07 瀕死の戦隊
サラは隣接するコントロール・ルームの窓からコクーン室を見渡した。
天井の照明は暗く落とされ、スタッフは全員退室している。
広い地下室に、五十基以上に増設された白いコクーンが輪を描いて並んでいる。仄かなダウンライトに浮ぶ白い繭型の装置は、古代の地下墳墓に安置された棺のようにも見える。
サラは背筋に寒気を覚え、微かに身震いした。
コクーンの中に横たわったバトラー達の意識は既に肉体から離れ、スーパーコンピュータが構築した仮想空間に向かっている。
そこには科学者達が造り上げた想像的構築体が待ち受けている。それらは超知性が造るであろう未知の想像的構築体をシミュレートした結果、産み出されたものだ。
だが、サラは何か漠然とした違和感を拭い切れないでいた。
人間がどれほど計算し予想しても、そこには人工知能との根本的な論理の乖離があるような気がしてならない。科学者は本当に『未知の知性』を想像し得るのだろうか。予想し、推論し、演繹してもそれはあくまで人間が思考するロジックの範疇にある。人工知能が人間の思考を模倣しなければ、そこには全く異なる論理体系が生じているはずだ。
サラは今、自分達が立ち向かわなければいけない相手が、姿も顔さえも持たない、とてつもなく不気味なものに思えた。
ケインの意識はニュートラルな灰色の空間に浮んでいた。
座標情報を受け取り、三次元空間を認識する。
同時にエントリーした四名ずつ八組のブレイン・ギアとは、転送された先の仮想空間で合流する予定になっている。
エントリーには問題はなかった。
構築したアカツキの中に、自分の意識がしっかりと収まっている感覚を確認する。四肢の連動感、機体姿勢の制御、ギアが機動するすべてのイメージをカイル瞭に思い描くことができた。
オペレーターのアナウンスが耳元で囁いている。
ケインは指示された方向へアカツキを回転させた。
前方に白く明滅する細いリングが見える。それはブレイン・バトルで使われるトンネル状の誘導ゲートではなく、異なる仮想空間へギアを送り込む転送リングだ。
ケインは転送リングに意識を集め、アカツキを接近させた。
リングに張られた薄膜のようなスクリーンが青白い燐光を放っている。
この膜を通過すれば、その先は人工知能の仮想進化モデルが構築されている地球環境シミュレーション空間にダイレクトに繋がっている。いったい科学者達はどんな仮想進化モデルを作り出したのだろうか。
ケインは三ヶ月前に戦ったプロトタイプを思い出す。
フォークのように先端の裂けたねじれた黒い尖塔。あのモデルは自我を獲得した人工知能が進化する過程をシミュレートしていない、単にアーペンタイルの基本構造が変化したものだった。
しかし黒い塔を構成している三角形のフェイスの一つ一つには、人間の一生分の記憶が保存されていた。
ジェネラルとサラはその事実をバトラー達に伝えていない。
おそらくそれを事前に知ったとしても、混乱しか招かないとわかっているからだろう。確かに、対応するすべなど思いつかないし、バトラーの中には戦意を失う者さえ出るだろう。
—攻撃に専念させるためか。
記憶の最深層の底、障壁からサルベージされた『魂』は、サラによれば会話のできる『生きたデータ』だったという。黒い尖塔に現れたそれらにダガーを撃ち込んだ時の嫌な手応えが、ケインの意識をよぎった。
—魂の消去。
