18 決着
背後から猛烈な速さで何かが突っ込んでくる。
アカツキはかってない速さで真横に飛び退いた。
アカツキの残像をかすめた巨大な砲弾が、一瞬で正面のアーペンタイルに激突した。
閃光が走り、目の前で猛烈な爆発が起きる。
衝撃波に吹き飛ばされたケインは、空中で必死に体勢を立て直した。
一撃で済まないことはわかっていた。
すぐに次弾が来る。
これは、アッシュ・ガールの攻撃なのだ。
黒い球体の表面で次々に爆発が起こった。
撃ち込んだ弾丸に凝縮されていた膨大な破壊イメージが解放され、火山が噴火したような凄まじい爆炎と噴煙が湧き上がった。破砕された黒いフェイスが黒煙になって飛び散っている。
間髪を置かずに次弾が着弾し、さらに猛烈な爆炎が上がった。
巨大な黒い惑星、アーペンタイルが後方に押されている。
これほどの破壊力を射出できるギアはアッシュ・ガールしかいない。
しかし今までにない衝撃の強さと規模だった。
これは機銃などではなく、戦艦の砲撃に匹敵する破壊力だ。
ケインはアカツキを反転させ、アーペンタイルに背を向けて飛翔した。
前方で真っ赤な発射炎が閃く。
アカツキの横を砲弾が一瞬で擦過していく。
背後で起きた強烈な爆圧は、アカツキの機体を押して加速させるほどだ。
前方に小さく白いギアの編隊が見え、急速に接近して来る。
ケインは眼を瞠った。
砲身を槍のようにアーペンタイルに向け、巨大な大砲が突き進んでくる。
その大砲は前世紀の巨大戦艦の主砲を遥かに越える直径と長さだった。
ケインの記憶にあるのは、ただ一つの兵器しかない。
人類が造り出した過去最大の大砲。
列車砲だ。
砲口を向けて進攻して来る列車砲は六門あり、Xの形に編隊を組んでいた。
列車砲の編隊はすぐに眼前に迫り、アカツキと擦れ違った。
ケインは急制動をかけ、アカツキを停止させた。
空中の壁を蹴って反転し、長大な砲身と並んで飛翔する。
巨大な二門の大砲の尾部に、小さなブレイン・ギアが見える。
やはりそれは、アッシュ・ガールだった。
前進翼状に変形した左右の腕に長大な列車砲がつながり、二門の大砲を水平に保持している
周囲には四機のレプリカ・ギアが展開し、一機が一門の列車砲を支えている。
「アッシュ!」
ケインの叫びは砲撃音に掻き消された。
僅かな時間差を置いて六門の巨砲が次々に火を噴き、雷鳴のような砲撃音が乱れ重なって轟き渡る。
実際の列車砲は次弾の装填と発射までには十数分かかったはずだ。
しかし白いギア達はわずか十秒たらずの間隔で砲撃している。
一発の射出イメージだけでも膨大なのに、それをレプリカに振り分けた上で連射させるとは、どれだけの総量が必要なのか想像もつかない。
その時、ケインは気がついた。
アラスカで半年以上も続けられたカイル・ローゼンタールの開発したイメージ増幅装置による苛酷な訓練によって、アッシュ・ガールのイメージ想起力は、以前とは比べ物にならないレベルにまで増強されたのだ。
アッシュ・ガールとレプリカ・ギアは六門の列車砲を撃ち続けた。
正面に聳えるアーペンタイルが激しく爆炎を上げている。既に数十発近い砲弾を受け、表面は深くえぐられ側面も大きく欠けている。照準はかなり不確かだが、標的の巨大さからすれば問題はなかった。
再び全砲門が火を噴き、着弾の重なった球体の上部が吹き飛んだ。
このまま砲撃を続ければアーペンタイルを粉砕できると思われた。
しかし……。
惑星のように巨大な黒い球体が目前にのしかかり、迫って来る。
白いギアの編隊は減速することなく、一直線にアーペンタイルに向って行く。
砲撃にすべてのイメージを集中しているため、速度や方向までコントロールできていない。今までのレプリカ・ギアの攻撃と同じだった。
このまま直進すればアーペンタイルに激突することになる。
いや、その直前に伸展する黒い槍の攻撃射程に入ってしまう。防御できないアッシュとレプリカは、なす術もなく破壊されるだろう。
自分が破壊されるか、その前に相手を破壊するか。
ただ突き進むしかない捨て身の特攻だった。
天蓋を覆う黒い雲海からダーク・モンクの低く嗤う声が響いてくる。
遠雷のように低く轟くその声には、偉大なる父のためといいながら、相手の完全なる破壊を希求する暗鬱で歪んだ情念が感じられた。
かって自ら進化の階梯を登ったといった黒衣の修道僧の本質は、心の奥底に潜む破壊衝動を解放しそれを操るという、文字通り『破壊』そのものにあった。
そんな破滅的な進化など、到底受け入れられない。
—ダーク・モンク。
アカツキは赤い眼を細め、黒雲を見上げた。
—なぜ、攻撃しない?
