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3《血風挽歌C》

 涙がようやく止まって、俺は目元を拭った。

 組長を担いで逃げるのは初めから無理だった。その理由の一つ元々この建物に詳しくない、そしてもう一つ意識を失った組長が重い。そんな状態でできる事は限られている。まして、客の中に館の構造に詳しい人間がいれば追いかけっこの勝敗は明らかだ。

 気づけば、俺は館の屋根の上にいた。つまり追い詰められたのだ。アイツらがここまで来るのも時間の問題だろう。そうなればそれこそ一巻の終わりだ。

 夜風が火照った俺の体を冷ますように吹き抜ける。

「っ、ここは?」

 俺の背中で、組長の呻く声が聞こえた。振り向けば組長が青い顔で周囲を見渡している。

「お前はベルドの雇った女傭兵か。ベルドはどうした?」

 その質問に俺は答えられなかったが、その反応で組長は悟ったようだ。

「馬鹿野郎め。親より先に行きやがって。ま、俺もそう長くはねぇか」

 ぼやきながら組長は俺の背中から降りる。その足取りは壇上で見た物にしては心もとない。当然だ、俺の背中と屋根瓦を汚す鮮血。青ざめた顔の組長もとっくに致命傷を受けていたというわけだ。

 今すぐ医者に担ぎ込めばまだ間に合うだろうが、それができれば無理はない。

「組長、何か逃げ道とか無いんですか?」

「ここからじゃそこの河に飛び込んで一か八かだ。まぁ、俺のこの体じゃまずもって無理だな」

 組長が示すのは館の傍を通る運河だ。海へ繋がる貿易都市の大動脈。確かに逃げ道としては無い話じゃないけど、屋根の上からダイブして逃げるなんてもう組長の体は耐えられないだろう

「ったく、紋々だけはあんな女に渡したくなかったんだがな……」

 誰にともなく呟くその言葉。もしかしたら俺に聞いていてほしいのかもしれない。

 俺は何とか組長も一緒に逃げきれないかと考える。だけど、考えれば考えるほどこの状況の悪さを痛感するばかり。そもそもあのパライヤがどこまで手を回しているのかも不明だ。街の支配者でもある組の構成員の殆どを抱き込んだという事は、その傘下にある組織もすでにパライヤの手中と考えた方がいい。最悪すでにソーダリー全域がパライヤの意のままかもしれない。

 ――逃げ切られたとしてどうする?ギルドは…、いや、一番まずい。組との関係がどこよりも深いんだ。助けを求めても逆に捕まってパライヤに突き出されるのが関の山。

「なぁ、嬢ちゃん…」

「何か良い逃げ道でも思いついた!?」

 藁にすがる思いの俺に組長は笑ってみせる。

「ああ、これ以上ないほどいい方法だ。ちょっと背中を向けな」

「ああ?」

 と、言われるまま俺が向こうを向いた瞬間、激痛が俺の背中を走り抜けた。無数の針を刺すような、電撃を流し込まれたような、灼熱で焙られたような何とも形容しがたい痛みが混ぜこぜになって俺の背中を打ち貫く。

「ッガ!」

 最初は何が起きたのか分からなかった。組長が裏切ったのかとも思ったが、それよりも俺の脳裏によぎったのは心底嫌な可能性。裏切ってくれた方がまだ気楽な可能性だ。

「…な…っ、何…しやがった…」

「うまくいったみたいだな」

 土気色のくせして心から満足げな組長の表情に俺は確信した。まさかそんな事をするとは思っていなかったから油断した。そしてもはや生き延びる事を組長が諦めていること、そういう人間がどういう行動に出るかも俺には分かった。