自分が攻撃する相手が過去の人間の『魂』だと知ったバトラーは、ケインと同じように強烈な衝撃を受け、そして動揺するだろう。
しかし、バトラーはそのショックをその状況の中で乗り越えねばならない。感情を越えて相手の存在を打ち砕かなければならない。
黒い尖塔を破壊したケインを、シルバーは『容赦ない』といった。
だが、このエントリーでバトラー全員がその『容赦のなさ』を獲得しなければならない。迷いと罪悪感を棄て、任務を遂行する揺るぎのない強靭な意思を持たなくてはならない。
サラはそれを、限界を超えるといったのだ。
オペレーターの緊張した声が告げている。
『圧縮転送を開始します。強い衝撃がありますので、意識をしっかり保って下さい』
アカツキの中でケインは深く呼吸を意識した。
圧縮転送は初めてで、その衝撃の度合いも分からない。
しかし、耐えるしかない。
『転送』
アナウンスと共に、アカツキの機体はスクリーンに吸い込まれた。
空間に白く輝く細いリングが浮かび上がった。
それは一気に数を増やし、三十二の輪が中空にランダムに配置される。
下方を向いたリングの内側が発光し、なにかの形が薄膜を押し出すように隆起して来た。極限まで伸び切った塊は水滴が垂れるように薄膜から分離する。塊を包んでいた光が弾けて消えると、圧縮転送されたブレイン・ギアが姿を現した。
全身が水面に叩きつけられたような衝撃だった。
ブレインギアの構築情報は一瞬で圧縮され、転送と同時に復元された。
リングから分離したアカツキは地表に向かって落下していた。
ケインは一瞬で空間認識を取り戻し、急制動をかけてアカツキを静止させた。
上空には転送を終えたリングが光量を落とした待機状態になって浮んでいる。
アカツキの周囲には転送されたギア達が降下速度を緩め、同じチームを探して位置を入れ替えている。
頭上で閃光が瞬いた。
はっとして見上げると、転送の終わっていないリングが激しく明滅しながら白金の焔を噴いている。
瞬きをする間もなかった。
その転送リングは音もなく飛び散った。
真っ白な炎の中からいくつかの大きな塊が落下し、アカツキをかすめた。それは明らかにブレイン・ギアの一部だった。
ケインは衝撃を受けた。
圧縮転送がこれほど危険なものだったとは。
「回避!」
誰かが叫んだ。反射的にギアを急発進させる。
同時に動き出した他のギアと激突しそうになる。かろうじて身を躱しながらケインはアカツキを飛翔させた。
視界の隅で何かが四散している。
黒い尖ったものが下方から突き上がり、空中のギアを貫いていた。
「攻撃されている!」
悲鳴が聞こえた。ケインの目の前に黒い槍が立ちふさがった。回避できない距離だ。ケインは雄叫びを上げながら黒い槍に突っ込んだ。
空間が広がった。
振り返ると垂直に突き上がった黒い槍は分断され、穂先が斜めに落下していく。アカツキは両手に構えた太刀を交差させ、一瞬で納刀した。
考えている時間などなかった。
宙返りで反転すると、地表面に黒い湖が広がっているのが見えた。
そこから氷柱のように細い槍が何本も突き上がり、先端にブレイン・ギアが刺さっている。
ケインは叫び声を上げながら、味方を貫いている黒い槍にダガーを連投した。
黒い湖にナパーム弾が炸裂するオレンジ色の爆炎が広がった。
転送された直後の攻撃をかわしたブレイン・ギアたちが反撃に移ったのだ。しかし、僅か十秒にも満たない間に、何体ものギアが破壊されてしまった。