ケインは強い不審を感じた。
破壊衝動を操り仮想空間を蹂躙したダーク・モンクであれば、アーペンタイルへの直接攻撃も可能な筈だ。
しかし、ダーク・モンクはそれを行わない。
自らがそれをせずにアッシュ・ガールだけに攻撃させているのは、何か別の状況に備えているのだろうか。
アカツキは機体を傾け、アッシュの上方に回った。
二本の長大な砲身の隙間に小さなギアが見える。
アッシュ自身の精神力がどこまで持つかはわからない。アッシュを守るためには、少しでも早くアーペンタイルを破壊しなくてはならない。
アカツキは飛翔しながら両刀を構えた。
終焉の炎を強く想起する。
一旦は消えた炎が再び刀身から噴き上がった。
振りかざした二本の刀の剣先を重ね、さらに強い気合いを込める。
重ねた両刀の先端から噴き出した炎が空間に留まって膨れ上がり、大きな火球を形成する。
それはただの炎の球ではない。
高熱のマグマを凝縮した、超高圧の火炎の塊だった。
—この火球を叩き込む!
アカツキは視界に広がる黒い惑星のような球体を睨みつけた。
—アッシュを攻撃させはしない!
突然、すぐ背後から声がかかった。
「手を出すな、愚か者め」
ぞっとして振り返る。
墨汁を流したような黒い霧の帯が漂っている。
「お前の炎では、あれは灼けぬ」
黒い霧がゆらゆらとたなびく。
「引っ込んでいろ」
「くっ!」
ケインは燃える刀を横に薙ぎ払った。
太刀から放たれた火球を躱し、黒い霧は蛇のようにうねりながら遠ざかる。
突然、右上方のレプリカ・ギアが吹き飛んだ。
レプリカが支えていた列車砲が外側に傾きながら後方へ脱落して行く。
その砲身に、黒い槍が何本も突き刺さり、貫通した。
前方から射出された黒い槍が集団で飛来して来る。
アーペンタイルの反撃だ。
アカツキは編隊の最前部に躍り出た。
正面から来る槍を渾身の力で弾き飛ばす。
次々に飛来する黒い槍をアカツキはすべて二本の刀で撥ね飛ばした。
黒い槍は表面のフェイスから射出されていた。
人間の魂である槍を撃ち出したフェイスは、黒い鱗が剥がれるように次々に落下していく。
左下のレプリカに黒い槍が突き刺さった。
ギアは貫通した槍ごと後方へ飛び去って行く。支えを失った列車砲は傾きながら砲弾を発射し、後退する。
正面の槍を防ぐことでアッシュは守れるが、他のレプリカ・ギアまでは手が届かない。
「どけ」
低い声に、はっとして振り返る。
背後のアッシュ・ガールがじっとアカツキに顔を向けている。
目鼻のない白い顔は赤い血が滲み出し、異様なまだらの面になっていた。
「アッシュ!」
「どけ」
再び低いアッシュの声。
「邪魔だ」
「このまま撃て! この距離では外さない!」
「どくんだ」
「アッシュ!」
「馬鹿者が!」
突然、黒い霧が目の前に現れた。
頭上からの鉄槌のような衝撃に打たれ、アカツキは下方に突き落とされた。
「下がれ!」
ダーク・モンクの怒声が聞こえた。
「あのギアの集中を乱すな!」
「くそっ!」
アカツキは急制動をかけ、上空を振り仰いだ。
残りの二体のレプリカ・ギアが黒い槍の直撃を受けた。
機体が千切れて吹き飛ばされ、傾いた砲身に槍が突き刺さる。
アッシュ・ガールが突然、怪鳥のような金切り声を上げた。
「かあああああああああ!」
「アッシュ!」
ケインは眼を疑った。
アッシュ・ガールの下半身がなくなっている。
「助ける!」
アカツキは空を蹴って急上昇しようとした。
四方から何かが激突し硬い金属音が響いた。
全身が押し固められたように動かない。
アカツキは刀を持ったまま、狭い四角い格子の中に閉じ込められていた。
「これは」
ケインは叫んだ。
「ソウル・ケージ!」
「手を出すなといった筈だ」
怒りを込めたダーク・モンクの声が響く。
獣のような雄叫びが響いた。
上半身だけになったアッシュ・ガールが、巨砲に繋がった両翼を振りほどこうと激しくもがいている。
頭を仰け反らせ、全身をのたうたせている。
