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06 精鋭たち


 ブレイン・バトルに革命的な変化が生じていた。

 契機となったのはバトル・ルールの変更だ。


 すべてのポイント制の廃止。


 全世界のブレイン・バトル業界が騒然となった。

 それは規則変更のレベルを越えて、ブレイン・バトルが完全に別カテゴリーの競技に変貌したといっていい程の激変だった。


 今までは仮想の装備である武器や防具などにポイントを設定し、攻撃力と防御力の差はポイントの加減で現されていた。それは対戦格闘ゲームをルーツとして誕生したブレイン・バトルにとって根幹のコンセプトであり、世界観にも相当するものだ。

 もともとイメージによる戦闘は、精神力をぶつけあい相手を打ち倒すという相対的で基準のない世界だ。

 ポイント制はその混沌とした世界に基準を与えるゲーム・システムだった。

 そのシステムを捨て去ることを、ブレイン・バトルの運営母体である国際共通通貨連盟の最高評議会は突如として決め、そして実行した。


 最も困惑したのは観客でもなく興行主でもなく、ブレイン・バトラー自身であっただろう。

 イメージを数値として捉えていた感覚が消え失せ、イメージを制御できずにパニックを起こす者や、自分が産み出したイメージに実感が持てずに『自身喪失』する者が続出した。

 同時に新ルールでは賭けイベントとしての興行は不可能として、各国の多くのプロモーターが連盟の傘下から離れ、従来のポイント制ブレイン・バトルを独立興行として続けると表明した。新ルールに適応できないバトラー達は、それらのプロモーターの元に次々に参入して行った。


 ルール変更後のブレイン・バトルはどうなったか?


 ポイントという尺度を持たない攻撃力と防御力のせめぎ合いは、はっきりとしたダメージが測定できない曖昧なものになった。

 その一方で、既成概念的な武器に囚われない、全く新しい攻撃方法も現れた。それらは暫定的に『スペシャリティ』と呼ばれることになった。


 それは新たな変化であり、新鮮な驚きだった。


 ポイント制という規制から開放されたと感じたブレイン・バトラー達は、枷を外されたように戦いのイメージを拡大し増大させた。

 新ルールには規範に収まらないオリジナリティや創造性を抑圧する制約は何もなかった。

 より強くより速く、柔軟であり奇想天外で幻想的という、奔放なほどに自由で豊穣なイメージの世界を現出させた。


 今まで認知されなかった武器や攻撃、それは魔法のようなものから東洋武術に見られる気合いを使った技、そして物質や空間を変質・操作するものまでが現れた。それらはまさに神話の神々が雷を投げ合うような驚異的でファンタジックといえるバトルだった。


 そして、その荒唐無稽な攻撃のほとんどが有効だった。

 驚くべきことに、それらの攻撃はバトラー個人が思い込んだイメージではなく、人間は超常的で神話的・魔法的な攻撃に対して本能的な畏怖感、脅威と威力を感じる感覚を持っていた。


 きっかけはある一つのバトルだった。

 イメージトレースされた現代の最新銃火器と、火炎や雷、氷雪が渦巻く魔法攻撃がぶつかり合うさまは、今まで誰も見たことがない鮮烈なイメージのサーカスだった。防御のイメージも制約から解き放たれ、堅牢な岩の砦は巨大な城塞に変化し、そびえ立つ要塞同士が地響きを立てて激突した。


 その映像はあっという間に世界中に広まり、他のバトラーを強烈に刺激した。


 今まで考えもしなかった戦い方が『可能』だと気がついたバトラー達は、自身のイメージを縛っていた鎖を解き放った。


 イメージの革新は一夜で世界中のバトラーの意識を書き換えた。


 驚異的なバトルが次々に展開された。

 人々はブレイン・バトル会場の観客席で、ブレイン・デバイスを装着したブレイン・シアターで、革新的なバトルを体感し熱狂した。各国のバトルがインターネットに次々にアップされ、世界中で爆発的に視聴された。


 ルール変更後に落ち込んでいた興行収益は急激に上昇した。

 今まで疑似戦争的というネガティブイメージを配慮していた各国企業が、ファンタジックでダイナミックに変化したブレイン・バトルに広告を出し始め、大幅な収益増大をもたらした。


