09 悔恨
アンカレッジ空港の到着ゲートからロビーに出る。
モコモコに膨らんだダウンジャケットを着たジェイミーが手を上げた。
「ケイン、荷物は?」
ジェイミーが訊いた。
「ない」
空港のフロアは思ったよりも寒い。ケインはジャケットの襟を立てた。
「ジェイミー、車は?」
「こっちだ」
アンカレッジ空港の構内を、ケインたちは無言のまま足早に進む。
施設の外に出ると震え上がるような寒気に包まれた。
空はどんよりと厚い灰色の雲に覆われ、ロータリーのポールに掲揚されている米国旗が北風にはためいている。
短い秋は終わり、長く厳しいアラスカの冬が始まろうとしていた。
レンタカーのセダンに乗り込むと、ジェイミーはナビに行き先を入力した。
「アンカレッジ市内、アラスカ・メディカル・センター」
フロントガラスにルートと予想到着時間が投影される。
「直接行くのか?」
ケインは訝しんだ。
「もう手配はついているよ」
ジェイミーは緩いカーブを曲がり、市内に通じる幹線道路にセダンを進入させた。
「セリーヌがいろいろと準備してくれた。僕たちは入院患者の面会に訪れる。入院している少年はブレイン・ギア、アカツキの大ファンだ」
「設定が細かいな」
ケインは肩をすくめた。
ジェイミーはちらりと横目で見て、真剣な顔で言った。
「少年は実在しているし、本当にケインのファンだ」
ケインは口をつぐんだ。
「セリーヌは献身的に動いてくれている。こちらが心配になるくらいに。彼女の立場を考えたら危険ともいえる。よほどの事情があるんだ」
「……わかっている」
ケインは重く答えた。
ジェイミーは非難しているわけではない。しかし自分はどうしてもっと早く行動を起こさなかったのかと、強い悔恨がケインの心を締めつけていた。
シンシアの専任介護スタッフであるセリーヌからファンメールを装った連絡があったのは先月のことだ。
メールには『白い服の少女が、中庭で待っています』と書かれてあった。
あの時、案内してくれた介護スタッフだとケインは直感した。
—シンシアに何かあったのか?
ケインはいてもたってもいられず、ジェイミーに連絡した。
「わかった」
ジェイミーは言った。
「僕が接触しよう」
アーペンタイル攻撃演習に現れたのは、異様に変貌したアッシュ・ガールだった。
十数機ものレプリカ・ギアを従えたアッシュ・ガールが異常なほど膨大な射出イメージを想起し続けられたのは、おそらくカイル・ローゼンタールが開発した仮想装置を使用していたからだ。だがそれは、人間の脳に限界を超えるほどの過大な負荷をかけているのは間違いなかった。
コントロールを失って攻撃され、傷ついたアッシュ・ガールを抱えたケインは、その存在感の希薄さに愕然とした。
それはブレイン・ギアを想起するバトラーの生命的消耗を意味していた。
—それなのに。
ケインは唇を噛んだ。
—どうして俺は何もしなかったんだ。
車の前方にアンカレッジ市街のまばらなビル群が見えて来た。
その遠い先には青いアラスカ山脈の稜線が広がり、低い千切れ雲が風に流されているのが見える。
山岳地帯の天候は変化しやすい。その山中にある連盟の研究施設に、シンシアはニックの操縦するヘリコプターで毎日往復している。
「NYからアラスカまで飛行機でも十時間以上かかる」
ステアリングを握るジェイミーはケインの心中を察したように言った。
「簡単には行けない。それにケインのスケジュールはずっと一杯だった。仕方ないよ」
ケインは首を振った。
「だが、ケインは、動くべきだった」
ジェイミーは車線を変更しながら言った。
「このタイミングしかなかった。日本からアメリカへ戻る途中でSFからアンカレッジに移動。そして今日のうちに直行便でNYへ。明日からはまたアシュクロフト邸だ」
ケインはフロントウインドウ越しに灰色の空を見上げた。
「最後の合同演習がある。攻撃に参加するすべてのギアが結集するそうだ」
「仮想世界の脅威が、現実世界を破滅させる、か……」
ジェイミーはぼそりと呟いた。
「報道したとしても、誰も信じないだろうな」
「ああ」
ケインはうなずいた。