 痛みに喘ぐ俺を尻目に、組長はおぼつかない足で屋根の上に立ち上がる。

「さてと、これでも昔は武闘派で鳴らした身だ。そう易々と首を取られてはベルドに笑われる。嬢ちゃんは、その運河から逃げな、生きてりゃいいこともあるだろう」

 組長の選んだ方法は言わなくても分かる。

「よく聞けー!恥知らずども!俺はここだ!この首が欲しい奴はここまで登ってくることだな!」

 一世一代の晴れ舞台とばかりに、ドスの聞いた声で夜空に向けがなり立てる組長。

 その声が夜の闇に消えるかどうかの刹那、屋根を砕いて俺たちの目の前に現れたのはあのチャン。無口だが他の奴らとは比べ物にならない危険な男だ。

「見つけたぞ」

 軽快な足さばきで屋根の上とは思えない速さで巨漢が組長に迫る。

 組長もそこそこ長身だが、チャンの方はそれをはるかに上回る巨体。その突撃に勝負は一瞬で決着がつくかと思ったが、しかし衝突の次に俺が見たのは、組長の振り上げた拳がチャンの顎を貫く場面だった。

 組長の筋肉が湧きたつように蠢き、武闘派が今なお健在であると誇示する。

「走れ!」

 叫ぶと同時に、イーガルは瓦を砕いて踏み込んだ。全身の力をもって放つった拳は、ガード姿勢を取ったチャンの鉄の手甲を凹ませる。

 けして組長はチャンに後れを取っていない。それどころか優位にすら見えた。だが、それは拳を放ち拳を受け止める度に飛び散る生暖かい鮮血が無ければの話だ。この戦いそう長くはない。

 全力で屋根の端まで走った俺は、瓦を蹴って力の限り運河へ向け跳んだ。

「逃がさん」

 その声は自分の横っ腹を熱い痛みが貫くのと同時に聞こえた。空中でバランスを崩した俺が見たのは、後方で組長の拳を腹に受けながらも、瓦の破片を力任せに投げた巨漢の姿。白目をむいて屋根の上に沈む巨漢と、とうとう全身から血をふき倒れる組長。

 それが痛みに意識を失う直前、俺が最後に見た景色だった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 酔った時の足元のおぼつかない浮遊感に似た感覚を覚えながら、俺は水中にいた。

 いつからそうしていたのかは分からない。清流じゃないのか生暖かくてねっとりした水につかり、俺はそこに漂っていた。

 何か大事な事を忘れているような気がして、それを思い出そうとすると途端に頭が痛む。

 頭痛に加え、腹の中を弄られているような嘔吐感が込み上げてきた。

 そしてそれにも増して何か、腹の中、内臓のアタリが……痒い。いや、ちょっと痒いぞこれ!痒い!痒い!尋常じゃないぐらい痒い!マジで気が狂いそうなほど痒い!ちょっと我慢できない!痒い!痒い!痒い!痒い!痒い!痒い!痒い!痒い!

「っかーゆーいぃ―――――――――!」

 俺は飛び起きた。

 顔も体も脂汗でびっしょりにして、水中ではなく俺は見知らぬベッドの上にいた。清潔なシートだが、何故か全裸になった俺の腹のあたりは赤黒く変色した血でびっしょりだ。

 ともかく、状況が理解不能だ。

「ここどこ?」

 俺はもう一度周囲を見渡した。ベッドに筆記机とそれに合わせた椅子以外何もない、シンプルで狭い部屋だ。

 遮光用の高い窓、あまり使われていない部屋なのか梁や扉のサンには埃が見える。牢屋にも拷問部屋にも見えない所から察するにパライヤに捕まらず逃げ切ることに成功したようだ。そしてこの部屋の主に助けられたという事だろうか。情況的にはそんな所か?