 連盟は上向いた収益を配当金の増額に当て、独立興行へと一旦は流出した購買客の引き戻しと、新たな顧客層の創出に成功した。


 あるメディアはこう論じた。

 人間の想像力を数値化することで一般に理解しやすくし、段階を見計らってその枷を外し、想像力を自由に開放させる。


 ブレイン・バトルそのものが、人間の脳が本来持っていながら発揮されていないイメージング能力のポテンシャルを引き出すための、壮大な実験計画なのではないかと。




「これは考え過ぎだろ」

 シルバーは読んでいた記事を指差した。

「お前はどう思う、サムライ?」


 シルバーがデータパッドを差し出す。

 画面の記事は、俺も読んでいた。


「ブレイン・バトルが実験という考えは別にしても、人間の想像力には限界はないと思う。それは、実感できる」


 強い否定が返ってくると思ったが、シルバーは真面目な顔で言った。


「想像する力の限界って、なんだろうな?」

 白人の若者は自分の拳を見つめた。

「無限にイメージのパワーを増やせるとしたら、それは逆に恐ろしいことじゃないか」


「増大を繰り返せば最終的にインフレーションが起きるね」

 黒人の少年、ダービーが口を挟んだ。

「宇宙みたいに、どかん!って」


 ニーナが首を傾げて言う。

「なにそれ?」


「ええと、この宇宙はビッグバンから始まった。でもその直前に、インフレーションという超高温で超高圧の極微の状態があったんだ。それが宇宙誕生の瞬間だ」


「イメージが宇宙を造るの?」


 深々とソファに座っていたシルバーは両腕を突き上げ、大欠伸をした。


「話が大きすぎる」

 ソファから身体を起こし、ゆっくり周囲を見回した。

「さしあたっての問題は、この鬱陶しい連中と、ちゃんと連携行動が取れるかってことだ」


「向こうもそう思っているみたいよ」

 ニーナはくすくすと笑った。



 屋敷の地下にある広いラウンジは、一流ホテルの貴賓室のような豪奢なインテリアで飾られている。

 室内には数十人の男女がソファに座り、思い思いの姿勢で寛いでいた。中には床に直接寝そべったり、鏡に向かってシャドーボクシングをしたり、身体をくねらせて踊りに没頭している者がいる。どう見てもまともな集団とは思えない。


 彼等は連盟が招集したアーペンタイル攻撃作戦に参加するブレイン・バトラーだ。しかも全員がルール改正後に本来の能力を解き放った者達、つまり常人のレベルを越えたイメージ想起力を持っている精鋭達だった。

 俺自身もこれだけのトップクラスのバトラーが集合する場にいるのは初めてだった。


「よう、ジェット」


 強い体臭が臭った。

 レスラーのような髭面の大男がシルバーの前に仁王立ちしている。


「よう、ブロンコ・ビリー」

 シルバーは露骨に顔をしかめた。

「何か用か?」


「相変わらずにやけた顔だな」

 大男は暗く冷たい眼で見下した。

「このすかしたオカマ野郎が!」


 シルバーは呆れかえった。

「まともに喋れないのか」


「さて」

 大男は丸太のような腕を組んだ。

「久々に会ったんだ。俺様にきちんと挨拶してもらおうか」


「わかった」

 シルバーは立ち上がり、大男に向かってぐいと胸を張った。

「ご機嫌いかがですか、《《くそ》》ブロンコさん」


「てめえ!」

 大男は怒声を放った。


 ブロンコの右フックを屈んで躱すと、シルバーは伸び上がってアッパーを突き上げる。ブロンコは巨体に似合わぬ柔らかさでスウェイし、両腕で熊のようにシルバーを抱きかかえた。