「攻撃に参加するバトラーだって、未だに半信半疑だろう。しかしそれが起きる可能性がある以上は備えなくてはならない。最悪の事態を防ぐために」
「最悪の事態なんて、想像したくないね」
ジェイミーは投影される方向指示に従ってステアリングを切った。
「そういえば日本代表の壮行バトルは大波乱だったね。代表組が負けるなんて」
「ああ。代表の半分は入れ替えになる。ワールド・バトル開会までもう二ヶ月もないのに」
ケインは考えながら言った。
「しかしあの実力差を見せつけられたら、そうするしかないだろう」
「同じことが各国で起きているよ。突然現れた無名の新人バトラーたちが歴戦の強者を撃破している。あっけないくらい簡単に」
「ニュー・キッズか」
「そう。皆、十四歳未満で、幼児の頃からブレインデバイスを日常的に使っている。ヴァーチャルとリアルに境界がないんだ。新世代、いや、新しい人類かもしれないね」
ケインは助手席のシートに身を沈めた。
「まったく、なんでこんなタイミングで出て来るんだ」
「彼らは世界中で連鎖反応のように現れた。明らかにシンクロニシティが起きていると思う」
「開会式に何かが起きるとして」
ケインは前方を凝視しながら言った。
「それに間に合わせるようにして突然現れたあの子供達には、どんな意味があるんだ?」
「仮想世界からの脅威に対して、人類という『種』が対抗する力を出して来たのかもね」
「まさか?」
ケインは小さく笑い、すぐに考えなおした。
「……かも知れないな」
「ケインもそう思う?」
「現実の武器や破壊効果を想起しない、ジェットやニーナのようなスペシャリティとも違う。イメージの想起が根本的に違っているとしか思えない」
「アメリカ代表戦でもニュー・キッズはベテランを翻弄したよ。あれはもう」
ジェイミーは頭を振った。
「魔法としか思えなかった」
「……魔法か」
ケインは声を落とした。
「確かに現実では起こり得ないな」
「本当はずっと先だったのかも」
「先?」
「そう」
ジェイミーは呟くように言った。
「人間の進化した世代として現れるのがね」
セダンは平坦な幹線道路を左折し、緩やかな登り坂に入った。
山岳地帯の裾野にメディカル・センターはある。
ジェイミーはフロントの時刻表示を確認した。
「予定通りだ。着いたよ」
壁全体がガラスウォールの大きな医療施設が見えた。
駐車場に止めた車から降り、病院の入り口に向かう。
「あそこがヘリポート」
ジェイミーが施設の端を指差した。
「セリーヌの記録では後三十分以内にヘリは帰ってくる」
「わかった」ケインはうなずいた。
「では、ファンの少年に会いにいこう」
ジェイミーは紙袋を抱え上げた。オフィスにあったブレイン・バトルグッズが一杯に詰め込んである。
エントランスに入り、受付で面会を申し込む。
事前申告されていた面会内容が照会され、ID認証を受けると施設内への入所が許可された。
廊下を歩き始めると後方がざわついている。ジェイミーがちらりと振り返った。
「何かあったのか?」
「ケイン」
ジェイミーは苦笑した。
「未だに自分の知名度がわかっていないな」
「ケインの?」
「アメリカトップチームのブレイン・バトラー、ケイン・ミカドが突然面会に現れたんだ。みんな驚くさ」
「そうなのか?」
「はぁ」
ジェイミーは小さく溜息を洩らした。
エレベーターで三階の病室フロアに上がる。
ドアから出たジェイミーは足を止め、天井を見上げた。
「ケイン、『彼女』の病室はこの上の個室フロアの特別室だ。エレベーターを降りて右の廊下を二十メートル、左側のドアだ。表示はない」
「わかった」
「じゃぁ、行こう」
廊下を進み、スライドドアを開ける。
広い一般病室は左右の壁際にベッドが並び、カーテンで仕切られている。
窓側のベッドの少年が、眼を見開いてこちらを注視していた。
「わお!」
少年は叫んだ。
「わお!!」
「やぁ、デイビッド」
ジェイミーはベッドに歩み寄り、少年と握手した。
「ちゃんと来ただろ?」
「初めまして、ケイン・ミカドだ」
ケインは紙袋を少年に手渡した。
「これ、僕に?」