これでは戦術も何もない。ただひたすら攻撃するしかない。
その時、ジェネラルの声が響いた。
「上昇!」
ギアたちは一斉に急上昇した。
「ツーマンセル!」
最も近いギアを確認し、二体一組になる。
背中合わせになって死角を消すと、ようやく周囲の状況を見る余裕ができた。
アカツキは下方から突き上がって来た黒い槍を薙ぎ払った。
背後のギアが繰り出した真紅の長剣が槍の切断面に深々と突き刺さる。伸展した赤い長剣は激しく振動し、黒い槍を根元まで粉々に打ち砕いた。
「お前か、サムライ」
闘牛士のようなスリムな人型のギアがいった。
アントニオのブレイン・ギア、エスパーダ・ロホだ。
「どういうことだ、これは!」ケインは叫んだ。
「わめくな」
赤い服の闘牛士は低く言った。
「くそっ、随分やられちまったな」
ケインは周囲を見た。ペアを組んだギアたちが同高度に浮んでいる。その数は十組もない。あっという間に半数近くが破壊されたことになる。
「大丈夫か、サムライ?」
ジェットとレディ・Sが接近してくる。
「ダービーは?」
「あっちにいる。フィルと組んだ」ニーナが答えた。
ケインはほっと安堵の息をついた。
アントニオは周囲を見回した。
「なんだ、この空間は……?」
ケイン達が転送されて来た仮想空間は、アーペンタイルが構築された地球型環境ステージのはずだ。
しかし空にも地表にもテクチャーは描出されていない。地表面を構成するメッシュと、灰色の空には座標ポイントが網の目のように並んでいるだけだ。
最低限のテクスチャー描出さえも抑えて、コンピュータのパワーを仮想進化モデルの挙動だけに注ぎ込んでいる。
「科学者め、お前達はなんてものを造ったんだ!」
怒りに震える声が聞こえた。
ハンコックのギア、黒ずくめのブラック・コブラが巨大なロケットランチャーを肩に担ぎ、発射口を地表に向けている。
「シューターが一斉攻撃!」
無骨な鋼鉄の箱が降下してきた。ジェネラルのギアが砲塔を回しながら叫ぶ。
「近接タイプは四方向から三十度の角度で突入!」
エスパーダ・ロホが赤い長剣を構える。
「十秒後に離脱し、ボマーが広範囲爆撃。いいな?」
ジェネラルは次々に指示を与え、二連砲塔を黒い湖に向けた。
「全火器、ファイア!」
シューターの銃口が火を吹いた。
下方に広がる黒い湖に猛烈な爆炎が巻き起こった。降り注ぐ銃弾とミサイルの嵐が、地表を覆う黒いフェイスを次々に破壊していく。
近接戦闘タイプのギアが周囲から斬り掛かった。
刀剣や槍による斬撃だが、招集されたどのギアも広範囲に渡る破壊力を武器に込めている。激しい斬撃の波が黒い湖を卍型に切り裂いた。
ケインやアントニオが離脱した瞬間、ボマー系のギアが投下した無数の爆弾が炸裂した。広範囲爆撃は黒い湖を覆い尽くし、現れているフェイスすべてを炎の海に呑み込んだ。
「やったわ!」
シェリルのギア、ネフェルティティが宝石を散りばめた装飾短銃を突き上げた。
転送直後に受けた攻撃で多くの仲間を失い、残されたバトラー達の怒りは沸点に達していた。
自身の攻撃イメージに疑いを持つ間もなく、仮想進化モデルに容赦ない攻撃を加えていく。
「攻撃は有効だ!」
青い球体、ダービーのジーニアスが接近し、ケインに叫んだ。
「これなら勝てる!」
プロトタイプとの戦闘で苦戦したのが嘘のようだ。
怒りの力が、有無を言わせぬ破壊の意志となって攻撃力を飛躍的に上げたのかも知れない。