「背骨をへし折ってやる!」


 風のようにニーナが動き、スライディングでブロンコの足を薙ぎ払った。

 地響きを立てて二人は床に倒れ込む。ニーナは仰向けになったブロンコの頭部を両膝で挟み込み、手刀をかざした。


「眼を潰すよ!」

 ニーナはぴしりといった。


「ごめんだね」

 ブロンコはにやりと笑うと、胸に乗せたシルバーをニーナに向かって突き上げた。


「きゃっ!」

 ニーナは仰け反って倒れる。


 周りのバトラーから声がかかる。


「ブロンコ、止めとけ! そんな若造につっかんな!」


「おい! ブロンコ!」


「うるせえ! 黙ってろ!」

 ブロンコは吼え、いきなり俺に視線を向けた。

「てめえも仲間か、くそサムライ!」


 ブロンコは地響きを立てて俺に迫った。



 俺は反射的に立ち上がり、防御の構えを取る。

 ブロンコはものもいわずに殴りかかった。

 体を開いて拳を躱し、胸元をかすった腕の手首を握り、軸足を入れ替える。それらの動作を俺は一瞬で行った。

 掴まれた手首を引かれたブロンコはつんのめるように体を泳がせた。

 俺の腰が沈むと手首を支点にして巨体がふわりと空中に浮び、大きな弧を描いて床に叩きつけられる。


「ぐあっ!」


 仰向けに倒れてもがくブロンコの喉元を、スーツを着た背の高い老紳士が踏みつけた。


「くそったれ!」

 大男は靴を掴んでわめいた。

「足をどかせ、このじじい!」


「じじいって言うな」

 白髪の老紳士は革靴に体重を乗せた。ブロンコは苦悶の声を上げる。


 周囲のバトラー達がざわめいている。


「ジェネラルだ」


「いつからいたんだ?」


「いや、生きていたのか?」


 老紳士は耳聡く聞きとがめた。

「勝手に殺すな」


「やめなさい!」

 サラの厳しい声が室内に響いた。

「何をやっているの!」


「ウォーミングアップさ」

 シルバーはぼそりというと、ニーナを抱え起こした。


 サラがきっと俺を睨む。

「ケイン! あなたまで!」


「そう怒るな、サラ」

 老紳士はブロンコから離れると、俺の肩を抱え、弁護した。

「彼は関係ない」


「ブロンコ!」

 サラは矛先を変え、床に座り込んだ大男の前に立った。


「なんだよ」

 髭の大男はふてくされて顔を背ける。

「今度乱暴をしたら記憶を消すわよ!」


「できるもんか」

 ブロンコは吐き捨てた。

「やってみろ、くそ女」


「あいつ馬鹿だな。本当に消されるぞ」

 白髪の老人は俺の耳元で笑った。

「良い動きだった、ボーイ。タイジュツだな」


「体術? いや、身体が勝手に動いて」


「ほう」

 老人は眠たげに垂れたまぶたの下から鳶色の瞳を向け、軽くウインクした。

「それは素晴らしい」


「あなたは?」


「俺を知らないのか」

 老紳士は皺の刻まれた顔を悲しげに歪めた。

「世代交代だな」


「ジェネラル!」

 ダービーが老人に声をかけた。

「お会いできて光栄です。伝説のコマンダー」


「もっと言ってかまわんよ」

 ジェネラルは急に上機嫌になり、俺の背中を叩いた。

「皆を頼んだぞ、サムライ」


「え?」


 白髪の男はサラに歩み寄ると、何事もなかったかのようにその隣に立った。


「まったく」

 サラは大きく溜息をつき、『集合』といいかけて苦笑を洩らした。

「……しているわね」


 いつのまにかバトラー全員が席を立ち、サラの前に集まっていた。いや、バトラー達は皆、ジェネラルと呼ばれた老紳士に視線を向けている。


 サラはバトラー達に向かい合い、緊張した面持ちで言った。


「最初に確認しておきます。これからエントリーするバトルはシミュレーションではありません。実戦です」

 バトラー達の態度に変化はない。サラは眉根を寄せた。

「『実戦』の意味が分かっていないようね?」


