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19 永遠の終わりと始まり


 白い光が炸裂したのを覚えている。

 とても、とてつもなく巨大な光だった。

 そして、その光は、すべてを飲み込んでしまった。


 しかし、どうしても思い出せない。


 なぜ、そんな記憶があるのか。





 ケインはうっすらと眼を開けた。

 周囲は薄暗く、自分がどこにいるのかわからない。

 不意に、ぞわぞわと不安な気持ちがこみあげてくる。

 ケインは思わず担当医の名前を叫んだ。


「……サラ!」


 別人のように嗄れた声だった。


 ケインは驚いて上体を起こそうとした。

 背中に激痛が走る。

 ケインは呻き声を上げ、再びベッドに横たわった。


 足音が近づいてくる。

 仰向けになった視界に、マスクをかけた女性看護師の顔が飛び込んできた。

 彼女はケインを見下ろし、手で口元を抑え眼を見開いている。


 —何をそんなに驚いている?


 その顔はすぐに視界から消え、足音が慌ただしく遠ざかって行く。


 —どうしたんだ、いったい?


 ケインは肘を突いて上体をベッドから起こそうとした。

 全身の筋肉が強張っている。背中の痛みも急に動こうとしたせいらしかった。

 怪我をしていないことに安堵したが、すぐにかぶりを振った。


 —俺は、何をしていたんだ……?


 頭を持ち上げて左右を見た。

 会議室のような広い部屋だが、照明はまばらで室内は薄暗い。

 ケインの周囲にはずらりと簡易ベッドが並び、多くの人間が横たわっている。

 眼を閉じて動かず、呼吸さえしていないように思えた。

 まるで、人形か……。


 —まさか!


 恐怖に身体が硬直する。


 —ここは、遺体の安置室か?