「もちろん」
「すげー!」
少年は無邪気に歓声を上げた。
「やった! すげー!」
周囲のベッドのカーテンが開き、患者達が次々に顔を出す。
「セリーヌに知らせなくちゃ、ケインが来たって!」
デイビッドは急き込んで言った。
「俺が行って来てやるよ」
痩せた若い男がベッドから立ち上がった。
「サンキュー、ジョン!」
声をかけたデイビッドは、ケインにウインクした。
「あいつ、セリーヌが好きなんだ」
「なるほど」
「ケイン、日本の代表戦でアカツキは勝った?」
「ああ、なんとかね」
ケインはストゥールに腰を掛けた。
「ここではブレイン・バトルは見られないのか?」
「ネット・ルームでは見られるけど」
デイビッドは答えた。
「僕は、動けないから」
「そうか」
「でもダディが動画を持って来てくれる。週末にデータパッドでまとめて見ているよ。ねぇ、ケイン、ディーバのバトルは見た?」
ディーバはアメリカのニュー・キッズの象徴ともいえる特異なギアだ。
「この間のアメリカ代表戦か?」
「あのバトル自体、意味不明だよ」
少年は口を尖らせ、真剣な顔で言った。
「ワールド・バトル目前でニュー・キッズのチームと代表組をバトらせるなんて、いまさら混乱するだけじゃないか。連盟は何を考えているの?」
急にブレイン・バトル評論家になった少年に、ケインは苦笑した。
「俺にはわからないな」
「事態は急速に変化している」
ジェイミーが物々しい口調で答えた。
「デイビッド、これは連盟の緊急措置だよ」
「緊急措置?」
少年は驚いた顔でジェイミーを見上げた。
「各国で新世代のバトラーが現れている。知っているだろう?」
デイビッドはごくりと唾を呑み込んだ。
「EU圏、南米、アジア、アフリカ。どの国からも例外なくニュー・キッズは現れている。君は中国の神龍童を見たかい?」
少年は首を振った。
「七色の巨大な龍を自在に操るんだ。信じられないよ」
ジェイミーは脅かすように両手をうねうねさせた。
「そんなギアがワールド・バトルに出て来たら、アメリカは勝てると思うか?」
「わからないよ」
デイビッドはムキになっていった。
「ディーバなら勝てるかも」
「属性の強制変化」
ジェイミーは腕を組んだ。
「確かに無敵かもな」
「そうか!」
少年は眼を輝かせた。
「だからニュー・キッズを代表に入れなくちゃいけないんだ!」
「ニュー・キッズ同士のバトルはまだどの国でも行われていない」
ジェイミーは難しい顔でいった。
「どんな戦いになるか想像もつかないね」
「ディーバなら勝てるさ!」
ベッドの少年は身を乗り出した。
「ねぇ、アカツキは勝てる?」
「君は誰のファンだ?」ケインは呻いた。
「決まってるだろ、アカツキだよ!」
少年はきっぱりと言った。
「どうして? ディーバじゃなくて?」
ジェイミーが煽る。
「なんていうか」
少年は急にくちごもった。
「アカツキはどんなに追い込まれても、なんとか切り抜けられると思うんだ。時々むちゃくちゃをするけど」
噴き出したジェイミーをケインは睨んだ。
「負けていても、絶対に最後は折れないっていうか、タフなんだよ」
「俺はタフなのか?」
「うん」
デイビッドはケインをじっと見つめ、こくりとうなずいた。
「ケイン、もっと自信を持っていいと思うよ」
ジェイミーは笑いを必死に抑えながら、向こうへ行ってしまった。
ケインは握った拳を少年に向けた。
「わかった。もっと自信を持つ」
「うん」
少年は拳を打ち付けた。
「僕も自信を持つよ」
首を傾げるケインに、デイビッドは言った。
「手術があるんだ。来週」
「手術……」
「怖いけど」
少年は細い肩を上げ、大きく息を吐いた。
「ちゃんと受けるよ」
「そうか」
ケインは少年の肩に手を置いた。
「しっかりな」
「ワールド・バトルは絶対見たいからね」
ケインは一瞬、言葉に詰まった。
「どうしたの?」
「開会式は、見ない方がいい」
「どうして? 開会式は絶対見たいよ」
「見ない方がいい。いや、見るな。見ちゃいけない」
「ねぇ、どうして?」
ヘリコプターの爆音が聞こえた。