「サラ、私が言おう」

 白髪の老紳士が前に出た。

「この作戦の指揮を執る、ロイ・バーンスタインだ」


 バーンスタインは客を迎えるホストのように、柔和な笑みを浮かべた。


「今回のエントリーには国際共通通貨連盟から破格のギャランティが用意されている。それはなぜか?」


 居並んだブレイン・バトラーの顔を一人一人、順に見渡していく。

 誰も答えない。


「わからないか?」

 老紳士は最前列に立つ、屈強な黒人に向かって微笑んだ。

「教えてくれ、ハンコック?」


 突然指名された黒人は、驚く様子もなく知的な口調で答えた。


「今回のエントリーはある大規模プロジェクトの一部に当たる。そのプロジェクトは国家最高機密に属する極秘軍事作戦であり、同時に」

 ハンコックは息を継いだ。

「生命を失う危険を伴う」


「その通り。連盟のエージェントは契約時にそう説明したはずだ」

 白髪の老人は満足げに微笑んだ。

「では、まだこれをバトルシュミレーションだと思っている奴はいるか?」


 当然のように誰も答えない。


「いないのか?」

 残念そうに言う。

「そいつは倍額を受け取れるのにな」


 ラテン系の美男子が指を上げた。

「ジェネラル、それは違う。倍額は死亡した場合の金額だ」


「その通りだ、アントニオ」

 男は皺に埋もれた鳶色の瞳を向けた。

「ブガッティの納車はいつだ?」


「よく知っているな」

 若い男は苦笑してみせた。

「ジェネラル、あんたの情報網は健在のようだな?」


「アントニオ、今回の報酬で購入費用を払うつもりらしいが」

 バーンスタインは静かに言った。

「このエントリーを甘く見ると、せっかくの新車に乗れなくなるぞ」


 アントニオの美しい顔がすっと鋭くなる。

「それは、笑えないな」


「そんなに危険なの、ジェネラル?」

 小柄な黒髪の女性がきょとんとした顔で訊いた。


「久しぶりだな、パティ」

 バーンスタインは破顔した。

「そう、まぁ危険といえるな。アンリミテッドの百倍くらいは」


「マジかよ! 俺は聞いてねぇぞ!」

 ブロンコの野太い声が響く。


「マジでチョーキケンだ。言っている意味はわかるな、ブロンコ?」

 大男は口を閉じ、暗い眼で睨みつける。


「百倍という根拠は?」

 眼鏡をかけた知的な風貌の白人が言った。


「ドクター・ランディ、細かい数字は、まぁ気にするな」


 後方からシルバーが声を上げた。

「あれは、数値で測れるような相手じゃない」


 全員が振り返り、白人青年に視線を向ける。


「俺達はプロトタイプと戦った。データで判断しない方がいい」


「君には聞いていない」

 ランディは教師が生徒を叱るように言うと、ジェネラルに視線を戻した。

「危機感だけを煽られても困る。なぜ事前に情報を開示しない?」


 ラウンジの中が、しんと静まり返った。


 バーンスタインは咳払いをすると、全員の顔を見渡した。


「シルバーが戦ったプロトタイプは、仮想進化モデルと呼ばれるダミーだった。実際には現在の相手の情報は全くない。そして、今後も得られない」


 バトラー達の間に動揺が走った。

「どういうことだ?」


「敵がわからないなんて」


「どうやって戦うの?」


「みんな、聞いてくれ」

 バーンスタインは手を上げて言った。

「意識を切り替えて欲しい。これは本当に『未知の敵との戦闘』なんだ」


 ランディはむっとして顔を強張らせた。

「未知の敵などナンセンスだ。そんな物は信じられない」


「信じる必要はない」

 バーンスタインはきっぱりと言った。

「君達に求められているのは、これからエントリーする仮想空間に存在する想像的構築体を破壊することだ。破壊したという事実、破壊できるという認識を得ることが必要なのだ。それだけでいい」