 ケインは悲鳴を上げてベッドの上に跳ね起きた。


「ケイン!」

 ドアが開いて、明るい金髪の女性が現れた。

 女性はケインに走りより、ぶつかるようにケインの身体を抱きしめた。

 ケインは頬に押し付けられる金髪の匂いを嗅いだ。

 懐かしい思いが込み上げて来る。


「サラ……」

 ケインはかすれた声で言った。

「サラ!」


「ケイン」

 金髪の女性は身体を離し、ケインの顔を覗き込んだ。

「戻って来たのね。ああ、信じられない!」


「なぜ、泣いているんだ?」

 ケインは手を伸ばしてサラの涙をぬぐう。

 サラはその手を握り締めると、ぼろぼろと大粒の涙を流した。

「だって」

 サラは声を詰まらせた。

「帰って来たのは、あなただけなのよ」


 ケインは口元に違和感を感じて手をやった。

 鼻の孔に酸素チューブが差し込まれ、手首にも点滴の管が繋がれている。


「これは……?」


 左右のベッドを見ると、横たわった人間には同じ処置が施されている。

 生きていることはわかったが、全員が深い昏睡状態にあるようだった。


「ニューキッズの子供達は回収できたわ」

 サラは大きく息を吸った。

「誰かがビーコンを造ったの。レスキュー・プローブがすぐに見つけたわ」


「レスキュー?」

 ケインはまた頭をふった。

「わからない。何の話だ?」


「いいのよ」

 サラは泣き顔のまま微笑むと、ケインの頭を胸に抱きかかえた。

「今は休んで。何も考えなくていいから」


 サラの胸から体温が伝わって来る。その暖かさは生命が発する熱だ。

 ケインは深く呼吸をすると頭を起こし、薄暗い室内に眼を向けた。

 横たわっている人々を見ていると、頭の中に自然に名前が浮んで来た。


「シルバー、ニーナ、ダービー」


 眠っている仲間の横顔を一つずつ確認する。


「シェリル、パティ、ハンコック、ランディ」


 顔は見えなくても、覚えている限りの名前を上げる。


「アントニオ、コートニー、ジェームス、チコ、メイシオ、アニタ、エディ」


「ビセンテ、ジュリー、コールマン、ティト、スティーブ」

 サラが補足した。

「みんな、ここにいるわ」


「ジェネラルは?」

 サラは眼を伏せ、小さく首を振った。


 ケインはじっとサラを見つめた。

 豊かな金髪をひっつめ、ひどく疲れた顔をしている。

 着ている黒いスーツも皺が寄り、あちこちに汚れが付いていた。


「サラ」

 ケインは囁くように言った。

「この世界は、どうなった……?」


 その返事を聞くのは恐ろしかった。

 しかしサラは答えずに、ケインの手を取って立ち上がった。

「歩ける?」


 ケインはベッドから床に足を降ろし、ゆっくりうなずいた。


「行きましょう」サラは低く言った。


 サラに腕を抱えられ、ケインはよろめきながら歩き出した。足を踏み出すたびに筋肉の強張りがほぐれ、なんとか身体が動くようになってくる。


 部屋を抜けて陽の差し込む明るい廊下に出る。

 ケインは驚いて立ち止まった。

 アシュクロフト邸の中は騒然とした雰囲気に包まれていた。

 宮殿のような屋敷の通路には段ボール箱やマットレス、布地を詰めた袋などが散乱している。

 その廊下を、荷物を抱えた屋敷のスタッフや米軍兵士達が慌ただしく行き来していた。まるで戦争が始まるようだ。


「これは……」

 ケインは周囲を見回した。

「何があったんだ?」


 サラはケインの腕を支え、歩きながら言った。

「シリアが、いえ、スケジュール管理ソフトが、ワールドバトル開会式以降のデータ入力を拒否したのは覚えている?」


「ああ」

 ケインはうなずいた。

「それは、人類がいなくなるからだと……」


「そうじゃなかった」

 サラはポニーテールの頭を振った。

「いなくなったのは、コンピュータだったの」


 ケインは当惑した。言っている意味がわからない。


「ケイン、よく聞いて」

 サラは立ち止まり、ケインの顔を覗き込んだ。

「地球上の、全てのコンピュータが、停止したのよ」


 ケインは、呆然とした。

 

「とても信じられない!」

 サラはケインの肩をつかんで揺さぶった。

「もうコンピュータは使えない。どうやっても起動できないの」


「なぜだ? どうして?」

 ケインは、ばかみたいな質問をした。


 サラはため息をつくと、ゆっくりと言った。

「未知のコンピュータウイルス。何年も前から周到に準備されていたようだわ」


「ウイルス? それは」

 ケインは目頭を指でつまんで言葉を探した。

「……アーペン……タイルか?」


「いいえ。やったのは人工知能。きっとずっと前からブレイクスルーしていたのね。そして超知性となったことを、隠してきた」


「そんな、まさか……」


「おそらく、それが真実よ」

 サラは静かに言った。

「コンピュータだけでなく世界中の電子機器が沈黙した。原子力発電所からスマートデバイスまで。もちろん起動できないからデータも取り出せない。今かろうじて動いているのは、電子回路を持たない半世紀以上前の機械マシンだけ」


 廊下に立っているケインとサラに、急ぎ足のスタッフがぶつかりそうになる。

「失礼!」


 ケインはよろめきながらサラに訊いた。

「この屋敷は、大丈夫なのか?」

「深刻よ」

 サラはあっさりと言った。

「とりあえずガソリン、水、食料。この確保に全員が動いているわ」


 ケインは窓越しに中庭を見た。

 ガーデンパーティのように大勢の人が集まり、大鍋を焚き火にかけて調理している。幾つも並んだ大鍋からはもうもうと湯気が立ち、その近くの兵士達は、パンを焼くかまどを造っているようだった。


