17 壊滅
ギア集団に追いついたジェット・ストライカーは驚愕した。
接近する途中、前方で猛烈な爆発が起こり、地表から盛り上がった巨大な黒い半球が火炎に包まれるのを見た。
仮想進化モデルを相手にした攻撃演習とは比べ物にならない程の凄まじい攻撃だった。誰もが死物狂いになってイメージを撃ち出しているのがわかる。
あの圧倒的な火力の攻撃なら勝てる、と確信した。
更に接近すると、様子が変わった。
上空から見下ろすと、ギア集団が散開し、何かから逃げるように飛び回っている。回避とも思えないむちゃくちゃな動きだった。
「パニックだ」
シルバーは愕然とした。
「何が起きているんだ?」
意識を集中すると、逃げ惑うギアの後方に細い線が見えた。
「あれか」
視線を黒い丘に向ける。
細い黒線は、丘の頂上部に繋がっている。
シルバーは右腕を振り上げた。見えない力感が膨張して行く。
「ジェット・ストライク!」
渾身の力を込めて腕を振り下ろす。
空間を走った力感の塊が黒い半球を直撃した。
頂上部が大きくへこみ、全体がぐらぐらと揺れる。
すぐに下方から黒い線の束が屈曲しながら上昇してくる。
線の束はジェットの周囲に拡散し、直角に折れ曲がって全方向から突き刺さってきた。
「ショットガン」
シルバーはボクサーのように構えを取った。
「ラッシュ!」
短射程で撃ち出される力感が黒線の先端をすべて弾き飛ばす。
「こっちよ!」
ニーナの声が叫ぶ。
「シルバー!」
下方にクリスタル・キャッスルが見える。
ジェットは頭から急降下した。
追ってきた黒い線にショットガンを叩き込みながら、水晶の格子の中に機体を滑り込ませる。
「ジェット!」
レデイ・Sが機体を掴んで停止させた。
「ニーナ、ダービー、遅くなった」
シルバーは周囲を見回した。
「まさか、これだけなのか?」
パティの展開したクリスタル・キャッスルの中には、十数機のギアしか浮んでいない。どのギアも疲労感を滲ませ、輪廓が曖昧になっているものもいる。
「ぼろぼろだな」
シルバーは掠れた声でいった。
「ニーナ、あの黒い線は何だ?」
「おそらく……あれは観念の射出線」
ジェットはじっとレディ・Sを見つめた。
「お前や、お兄さんの線と同じ属性か……」
「無限の線」
ニーナは声を落とした。
「あんな恐ろしいものではないけど」
「同属性なら、干渉できる」
ダービーが言った。
「あれを排除すれば接近して直接攻撃が可能だ」
ジェネラルの重い声がした。
「もうそれしか、方法はないわけか」
振り向くと、鉄の箱がゆっくりと近づいてくる。
「そうです」
ダービーは言った。
「もう、それしか」
「サムライが来たわ!」パティが叫んだ。
クリスタル・キャッスルの中に、アカツキが滑り込んで来る。
「ケイン、見つかった?」
「いや、雲の中に隠れているようだ」
「どうして?」
ニーナが責めるように言った。
「こんな状況なのに、なぜあの子は一緒に戦わないの?」
「それは」
ケインは言葉に詰まった。
「……わからない」
「何のことだ?」シルバーが訊く。
「アッシュ・ガール」
ジェネラルが静かに言った。
「我々の最後の戦力だ」
「……なんだと?」
シルバーは絶句し、激高して叫んだ。
「そんなものを当てにしているのか!」
全員が黙り込む。
「ふざけるな! 戦うのは俺達だ!」
突然、誰かが叫んだ。
「あれを見ろ!」
残されたブレイン・ギア達は視線を下方に向けた。
地表のアーペンタイルは黒い線の射出を止め、様子をうかがうように静まっている。激しい攻撃で吹き飛ばされ大きくえぐられた黒い丘は、半球形の形態を取り戻していた。
「シェリルやアントニオの開けた大穴が再生している」
ダービーは独語するようにいった。
「いや、再生じゃない。形態を修復しているのか?」
「どっちなんだ、ダービー?」シルバーが詰問する。
「本体を構築しているフェイスはサルベージした過去の人々の魂だ。だから、その数は有限である筈……」
「それならば!」
シルバーは皆に聞かせるように声を高めた。