「『敵』といったな、ジェネラル?」

 迷彩柄の野戦服を着た男が言った。

「その仮想ナントカは、本当に俺達の『敵』なのか?」


「カルロス」

 ジェネラルは顔を向けた。

「連盟も政府も大統領もそう認識した。そして、あの大きな男も」


 バトラーの集団から低いざわめきが洩れる。

 俺は周囲の様子を窺った。反応したのは全員ではない。

 しかし何人かのバトラーは『大きな男』、つまりアシュレイ・アシュクロフトに会っているに違いなかった。


「今回のエントリーでその『敵』を倒せば、脅威は排除されるんじゃないの?」

 カーリーヘアの黒人少女が声を上げた。

「それがプロジェクトの一部って、どういう意味?」


「いい質問だ。アニー・スタンフィールド」

 バーンスタインは眼を細めた。

「昨年度全米最優秀コマンダー」


「ありがとう」

 アニーは素っ気なく言った。

「で、答えは?」


 バーンスタインは一瞬眼を閉じ、すぐに開いた。

 柔和に見えた表情が拭い去られ、峻厳な素顔が現れた。鷹のように鋭い眼差しは、ぞっとするほどの凄みを秘めている。

 バーンスタインの戦歴を知る者は思い出した。

 『将軍』という二つ名は、勝利のために冷徹な戦術を完遂する鉄の意志に冠せられたものだということを。


「ここからが本当の国家最高機密だ。一言でも洩らせば、一生監獄の中だぞ」

 老紳士は唇を歪め、にやりと笑った。

「それでも、聞きたいか?」


 アニーは眼を見開いた。

「ちょっと待って! あたしは」


「敵は」

 バーンスタインはかまわずに言った。

「ブレイクスルーした人工知能が作り出した想像的構築体、アーペンタイルだ」


 バトラー達の反応は様々だった。驚きの声を上げる者、意味が分からずに周りを見回す者、曖昧な顔をしてうなずく者。


「ジェネラル、説明して欲しい」

 ランディが声を上げた。

「人工知能がブレイクスルーしたという情報は見たことがない。それは確かなのか?」


 バーンスタインは唐突に口調を変えた。


「ある日、世界中の科学者達が口を揃えて言いました。『半年後に世界は終わる。それは確実に起きる』と」

 居並んだバトラーを見渡し、肩をすくめる。

「さて、君達は納得するかね?」


「私は無理」

 モデルのように美しい女性が首を振った。

「そんなこと、急に言われても全然実感できない」


「そうだ、シェリル。それが自然な感情だ」

 バーンスタインはうなずいた。

「しかし、我々はそれを事実と受け止めなくてはならない」


 初老のバトラーが貫禄を見せて笑った。

「話が飛躍したぞ、ロイ。世界の破滅の話じゃない、問題はその『敵』だ」


「聞いてくれ、フィル」

 バーンスタインは口調を改めると、初老の男に向き直った。

「その破滅を引き起こすのが、アーペンタイルだ」


 笑い声さえ起きなかった理由は、バーンスタインの引きつった表情だった。まなじりのつり上がった細い眼には、狂気に取り憑かれたような光が宿っている。それは真実を知る者だけがもつ畏怖の眼差しでもあった。