「生活の中でコンピュータが使われ出したのは……」

 サラは自分の言葉にほおっと大きく息をついた。

「驚いた。まだ百年しか経っていないのね」


「百年前の生活に戻るのか?」


「そう単純な話ではないわ」

 サラは歩きながら言った。

「昔とは比べ物にならない程高度に複雑に発展した現代社会の基盤が失われたのよ。すでに大変な混乱が起きている」


 サラはドアの前で立ち止まった。


「文明は崩壊した。でも私達は、生き続けなくてはならない」


 ドアを開ける。

 室内はカーテンが引かれ、薄暗くなっている。


「ああ、ケイン!」

 奥の部屋からセリーヌが現れ、ケインをしっかりと抱擁した。

「よかった! 目覚めたのね!」


「ありがとう、セリーヌ」

 ケインはサラに視線を向けた。

「ここは……?」


「変化は?」

 サラの問いかけにセリーヌは首を振った。


 ケインは奥の部屋に足を踏み入れた。

 質素なベッドに、白い服の少女が眠っている。

 少女の枕元にはいつもある医療機器がないのが、かえって違和感があった。


 ベッドに近づき少女の顔を見下ろした。

 眉根に皺を寄せ、苦し気に浅い呼吸を繰り返している。

 今もなお、何かの苦痛に耐えているのか。


 ケインの脳裏に、アッシュの姿がフラッシュバックする。

 仮想空間でバラバラになった身体、落ちていく小さな頭部。

 全身を引き裂かれるなど、どれほどの苦痛だっただろう。


「シンシア……」


 小さく少女の名を呼んだ。

 しかし、表情は全く動かない。


 ケインは振り返った。

 腕組みをしたサラがドアにもたれている。


「攻撃に参加したバトラーは、全員がロストしたわ」


「ロスト……」


「生体は徐々に衰弱する。でも生命維持装置があれば、なんとか延命はできる」


 ケインはシンシアに視線を戻した。

 細い手首に繋がっている点滴はリンゲルと栄養剤だけだ。


「だけど私達は医療機器をすべて失った」

 サラは重く言った。

「医薬品も備蓄分しかない。補給も不可能」


 ケインはもどかし気に手を握り締めた。

「それでは誰も救えないのか? 何か他の方法は?」


 サラはベッドに歩み寄り、ケインに並んだ。

 意識を失いながらも苦悶の中にある少女の青ざめた顔を見下ろす。


「ひとつだけ、あるわ」

 サラは静かに言った。


「本当に?」

 ケインは声を上げ、サラの横顔を見つめた。


「あなたがそれを、信じるならば」


「まさか……?」


「そう」

 サラはケインをじっと見つめた。

「あの場所に行くのよ」


 頭を殴られたような衝撃を受け、ケインはよろよろと後ずさった。

 サラの意味するものはひとつしかない。

 そしてそれは、考えることさえ恐ろしく、到底不可能だと思われた。


「本当に」

 ケインは思わず聞き返した。

「皆の意識が、あの闇の底に沈んでいると?」


「実際にアシュレイはサルベージしたわ。記憶の最深層に沈んだ過去の魂を。『輪廻の階梯から外れた魂』とアシュレイは言った。本来の死を迎えられなかった魂達。それはつまり、ロストした意識も同様よ」


