2《血風挽歌B》
角を曲がって出たのは、街の目抜き通り。路地の赤土がむき出しの道と違い、馬車のために石で舗装されている。夕食の時間だというのに人も多く、こういう時間だからこそ周囲の露店からは旨そうな油の良い匂いが漂ってくる。
飲んで食った直後だというのに、また何か口にしたくなるのは、まぁ育ち盛りだから仕方が無いのだ。
「おい、ウーユンじゃねぇか」
フリッター横目に舌鼓する俺を呼び留めたのは、横に立つ長身痩躯の犬男。
ハスキーな声に、黒い毛におおわれた尖った耳、ツンと伸びた鼻先、それはよく見知った顔だ。
「ベルドの兄貴!」
背黒族の男に俺ははしゃいだ声を上げて駆け寄った。
大陸中央の草原地帯を出身とする狼の頭を持つ種族、それが背黒族だ。基本的に男も女も長身痩躯で体格が良く、そして大陸五族の中でとりわけ特徴的な種族だ。放牧や狩猟を行い移住を繰り返すライフスタイルで、商人気質の黄腕族と違いあまり都市部では見かけない。なので、このベルドの兄貴の姿は人も種族も入り乱れるソーダリーにあってもまず見間違えない。
「いつ帰ってたんだ?」
「つい先だよ。兄貴は元気してた?」
「ああ」
そう答えてベルドの兄貴はクシャリと笑う。人の顔とは違う背黒族独特の笑みに、俺も思わず笑みがこぼれる。
ベルドの兄貴は、先ほどライネルと話していた魚干し丘のヤクザの幹部だ。いや、幹部なんて言わずに若頭というべきだろう。スラムの孤児だったが、恵まれた体格を武器に組で武闘派として頭角を現し、今では実質的に組のナンバー2。似た境遇の人間に優しく情に厚く、だから俺に限らずそんな兄貴を慕う人間は多い。
ギルド自体その土地の有力者と繋がりやすい性質から、この街で組関係の仕事を受けたのも1度や2度ではない。そのおかげでこうして顔を覚えてもらうまでになった。
「そうだ、今度ウチのオヤジが結婚するんだが話は聞いたか?」
「相手はイーサンとかいう街の出身だって話だろ?組もこれでさらに大きくなる。めでたいじゃないかい」
「まぁな。そこでだ、ちょいとこの後頼まれてくれねぇか?」
兄貴は高級そうなジャケットの襟を正し、俺の顔を覗き込む。
「なぁに、ギルドに頼むほどでもねぇ良い小遣い稼ぎさ」
つい先ほども似たような話を振られていたばかりに、俺は思わず身構えていた。そんな俺にベルドの兄貴は肩を竦めて見せる。
もっとも正体不明の神官と違い、相手は組の若頭。信頼に関しては問題ない。まして、話の流からして祝い事に関わる仕事らしく、こういう時の任侠者の羽振りが悪かったためしはない。
つまり、乗らない手はないということだ。
「いいぜ。俺にできる事なら任せときな」
俺と言えばいつも汚れた革のジャケットに穴の開いたズボンに、髪も月に片手分洗えればいい方というそんな、清潔感とはほど遠い生活をしているわけで、それを苦に思ったり嫌だと思う事なんて無いわけで、正直おろしたてのシャツに高級なジャケット、皺の無いズボンなんて身に着けた日には、かえって蕁麻疹でも起こして倒れそうな気分なのだが…。
館の中、大広間の窓ガラスに映る清潔感と高級感あふれる見慣れない自分の姿に、俺は口元がにやつくのを抑えるので精一杯だった。
ベルドの兄貴からの依頼は、婚約パーティーでの要人警護。勿論そんな晴れの舞台にいつもの汚れた格好で出向くわけにもいかず、かといってパーティーなんか出たことがない俺がそんな上等な服持っているはずもない。そこで仕事の初めに兄貴から出た指示は、館の女中に全身隈なく洗われ髪まで手入れされ着飾る事だった。正直な所、チャンバラより疲れた。
髪にしっかり櫛まで通されて、窓に映る姿は今日の昼に化物相手に刀を振り回していた人間とは別人だ。
とはいえ、愛用の刀を腰に目立つように下げるように命じられたのは、あくまで俺が警護の仕事で呼ばれた証拠で、俺もそれを忘れちゃいない。
で、俺が警護する相手というのが…。
と、不意に陽気な曲で場をにぎわせていた楽団の旋律が、急にその調子を変える。なんだか聞く物の背筋を伸ばさせるそんな曲だ。
見れば大広間の奥の階段を静々と降りてくる一際豪奢に着飾った令嬢。先導する執事役の巨漢に手を取られ表れた今夜の主役の一人に、会場に集まっていた参加者からワッと声が漏れる。