「……どういうことだ?」

 異様な気配にフィルは真顔になり、険しい声で言った。

「ロイ、知っていることを話せ!」


 バーンスタインは居並ぶバトラーをぐるりと見回した。

「去年、マンハッタンのカジノ・ライツで凄惨なバトルが起きた。覚えているか?」


 突然の言葉に、俺はその場で硬直した。


 アントニオがゆっくりと手を上げた。

「ロシアからの新人チームが、極めて残虐な攻撃を受けた。少年少女のバトラーはバラバラに切り刻まれた」

 指先を俺にぴたりと向ける。

「あの日本人に」


 バトラー達が一斉に俺を注視する。俺は屈辱的な思いに目眩がしそうだった。


「その原因は、判っている」

 確信を込めた静かな口調に、全員がバーンスタインに向き直った。

「彼はバトル中に、ロシアチームから脳にある情報を流し込まれた。それは一種の知覚ウイルスだった」


「知覚ウイルス?」

 ハンコックが眉根を寄せた。

「そんなもの聞いたことがない。いつ開発されたんだ?」


 バーンスタインも、連盟委員であるサラも言葉を発しない。


 二人を見たハンコックはごくりと唾を呑み込んだ。

「開発……されていたのか?」


「その知覚ウイルスは日本人に何を引き起こしたの?」

 アニーが硬い声で訊いた。


「破壊衝動のリミッター解除。つまり暴走だ。怒りに火がついたら、もう自分を止められなくなる」


「自制心がなくなるってわけか」

 フィルが腕を組んで言った。


「それだけではない。彼の知覚に送り込まれたウイルスが、視覚経路を通じて観客に伝染したんだ。破壊衝動の抑圧を外された観客の多くが暴力行為に走り、自損行為もあった」


「思い出した。確かにバトルの後、会場は狂躁状態になっていたな」

 ランディが暗い声でいった。

「皆、狂った動物のようだった」


「問題は」

 ニーナの声が低く響く。

「電子情報が人間の脳に深刻で有害な影響を与えるってこと」


「あり得ない!」

 黒人少女が反発するように叫んだ。

「そんなこと、できるわけない!」


「アニー、現実にそれは起きたんだ」フィルが言った。


「その通り」

 ダービーが同調する。

「情報によって脳神経を破壊できるとすれば、それは現実の脳死をもたらす」


「そうだ」

 ランディもうなずく。

「ブレイン・テクノロジーによって人間の脳は直接ネットワークに繋がった。そこに破壊情報を流し込まれたら、ひとたまりもない」


「前兆だったのかも知れない」

 ジェネラルは重く言った。

「ブレイン・バトルは脳に直結したメディアだ。そんなメディアは今までなかった。そこに『毒』を流し込もうとする者がいつかは現れるだろうと」


「それが、アーペンタイルだと?」ダービーが言った。


「そうだ、ボーイ」バーンスタインは眼を細めた。


 シェリルが手を挙げた。

「ねぇジェネラル。アーペンタイルは、その知覚ウイルスを使うの?」


「違う」


「では?」


「もっと強力なものだ。知覚ウイルスなど比べ物にならないほど」

 老紳士は断言した。

「それを見たものは一瞬で死ぬ」


 バトラー達はざわざわとざわめいた。言葉の意味は判っても、それが具体的にどのようなものなのか想像できないでいる。

 しかし、俺は知っている。

 それはアーペンタイルが略取していった、見た者を即死させる究極の恐怖、『異世界の情報』だ。


「情報を撒くのなら、ブレイン・バトルである必要はないはずだ」

 ぶつぶつと呟いていたハンコックが、はっと顔をあげた。

「アーペンタイルは、クラウドネットワークに破壊情報を流すつもりか?」


「そうかなぁ?」

 パティが首を傾げた。

「誰もがいつも特定のネットに繋がっているわけじゃないし」


「ワールド・バトルなら世界中の人間が見るぜ!」

 カルロスが得意げに自分の胸を指差した。

「前回の決勝戦は三十億人が見たんだ! この俺様をな!」


「四十億人だ」


 バーンスタインの言葉に、全員が身体を固くした。

「今回のワールド・バトル開会式は四十億人が視聴すると予測されている。もちろん瞬間的にだが」


「ワールド・バトルを狙うのか!」フィルがうめいた。


「それは阻止できないの?」パティが言った。


「まず無理。どこかのメディア回線から侵入されるでしょうね」

 シェリルは締まったウエストに手を当てた。

「ねぇ、ジェネラル、なんでその人工知能が人間を殺そうとするわけ?」


「アーペンタイルは本来米軍の防衛システムを統合するための大規模仮想サーバだった。しかし単なるサーバではなく、システムは自律AIが管理する。そのAIのコア・プログラムには敵性勢力に対する攻撃が至上命題として書き込まれている」


「ちょっと待って!」

 シェリルは呆れた声を上げた。

「その意志を獲得した自律AIは、人間を敵と判断したわけ?」


「そう推測される」

 シェリルは美しい眉を寄せた。

「信じられない! なぜ? 理由は?」


「自己存在を脅かす脅威だからだ。現実に自身を破壊されないようにサーバを構築している仮想空間を閉鎖して逃走した。現在、追跡不可能だ」


 バトラー達の間に困惑が広がった。


「どういうことだ?」


「コンピュータの反乱ってこと?」


「ハードを壊せばいいんじゃないか?」


「いや、プログラムはネット上に存在している」


「そうだ」

 バーンスタインは言った。

「アーペンタイルは全米軍の防衛システム・ネットワークのどこかに潜んでいる。しかし防衛ネットワークは1秒たりとも停止できない」


「その人工知能って、もしかして」

 パティが言った。

「敵がいなくなるまで攻撃し続けるってタイプ?」


 ジェネラルの隣に立つサラが黙って首肯した。

 全員がざわめいた。


「敵って、私達のことよね?」パティが眼を丸くしていった。


「とても信じられない!」

 ランディが天を仰ぐ。

「コンピュータが人類を抹殺するなんて!」


「狂っているわ!」

 アニーが金切り声を上げた。

「いったい誰が造ったのよ、そんなもの!」


「我々だよ、お嬢ちゃん」

 今まで黙っていたサングラスの男が、あご髭を撫でながらいった。

「俺達人間が造ったんだ。その気違いコンピュータをな」


「よせ、クーガー」

 バーンスタインは諫めるように言った。


「ジェネラル」

 クーガーはよく通る声で言った。

「だが、これからエントリーするのは、そいつじゃないんだな?」


「いったとおり、アーペンタイルは閉鎖空間にいて特定できない。我々がエントリーして攻撃するのは、アーペンタイルの仮想進化モデルだ」


「ちょっと待ってくれ」

 フィルが額を押さえた。

「よくわからない。ロイ、きちんと説明してくれ」


「三ヶ月前、この屋敷にブレイン・テクノロジーの分野を中心に数十人の科学者達が集められた。世界最高峰の頭脳と呼べる傑出した科学者達だ」

 バーンスタインは話し始めた。

「彼等は困難な課題を持ち帰り、取り組んだ。ブレイクスルーした人工知能、つまり『超知性』が人類を殲滅するという命題を持ち、それを実行するためにどのような想像的構築体を想定するのか。想像もつかない。だがそれを科学者達は計算とシミュレーションを繰り返し、仮想の進化モデルを模索した。これからエントリーして出会うのは、科学者が全身全霊を込めて造り上げた、かって誰も見たことのない想像的構築体だ」