「障壁か……」

 ケインは茫然としてサラを見つめた。

「しかし、もう、ブレイン・ギア・システムは」


「もう使えないわ」

 サラは言った。

「ただ、記録では、夢を入り口にしてダイレクトに記憶深層まで到達した実験結果がある。三十年前に、ラボ・タワーでね」


 ケインはごくりと唾をのんだ。

「それは……俺の母さんだ」


「ネイキッド・ソウル・ダイバー」

 サラは硬い声で言った。

「当時の米軍の内偵資料にはそう書かれてあったわ。危険きわまりない人体実験だとね」


「それでも、人間は自分の感覚だけで意識深層に入ることができた……」


「そう。本来人間はコンピュータの力を借りなくても、ダイブできる」

 そういって、サラは深い溜息をついた。

「とても私がいえる立場ではないわね」


「漠然としすぎている」

 ケインは声を絞り出した。

「ただあてもなく海に潜り、沈んでいる金貨を探し出すようなものじゃないか」


「……その通りよ」


 苦し気に眠るシンシアの額に汗が浮いている。

 サラはセリーヌを呼び、ケインの背に手を当てて静かに部屋から出た。


 行き交う人々でざわめく廊下に出ると、ケインはサラに向かい合った。


「サラ、やはりどう考えても現実的じゃない」

 ケインは強い口調で言った。

「確かに前例はあっても、誰でもできることじゃない」


「わかっているわ」


 サラは苦し気にいうと眼を逸らし、窓の外を見た。

 大鍋の前に食器を持った人々が長い列を作っている。並んだ人の間を子供達が歓声を上げて走り回っていた。


「だから、私達は会わなければいけない」


「ああ」

 ケインはうなずき、その名を呟いた。

「アシュレイ・アシュクロフトに……」


 不意に、眩く輝く光の球が脳裏に浮んだ。

 炎に包まれた意識の中で出会ったあの光は、アシュレイだったのだろうか。

 だとしたら……。


「アシュレイが」

 ケインは低く、唸るように言った。

「あいつが、すべてを知っている」


「ええ」

 サラは窓越しに曇った空を見上げた。

「それは最初からわかっていた。でも、私達はなにも聞き出すことができなかった。なんて愚かだったのかしら」


「探し出そう!」

 ケインは拳を握りしめた。

「この屋敷の地下には大きな空間がある。きっとそこに……」


 ケインは眼を見開いた。

 サラの肩越しに、廊下の奥に立つ少女が見えた。

 その少女は長い黒髪を振り乱し、手足を棒のように硬直させて立っている。

 異様な雰囲気だった。


「ミオ……?」


 少女は顎を引き、顔にかかった前髪の間から、暗い眼でケインを睨んでいる。


「お前、ミオ、なのか?」


「お兄ちゃん」

 少女は押し殺した声で言った。

「帰って来たんだ?」


「ミオ?」

 振り返ったサラが警戒した声で言う。

「あなた、どうしたの?」


「彼からいわれたの。帰って来たら、連れて来るようにって」


「彼?」サラが問い返した。


 少女は眼を細め、かすれた声で言った。

「アシュレイに決まっているでしょ」


 ケインとサラは顔を見合わせた。明らかにミオの様子がおかしい。

 しかしその言葉には有無をいわせない力があった。


「何をしているの。行くわよ」

 少女はくるりと背を向けると、ついでのように付け加えた。

「ああそうだ、あの子も連れて来て」



 気がつくと、いつのまにか長い廊下を歩いていた。

 真っ直ぐに伸びた廊下に人影は見えず、ざわめいていた人々の声も消え、ひっそりと静まり返っている。


 先を進むミオは、背を丸めて黒髪を揺らしながら、すり足のような奇妙な足取りで歩いて行く。

 シンシアを抱きかかえたケインは、隣のサラに目配せした。


「サラ、俺たちはいつ、この廊下に入ったんだ?」


「わからない。でも」

 サラは小声で言った。

「こんなに長い廊下は、屋敷には存在しないわ」


「気をつけないと、転ぶわよ」ミオの声。


 その途端、廊下全体がかなりの角度で前傾していることを感じた。

 ケインとサラは仰け反るようにして、あわてて重心を移動した。

 すり足はこのためだったのか。


「これは現実よ」

 サラは壁に手を突きながらいった。

「どんどん地下に向っているわ」


 廊下の突き当たりに、洞窟のように暗く大きな穴があいている。

 近づくとひんやりとした風が顔に当たる。

 ケインはシンシアを抱え直すと、洞窟の中に足を踏み入れた。




 目の前に暗黒の空間が広がっていた。


 闇に満たされた空間は、幅も奥行きもわからない。

 しかし足音の反響から相当な広さであることは感覚できた。

 ここが地下空間なのだ。


 闇に眼が慣れてくると、暗い中にうっすらと燐光を発している長い手すりのようなものが見えた。