「アーペンタイルは倒せる!」
周囲のギアがジェットを注視する。
「有限ならば、最後の一つになるまで、破壊し尽くせばいい!」
ジェットは確信を込めた口調でいった。
「ダービー、時間を稼いでくれ!」
青い球体のギアは、理由も問わずに答えた。
「わかった」
「ニーナとサムライは陽動を。あの黒い線を引きつけてくれ」
シルバーは早口で言うと、指揮官のギアを振り返った。
「ジェネラル、残ったギアでケインを援護してくれ! 頼む!」
ジェネラルは苦渋の声で言った。
「わかった。そうしよう」
「そう、まだ方法はある!」
ダービーは自分を鼓舞するように声を上げた。
「あの線に銃撃を阻止されても、爆撃なら有効だ。マッドネス! 来て!」
エイのようなギアが進み出る。
「シルバー、どうするつもりだ?」
ケインは小声で訊いた。
「接近して直接ぶち込む」
シルバーは拳を固めた。
「すべてのパワーを」
「危険すぎる!」
「サムライ」
ジェット・ストライカーはアカツキに顔を向けた。
「ニーナを頼む」
「……」
「あいつを守ってやってくれ」
ケインは一瞬迷ったが、すぐにはっきりと言った。
「断る」
「なんだと!」
「自分で守れ」
アカツキはずらりと腰の太刀を引き抜いた。
「俺には関係ない」
「おまえッ!」シルバーが怒声を上げた。
その時、ジェネラルの声が響いた。
「全機」
老指揮官は命令した。
「攻撃開始!」
「みんな、死なないで!」
パティが高く叫んだ。
「クリスタル・キャッスル、解除!」
薄桃色の水晶の格子が分離して飛び去って行く。
「じゃぁ、行くよ! また後で!」
ダービーはマッドネスの機体に乗った。
「何をしているの!」
レデイ・Sのスレンダーな機体がアカツキの頭上を飛び越えた。
「行くわよ! サムライ!」
「ニーナ!」
ジェット・ストライカーは固めた拳を天に突き上げた。
「俺を見ろ!」
急停止したレディ・Sは空中で逆さまになり、視線をジェットに向けた。
「ニーナ」
シルバーは静かに言った。
「また、後でな」
「当然でしょ!」
灰色のギアが飛び去って行く。
遠ざかる姿を見ながら、シルバーは短く笑い声を上げた。
「くそったれ!」
汚い言葉とは裏腹に、ジェットの機体からは強い高揚感が湧き上がってくる。
「死ねない理由ができちまったな!」
高く突き上げた両拳に、見えない力感が膨れ上がり、凝集されていく。
拳から上腕部が装甲アーマーのように変形した。
シルバーが産み出す膨大な力感、沸騰するような熱さは、生命力そのものだ。
「進め!」
ジェネラルが叫んだ。
アカツキは急発進し、レディ・Sの後を追った。
周囲のギアも一斉に動き出し、上空からアーペンタイルに接近して行く。
「背面から攻撃。線の攻撃を引きつける」
追いついたアカツキにレディは指示を出した。
アカツキとレディ・Sは大きく旋回して半球体の反対側に廻り込んだ。
ある距離まで接近するとすぐに線が反応した。
ケインはレディの前に出て、突き上がってくる黒い線を脇差しと手甲で捌いて受け流し、斬り飛ばした。
線自体は強靭ではなく、先端で刺されなければ危険ではないと思われた。
黒線が動かす先端の『点』に強いイメージが込められていて、貫かれた時に何か別の状態が発生するようだ。
黒い線を舞うように薙ぎ払うアカツキを見て、レディ・Sが呆れて言った。
「何なの、その動き?」
「捌いているだけだ」
「そんな古武術、誰も知らないよ」
ニーナは腕を伸ばし、アカツキが払い流した黒い線を握り締めた。
「まさか?」
ケインは叫んだ。
「止めろ!」
灰色のギアはものもいわずに、黒線の先端を自分の胸に突き立てた。
「ニーナ!」
「ううっ!」
レディ・Sは仰け反って苦痛に耐えている。
灰色の機体に亀裂が走り、オレンジ色に燃える内部が露になった。
「うおおおおおお!」
ニーナが気合いを込めた。亀裂が広がり火花が噴き出す。
「反転ッ!」
黒い線の中で力が逆転しアーペンタイルに向った。