地表を覆っていた黒い仮想進化モデルはほとんどの構築体を失い、残されたフェイスの塊がもがくようにうごめいている。フェイスに込められた過去の人間の魂が視覚化することもなく、これで決着がつくかと思われた。
突然、地表全体が振動した。
地表面からせり上がるように新しいフェイスが現れ、欠損部分を補填していく。みるみるうちに黒い湖が再生された。
フェイスは何層にも重なって存在し、地表下に隠されていたのだ。
「しぶとい奴め!」
クーガーが叫んだ。
「くらえ!」
メタルブルーに輝くクーガーのブレイン・ギアが両腕に構えたバスターロッドを地表に向けた。伸縮する二本のトンファーが再生された地表に突き刺さり、広大な黒い湖を一直線に切り裂いた。
「こっちもいくぞ!」
シルバーが拳を振り上げた。
「マキシマム・ショットガン!」
見えない力感の塊が散弾となって黒い湖に降り注ぎ、一面が穴だらけになる。
ニーナが無言でレディ・Sの両腕を振り下ろした。
指先から走った細い線が地表に刺さり、残されたフェイスすべてから黒い棘が飛び出した。
「反転!」
棘のエネルギーを押し込まれた黒いフェイスは、内側からガラス板のように粉々に破砕される。
「さすが、スペシャリティだな」
ジェネラルの声が響く。
「そんな攻撃が可能だなんて、昔じゃ考えられなかった」
「見て! あれを!」パティの声が叫んだ。
すべてが破壊されたように思えた黒い湖は、再びその姿を地表に現していた。
「何層重なっているんだ!」
「一気にすべての積層を貫通するしかない」
「そんなこと、不可能だ!」
「やる前から諦めるな!」
シルバーが叫んだ。振り上げた両腕の先に力感が膨れ上がり、朦朧とした巨大な斧を形作った。
「くらえ! ファイナル・アックス!」
ジェット・ストライカーはそのパワーの塊を思い切り叩き付けた。
空間に衝撃波が走り、地表面に露出している黒い湖の片側が大きく陥没した。巨大なパワーに押し下げられ、黒い湖全体が傾いて反対側が浮き上がる。仮想進化モデルの積層構造の厚みが露出した。
「あれが全体だ!」ダービーが叫んだ。
「あの厚みを認識するんだ!」
ジェネラルが叫んだ。
「貫通する攻撃イメージを共有しろ!」
「潜るぞ!」誰かが叫んだ。
いったんは全体を浮き上がらせた構造体が地表面に沈み込もうとしている。
「させるかよ!」
ブロンコの野太い声が響いた。
黒い大きな塊が地表に落下した。バウンドしながら黒い湖に突進すると、浮き上がった縁に激突する。塊からごつごつした太い四肢が伸び、巨人が立ち上がった。ブロンコのギア、タイタンが沈もうとする構造体の縁を掴み、野獣のような怒声を放った。
「ごあああああああああ!」
沈降する構造体の動きが止まった。とてつもない怪力だ。
「私がやる!」
パティのピンク色のギアがフリルで飾られた両腕を開き、指先を下に向けた。
「クリスタル・キャッスル!」
空間に透明に輝く柱が現れた。
林立する数十本の水晶の柱が一瞬で黒い湖に突き刺さった。
薄桃色の水晶がストロボのように煌めくと、水平に枝が何本も伸びてお互いを繋ぎ合う。黒い湖は水晶の格子に貫かれ、囲い込まれた。
「ファイア!」
間髪を入れず、ジェネラルが叫んだ。
シューターが一斉に砲撃を放った。
爆炎と黒煙が巻き上がり、下方からの視界が遮られる。ギアたちは命じられる前に四方に散開し、黒い槍の攻撃に備えている。