歳は四十を越した程、燃えるような赤毛を結い上げた中年女は喝采で迎えられた。
豊満な胸を際立たせ金や銀の装飾を揺らすドレス。見る人間誰もが目を向けずにはいられない豪華絢爛な姿で現れたその人こそ、今夜俺が護衛を任された婚約者。組長の婚約者をせいぜい娘程度と予想していた俺だが、出てきた相手は女伊達らに組をまとめ上げる組長その人であった。イーサン界隈じゃ赤飛沫のパライヤと聞けば、泣く子も黙る鬼も悪魔もひれ伏す女極道だ。
なんでもこの年まで未婚だったけど、死ぬまでに一度は式を上げたいと今回の結婚を承諾したらしい。立場と人となりはどうあれ動機がなんとも乙女チックだ。
その登場に圧倒されていた俺だが、仕事を思い出し慌ててパライヤに駆け寄った。
「今日、護衛を担当するウーユンだ、です」
慣れない言葉遣いに思わず噛んでしまって、俯いた顔が柄にもなく赤くなる。
「ふふ、可愛いじゃないの。まぁ、護衛って言ったて式を邪魔する奴はここにはいやしないさ。気張らず気軽にやっておくれ」
「はい」
ベルドの兄貴曰く、組は男所帯で女組長の身辺の護衛を任せられるような適任者、つまり腕の立つ女がいないとか。そこで信頼が置けて一晩程度なら粗相の心配もない俺に白羽の矢が立ったようだ。
信頼してもらったのは嬉しいけど、まさかこんな貫禄のある護衛対象とは思わなかった。
おかげで着慣れない服とあいまってどうにも落ち着かない。
「チャン、こっちのお嬢ちゃんにもお酒持ってきな。グズグズするんじゃあないよ」
よほど俺の態度が挙動不審だったのか、パライヤが一緒に階段を降りてきた黄腕族の巨漢に指示を二人分の酒を持ってこさせる。
「ほら、これでも飲んで落ち着き」
「いやいや、仕事中ですよ」
「若いのに硬い事言うんじゃあないよ。こんな高い酒早々呑めねぇんだから」
言って強引に渡されたカクテルグラス。それを見て、それからこっちをじっと見つめるパライヤの青い瞳を見て、俺は意を決っしてそれをぐっと飲みほした。
「はは!いい飲みっぷりじゃのう!気に入ったよアンタ!」
呵々と笑うパライヤも、続けてグラスを干す。
確かに舌触りと鼻に抜ける香りはいつも飲んでいるような安酒とは別格だったけど、できればこんな緊張で味も分からない状況では飲みたくなかった。
広間の様子はと言えば徐々に客の入場も減り始めていた。俺はパライヤの背後、客が花嫁を見るのに邪魔にならず、かつ彼女に危害を加えようとたくらむ不届き者に護衛役の存在を誇示できる位置に立つ。
もっとも、御付のチャンと呼ばれた巨漢も護衛役でもあるらしく、正直俺の存在はあくまで組側の配慮を示すためというところが大なのだろう。そんなことを考える俺を他所に、会場の明かりが唐突に薄暗くなった。事故ではない演出だ。
時間通りの式の始まりに、談笑も楽団の演奏もピタリとやみ、皆演台を見つめた。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。組長イーガルに代わり、若頭ベルドからご挨拶させていただきます」
よく通る兄貴の声が会場の大広間に響く。
聞いている予定ではこの挨拶の後に、組長の登場、花嫁の登壇、そしてメインの結婚式へと続くらしい。これが正式な結婚式の流れなのか俺はよく知らないが、様子を見た限りでは式はつつがなく進みそうだ。
何か小難しくて部外者の俺にはよくわからない両組の歴史の話が続く。
薄暗がりの中、暇そうな俺にそっとパライヤが差し出したのは先ほどと同じカクテル。彼女も話はあまり聞いていない様子だ。まぁ、組長であるが今日は花嫁なのだから、難しい話よりも楽しい式の方が気になるのかもしれない。
今度は先ほどより素直に受け取って、俺はカクテルの香りを楽しんだ。
「それでは!我らが組長、お願いします!」
兄貴の紹介と共にワッと広間に拍手が沸き起こる。
壇上に登場したのは肩にかかる髪も髭も全て白くしていながら、矍鑠とした立ち振る舞いのこの組の総大将イーガル。70を超え愛娘も昨年第三子をもうけたと噂を聞くけど、その立ち姿には傭兵である俺の目から見ても脆弱な老いの色は無い。
「ベルドの真面目な話で眠たくなってる奴もいると思うが、改めて今日の出席に感謝する」
低音の渋い声は声量こそないが、来客の全員の耳朶を確実に打った。
