃げ延びたマライアは、何やら壁や床の紋様を指でなぞり、ぶつぶつ呟いている。多分儀式の準備なのだろう。正直俺だったらこのチャンスに逃げ出している所だけど、そういう事をしないのは責任を感じているということか?

 何にしても猶予はそれほどない。俺がくたばれば、次はあのノロマな聖職者が飛龍の晩飯になるだけだ。

 岩陰にまた潜った俺を目ざとく飛龍は見逃さず、尻尾と爪で即座に俺の隠れ家を暴いてくれる。また例の鼻息の予兆を感じ、俺は折れて倒れていた柱の陰に滑り込んだ。吐きつける炎の息は得物を焼くだけではなく、周囲の大気を焼き酸素を奪い、俺は流石に終わりを考えた。

 だから、そこに聞こえた声を俺は思わず天国の鐘と思ってしまったほどだ。

「できました!」

 マライアはそう宣言すると同時に、虚空に手を伸ばし何かを唱え始めた。同時、床前面が青く輝き出す。俺も飛龍も見慣れない異変に思わず身を竦める。

「我の声を聞きし遠き者よ!深淵に潜む異界の門を開き!今ここに答えて応じよ!」

 詠唱の声を響かせ、一層青い光がその光量を増しその一瞬全てが光に包まれた。

 魔術の事はからっきしの俺にも、これが成功で間違いないと確信する、そんな眩い光だった。

 そして、女二人と飛龍の目の前にそいつは突如現れた。

 煌めく銀のボディー、逞しい横幅、見上げんばかりの巨躯、そして力いっぱい大地を踏みつけるその姿はまさに!……まさに?

「おい、ポンコツ。俺には勇者どころか人にも見えねぇぞ!」

 俺の目に見えるのは六つほどの車輪を持つ、馬のいない馬車に似た何かに見える。どこにも人の姿はない。もっとも馬車にしてはだいぶ大きいし、御者台らしきものはない上に、荷台らしき場所にはドデカい銀色の鉄の箱が乗っていると正体はまるで分らない。ただまず間違いなく勇者ではない事は分かる。

「あれ?」

 と、首を傾げるマライア。って、召喚した張本人のお前が首を傾げちゃダメだろ!

「失敗じゃねぇか!」

 俺の叫びに同意見だったのか、今まだ召喚魔術に面喰っていた飛龍も我を取り戻し絶叫した。空気を振るわせる咆哮を残し、飛龍はマライアと謎の馬車めがけツッコんでいく。

「逃げろ!」

 俺の必死の声にも、あのバカは咄嗟に一番近くにある謎の馬車に身を隠した。

 ズドンッ!という腹の底を揺るがす衝撃。

 俺は大惨事に思わず目を背けそうになったが、しかし飛龍の突撃に大きくその身を揺らしたとはいえ謎の馬車は側面を凹ませるだけで耐えて見せた。さらに、まるで飛龍を威嚇し返すが如く、馬車から鳴り出す甲高い汽笛のような音。

 どんな楽器にも該当しない聞く人間を苛立たせるような不快なブーブーという音に、飛龍の方もたじろぎそいつを訝しむ。飛龍の突進に凹んだとはいえ耐え、その上わけのわからない音を鳴らす存在には、さしものドラゴンでも警戒するのだろう。

「おい、大丈夫か?」

 俺は飛龍が見ていないこの隙に、マライアを謎の馬車の影から引っ張り出し別の岩陰に身を潜めた。

 飛龍の方は、鳴り響く音に未だに馬車へどう手を出せばいいのか決めかねている様子。ま、簡単に狩れる俺たちより、正体不明の何かの方が気になるのは当然だろう。

「あれは何なんだ?馬車に似ているけど、馬を繋げる場所も御者台も見えねぇぞ?」

「私にも分かりません。本当なら勇者様が召喚されるはずですから…」

 二人でその謎の物体(馬車?)を眺め、一緒になって首をひねる。

「顔みたいに見える前の所、何かあるな?文字に見えなくはないけど…」

 直感的に目と感じたのは、左右にガラスらしきものをはめ込んだ部分があり、そこが目に見えなくもなかったからだ。その顔の中央に刻まれたジグザグや円を象った模様、文字に見えなくはないそれが俺は気になった。