「シンプルにいこう」

 クーガーは太い腕を組んだ。

「なぁジェネラル、ここで急にお勉強しても俺達のギアがパワーアップするわけじゃない。やることは変わらない。敵をぶっつぶせばいいってだけの話だ」


「わかっている。だが、非常に危険である点は認識してくれ」

 バーンスタインは悩ましげに表情を歪め、訴えるようにいった。

「これからエントリーする仮想空間はアーペンタイルの閉鎖空間を想定している。ブレイン・バトルのようにコントロールはギアを回収できない。ブレイン・ギアが破壊されれば現実の脳に強いダメージが及ぶ。最悪の場合、脳死に至るだろう」


 ラウンジが静まり返る。

 プロのバトラーは皆、その危険性を十分理解している。


「忘れるな」

 ジェネラルの声が響いた。

「これは、命を賭けた実戦だ」


「だからこそ」

 突然、アントニオが声を上げた。

「俺は、あんたが指揮官であることに異議を唱える!」


 全員の視線の中、アントニオは険しい顔でバーンスタインを睨みつけた。


「俺は自分の命を、引退したコマンダーになぞ預けられない!」


「この人選は最適な判断よ」

 サラは受け流すように淡々といった。

「豊富な経験は得難いデータよ。状況判断の早さと正確さ、強靭な精神力、そして敵の裏をかく狡猾さは、今なおコマンダーとしてトップレベルにあるわ」


「その評価は受け入れられない」

 アントニオは敵意のこもった刺すような視線をサラに移した。

「現役最高のコマンダー、アニー・スタンフィールドこそが最適だ!」


「いいえ」

 サラは首を振った。

「科学者達はアーペンタイルの仮想進化モデルとして防御力と攻撃力を最高レベルにまで高めたギアを造った。おそらく今までの攻撃イメージでは通用しない。ゲーム的に数値設定されたブレイン・バトルで育った人間では、《《限界》》を超えられないわ」


「今度は『限界』か」

 ハンコックが吐息をついた。

「話が抽象的すぎる」


「みんな、聞いて欲しい」

 ダービーが前に進み出て、バトラー達に向き合った。

「僕たち、シルバーとニーナ、そしてレイはプロトタイプと戦った」


「プロトタイプはダミーモデルじゃなかったか?」ランディが訊いた。


「そう」

 サラがうなずく。

「アーペンタイルの設計者自身が構築した仮想進化モデルよ」


「そのプロトタイプでも」

 ダービーは声に力を込めた。

「僕たちの攻撃は、ほとんど通用しなかった」


 シルバーに視線が集まる。

 皆がジェット・ストライカーの比類ない破壊力を知っているからだ。


 シルバーは口惜し気に叫んだ。

「ああ、そうだよ! 悪かったな!」


 ダービーは言葉を続ける。

「イメージの強さは精神の強さと連動している。重要なのは、相手が誰であれ、どこまで自分の意志を強く貫き通せるかだ。そしてこれは、人類が初めて体験するイメージの世界での戦争。しかも相手の攻撃力は未知数。だが、敗北は絶対に許されない」


