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プロローグ

 シュパッという弦の甲高い音に、俺は視線の端で見張り役が空高く矢を放ったのを見逃さなかった。


 それは飛ぶ鳥を狙ったものでは勿論ない。特別な造りの矢尻が空を切ることでまるで猛禽の鳴き声の様な音を響かせるのだ。

 目的は明快だ。敵の接近をキャラバン全体に伝えるため。

 荷台の上で船を漕いでいた俺は、抱いていた刀を抜き飛びあがった。

「ようやく来やがったかい」

 舌なめずりで見渡せば、キャラバン護衛に駆り出された傭兵仲間が、皆得物を構え西の丘を睨みつけていた。青い空の下、緑の丘の上に黒い靄のようなものが見える。

 キャラバンの護衛に参加して丸三日。目的の街を前にして、ようやく仕事らしい仕事の始まりだ。

「蟻共のお出ましだ!せいぜい給料分働きなぁ!」

 傭兵頭ががなり立て、それに応じる様に景気付けの野太い雄叫びがあちこちで上がる。

「ケイン隊は本体を守れ!メンドール隊は馬で丘の上に陽動!ファリド隊は後続の護衛!相手は鎧蟻、足の関節を狙え!頭潰してもすぐには死なねぇぞあいつらは!」

 キャラバンは特に名のある商会の物は、規模が大きくなるのが常だ。今回で言えば俺たちを雇った商会はこの地方じゃ名の知れた連中で、そこに同道したがる個人経営の乗り合い馬車や小規模な業者が群がってくる。彼ら個人では小隊三つを束ねる様な傭兵隊はもちろん、小隊を雇うこともできないが、後続に同道し庇護を得る代わり金を出し合い傭兵代の半分ほどを工面する。名の売れている商会は保険と見栄のために腕の立つ傭兵を雇うから、なおのこと多く集まってくるというわけだ。

 ただそうなると護衛規模が大きくなり、傭兵側もなかなか大変という事になる。特に手厚く保護される本体と違い、敵との遭遇率の高い後続護衛なんてのは、いわゆる外れクジというやつだ。

 そして俺はその外れクジに所属している。馬にも乗れなきゃ傭兵頭に名前も顔も知られてない女傭兵なんてそんなものだ。

 まぁ、とはいえ、愚痴ってはいられない。蟻どもはもう目と鼻の先。

 生息域を選ばない鎧蟻は大陸ではメジャーなモンスターだ。子牛ほどの大きさの蟻が、巣に近づいた得物を狙って集団で襲いかかってくるのは、傭兵にとっては見慣れた光景でもある。そして生態が知られているからこそ褐色の外殻の固さとそれに反し各部の関節、特に足の関節が柔らかい事、そこを狙えばそう難しい相手でもない事も知っている。

「あらよっと!」

 馬車に飛びついて来た蟻の首を、俺は刀でスパッと切り飛ばす。

 それから今度はさらに後続の馬車に飛び乗って、傭兵仲間のバカが仕留めそこなった蟻を蹴飛ばし地面に落とす。身軽なのが女である俺の売りで、筋肉ダルマどもにはできない素早い駆除で点数を稼ぐ。

 俺のポニーテールを揺らす風が少し変わった。

 キャラバンは全体的に速度を上げ、蟻たちの縄張りの外へと街道を急ぐ。

「しっかし、こいつら街道まで降りてくるようになったのか。難儀な話だねぇ」

 一年前は蟻たちの縄張りとキャラバンの行く街道はかぶっていなかったはずだ。そもそも誰も好き好んでモンスターの生息域に道を通そうとはしない。どうやら蟻たちは縄張りを広げられるほど繁盛しているようだ。

「ま、その分俺たちの仕事が増えて儲かるんだけどな!よっ!」

 今度は過載積気味で遅れている馬車に飛び乗ると、群がって来た蟻の脚を切って折って剥がす。

「ん?」

 と、俺はグニッと足元に何やら嫌な触感を覚え眉根を寄せた。荷台の上は大事な荷物が落ちないように布をかぶせてあり、何を踏んでいるか分からないが、ブーツが沈み込む感触は堅い木箱や丸めた絨毯のそれではない。