顔を向けると、窓際に立ったジェイミーが振り返り、親指を立てている。
ケインはストゥールから立ち上がり、ジェイミーの隣に並んだ。
低空でヘリコプターが急速に接近してくる。
アシュクロフト家のスマートな高性能ヘリコではなく、ずんぐりしたオリーブドラブの米空軍機だ。左右を並進していた護衛の攻撃型ヘリが甲高いエンジン音を響かせて病院の上空を通過する。
米軍のヘリコは大柄な機体に似合わない滑らかな動きで機首を回し、ふわりとヘリポートに舞い降りた。
「ちっくしょう!」
若い男が怒りながら病室に戻って来た。
「ガードマンに追い返された。あいつら、ぶっとばしてやる!」
「できる訳ないのに」
デイビッドは小さく言った。
センターの通用口から医師、ストレッチャーを押した医療スタッフと介護スタッフ、そしてガードマンが現れ、慌てた様子でヘリポートに走っていく。
「スタッフが出て来た」
ジェイミーは小さく叫んだ。
「ケイン、行くんだ!」
ケインは病室を飛び出した。
エレベーターで四階で降りると、ひっそりと静かな個室フロアの廊下を右に進み、左側のドアをノックした。
ドアはすぐに開かれ、亜麻色の髪の女性が顔を出した。
「入って」
ケインは手首をつかまれ、部屋の中にぐいと引き込まれた。
「こっちよ」
手をつかまれたままソファやテーブルの並んだ大きな部屋を横切り、寝室に入った。ベッドの片側には医療機器がずらりと並んでいる。
「隠れて!」
女性はベッドの傍にしゃがみ込むとカバーをめくった。
「セリーヌ?」
ケインは戸惑った。
「急いで、お願いだから」
セリーヌは緊張した顔で言った。
ケインは床に寝そべるとベッド下の狭い空間に潜り込んだ。
ベッドカバーが降ろされ、薄暗くなる。
ケインは訳がわからずに鼻先のスプリングを見つめていた。
ベッドカバーがさっとめくられ、セリーヌが顔を出した。
「来てくれてありがとう、ケイン」
強張った顔で、少しだけ微笑む。
「寝ちゃ駄目よ」
足音が遠ざかると、室内は静かになった。
冗談かと思ったが、薄暗い空間に寝そべっていると本当に眠くなって来た。
しかしその眠気はすぐに吹き飛ばされた。
ドアが開いて大勢の人間が慌ただしく室内に入って来た。ストレッチャーの車輪が間近で止まり、ベッドのスプリングが軋む。
医師の指示が飛び、メディカル・センサーや医療機器の操作音が重なった。
「セリーヌ!」
医師の硬い声が聞こえる。
「はい、ドクター」
「今日はひどく消耗している。予定では通常の運用実験のはずだ」
「研究所で何があったのか、私は知りません」
「それはそうだが」
医師は不機嫌そうに言った。
「投薬量を増やしたくない。明日は休ませた方がいい」
「はい、ドクター」
セリーヌは答えた。
「そう伝えます」
「いつもそうだ」
医師は苛立ち、なじるようにいった。
「この子の命より実験が大事なのか?」
「そう、伝えます」
舌打ちを残して医師は出て行った。
「セリーヌ」
女性スタッフの不安げな声がする。
「私も危険だと思います。サラはこの状況を知っているんですか?」
「バイタルデータは常に送信されているわ」
セリーヌは疲れた声で言った。
「『続行』の指示を出しているのは、サラよ」
「……そんな」
「ここは私が見ます。あなたは少し休みなさい。三十分間の休憩を取って」
「わかりました」
部屋の中が静かになった。
ケインはごそごそと身体を動かし、ベッドの下から這い出た。
椅子にぐったりと座ったセリーヌが、虚脱したような顔をケインに向けていた。
「セリーヌ……?」
「教えて、ケイン」
セリーヌは虚ろな笑みを浮べた。
「誰がこの子を助けてくれるの?」
セリーヌは掠れた声で言った。頬を涙が伝う。
「このままでは、この子は……」
ケインはゆっくりと立ち上がった。
ベッドに横たわった白い服の少女を見下ろす。
骨と皮のようにやせ細った少女を。
「シンシア?」
頬はげっそりとこけ、細かった鼻梁は尖ったように浮き上がっている。
落ち窪んだ眼窩の影の中で、閉じられたまぶたまで黒ずんでいた。
鼻腔には酸素の管が差込まれ、棒のように細くなった左腕には何本もの薬液チューブが繋がれている。