「やったのか?」
薄れる黒煙の中に光り輝く水晶の牢獄が透けて見える。
超硬質のイメージは激しい砲撃にもびくともしない。囲い込んでいた黒い構造体は破壊されたようだ。
不意に周囲が静まり返った。
距離を取っていたブレイン・ギア達は、自分の足元に黒い水が流れるのを見た。水晶の格子に囲い込まれていた構造体は積層構造を解き、格子の隙間から周囲へと流れ出していた。
黒い湖は染みが滲むようにその面積を急激に広げていく。
「このくそやろう!」
タイタンが足元を浸す黒いフェイスを殴りつける。
その途端、黒い槍が束になってフェイスから伸び、タイタンの巨体を空中に突き上げた。
タイタンは何か口汚く罵りながら、槍の穂先を掴んでへし折っている。
「馬鹿だけど、大した奴だ」シルバーは感心した。
「まずい!」
ダービーが周囲を素早く見回した。
「ジェネラル!」
鉄の箱が青い球体の前で急停止した。
「どこだ!」ジェネラルが叫ぶ。
「あそこ!」
ダービーは前方を指差し、ケインを振り返った。
「ケイン! 突っ込んで!」
アカツキは弾かれたように空間を突進した。すぐにエスパーダ・ロホとメタルブルーのギア、GTRがアカツキの左右に並ぶ。
「ブレーキはなしだぜ、サムライ」
青いギアがにやりと笑う。
「軽くぶち抜くさ」
エスパーダが深紅の剣を構えた。
ダービーの危機察知は素早かった。
周囲に伸展した黒い湖はその周辺部を垂直に立ち上げていた。丸い平皿の縁が上に伸び、鍋のように周囲を取り囲もうとしている。
もし上方に逃げたとしても、距離の限度のないイメージの世界では、黒い槍はどこまでも追ってくるだろう。それは無限のループに陥ることになる。
前方の壁は見る見るうちに高さを増し、既に飛翔するギアと同高度に達している。三機のギアはせり上がってくる黒い壁に突進した。
激突する刹那、ケインは渾身の気を込めた居合いを放った。
白い閃光が走った。
強烈な斬撃のイメージが重なり合った構造体の壁を切り裂き、吹き飛ばした。
アカツキは大きく開いた穴から壁の外側に飛び出していた。
少し遅れて後方で爆音が上がった。
青と赤のブレイン・ギアがきりもみ状に絡まりながら黒い壁の穴から飛び出してくる。
「まだだ!」ケインは叫んだ。
三機はすぐさま反転し、壁の開口部に再び突入した。
積層構造の壁は、厚さに対してフェイスの面が直角になっている。
その角度からの黒い槍の攻撃はないと確信できた。
早くも周囲のフェイスをスライドさせ、穴を塞ごうとしている断面部分に、ケインとクーガー、アントニオは斬り掛かった。
三方に別れて壁を斬りまくる。再生する間もなく、壁に開いた穴は周囲に広がっていった。
穴から後続のギアが続々と脱出してくる。
少し離れた黒い壁が爆発を起こし、タイタンが自力で飛び出して来た。
「距離を取れ!」
ジェネラルの声が響く。
ギア達は黒い壁から離れ、外壁に沿って旋回を始めた。
シェリルが悲鳴を上げた。
「見て! 追ってくる!」
立ち上がっていた黒い壁があっという間に崩れ落ち、黒い波となって飛翔するギアをめがけて流れてくる。それはギアの飛翔スピードをも上回る悪夢のような速さだった。
気付いた時には、再び足元は黒い湖に覆われていた。
いや、ぐねぐねと波立ちうごめく水面は巨大なアメーバだった。
黒いアメーバは飛び回るブレイン・ギアを追い詰め、補食しようとしている。