「俺の二度目の結婚に先立って一つ発表がある。いい歳こいて結婚なんて何考えてると思った奴もいるかもしれねぇが。いい機会だ。俺は今日のこの結婚をもって、ベルドの小僧に組長の座を譲る!」
ええー!まさかの引退宣言と新組長の誕生!と、予想外の発表に驚いたのは俺だけじゃなかった。会場全体がそのサプライズにどよめき、演台の脇に立つ兄貴も聞かされていなかったのかポカンとした表情だ。
当然組の人間ですら驚いているその言葉に、他の組の人間が驚かないはずがない。パライヤはおもわず手にしたグラスを落とし、御付のチャンがそれを静かにキャッチしていた。
「襲名の儀式だ。ベルド、あがれ」
言われるまま兄貴が壇上に上がる。未だ場内の動揺は収まっていないが、イーガルはお構いなしだ。
「立派になったのう、子犬野郎」
「オヤジ!」
感極まって兄貴が今まで聞いたことのない声で答えた。
「襲名の儀式。組に代々伝わる、背中の紋々、お前に背負ってもらうぞ?覚悟しろよ。これがどれだけ重い物か、分からんお前じゃねぇだろ」
イーガルは羽織を脱ぎ、その逞しい上半身を露わにする。見せたのは、背中に彫られた見事な刺青。魔方陣の様な紋章に頭が五つある竜を重ねて描いた刺青だ。
いや、ただの刺青ではない。それは俺にでもわかる。薄っすらと魔力、いわゆるマナという物が滲んでいるのを感じる。水に溶けたインクのような様な薄ぼんやりとしたものだが、確かにあの刺青は魔術によってイーガルの背中に彫られている。つまり儀式というのは、それを受け渡すことをいうのだろう。魔術の代物だからできる世代交代の儀式。歴史ある極道らしいと言えばらしい。
「これを背負うもんが!この組を背負う奴だ!いいな!」
雷のような宣言が大広間を震わせた。
その直後だった。
「待ちぃや!!」
憤怒の形相で怒鳴ったのはパライヤだ。その顔は悪鬼羅刹の如く怒りに歪んでいた。
「聞いとらんよ!イーガル!それじゃあ話が違うじゃやろうが!」
「おう。赤飛沫の、ようやく本性見せたか。あわよくば妻の立場を利用して次期組長の座を狙う算段だったんだろうが残念だったな」
イーガルはそう言って不敵に笑う。
俺はまるで話についていけず、イーガルをパライヤを、組長への不敬を見せたパライヤへ敵意の視線を向けるベルドの兄貴を見やる。
「わかっとたんか、いや、お前さんなら考えてて当然じゃ。それを承知で私と結婚か。ホンマ惚れ惚れするええ男やで、アンタ」
言った途端、パライヤはそのスカートの下から一振りの刃を引き抜いた。
ドスが薄暗い中でキラリと鋭く光る。
事態はまだ呑み込めてないけど、パライヤが組長や兄貴に刃を向けるなら、俺は依頼放棄だ。刀の束に手を伸ばす。
「じゃけんど、ちぃっと足らんかったのう!この組のもんはそこの犬っころ以外全部ワシのもんじゃー!」
パライヤが叫んだと同時、俺の前に立ち塞がったのは巨石ではなく秘書役のチャン。
そして会場の全員、客はもちろん楽団までもがジャケットの裏、スカートの中に隠していた得物をすっぱ抜く。皆その両目で捉えているのは壇上の二人。パライヤが宣言した通り、組はとっくに彼女の手に落ちていていたのだ。
「その紋々よこしや!」
その言葉を号令にして、来客が一斉に演台へ群がった。
人の津波となったその流れが一瞬で凶刃を壇上の二人に向け突き出す。
「背中に傷つけんなや!イーガル仕留めた奴は上級幹部じゃ!」
助けに入るかどうか、どちらに着くかそれを決めるより早く、せっかちな鉄拳が俺を襲う。
ガントレットを装備したチャンの拳が、俺の身代わりになったテーブルを粉々に砕いた。
「お前、二杯目はどうした?」
「生憎仕事に対しては真面目でね!」
初めて聞いたチャンの低い声に、俺は吐き捨てて答える。
まさか俺の酒にまで一服盛っていたとは思わなかった。鼻先まで運んだカクテルが高い酒の割に臭いと思って呑まずにいたのは不幸中の幸いだ。
パライヤはこの謀反をずっと前から企ててたという事だ。先ほどの好意的な振る舞いを思い出すと背筋に冷たいものを感じずにはいられない。
チャンの拳が今度は花瓶を花と満たされていた水ごと吹き飛ばす。
「テメェ、大人しそうにしてたわりには戦い慣れてるな」
「避けてばかりでは勝てんぞ」