 だが、生憎俺にはこんな部屋を持っていて、その上瀕死の俺を助けてくれるような知人はいない。

 先ほどからずっとかゆい腹をかきながらそんなことを俺が考えているその時だった、部屋の扉が軋みながら開き、そいつは姿を現した。

「あら、起きたのですね。容体はどうですか?それからお腹をかいてはいけませんよ、傷を塞いだばかりですから」

 その予想外過ぎる姿に、俺は目を丸くした。

 金のかかってそうな修道服と、薄暗い部屋でもわかる綺麗なブロンドに透き通るような青い瞳。

 酒場で俺に仕事を依頼しに来たマライアとかいう修道女。いや、正確には修道女ではないんだっけ?とにかく、こんな相手に助けられたなんて考えもしなかった。

「あんたが、俺を?」

「酒場のおじさんに感謝ですね。運河で瀕死の貴女を見つけて、私の所に連れて来てくれました。いえ、私ではなく、教会の聖約術を頼ってでしょうね」

 まさかライネルに拾われるとは思っていなかった。それは心底運が良かった。だいたい金の無い病人や怪我人は治療費の高い街の医者ではなく、教会の聖約術を頼って来るが、ライネルも俺が払えないのを分かってここに連れてきたのだろう。ただ教会の聖約術(回復に特化した魔術の一種だが、教会は“魔”という響きを嫌って聖約術と呼ぶ)はだいたい三日で治る切り傷を一か月かけて治すレベルで、正直頼れるものじゃない。俺の傷がそんなに浅い物だったとは思えない。

 とすると…、よほどこの尼さんの腕がいいという話になる…。

「何があったのですか?」

 訪ねてマライアはベッドの横の椅子にそのデカい尻を預ける。

「関係ねぇだろ」

「そうですが、傷を治す間貴女はうなされていました。どう考えても良くない事に関わったのではないですか?」

 ったくこれだから、親切ぶった聖職者は嫌いだ。プライバシーってもんが無いんだよ。

 ただ聖職者は嫌いだけど、教会というのはこれまたラッキーだ。既に街はパライヤの手中と考えてそう外れではないだろうが、ここ教会は話が別だ。各所にある聖十字の教会はあくまで教皇の権力の下にあり、国王でもおいそれと手は出せない、まして田舎ヤクザには不可侵の場所だ。身を隠すにはちょうどいい。

 ただ、それでも限界はあるだろうし、ずっとここにいるわけもいかない。

 街を出てパライヤの手が届かない場所まで逃げるしかないのだが、果たしてそんな事可能なのだろうか…。

「何か悩んでいるのですね?私も神の教えを受けた身、懺悔なら聞きますよ」

「だから、そういうのは…」

 と、そこまで言いかけて俺はふとある事に気づいた。

「鏡あるか?」

「手鏡なら。小さいですが」

「あ!うっ!ほっ!ダメだこんな鏡じゃうまく見えねぇ…。なぁ、聞きたかないんだけど、俺の背中どうなってる?」

 恐る恐る、というか答えはほぼほぼ予想済みだけど、事実を確認するためには聞かなければならなかった。

「親に貰った体に刺青を入れるというのはあまり感心しませんね。それに少し魔力の気配を感じますが?」

 あー、やっぱそっかー。正直あの屋根の上で組長に何かされた時分かってたんだよな…。でも認めたくないというか、考えたくないというか…。

 どうやら俺の背中には組長襲名の証たる刺青が彫られているようだ。よほどパライヤに渡すのが嫌だったんだろうけど、数回しか会ったことのない傭兵の背中に刺青を移さなくてもいいだろうに。

 はぁ~とため息を溢す俺の横でマライアは小首をかしげる。

「あのさぁ、この刺青って魔術によるものらしいんだけど、アンタこれ解除できる?聖約術の中には呪を浄化するものもあるんだろ?」

「この刺青、貴女の希望ではないですね?なるほど。確かにそういう物もありますが、これはなかなか簡単なものではないようです。神経にしっかり根付いて、無理に剥そうとすれば刺青と一緒に貴女の脊髄や脳も焼き切ってしまうかもしれません」

「怖っ!」

 なんちゅうもんを人の背中に植え付けてんだ、あの組長!まんま呪じゃねぇか!