「文字、ですか…?ハッ!あれは勇者転生伝説に名高いトラックというやつではないでしょうか?」

「とらっく?」

 聞き慣れない単語を俺は鸚鵡返しに問い返す。

「はい、多くの勇者伝説にあって、主に勇者を異世界からこちらへ莫大な運動エネルギーにより飛ばすための装置らしいのです。勇者召喚へ繋がる一歩です」

「いやいや!なんでその装置自体が召喚されてんだよ!おかしいだろ!勇者よこせよ!装置が来ても意味ねぇだろ!」

 というか自分の襟首を掴んでも空を飛べないみたいな話で、装置が来ちゃおかしいんじゃねぇのか?分かんねぇけど…。

 少しでも期待した俺がバカだった。よくわからない話に俺は頭を抱える。

「まぁ、飛龍の気を引いてくれる程度には役に立っているのは救いだな…。この大切な隙に逃げるか」

「でもどこからですか?周囲は高い壁で、登っても飛べる飛龍からは逃げきれませんし、唯一の出入り口の穴の向こうには鎧蟻が待ち構えているはずです。多分もう臭いの効果切れてますよね?」

「ああ、その通りだよ。こんな時にしっかり分かってんじゃねぇか」

 マライアにそう言われるまでもなく正直な話、手詰まりである。

「なぁ?もう一度召喚は?」

「いえ、それが…。召喚のためにこの空間のマナを大量に消費したので二度目はまたマナがたまるまでできそうにありません」

「ま、二度もアレを出されちゃどうしょうもないけどな」

 再度勇者が召喚されず“とらっく”とやらが増えた所で状況が改善するとは思えない。

「あ!でも、おかげで飛龍が炎を吐くためのマナも無くなったので、体内のマナを使って後一回程度が限界ですよ!」

 飛龍のように一部の怪物には人の使う魔術に似て炎や雷を操る物がいるが、その力のもととなるのがこれまた魔術と同じく大気中や体内のマナであり、だからこそこうした遺跡などマナの豊富な場所に怪物が住みつきやすいと言われている。炎を吐くのも何の消費も無く行っているわけではないのだ。

 ただし、である…。

「炎が使えなくなろうと、一撃で岩を砕く爪と尻尾、体当たりだけで俺たちをミンチにできる力は無くなってねぇんだよ…」

 一つ技を奪ったところで、俺たち脆弱な人間にとってドラゴンが最強であることに変わりはないわけだ。

 重いギシリという軋む音に、俺とマライアは振り向く。

 見れば飛龍が件のとらっくの上に飛び乗った。のしかかる重量に大きく揺れる銀の箱。その上で飛龍は喉を鳴らして唸り声をあげる。それは正体不明のとらっくに対する襲い掛かる宣告であり、実際に何ををするのか俺はとうに知っていた。

 ヤバい!さすがに俺もマライアも学習した。炎が来る!

 身体を陰に隠し頭を手で覆う。三度目の炎の奔流が来る、俺もマライアも瞬時に悟り身構えた。

 しかし、それはそんな生易しいものではなかった。

 飛龍が獲物へ炎を吐いた次の瞬間、真っ赤な炎とは違う白い閃光が瞬き、とらっくが炎を上げ轟音と共に爆発した。龍の炎の息を数倍に膨らませた様な大爆発だ。爆音が地響きとなって召喚の間を震わせ、俺たちの鼓膜から脳髄まで無慈悲に突き動かす。

 爆風に身を隠した岩が軋む中、俺は何が起こったのか周囲を見渡した。

 火薬か油でも積んでいたのかすさまじい爆発だった。その威力を物語るかのように、とらっくは原型無く吹き飛び、周囲に転がる真っ黒な骨組みに残滓を見るだけ。爆発の真上にいた飛龍は炎と衝撃波で腹や自慢の尾っぽを焼き、ありえない方向へねじ曲がった前足を引きずり悲痛な鳴き声を上げのたうち回っていた。あの爆発で体が吹き飛ばないのは流石だけど無傷とはいかなかったようだ。

「チャンス!」

 俺はまだ砂埃むせぶ中を飛び出し、飛龍へ向け走った。傭兵稼業が長くてこういうことには鼻が利くわけでつまるところ、相手を仕留める機を逃すなんてへまはしない。

 抜刀した俺は、引きずる丸太のような尻尾を駆け上がり、飛龍がこちらに気づく直前、その喉元に向け刃を力任せに一薙ぎ。赤黒い血が飛沫を上げる。返す刀で放った体重を乗せた袈裟切りは更に大量の血で刃を汚した。

 着地して、俺は後方へ跳んだ。その一瞬遅く、飛龍の尻尾が俺のいた場所を薙ぎ払うが、爆発でのダメージのせいかその一振りには先ほどまでの勢いがない。

 飛龍を含めドラゴンの最大の弱点は、その顎の下、頭部と喉の付け根だ。そこは形こそ鱗で覆われているけど、その鱗は他に比べずっと柔らかい。食事や首を動かすのに固い鱗で覆われていると動かしにくためである。と、いうのも全て酒場の与太話の受け売りだけど、間違いではなかったようだ。