逃げ場を失ったブレイン・ギア達はジェネラルを中心に集まっていた。
周囲に武器を向け、迎撃態勢を取る。もうそれしか対応のしようがなかった。
「この速さは想定外だった」
ジェネラルは呻いた。
「これでは逃げ切れない」
「敵のフェイスの数は有限です!」
ダービーが叫ぶ。
「攻撃し続ければ、まだ望みはある!」
フィルの声が小さく聞こえた。
「俺は、もう限界だ。もう……」
ジェネラルは振り返った。フィルのギアの形態が霞み、薄くなっていく。精神力を使い果たして、構築体が維持できなくなったのだ。
「フィル! しっかりしろ!」
「も……う……」
フィルのギアが消えていく。
黒い水面から無数のフェイスが螺旋状にねじれながら空中に立ち上がった。
何本もの黒い竜巻が、轟々と渦を巻きながらギアの周囲を取り囲む。更にその周囲にも竜巻が現れた。
生き残ったギア達を十数本の巨大な竜巻が取り囲み、その間隔を徐々に狭めていく。
「くそっ!」
クーガーが周囲を見回して叫んだ。
「どうすればいい!」
「ジェット・ストライク!」
シルバーのが放った究極の一撃は黒い竜巻を突き破り、その後方の竜巻も霧散させた。しかし分断された竜巻はすぐに繋がり、激しさを増して迫ってくる。
「力が欲しい!」
シルバーは声を震わせ、絶叫した。
「俺に、もっと力を!」
遥か上空まで伸び上がっていた黒い竜巻の先端が周囲に広がった。
水面にインクを垂らしたように水平に伸展していく。
黒いフェイスの雲は、あっという間に黒の天蓋となって空を覆い尽くした。
地表面に広がり、周囲を取り囲み、上空をも制圧する。
仮想進化モデルは、生き残ったギアたちを完全に包囲した。
ケインは黒く覆われた頭上に絶望の眼差しを向けた。
—ここで、死ぬのか。
戦意を失うことは死を意味する。
しかし、この状況ではどう足掻いても打開できる見込みはない。
仮想進化モデルはケイン達の予想を遥かに越えて素早く強力だった。
人間の想像力を上回り、限界を超えたのは科学者の創りだした仮想進化モデルだったのだ。
—メギドの火。
ケインはアカツキの掌を見つめた。
—なぜ、発現しないんだ?
イメージの戦いで、これほどまで追い詰められたことはなかった。
記憶深々層の膨大な精神圧の中に剥き出しで投げ出された時でさえ、ここまで死を予感したことはなかった。
それなのになぜ、終焉の炎は発現しないのか。
世界を焼き尽くした炎があれば、この敵さえ焼き払える筈なのに。
ケインは黒い空に向かい、絶望の叫びを上げた。
「なぜだ!」
突然、黒い天蓋が炸裂した。
直下の黒いフェイスが水面が沸騰したように沸き立っている。
その範囲はあっという間に周囲に広がり、轟々と渦巻いていた黒い竜巻の群れを粉砕した。
「逃げろ!」
ケインは咄嗟に叫んだ。
「巻き込まれるぞ!」
ギアたちは一瞬で散開した。
急加速する機体を銃弾がかすめる。
直上から降り注ぐ機銃弾の雨は、もはや瀑布といってよかった。
照準などないように狂ったように撃ち込まれる銃弾は、仮想進化モデルを蹂躙し、ガラスのようにフェイスを打ち砕いていく。
こんな射撃ができるギアは一機しかない。
しかしこの莫大な銃弾の量は、単機のギアが可能な攻撃ではなかった。
飛翔するアカツキの下方に見えていた地表面の黒いフェイスが尽きた。
外縁部の先に逃げる事ができたのだ。
ケインは上空を振り仰いだ。
—アッシュ!