掴んだ線が捩じれて暴れ、レディの手を振りほどこうとする。
「くっ!」
ニーナが呻く。
「私に従え!」
突然、本体から伸びた無数の黒線がのたうつように激しく振動した。
正面から接近する味方のギアに向っていた黒い線が、方向感覚を失ったように無秩序に屈曲を繰り返し始めた。
完全に反転はできなかったが、ニーナが流し込んだ力の干渉によってアーペンタイルが黒線をコントロールできなくなっている。
「くらえ!」
シルバーの叫び声が聞こえた。
「ジェット・ストライク・アロー!」
アーペンタイルの正面に浮んだジェットが両腕を前後に大きく伸ばし、弓を射る体勢を取っている。
見えない強弓につがったイメージの矢をぎりぎりと引き絞っている。
ジェットは狙いを定め、膨大な力感を極限まで細く絞り込んだ矢を放った。
見えない矢が一直線に空を疾る。
アーペンタイルの側面が不気味に変化した。
黒い曲面がべこりと深くへこみ、その底に小さな孔が開いた。
アーペンタイル全体が打ち叩かれたように強く振動した。
射ち込まれた力感の矢が表層を突き破って内部に侵入し、内側で凝縮されていた力感を解放したのだ。
へこみの孔から、黒いフェイスの断片が体液のように噴出している。
その孔の中に銀色のジェット・ストライカーの機体が弾丸のように突っ込んで行くのが見えた。
「シルバーッ!」
ニーナが悲痛な叫びを上げた。
一瞬、アーペンタイルが風船のように膨れ上がった。
しかし、すぐに元の大きさに戻る。何も起きないのかと思われたとき、黒い半球形は突き上げられたように重く浮き上がり、黒い表面に真っ赤な太い亀裂が縦横に走った。
次の瞬間、アーペンタイルは音もなく破砕した。
内側で爆発したジェットの力感によって水瓜のように大きく割れ、赤い裂け目から砕けたフェイスを黒い血飛沫のように噴き上げた。
「今だ!」
指揮官の叫び声が聞こえる。
「ファイア!」
砕けたアーペンタイルの本体に、すべての火器が発射された。
ミサイルが着弾し、黒い半球形の表面で猛烈な爆発が起こった。
爆炎はアーペンタイルを包み込むように広がり、更に第二波、第三波のミサイルが次々に撃ち込まれる。
バトラー達が残された力を振り絞って放った激烈な破壊力のイメージが、アーペンタイルに瀑布のように降り注いだ。
「そんな……!」
レディ・Sがかすれた声で叫び、ふらふらと落下を始める。
「あの中に、まだシルバーがいるのに!」
ケインはレデイの機体を抱え上げ、急上昇した。
アーペンタイルの直上にマッドネスを先頭にしたボマーの編隊が現れた。
マッドネスの機体に乗ったジーニアスは、ミサイルを撃ち尽くした兵装ユニットを分離し、残った球体を下方に向けて開いた。
「銃弾は貫けても、これはできないよ」
ボマーの編隊からナパーム弾が投下された。
直後に空中で点火し、オレンジ色に輝くジェル状の高温の炎が黒い半球体に振りかかる。粘度のある炎は黒い線も貫いて止めることはできない。
大量にばらまかれたナパームは本体のまわりにも落下し、周囲一面は轟々と燃え上がる火の海と化した。
「すべての爆弾を投下!」
ボマータイプのギアが残された爆弾をアーペンタイルに投下した。
半球形だった黒い丘は崩壊し、地上に現れている部分は火炎に包まれている。
ミサイルや砲撃によって吹き飛ばされたフェイスの破片が黒い雲になって舞い上がる。
執拗に攻撃された黒い丘は内部までえぐられ、形を留めない程に破壊された。
砲撃と爆撃の集中豪雨がやんだ。
イメージを撃ち尽くしたギアたちが次々にジェネラルの周りに戻って来る。
バトラーたちは燃え上がるアーペンタイルの残骸を見下ろした。
炎を避けて白い鳥が周囲を飛び交っている。
「どうだ、ランディ?」指揮官が訊いた。
「反応は……ない」
ランディは呟いた。
「やった、のか?」
「油断しないで」
シェリルが硬い声で言った。
「でも、もうこちらには余力が……」
アカツキは虚脱したように動かないレディ・Sの機体を支え、集団の中に浮んでいる。ケインはアカツキの視覚を振って、周囲の空間を見渡した。