嫌な音を立てて両翼が裂け、二門の砲身が切り離された。
寸前に発射された砲弾はアーペンタイルをかすめて虚空へ飛び去る。
「アッシュ!」
アカツキは刀を捨て、格子を掴んで必死にもがいた。
しかしソウル・ケージはびくともしない。
アカツキは真っ赤な口を開け、憤怒の叫びを上げた。
その機体から炎が噴き出し、全身が紅蓮の猛火に包まれる。
格子の檻の中で、アカツキは燃え盛る火の塊と化した。
「ま・だ・だ……!」
老婆が呻くようなかすれ声。
ケインはぞっとして、上空を見上げた。
瀕死のアッシュが、顔から血の涙を流している。
「アッシュ!」
アッシュ・ガールの背中がざくりと割れた。
裂け目から白く尖った骨のようなものが突き出してくる。
白い骨は八本あり、細く長い蜘蛛の脚のようだ。
先端を揃えて背後に真っ直ぐ伸びた白い骨は、体液が注ぎ込まれたように膨張して太さを増すと、傘の骨を開くように周囲に展開した。
さらに反り返るように関節を曲げながら、尖った先端を前方に向けた。
「あれは……!」
ケインは慄然とした。
白い骨のような脚は、カイルが見せたオウガ・フレームだった。
アッシュ・ガールは仰け反ったまま、狂ったように激しく機体を痙攣させた。
八本の剛体に閃光が瞬き、長大な列車砲が構築されていく。
イメージの加速増幅装置であるオウガ・フレームが新たに八門の列車砲を構築した。
それは数倍の巨大な砲身を持つ、超弩級列車砲だった。
束になった八本の砲身の中心に小さな白いギアがいた。
アッシュ・ガールは巨砲の八つの砲口を、洞窟のようにぽっかりと口を開けた虚ろな黒い穴を、黒い球体にぴたりと向けた。
巨大な黒い球体が激しく赤く瞬く。
超弩級列車砲の脅威を一瞬で察知し、ぶるっと身震いしたようだった。
球体の表面フェイスから突き出した黒い槍がより合わさり、超弩級列車砲に向って鋭い山のようにせり上がって行く。
アーペンタイルが大量の槍を一気に射出しようとしている。
「アッシュ!」
針の山の先端が細く伸びたように見えた。
その標的は束になった砲身の中心、狭い隙間にいる小さなギアだ。
音もなく、大量の黒い槍が撃ち出された。
超弩級列車砲の束が、一瞬、静止して見えた。
平行に揃っていた八門の砲身がゆっくりと傾き始め、太い砲尾から高度を下げ始めた。
「そんな……」
格子を握り締め、アカツキは天を振り仰いだ。
巨大な砲身の間から白いギアの破片がバラバラと落ちてくる。
その中に、小さな丸いものがあった。
アッシュの頭部が石のように落ちてくる。
落下しながら、アッシュは檻の中のアカツキに視線を向けた。
「炎を……」
微かに声が届いた。
「点火……しろ」
アカツキは傾いて落下する巨砲を赤い眼で見据えた。
声にならない雄叫びを上げ全身を激しく震わせる。
機体を包んでいた火炎が輝きを増し、格子の檻から噴き出した。
ソウル・ケージの中で、紅蓮の炎が爆発した。
火炎の塊は格子の檻を一瞬で蒸発させ、巨大な火球となって猛烈な勢いで膨れ上がった。火球は落下する八門の超弩級列車砲を下方から押し上げ、上空のアーペンタイルにまで迫っていく。超高温の烈火に呑み込まれた砲尾がみるみる赤熱し、長大な砲身が唸りを上げた。
天地を圧するような凄まじい轟音が鳴り響いた。
現実世界では誰も見たことのない光景だ。
過去に存在した世界最大の砲身を遥かに上回る八門の巨砲が真っ赤に灼熱し、次の瞬間、砲身を引き裂いて大爆発が起きた。
噴き上がる爆炎の中から八発の砲弾が一斉に飛び出した。
巨大な爆発が起こった。
火炎の熱で強制発射された砲弾は瞬時にアーペンタイルに着弾し、増幅された破壊力を解放した。その力は黒い球体の半分以上を一瞬で吹き飛ばし、残った部分には大穴を開けた。
巨大火山の噴火に匹敵する膨大な爆煙と破砕した黒いフェイスが混ざり合い、周囲は真っ黒な煙に包まれた。
半壊した黒い惑星は赤い閃光を発することもなく、完全に沈黙している。
「私が諦めるとでも思ったのか?」