 クーガーが気のない拍手をして、ダービーの発言を止めた。


「頭のいい坊ちゃんよ、話がくどいぜ」

 サングラスを押し上げる。

「確かに俺達は情報に囲まれすぎている。だが、いざとなれば自分の力でなんとかするさ。人間は、結構しぶといんだ」


「その通りだ、クーガー」

 バーンスタインは深くうなずいた。

「だが、くれぐれも嘗めてかかるなよ」


「ここにそんな間抜けがいると思うか?」

 クーガーは白い歯を見せた。

「ジェネラル、俺達を信じてくれ。どんな相手であろうとも、そいつをぶっ潰す。そうだな、みんな?」


 バトラー達から一斉に賛同の声が上がった。

 それぞれがトップクラスのバトラーとしての自信と誇りを持っている。不安に囚われ、怖じ気づく者は一人もいなかった。


 —バーンスタインが指揮官なら、この男は前線のリーダーだ。


 俺は考えた。士気を鼓舞し戦意を高めるのは理屈ではない。

 アーペンタイルを破壊するためには、クーガーは絶対に必要な人材だった。


「大掛かりな対サイバーテロ演習かと思ったが、とんでもない話になったな」

 フィルは大仰に両手を広げてみせた。

「しかしここまで来て帰るわけにもいかない。ギャランティの分はやらせてもらうぜ」


 サラの持つデータパッドが振動した。画面を確認し、老紳士に眼で合図する。


 バーンスタインは短く言った。

「時間だ」


「皆、コクーン室へ移動してちょうだい」

 サラが声を上げた。

「三十分後にエントリーフェーズを開始します」


「私は軍隊出身者だ」

 唐突に、バーンスタインは言った。

「不快に思う者もいるかも知れないが、今だけは、皆に敬礼させて欲しい」


 老人は背を伸ばし、格調さえ感じられる動きで海軍式の敬礼をした。


「全員の、無事の帰還を」


 バトラー全員が姿勢を正し、指揮官に向かい合った。空気がぴんと引き締まる。老人の気持ちを込めた敬礼は、皆の心を一つにまとめ上げたようだった。

 俺は感心したが、その時間は長くは続かなかった。


「無理すんなよ、ジェネラル」


「じゃぁ後でな、ロイ。飯でも食おう」


「ここにバーはないのか?」


 がやがやと話しながらラウンジを出て行くバトラー達を、バーンスタインは満足げに眺めていた。


 サラが微笑んで言う。

「あまり発破は効かなかったようね、ジェネラル?」


「あれでいいのさ」

 バーンスタインは笑った。

「彼等は知っている。能力を最大限に引き出すにはまずリラックスすることだとね。皆、プロ中のプロだ」


「……そうね」

 サラは思わしげに声を落とした。

「『プロ意識』が彼等を守ってくれることを願うわ」



『極限状態の中で、生死を分つものは何か』


 突然、サラが持つデータパッドから音声が流れた。

 チェロのように、低く深く響く声が。


「アシュレイか?」

 バーンスタインは緊張した面持ちで画面を覗き込んだ。


『偶然か、運命か。我々はそれを測るすべを持たない』


 暗い画面から、詩篇を朗読するように声が響く。


『世界は重なり合った存在。未来は確率の中にある』


「アシュレイ」

 バーンスタインは固い声で呼びかける。

「本当にこれでいいのか? 何人かはまだ危険を認識していない。これでは」


『どんなに言葉で説明しても、あらかじめ用意しておくことはできない』

 データパッドから声が響く。

『決死の覚悟を』


「そんな状況は、俺にだって想像できない」

 バーンスタインは苦しげに頭を振った。

「こんな老いぼれに何を期待する? 彼等の命を俺に任せていいのか?」


『ロイ、君の判断力と統率力に期待している』


「しかし」


『老練と狡猾』


 低い声が響く。


『君は長い戦いを生き残り、それを身につけた。プログラムされた人工知能では獲得し得ないものだ』


 豊かに響く声は、人の心に染み込むように入ってくる。

 バーンスタインはいいかけた言葉を呑み込み、深く息をついた。


『ロイ、私の中では、君はまだ少年のままだ』

 声が微かに和む。

『やんちゃで生意気だった頃のな』


「わかった」

 バーンスタインは表情を引き締めた。

「貴方の信頼に応えよう」


『……また会おう』



 データパッドは沈黙した。声は去ったらしい。


「私達もコクーン室に行きましょう」

 サラは俺を促した。


 ラウンジから通路に出る。

 分厚い二重隔壁を抜けてコクーン室のあるエリアに足を踏み入れると、床も天井も白一色の世界に変わった。


 広々とした地下室にはコクーンがずらりと輪状に配置され、その間を技術や医療スタッフ達が忙しげに行き交っている。

 三十名を越えるブレイン・バトラーが一斉にエントリーするなど、軍でも民間でもこれまで一度も行われてはいないだろう。

 地下施設にはそのための大勢の技術者が集められ、決められたエントリーの時間に向かって全員が緊迫した作業を続けている。


「時々わからなくなる」

 足元のコードの束を跨いで歩きながら、バーンスタインは言った。

「アシュレイは我々を導こうとしているのか、それとも我々を使っているだけなのか」

 ぼそりと付け加えた。

「……自分の目的のために」


「私にもわからないわ」

 サラは首を振り、寂しそうな笑みを浮かべた。

「あの人の考えなど、到底人間には、わからない」

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