アーペンタイルへの攻撃が続く間も、蒼白い魂の雨は降り続いていた。
最初の豪雨のような勢いはないが、それでもその落下は終わろうとしない。
攻撃が止んで静まり返った空間に、魂が上げる悲痛な慟哭が笛の音のように重なり、残響が木霊している。
黒い死をもたらす異世界の情報はスタジアムだけではなく、防壁をすり抜けてインターネットに洩れ出し、世界中に拡散してしまったのかも知れない。
そして黒いフェイスは、今もその堕ちた魂を一つ残らず吸収し続けている。
「まだ、フェイスは残っている」
ブラック・コブラが地表に顔を向け、低く言った。
「嫌な予感が……」
その言葉が終わらないうちに、黒い地表に変化が起こった。
砕かれた丘の残骸の周囲に赤い光の輪が浮かび上がり、再び明滅を始める。発光する度に輝度を増した赤い光輪はひときわ大きく輝くと、水滴の造る波紋のように周囲に広がった。
黒い地表の上を遠ざかって行く赤い光の輪は減衰することなく、輝きを保ったまま地平線の彼方に消えた。
「おい」
誰かが呟いた。
「まずいぞ……」
大地が脈動した。
黒いフェイスで埋め尽くされていた地表面が激しく波打ち、揺れ動いた。
フェイス同士の接合部分が赤く光り、黒く沈んでいた面の中で何かがうごめいている。
そのとき、視界に映る地表全域が、一瞬、真っ赤な光りに包まれた。
浮んでいたブレイン・ギアたちは反射的に腕を上げて視覚を覆った。
それは光りというよりも、何か生々しい血を見せられたようなぞっとする感覚だった。
赤い光が薄れると、フェイスの上に何かが立っているのが見えた。
アカツキの腕の中でレディ・Sが顔を起こした。
「あれは……」
ニーナは声を震わせた。
「あれは、なに?」
すべてのフェイスにひとつずつ立ち上がったのは、黒い影だった。
その影は、人の形をしていた。
人影は闇を切り抜いたように暗く表情もわからない。
しかしひとつひとつが様々な姿を持っていた。
吸い込まれた魂が、生前のシルエットとなってフェイスの上に現れたのだ。
魂の人影は溶暗した顔を上げ、空に浮ぶブレイン・ギアをじっと見つめた。
アカツキの近くに浮んでいたブラック・コブラが消えた。
次の瞬間。
激しい衝撃に突き上げられ、アカツキは後方に弾き飛ばされた。
腕に抱えていたレディ・Sの機体が消えている。
ケインは赤い空を振り仰ぎ、眼を見開いた。
レディが黒い槍の先端にボディを貫かれ、うごめく赤い空に捧げられた供物のように高々と掲げられている。
ぐったりとしたシルエットを見上げ、ケインは絶叫した。
「ニーナ!」
水晶の破片と共にバラバラになったピンクの機体が落ちてくる。
ケインの意識に電流が走り、抜刀した太刀を下方に向けて構えた。
ハンマーで叩かれたような衝撃と共に、アカツキは上空へ撥ね飛ばされた。
咄嗟に機体をひねって下方を視界に入れる。
引き抜いた脇差しと太刀を交差させ、突き上がってくる別の黒い槍の追撃を弾き返した。両刀を構えたアカツキは空間を蹴って追撃の槍を垂直に駆け降り、ニーナを突き刺している黒い槍に向って跳躍した。
裂帛の気合いと共に太い槍を分断する。
しかし黒い槍は次々に襲いかかる。
落下するニーナに触れることもできず、槍をはね除けるだけで精一杯だった。
地表に落ちて行くレディ・Sを突き上がった何本もの槍が貫通した。
アカツキは脇差しの刀身をくわえて掌の中にダガーを想起し、黒い槍の側面に突き立てて体を入れ替えた。
すぐ背後を別の槍がかすめて行く。
黒い槍は仮想進化モデルのものよりも太く強く速かった。
仮想モデルの機械的な動きではなく、明らかに殺気の籠った攻撃だった。
アカツキは地表を向いた。
黒槍はフェイスに立ち上がった人影が伸展して槍となったものだった。
ブレイン・ギアたちを攻撃する槍には一切の容赦がない。
それはアーペンタイルに命じられ強いられているからなのか、或は突然の死の絶望が生ある者へ憎悪となって向けられたのかはわからない。