もう一方の腕は、注射針の跡と内出血で青黒くまだらになっていた。
ケインはがくりと床に膝を突いた。
頭の中で様々な考えが奔流のように渦巻いた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
これを止めることはできなかったのか。
なぜ、もっと早くここに来なかったのか。
「すまない」
ケインは固めた拳に額を押し当て、声を絞り出した。
「遅くなって、すまない」
「あなたのせいじゃない」
ケインの背後で、セリーヌが言った。
「彼女は自分の意思で、この実験に参加したのよ」
「サラは『使命』だと言った」
ケインは顔を起こし、眠る少女の横顔を見つめた。
「……何が『使命』だ!」
ケインは骨のようになったシンシアの手をそっと握った。少しでも力を入れたら、折れてしまいそうだった。
「ひどすぎる」
ケインは呻いた。
「こんなに衰弱するまで、実験させるなんて!」
「彼女はここに来てから、一度もあなたの名前を口にしなかったわ」
セリーヌの言葉に、ケインはゆっくりと振り向いた。
「でも二ヶ月前、ひどいショック状態で研究所から戻って来た。それから一週間、彼女は眠り続けた」
ケインは思い当たった。
レプリカ・ギアと共にアーペンタイルを攻撃した、あの演習だ。
「彼女はうわごとで、あなたを呼び続けたの。ケイン、ケインって」
「シンシアが」
ケインは声を落とした。
「ケインの名を?」
「そう……そうよ!」
セリーヌは両手で顔を覆った。
「助けて、ケインって!」
ケインは眼を見開いた。
「何度も、何度も、ケイン、助けてって」
セリーヌは洟をすすり上げた。
「だから、私はメールを……」
「セリーヌ」
ケインは静かに言った。
「この施設の裏口はどこにある?」
涙に濡れた眼を大きく見開き、セリーヌはケインを凝視した。
「だめよ」
首を振り、懇願するように手を差し伸べる。
「チューブを外したら、この子は本当に死んでしまうわ!」
「……ここには置いておけない」
「やめて! お願いだから!」
「しかし」
「ほかに方法はないの? 考えて、ケイン!」
セリーヌは声を振り絞った。
ケインは握り締めた拳で自分の太腿を打ち叩いた。
「くそっ!」
ケインは立ち上がり、酔ったように上体をぐらぐらと揺らした。
「くそっ! どうしたらいいんだ!」
混乱した頭で必死に考える。
しかし、とっさに思いつくこの施設から脱出するアイデアはどれも短絡的で、とても現実に可能とは思えない。
ただシンシアに会うことばかりを思い、これほど危険な状態にいるとは想像もしていなかった自分の愚かさに怒りを覚える。
どうにかしてこの状況を変えなくてはならない。
しかし、どうやって?
「ありがとう、ケイン」
セリーヌの小さな声が聞こえた。
ケインは、ぎょっとして振り返った。
セリーヌが寂しげに微笑みながら、こちらを見つめている。
その瞳にははっきりとあきらめの色が浮んでいた。
「本当にありがとう」
セリーヌは静かに言った。
「ここに来てくれて」
「やめてくれ」
ケインは苦痛に顔を歪ませた。
「そんな言い方を、しないでくれ」
「彼女のことを忘れないでね」
「待ってくれ! 俺は、俺は!」
突然、バイタルセンサーのクリック音が早まった。
やり取りが聞こえたかのように、眠っているシンシアの生体が反応している。
「シンシア!」
ケインは痩せこけた少女に覆いかぶさった。
「俺だ! ケインだ! わかるか?」
脈拍のクリック音が不規則に飛び、警報に切り替わった。
「いけない!」
セリーヌは弾かれたように椅子から立ち上がり、ケインの腕をつかんだ。
「早く出て!」
「シンシア!」ケインは抗った。
「ここから出るのよ、ケイン!」
強い力で引っ張られ、ケインはドアから廊下に押し出された。
エレベーターホールから医師と医療スタッフがこちらに駆けてくる。
ケインはドアの前で顔を伏せて歩き出した。
スタッフ達と擦れ違う。
エレベーターで三階に降りる。
ケインはふらつく足を踏みしめ、ジェイミーとデイビッドのいる病室に向かった。