 それは壁沿いに張り出して造られた、下降スロープだった。

 スロープは折り返し、下に向って続いて行く。

 アラスカ山中のあの場所と、全く同じ構造だった。


 誰もが黙ったまま、傾斜通路を降りて行った。

 何度スロープを折り返しただろうか。

 前方を歩くミオが、突然立ち止まった。


「暗いわね」

 ミオは声を上げた。

「光りを!」


 空中に燐光の塊が幾つも浮かび上がった。

 青白い光りに照らされ、周囲の様子がぼんやりと浮かび上がる。


 いつの間にかケインたちは、スロープの最下段に着いていた。

 目の前に広大な地下空間の床面が広がっている。

 ケインはその光景に立ち竦んだ。


 それは一言でいえば、巨大なゴミ捨て場だった。

 数千年に渡る人間の歴史の中で造られて来たありとあらゆるものが、雑然と、何の整理もされず、ただ乱雑に置かれ積み重なっていた。


 斜めになった古代エジプトの石像の隣にT型フォードが並び、騎馬民族らしい旗や槍が立てかけられている。

 その隙間には様々な時代の家具や食器や衣類、タペストリー、農耕機具や荷車、冷蔵庫や電線の束などがひしめき合って置かれている。

 そんな混沌とした歴史の遺物が、地下空間の床を埋め尽くしていた。


「行くわよ」

 ミオは堆積物を踏み越えて、どんどん先へ進んで行く。


 サラは周囲を見回し、唖然として言った。

「これは、いったい……?」

「行こう」

 ケインは大きな動物の毛皮、青銅の盾、甲板のような木の板などを踏みしめながら、妹の後を追った。


 どれだけ進んだだろう。

 シンシアを抱え、足元に注意しながら歩いていたケインは、突然立ち止まったミオにぶつかりそうになった。

「どうしたんだ、ミオ?」


「まさか……こんなに早く進むなんて……!」

 ミオは声を震わせると、全身の力が抜けたようにがくりと膝を突いた。 

「どうして!」

 両手を空に突き上げ、ミオは叫んだ。

「どうしてッ!」


 異様な匂いが漂っている。膠のような、何かの腐敗臭だ。

「何だ、この匂いは?」


「あなたは永遠に!」

 突然、ミオは絶叫した。

「永遠に生きるんじゃなかったの!」


 ケインに追いついたサラが大きく息を呑んだ。

「あれは!」


 ケインはサラの指差す薄暗い前方を凝視した。

 床から小山のように何かが盛り上がっている。


 それは巨大な大理石の玉座に座ったアシュレイの身体だった。


 ケインはシンシアを抱え、遺物を踏み越えて前へ進んだ。


 固い椅子にぐったりと沈み込んだアシュレイは、乱れた銀髪の頭を重たげに傾け、固く眼を閉じている。苦しげに眉根を寄せ、疲弊し切って眠っているように見えた。

 投げ出されたその巨木のような脚を見て、ケインは驚愕した。

 足から膝上、腰にかけて、分厚く半透明の物質に覆われている。

 銀髪の男は下半身から石蠟化しかけていた。


 ケインは真っ白い光が輝いたのを思い出した。

 あれはアシュレイが想起した『太陽』だった。

 あの炎熱に満たされた仮想空間を完全に消滅させた『熱核融合』を想起し発現するために、きっとアシュレイは膨大な力を使ったに違いない。

 自身が有限の存在であることを、最古の稀人はいつしか忘れてしまっていたのかも知れない。

 そして今、予想もしなかった突然の末期を迎えている。


「同じだわ……」

 サラの重い声が聞こえた。

「私が見たアラガミは、全身が石蠟化していた」


「そうよ! このまま石になるのよ!」

 ミオは髪を振り乱し、声を荒げた。

「でも、どうして! どうして今なのよ! あとたった数十年じゃない! あなたにとっては、ほんの一瞬でしょ!」

 ミオは堆積物の上に座り込み、怒りと絶望の叫びを上げた。

「そうすれば、わたしが全部記憶できたのに!」


 その時。

 ギシギシと木が軋むような声が響いた。


「これも、必然か……」


 見上げると、アシュレイが頭を傾けたまま、薄眼を開けている。


「まさか私に、こんな刻が来ようとは……」


「アシュレイ、いや、最古の稀人」

 シンシアを抱えたケインは足を踏みしめ、声に力を込めて言った。

「あんたは、何をしようとしたんだ?」


 アシュレイは深い息を吐いた。

 ケインは思わず顔をしかめた。それは明らかに滅び行く者の匂いだった。


「人間は、この惑星を消費し尽くす」

 銀髪の男は軋む声でいった。

「それは当然だ。そのように生まれたのだから……」


「何を言っている?」

 ケインは苛立った。

「質問に答えろ!」


 アシュレイはかすれた声で、言葉を続けた。

「幼虫が、卵の殻を食い尽くすように……」


 怒鳴りそうになるケインの肩を、サラが抑えた。