「ぬかせ!丸腰の癖に!三枚におろしてやんよ!」
叫んで俺はチャンに向かって突進した。
相手はガントレットを付けているとはいえ徒手空拳、たいして得物を持っている俺は断然有利。
「なぁんてな!」
振り上げたチャンの足が俺の顔面をかすめる。寸前で俺は身を屈め蹴りをかいくぐる。組長の護衛を徒手空拳だけでこなす相手が、ヤバい奴じゃないわけないのだ。そんな相手にバカ正直に戦いを挑むなんてのは自殺行為。
俺はチャンの股下を潜り、そのまま逃げを選ぶ。
向かう先は壇上の兄貴と組長だ。パライヤの狙いが組長の刺青なら、まだ襲名の儀式がすんでいない兄貴は助けられる。
殺到する裏切り者を二三人斬り飛ばして、俺は演台に飛び乗った。
「っ!そんな!」
だけど、俺の考えはあまりにも幼稚だった。
壇上にあったのはベルドの兄貴の姿。足元に十を越す屍を並べ、傷を負って倒れた組長を庇うように恩知らず共の前に立ち塞がっていた。その体の前面はありとあらゆる場所に刃を突き立てられ、ジャケットも自慢の黒毛も血塗れで、立っているのが不思議なぐらいだ。
義理と人情に厚い兄貴が、親同然の組長の盾になるなんて当然の事だった。
俺の接近に気づいたのか、光の無い瞳を俺に向ける。
「…っ…生きてたか…ウー…」
「兄貴!」
「…すまんな…巻き込んで…」
そんな謝ってる場合じゃないだろと言いたかったけど、俺は勝手に溢れ出る涙に言葉が詰まって何も言えない。
「…オヤジを……頼む…」
血と共に吐き出した言葉に俺はどう返事すればよかったのだろうか。
その答えを思いつくより先に、兄貴の奮闘に尻込みしていた連中に拍車をかけようとパライヤの怒声が飛ぶ。
「何手こずってんだい!しゃらくせぇ!相手は死にかけと小娘だけだよ!それでも極道かい!」
よほど人を扇動するのが上手いのか、その言葉にまたも一斉に襲い掛かる裏切り者たち。
そのうち寄せる人の波を前に、俺を押しのけ前に出る血塗れの兄貴。
最早刃をかわしいなすことなど考えもせず、ザクザクと体を刻まれながらも、奪い取った長ドスで裏切り者数人の首を跳ね飛ばす。その姿はまさに修羅そのもの。
喉もとうに切られて声も出ないのだろうが、その背中が何を言いたいのか聞こえてくるようだ。
俺はその重さを考えもせず組長を担ぐと、壇上から飛び降り会場外へ一目散に飛び出した。
「逃がすな!」
パライヤの声に今度はこっちに人の波が向かってくる。
それでも俺は振り返らず一目散で走った。兄貴の死を無駄にする事はできなかった。
「チッ、まさかあんな嬢ちゃんが邪魔になるとはねぇ。予想外だよ」
血と骸で彩られた大広間の中、苦々しく吐き捨てるパライヤ。
彼女が事前に根回しをし裏切らせていた連中は全員目の色を変えて小娘を追っていった。昨日までの義理も死んだ者への情も無い。それだけの報酬を用意しているのだから当然だとパライヤは考える。それにそれでも裏切らなかった連中は今頃魚の餌になっている事だろうし。
あの刺青は単なる組長の印ではない。その事実を知ったのは偶然だったが、こうして全てを用意したのは彼女の計画だった。ただ二つ誤算があったとすれば、組長のいきなりの代替わりと、護衛役の女傭兵の思わぬ働きだ。
前者は半ば予想はしていたが、後者はまるっきりの予想外。
「アンタ中々良い目をしてたんじゃあないの。おしいねぇ」
そう言って嘲笑を向けるのは、壇上で仁王立ちのまま絶命した若頭のベルド。こいつだけは何をどうやっても裏切らせることはできなかった。その才覚をおしいと思うのは本心だ。
パライヤはキセルを取り出し咥える。
その瞬間だった。死んだと思ったベルドがその目と大口をカッと開くと、憎き女の首筋に向かって牙を剥けた。両腕を失ってもなお肉食獣の頭を持つ背黒族だからこそできる最後のあがき。
だが、その牙が届くよりも前に鋼鉄の拳が、ベルドの頭部を柘榴のように吹き飛ばす。
「チャン、もうちとやり方ってのがあるじゃろう。汚れちまったじゃないの」
拳を振り抜いた腹心に、パライヤは悪態をつく。
その表情にベルドの最期に動揺する様子は微塵も無い。
「あんたもさっさと娘っ子追ってきな。いいかい、背中の刺青だけは傷つけるんじゃないよ。いいね」
鬼や竜より恐ろしい女組長の言葉に、寡黙な巨漢は頷くと急ぎ広間を後にした。