上空の黒雲の中から傲然とアレクシスの声が響く。
「帰るぞ、父のもとへ」
砕けた黒い半球を取り囲み、巨大な四角い格子が黒煙の中から現れた。
格子の枠は上下左右から音を立てて結合し、アーペンタイルを完全に捕獲した。貫通した穴の中にも格子が伸びて繋がっている。
雷光の光る黒雲から再び人影が降下する。
アレクシスは、巨大なソウル・ケージの上に降り立った。
周囲の視界を奪っていた膨大な爆煙がゆっくりと薄らいで行く。
下方から赤く輝く光と高熱が押し寄せて来た。
アレクシスは脚を踏みしめて姿勢を正すと、ぐるりと周囲を見渡した。
巨大ソウル・ケージの下方は、見渡す限り燃え盛るマグマの海が広がっている。仮想空間の地表すべてが炎の海と化し、間欠泉のように火柱が何本も噴き上がっている。
空間に大量の火の粉が舞い始め、すぐに吹雪のような勢いになった。
アレクシスは黙って空を見上げた。
天蓋を覆い尽くしていた黒雲が見る見るうちに赤熱し、雲海全体が燃え始めている。一部では赤く染まった火炎雲が乳房のように垂れ下がり、マグマの海から噴き上がる火柱と繋がろうとしていた。
目に映るすべてが燃え上がり、高熱を発していた。
仮想空間を蹂躙した破壊衝動の暗黒は紅蓮の炎に灼かれ、残されたのは人型となってソウル・ケージに降り立ったダーク・モンクだけだった。
「これがお前の、本当の破壊衝動……」
アレクシスは低く呟いた。
どこからも、誰からも、返事はない。
マグマの海が膨張を始めた。
上からは灼熱の雲海が高度を下げて来る。
立っているソウル・ケージが激しく揺れた。
魂の檻に捕われたアーペンタイルが迫り来る火炎を嫌って身震いしている。
しかし、もうどこにも行き場がないことはよくわかっていた。
アレクシスはフードを肩に降ろした。
端正な白人青年の顔が現れる。
青年は青い瞳を見開き、火炎に満たされようとしている世界をゆっくりと見渡した。
「これが荒神の見た、メギドの火……」
青年は呟く。
「……この世界の終焉か」
雲から垂れ下がった炎が巨大な火球となり、豪雨のように降り注ぎ始めた。
黒い修道衣が燃え上がり、アレクシスの姿はオレンジ色の炎に包まれた。
「だとすれば」
炎の中で、青年は静かな眼差しをまだ見ぬ遠くの未来へ向けた。
「人のイメージが、世界を焼き尽くしたのかも知れぬな」
そして。
全てが。
燃え上がった。
炎で満たされた世界は、膨大な熱量を充満させたまま均衡を保っていた。
それは静謐ともいえる、完全に均質な空間だった。
唯一つ残された残骸を除いては。
小さな白い円から、光の球が躍り出た。
転送リングを抜けた光球は高熱に灼かれることもなく、軽々と空間を飛ぶ。
やがて微かに残った黒い残骸を見つけ、観察するように接近した。
しかし残骸は数瞬の間に完全に燃え尽き、消え去ってしまう。
光の球は身震いするように小さな光輪を放ち、その場を飛び立った。
しかし、すぐに停止する。
何かを探るように無数の細い光の筋を周囲に放射した。
「ふむ」
アシュレイは呟いた。
「まだ自我が残っているとはな」
光の筋は収束して空間の一点をなぞるように動いた。
眼に見えない朦朧としたものが浮かび上がる。
光球は光の筋を伸ばし、そのもやもやを転送リングの中に放り込んだ。
「確かに、炎と化せば炎に灼かれることもない」
アシュレイは小さく呟くと、光の球の座標を固定した。
「お前は……理解できるだろうか」
光の球はこの空間に消え去った者に語りかける。
「イメージは無限であり、それは高い次元において次の宇宙の源となると」
高熱に満たされた空間は何事もなかったように安定している。
「まぁいい」
光の球は再び肩をすくめるように光輪を放った。
「…………」
アシュレイは誰にもわからぬ言語で呟いた。
短い別れの言葉を。
光の球が輝いた。
その輝きは炎に満ちた空間を、一瞬で消滅させた。
それは超高温のエネルギー。
熱核融合の力。
太陽そのものだった。