「そして羽化し、星を後にする。この宇宙のすべての生命は、同じ過程で霊的な存在となり、高次元に入る。そう定められているのだ……」


「そうか、そうなのか?」

 ケインは笑い出しそうになるのをこらえ、吐き捨てるように言った。

「俺達は虫じゃない! つまらない喩えだ!」


「この惑星を消費することには変わりがない……」

 アシュレイは苦しげに息を吸った。

「誰も人類の消費を止められない。宿業のように感じるだろう。だがそれで良いのだ」


「破滅へ突き進むことが正しいのか?」ケインは噛み付くように言った。


「旅立つために……必要な過程だからだ」


「わからない! なぜ旅立たなければいけない?」

 ケインは声を上げた。

「それはいったい、何のために?」


「宇宙は繰り返す……」

 アシュレイは薄眼を閉じ、小さく呟いた。

「我々は大きな流れの中にいる……」


「また、同じことを!」


 ケインは口を結び、肩を大きく上げて、息を鎮めようとした。

 巨人も疲れたように押し黙ってしまう。


 ケインは眼を細めた。

「あんたは……もう終わりだ」


 銀髪の男は答えない。


「……答えろ」


 沈黙は続く。


「答えろ!」

 ケインは叫んだ。

「これは全部、あんたが仕組んだことだな!」


 見上げる巨人からは、かっての威圧感は感じられない。

 熱い波動を発していた巨躯は、ただ大きな塑像のように形だけを保っていた。


「アシュレイ!」


 怒りに震えるケインの叫びが、薄暗い地下空間に木霊した。

 残響が消え去り、再び空虚な沈黙が訪れる。

 巨人はようやく、眼を開けた。


「聞いて、どうする……」

 アシュレイは小さな声で問うた。


「なん、だと?」

 ケインは巨人を睨みつけた。

 表情を失った巨人の顔の中で、青灰色の瞳だけにまだ命が灯っている。


「それを知って、何かが……」

 アシュレイは苦しげに息を継いだ。

「何かが、変わるとでもいうのか……?」


「ああ」

 ケインは傲然と胸を張った。

「同じ過ちは、繰り返さない!」


「そうか……」


 アシュレイは虚ろなほど、静かに笑った。


「では、そうするがいい……」


 ケインはその虚無的な口調にぞっとした。

 しかし、投げ返された言葉の重みは途方もないものだ。


「長い時間が……かかった」


 アシュレイは再び眼を閉じた。

 細い息を吐き、夢想するように言う。


「科学の発展は加速度的に進み、臨界を迎えた。創発されたブレイン・テクノロジーは、長い間、待ち望んでいたものだ……」


 ケインとサラは、黙って巨人を見上げた。


「人類の意識を電子情報に書き換え、智慧の器を仮想空間に構築する。それは魂の船となって、高次の次元に入る乗り物となるのだ……」


「ちょっと待って!」

 サラは急き込んで言った。

「意識とは、人類すべての?」


「……もちろん」


「まさか……!」

 サラは、口に手を当てた。

「それは、すべての人間を殺すことになるわ!」


「そうだ……」

 巨人は平然と言った。

「異世界の情報を、手に入れられたのは僥倖だった。『究極の恐怖』であるあれを使えば、最も効率よく電子化することができる……」


「それでは……」

 サラは茫然として巨人を見つめ、声を絞り出した。

「アーペンタイルが、やらなくても……?」


「あれは早すぎた。電子ネットワークが脳と直結するまで、私は待つつもりだった……」

 アシュレイはかすれた声でいった。

「そうすれば……一瞬で終わる」


 サラは崩れるように座り込んだ。

 顔を両手で覆い、呻くように泣き始める。


 ケインは慄然として立ち尽くした。

 身体も頭も、痺れたように動かない。

 ただある一点だけが、脳の中で警報を放つように明滅していた。


「アシュレイ! 教えてくれ!」

 ケインは混乱した頭を振った。

「地球上の、すべての電子機器が使えなくなった」


 顔を上げると、青灰色の眼がこちらを見下ろしている。

 何の感情も浮んでいない虚ろな瞳だった。


「すべてのコンピュータが停止し、現代文明は崩壊した」

 ケインは巨人の薄く開けた瞳を射るように見つめた。

「これも、あんたの計画なのか? あんたが世界中の電子機器にウイルスを送ったのか?」


 アシュレイは深い息を吐き、暗い空間に視線を向けた。


「そうだ……私が送った」

 巨人はゆっくりと言葉を続けた。

「……《《自死》》プログラムを……」


「アシュレイ!」

 サラの悲痛な叫びが響き渡った。

「どうして……どうしてそんなことを!」


 巨人はゆっくりと息を吐いた。

 眼を閉じ、風の吹くようなかすれた声で言った。

 