 俺は恐る恐るもう一度確かめるように踏み直してみた。

 グニッ…。

「い!痛い!痛い!」

 くぐもった男の声で悲鳴が上げる。

 刀を一閃、布を切ると、荷物の間の隙間に身を丸くした猿顔の男と目が合った。猿顔というのは物の例えではなくそのまま猿なのだ。腕と頭から顎までを覆う黄色い毛、低い鼻に丸い目、やや赤みを帯びた相貌。男はいわゆる大陸東の帝国を主な活動域にする黄腕族(おうわんぞく)だ。

 見つめ合うこと一秒弱。

「イヤ~ン」

「いやーんじゃねぇよ!テメェ密航だな!」

 キャラバンでは間々ある事だ。こう規模の大きな商団の馬車に潜り込んで無賃で街から街へ移動する奴は珍しくない。

「堪忍やで!ええやん!見逃してくれ!」

「いいわけあるか。密航は吊るし首だ」

「怖っ!こんな女の子がそんなん、世も末やで…。お嬢ちゃん幾つや?他種族の年齢ってよう判断できへんわ。ん~、13?」

「馬鹿野郎!15だよ!」

 「たぶん15」と答えた方がスラム生まれで親も生まれた日も知らない俺の場合正しいが、そこまで教えてやる義理は無い。というか、違う!話が違う!

「違う!違う!年齢の話なんてどうでもいいんだよ」

「ええやん、15ゆうたら色気も出てくる年やろ。どや?おじちゃん、こういうの扱って大陸廻っとんねん」

 と、猿男が身を正し差し出したのは金色に輝く装飾品。どうやら金細工の行商人らしい。

「見逃してくれたら、これ一個あげるけどどうや?これなんか可愛いって前の街では人気やってんで。それともこっちにするか?これなんか男受けもええんやで?」

「男受けなんていらねぇよ…」

「あら、まぁ?そういう御年ごろ?可愛いいのう。ええよええよ、それぐらいの頃やったらそうやなこういう装飾がちょっとかぶいてるのはどうや?十字架やで」

 黄腕族の一般的なイメージはとにかく商魂が逞しく、一度口を開けさせると商売が終わるか死ぬまで口を閉じないと言われるほどだ。メインの活動域こそ大陸東だが、大陸五族の中でも俺たち青眼族(せいがんぞく)に匹敵するほど広範囲の生息圏と商圏を持つ。

 なので、俺がそのペースに押されてるのもしょうがないのだ。

「ウーユン!蟻が迫ってるぞ!」

 傭兵仲間が遠くから呼ぶ声に、俺は我に返ってあわてて周囲を見わたした。

 眼下、先ほど斬り落とした蟻とは別の一匹が御者台に迫っている。

「ひえー!た!助けてくれー!」

 情けない悲鳴を上げる壮年の商人。

 一瞬、目を離したスキにあの猿男は荷台の上の端へ。逃げようとする密航者か泣き叫ぶ御者か、どちらに向かえばいいか逡巡する俺に男はキラリと光る何かを投げてよこした。

「口止め料や。おおきにな!ほなさいなら!」

 言うが早いか、蟻の迫る西側とは逆へ走る馬車から飛び降りる猿男。止める暇もないその背中に、俺ができたのは何か言おうとして叫ぶだけ。

「ちょ!おい!こら!」

 舌打ちを溢し、俺は急いで蟻の頭に刀を振り下ろしに走った。

 鎧蟻の群れを振りきり一難去ったのは、それから一時間ほどもかからぬ間だった。被害は商人にも傭兵にも、そして商品にもゼロ。良好な結果で幕を閉じた。

 ただ、戦いを終え暮れゆく空の下、街へ向かう荷馬車の上で一人、俺はなんだか腑に落ちない感情にくすぶるのだった。

「ったく、何だったんだあの猿野郎…」

 呟き、黄腕族の男がよこした十字架を眺める。

 手の中の十字架は、西の山へ沈みゆく茜色の夕日に照らされキラキラ光っていた。



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