 組長なら正式な刺青の転写方法を知っていたのだろうが、もう聞く方法はない。

 そして、今この瞬間俺の今後の人生がこの呪いを背負って、絶賛勢力拡大中のヤクザから逃げ続ける事に決定したのである。この刺青がどういう代物かは分からない。あれだけパライヤが欲しがっていたという事は単なる組長の証明書ではないのだろうけど、とりあえず現状最悪な厄ネタであることは間違いない…。

「私は除去できませんが、教皇領にいる上級司祭様達ならもしかしたら…」

「え!できるのか!」

「分かりませんが、私なんかよりもっと術の腕は確かです」

 思わぬ言葉に光明が見えた。

「よし!今すぐ教皇領に行くぞ!教会関係の場所ならヤクザもそう簡単には手が出せないはずだ」

「待って下さい、教皇領は信者であってもそう簡単に入れる場所ではありません。招待状が無ければ衛兵に門前払いですよ」

「ぬか喜びさせんじゃねぇよ。アンタたしか教皇直下の特選なんとか神官なんだろ?そこんとこどうにかなんねぇの?」

 あやふやだが、何だかえらそうな肩書だったという記憶はある。

 マライアは俺の言葉に少し考え、そして何か思いついたように手を打った。

「良いことを思いつきましたわ。教皇領へ招待することは私ではできませんが、招待状を出せる司祭様には伝手がありますの」

「おっ!」

「で・す・が、私も貴女に言われた通り傭兵事情を見習ってみようと思います。あちらもお忙しい方ですから、簡単にご紹介することはできませんの。都合がつくまで私の任務を手伝ってくださると助かるのですけれど?ええ?私なりの提案ですのよ?」

 言ってマライアは俺にありったけの笑顔を見せた。初めて見る笑顔に、不覚にも今までのすました顔より数倍可愛いと思ってしまった。

 だけど、それとこれは話が別だ。

「テメェ、つまり俺に酒場で言ってた仕事をやれってのかよ!神の信徒がすることかよ!」

 交換条件があのブラック極まりない仕事なんて御免だ。

「そうですか、残念です。教皇領までは神の御導きが無いそれはそれは険しい道のりでしょうが、途中不幸な目に合わないようぜひ頑張ってください。先ほどヤクザがどうこう言っていましたね。そういう道を見失った乱暴者は手段を択ばないのが手段だと聞きますので、ぜひファイトです」

 こいつ世間知らずで空気読めない奴だと思ってたが、バカではないようだ。この刺青と俺の状況を、どうやら感づいたようで、あろうことかゆすってきやがる。最近の教会じゃ神官や修道女にゆすりたかりを教えるのがトレンドなのか?

「なぁ…一つだけいいか?そもそも何で俺なんだ?もっと腕の立つ奴はいるだろ?」

「言いにくいのですが、私男性が苦手で、できれば一緒に任務をこなしてくれるのは女性が良いと思いましたの。ダメかしら?」

「なんだよ、それ…」

 女傭兵を探してたのは結局、なんとも気の抜ける理由で、なんだか無性に可笑しかった。

「笑うことはないじゃないですか!」

 どうも知らない内に笑っていたみたいだ。俺より十は年上に見えるのに、まるで初恋も知らない乙女みたいなことを言うのだから仕方がない。

 まぁ、これも乗り掛かった船か。結局、このままギルドの仕事も受けられずに逃げ回るんじゃ限界がある。

「分かったよ。アンタの仕事受けてやる、でもその任務とやらが終わったらすぐに約束を守れよ。いいな?」

「ええ、もちろん」

 そう微笑んでマライアは手を差し伸べた。

「あの後考えましたの。一方的にこちらだけ名乗るのは、名乗らないのと同じぐらい失礼なのかもって。貴方にもお名前は有りますのよね?」

「変な事言う奴だよ。俺はウーユン、そんだけだ」

「よろしくお願いしますわ、ウーユン」

 そんなわけで契約完了に俺たちは慣れない握手を交わした。


【次回予告】

旅立つ少女に別れの言葉は不要!

語りつくせぬ不平不満を胸に少女が今無法地帯のダイヤモンドに立つ!

人生負け越し投手ウーユンの前に襲い掛かる暴力球団の牙と罠!

絶体絶命の窮地に監督マライアが出した必勝のサインとは!?

次回《アンツ、アンツ&ドラゴン》

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