「旅立つ星に……残していくものは……ない」



 沈黙が流れた。

 計り知れない、重苦しい沈黙だった。



「娘よ……」


 巨人の低い声が聞こえた。

 かすれて、聞き取れない程に弱まっている。


「こちらに」

 アシュレイは声を軋ませた。

「近くに……」


 ケインはしゃがみこんだサラを見た。

 サラは涙に濡れた顔を上げ、小さくうなずいた。


 ケインはシンシアを抱え直し、脚を踏み出した。


 アシュレイは片腕を肘掛けから持ち上げ、太い指先を向けている。

 その指先が触れる距離に、ケインは近づいた。


「我が娘……シンシアよ」


 巨人の指先から、金色に輝く光の筋が流れ出た。

 何本もの光の筋は糸のようにゆらめき、少女の額の中に指し込まれて行く。


「生きるがいい」

 アシュレイは呟いた。

「なるがままに……」


 ゆっくりと指先を持ち上げる。

 光の糸が張り、先端に絡み付いて別の銀の糸が現れた。

 指の動きに合わせ、細い銀の糸が慎重な動きで引き抜かれて行く。

 ケインは自分の腕の中で起きていることを、信じられない思いで見つめていた。


 少女の額から静かに銀の糸が離れた。


 その瞬間、ケインの腕の中で少女の身体が跳ねた。

 全身が痙攣するように、何度も大きく反り返る。


「シンシア!」


 少女の身体が急にずしりと重くなった。

 ケインはよろめき、足を踏みしめた。


「シンシア!」


 少女は大きく口を開け、長い潜水から浮上したダイバーのように、音を立てて空気を吸い込んだ。そして細い手足を振り回し、ケインの腕から逃れるように激しく暴れる。

 ケインは体勢を崩し、思わず尻餅をついた。

 座り込んだまま動き回る細い身体を抱きかかえる。


「サラ!」

 ケインは歓喜の叫びを上げた。

「シンシアが!」


 返事がない。ケインは顔を上げて凍りついた。


 ケインとシンシアの前にサラが両手を広げて立ちはだかっている。

 その向こうに、槍を振りかざしたミオの姿が見えた。


「やめなさい!」サラが叫ぶ。


「こんな女のために!」

 ミオは顔を歪めて絶叫した。

「最後の力を使うなんてッ!」


 玉座に座った巨人はがくりと首を垂れ、手をだらりと下げている。

 その全身から蒸気のような白い煙が立ち昇っていた。


「ああ、消えてしまう!」

 ミオは額を押さえて叫んだ。

「黄金の図書室が!」


「ミオ!」ケインは妹の名を呼んだ。


「畜生!」

 ミオは槍を投げ捨て、堆積物の上に手を突いた。

 サラはじりじりと下がり、肩越しにケインを見た。


「立って」

 サラはケインに言った。

「行きましょう」


「ああ、どこにあるの!」

 ミオは狂ったように重なり合った遺物をひっくり返している。

「あの沢山の本はどこにあるの!」

 ミオは絶叫した。

「どこなのーッ!」


「行くのよ」

 サラはケインの腕を掴み、強引に立ち上がらせた。

 シンシアはぐったりとして大人しくなっている。

 ケインは重くなった身体を抱え直し、足元を確かめながらスロープに戻り始めた。


 背後では、まだ少女の叫び声が響いている。


「ミオ……」

「今は、とても無理よ」


サラはたびたび振り返りながら、ミオの様子を確認した。


「わかっている」

ケインは唇を噛んだ。

「しかし……!」


「前を向いて」

 サラは涙の残った頬をスーツの袖で拭い、きっぱりと言った。

「とにかく、ここから出ましょう」



 まるでアラスカの研究施設の再現だった。