ケインは絶句した。
遥か高空から猛烈な発射炎を振りまきながら白いギアが降下してくる。
しかし、その数は、十機以上あった。
アントニオが茫然として空を見上げている。
「なんだあれは……?」
接近する青いGTRの肩に火花が散った。
「ぐあっ!」
クーガーが叫ぶ。
「あいつ気違いか! どこに撃っている!」
「アッシュ!」
ケインは白い十数機のギアに叫んだ。
「味方を撃つな!」
「離れて!」
声と同時にレディ・Sがアカツキにタックルした。
寸前までいた空間を機銃弾が薙ぎ払っていく。
「みんな、離脱して!」
シェリルが叫び、残ったギアは更に距離を取った。
「またあいつか!」シルバーが怒声を上げる。
「……助かった」
ダービーが大きく息を吐いた。
「僕たちは、助かったんだ」
「サムライ、あのギアは?」
ジェネラルがアカツキの前に急制動をかけて停止した。
「アッシュ・ガール、連盟直属のギアです」
ジェネラルは降下してくる白いギアを見上げ、息を呑んだ。
「あれが、連盟のギア……」
「しかし、なぜ同じ機体があんなに?」
ジェネラルは低く言った。
「レプリカ・ギアだ」
「レプリカ?」
ケインは思い出した。障壁に達する前のバトルで、連盟のギアが本来のバトルステージにレプリカ・ギアを送り込んだことを。
「しかし、あの数は尋常じゃない。どれだけのイメージ総量を振り分けたのか」
ジェネラルは声を絞り出した。
「アシュレイ、貴方はなんてことを……」
降下する白いギアが両腕に装備している巨大な機関砲は、明らかに戦闘機で使用される高性能バルカン砲だった。
とても人間が扱える物ではない。しかも数分に渡って休みなく機銃弾を発射し続けている。現実ではあり得ないことだ。
その射出量だけでも驚異的なイメージの持続力だといえた。
更にそれが十数体のレプリカまで同じ銃撃を続けている。一体どれだけのイメージ量があれば可能なのか想像もつかなかった。
低空まで降下した白いギア達は、地表面に残ったフェイスを攻撃し続けている。一つのフェイスさえ逃さないように執拗に銃弾を叩き込む様子は、鬼気迫る物さえ感じられた。
「低すぎる」誰かが言った。
ケインは白いギアを見た。確かにどんどん高度を下げている。
「動きがコントロールできないの?」
ニーナが声を上げた。
「近づき過ぎている!」
ダービーが切迫した声でいった。
「まずい……危険だ!」
黒い地表から、黒い槍が突き出された。
仮想進化モデルは回避できない距離まで近づくのを待っていたのだ。
地表まで降下した白いギアを、残ったフェイスから突き上がった黒い槍がまっすぐに貫通した。十数体の白いギアはすべてが細く長い槍に貫かれ、空中にピンで張り付けられた標本のように動きを止めた。
何の防御も取らず高度を下げたのは、自ら攻撃を受けるためのようにさえ思えた。
「アッシュ!」
ケインはアカツキを突進させた。
槍に貫かれた白いレプリカ・ギアたちは苦しげにもがきながら、バルカン砲を下方に向け残された銃弾を撃ち込んでいる。
そして最後に自分を貫いた槍を粉砕すると、その姿は落下する途中で塵のように空中に消えていった。
一体だけ残ったギアが、アッシュ・ガールだった。
背中を貫かれて仰け反った白いギアが顔を起こし、接近するアカツキに視線を向けた。
目鼻のない白い顔から、確かに赤い血の涙が流れているのをケインは見た。
「アッシュ!」
ケインは太刀を振って黒い槍を斬り下ろした。
白いギアを片腕に抱え、地表に着地する。
両腕の先から肩まで覆っていた巨大なバルカン砲が弾けたように分解し、地面に散らばり落ちた。
ケインは太刀を納め、細いギアの機体を抱え起こした。
「アッシュ!」
白いギアの存在感はひどく頼りなげだった。
今にも腕の中で消えてしまいそうだ。
ケインは激しく混乱した。どうしてこんなことになってしまったのか?
ケインの前に黒い影が落ちた。
アカツキはゆっくりと顔を上げた。
最後に残された数体のフェイスが集合して黒い壁となって立ち上がり、アカツキとアッシュ・ガールを見下ろしている。
その黒いフェイスの中から、人間の顔がじっと視線を向けていた。
感情のない、無表情な顔だった。
いや、過去の魂の視線にはすべての感情と、それらを上書きして塗りつぶす例えようのないほどの哀しみが詰まっていた。
「……消えろ」
ケインは呟いた。
「……消えてくれ」
白いギアを抱え、うずくまったアカツキの背中から赤い炎が噴き出す。
ケインはこみ上げる激情に声を震わせ、絶叫した。
「消えてしまええええええ!」
紅蓮の炎が轟然と巻き起こり、巨大な火柱となって天に突き立った。