 切り裂かれた喉から溢れ出す血と泡は止まる様子無く、酒樽をひっくり返したようになみなみと地面を赤黒く染めていく。

 飛龍は瓜ほどもある目玉で俺を睨みつけ、しかし俺が反撃に身を竦めるのも虚しく、崩れるようにその場に倒れた。音を立て巨躯は沈み、血と砂埃が舞った。

「…倒した」

 というか、倒せたというべきか。運が良かったという以外ない。

 ほとんど餌になるのを覚悟していたから、肩から抜ける力も大きく思わずふらつきそうになった俺を柔らかな腕が支える。

 振り向くと、俺に優しく微笑むマライアの顔があった。ムカつくことにこのトラブル全部の元凶なのにいい笑顔をしてやがるし、それに何か言い返す気力も俺には残っていなかった。ドラゴンを倒して気が抜けてしまっている。

 とりあえず一眠りして、折角倒したんだからドラゴンから売れる物を剥いでと、俺はそんなことを考えていた。命の危機に冷や汗はかいたけど、これで数か月は遊べる駄賃が手に入るのは万々歳だ。

「あの~、一仕事終えてお疲れの所悪いのですが…」

「ああ?なんだよ?」

 面倒だと隠さず俺は口を尖らせる

「蟻さんが…」

「蟻?」

 蟻って何だったけ?と俺はマライアの指さす壁の穴に目をやり、そこから続々と湧き出てくる蟻の姿に唾を呑んだ。いやそこだけじゃない、よく見ると壁のそこかしこから鎧蟻があふれ出てきている。その上、全て俺たちのいる場所へ駆けて来ていないか?

「おいおい、ドラゴンがいなくなって、さっそく巣を奪おうって魂胆かよ。蟻のくせに人をだしに使いやがって!」

「あ、あの…どうします?」

「逃げるんだよ!とりあえず壁だ!登れ!」

 鎧蟻に翅は無いから逃げるにはもうそこしかない。追ってくるかもしれないが、ドラゴンよりはましだろう、多分きっと。

「クソッ!最悪だー!」

「主よー!お助け下さい!」

 俺とマライアは叫んで走り出した。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 夕焼けに染まる丘の上に俺は大の字になって寝ころんだ。

「ここまでくれば大丈夫だろ…」

 荒い息のまま呟いて額の汗をぬぐう。

 あの後集まって来た鎧蟻どもからがむしゃらに壁を登って逃げ出したはいいけど、当の鎧蟻の追手は中々しつこく山一つ跨いでようやく逃げ切れた。途中川に浸かり谷を滑り落ち散々な目にあった。

「お~い、マライア、生きてるか~?」

 横でへばる神官マライアからの返事はない。生きてるのは間違いないが、慣れない全身運動にグロッキー状態でそれどころではないのだろう。せめて守り切った俺に一言ないもんだろうか。思い起こせば巣の探索の時から常に足手まといで使えない奴だけど、ここいつに倒れられては誰でもなく俺自身が困るのだ。

 しかし、その面倒事もこれにて一件落着全て解決、大縁談。

 晴れて遺跡調査の任務は終了したのだから、期待できない報酬と教皇領への切符が俺の手に入るというわけだ。刺青を消してパライヤの手の届かない所で慎ましやかに生活してほとぼりが冷めるのを待つとする、ま、そんな人生設計の予定だ。身を隠さないといけないのは業腹もんではあるけど…。

「とにかく!これで俺は自由の身!魚干し丘のオヤジには悪いけどさっさと刺青消させてもらうぞ!さぁ、マライア、例の司祭を紹介して貰おうじゃねぇか!」

 いやとは言わせねぇぞとマライアに詰め寄るも、何故か当の本人はキョトンと首を傾げた。

「何を言っているんですか?私がウーユンさんに頼んだのは、大陸全土にある転生勇者の遺跡の調査と勇者の召喚。今回調査はできましたが、勇者の召喚はできませんでしたので任務は完了ではありません。つまりまだまだこれからですよ!」

「嘘だろ!バッキャロ―!」

 こんなの詐欺じゃねぇか!もうあんな目にあうのはこりごりだ!



【次回予告】

火星ダコとは火星のもっともポピュラーな原生種であり食材である。火星大阪では火星タコ焼きの具材として重宝し、その火星ダコの豊漁を祈願し、冬の終わりに火星コプラテス連鎖クレーターの周囲で火星凧揚げをするのは火星的季節の知らせである。

しかしそんな火星ダコににわかに信じられない知らせが届いた。それが火星学会の新星マライア女史が見つけた9本目の足の存在である。これにより学会は紛糾し、そもそも火星ダコはタコなのかそれともイカなのかと墨を墨で争う紛争へと火星的に発展していくのであった。

次回《白昼堂々大怪盗》

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