 違っているのは凍える程の寒さがないことと、疲労困憊する前に傾斜する通路に戻れたことだ。それでも息を切らしながら、ケインとサラは傾斜路を登った。


 スロープを何度も折り返し、ようやく長い廊下に入った。

 上り勾配の廊下を、足を引きずるように歩き続ける。

 ふと気がつくと通路は水平に戻り、ケインとサラは屋敷と居住棟を結ぶ廊下を歩いていた。


 サラは立ち止まり、背後を振り返った。

「入口はどこかにあるわ」


 廊下は居住棟に向って伸びている。

 両側の壁には、どこにもドアらしいものは見当たらなかった。


「今度、ちゃんと調査しましょう」


 前を向くと、紙箱を抱えた屋敷のスタッフがぎょっとした顔で立っていた。

 突然、なにもない空間から現れたように見えたに違いない。

 サラは髪止めを外して豊かな金髪を振り、片手を上げてポーズをとった。


「イリュージョン!」

「はい?」

 更に眼を丸くするスタッフに、サラはきびきびとした口調で言った。

「ドクターを呼んで。あと車椅子を! 急いで!」


 スタッフが廊下を走り去って行く。


「アッシュを連れ戻しましょう」

 サラはケインをじっと見つめ、決意に満ちた声で言った。

「みんなもよ!」


 ケインは重い少女の身体を抱え直した。

 少女はいつの間にかケインの首に両手を回し、抱きつくような姿勢になっている。

 無意識のうちに身体が保護する者を求めているような反応だった。


 突然、サラが『わお!』と叫んだ。


「今度はどうしたんだ?」

 ケインは周囲を見回した。

 サラは窓越しに中庭の先を指差した。

 骨董品のような旧型の米軍ジープが土煙を巻き上げて走り込んで来る。

 サラは通路のガラスドアを開けて庭に飛び出ると、ジープに向って大きく手を振った。


 ジープは方向を変え、真っ直ぐに近づいて来る。

 ボディもフロントガラスも砂埃にまみれたジープは廃車寸前に見える。エンジンから異音を発しながらケインとサラの前に止まった。


「サラ!」

 運転席からレイバンをかけたニックが顔を出し、白い歯を見せた。

「久しぶりだな!」


「随分早かったわね! ニック!」サラが言った。


「ああ。だが、それでも三日かかった」


 ケインはジープに駆け寄った。

「ニック!」 


「ケイン、久しぶりだな」


「アラスカにいたんじゃ?」


「そのアラスカから走り続けて来た。サラの命令でね」

 ニックはにやりと笑うと後部席を振り返った。

「二人とも、よく頑張ったな」


 破れかけたビニールシートがめくれ、御門優が疲れ切った顔を出した。

「やっと、着いたのね……」


「か、母さん?」


 ケインは眼を疑った。どうして母がここに?


「まぁ、ケイン!」

 優は眼を見開き、声を上げた。

「あなた、なにしてるの?」


 優の隣では、やはり砂まみれのカイル・ローゼンタールが気を失ったようにぐったりとシートにもたれている。


「ケイン」

 優がおっとりと首を傾げた。

「外の世界では、なにがあったの?」


「それは……」

 ケインは口ごもった。聞いてもらいたいことがあまりに多すぎる。

「後でゆっくり説明する。それより、母さんに、頼みたいことがある」


 改まったケインの言い方に、優は戸惑った顔をした。

「いいけど、でも……」

「え?」


「あなたに抱きついている」

 優は目を細め、急に母親の顔になって言った。

「その子は誰?」


 シンシアがケインの首に回した腕をぎゅっと絞めた。

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