しかしわかっているのは、この仮想空間が一体のブレイン・ギアの存在さえ許そうとはしていないことだった。
アカツキは身を翻し、周囲に林のように突き立った黒い槍に飛び移りながら地表に降下した。
目標を見失った槍が瞬時に縮み、再びアカツキに向って伸展する。
穂先を捌いたアカツキは渾身の力を振るって黒い槍を斬りまくった。
アカツキは逆手に持ち替えた二本の刀を、着地と同時に黒いフェイスに突き刺した。柄を握り締め、そのまま地表を蹴って疾駆する。
背後に高波のように黒いフェイスの破片が噴き上がる。
急停止すると刀から手を離し、瞬時に数百本のダガーを機体の周りに並べ、気合いと共に放った。
ダガーは周囲の槍を根元から分断しながら飛び去って行く。
視界が開けた。
アカツキは獣のように背を屈め周囲を窺った。
口から赤い霧が噴き出す。
次の瞬間、その姿が消えた。地を蹴って高々と飛翔していた。
上昇して高度を取る。
見下ろすアーペンタイル本体は、度重なる攻撃を受けて半球形が破砕した状態のままになっている。
その周囲の地表面のフェイスからは黒く尖った槍が突き出し、意志を持った棘皮生物のように棘をゆらめかせている。
その尖った穂先のすべてが空中のアカツキに向けられた。
「まさか……!」
周囲を素早く見渡し、ケインは自身の眼を疑った。
赤雲の渦巻く空の下には一つの機影も見当たらない。
「ダービー! ジェネラル!」
ケインは叫んだ。
「誰か、いないか!」
呼びかける声は、虚しく消えて行く。
「そんな……」
ケインは愕然とした。一機も残っていないとは信じられない。
そんなはずはないと思いながら、ケインはだらりと両刀を下げた。
空間に浮んだまま、動きを止める。
—攻撃される。
そう思いながらも機体が動かない。
直下のフェイスに目をやると、黒い槍が穂先を揃えてアカツキを狙っている。
しかし、なぜか槍は突出してこない。
気がつくと両手の刀身が赤熱して高熱を放ち、めらめらと炎を上げている。
黒い槍はこの炎を警戒しているのだと気がついた。
—どうして、今になって。
アカツキの中で、ケインはかぶりを振った。
仲間のギア達を助けられなかった後悔と、どうしようもなかった自分への無力感がこみ上げてくる。
—もっと早く、発現していれば。
だが、この炎は自分なのだと、良くわかっている。
都合良く出せるものではないといったのはケイン自身だ。
本当に後のない極限状態にまで追い込まれなければ、この世界を焼き尽くした終焉の業火は現れないのだ。
—俺は、どうして……。
ケインは右手の太刀を振り上げた。
刀身から紅蓮の炎が垂直に噴き上がり、赤黒い雲まで到達する。
赤雲は炎を嫌って退き、雲の中に空洞のような大穴が開いた。
—どうしていつも、失ってからでないと気がつかないんだ!
朱色に染まった蓬髪が熱に煽られ、逆巻いている。
アカツキは赤く光る眼を細め、崩壊したアーペンタイルを見下ろした。
もはや選択肢は何も残されていない。
何も考えることはない。
もう、やるしかないのだ。
—焼き尽くす。
覚悟を決めた。
—この仮想空間、すべてを消滅させる。
アカツキは高く掲げた焔の剣に気合いを込めた。
太刀から噴き出る炎が数倍にも膨れ上がり、太い火柱となって真っ直ぐに天を突いて立ち上がった。
轟々と燃え盛る火柱は直上に開いた雲海の大穴から溢れ出し、周囲の赤い雲そのものを燃やし始める。
その時、アーペンタイル本体から赤い光の輪が走った。
短い間隔で慌ただしく何度も光る。
赤い波紋は瞬く間に遠ざかり地平線の彼方に消えていく。
アカツキは遠方を凝視した。
見えないが、地平の向こう側で何かがざわめいている。
いつのまにか仮想空間全体に不穏な気配が立ちこめていた。
その気配は気づいたときには既に空間いっぱいに充満し、さらに重苦しさを増していく。
空間を侵していくその異様な感覚にケインは身震いした。
そこには感じただけで意識が痺れる、毒のような禍々しさが潜んでいる。
遠くの空間が歪んだように見えた。
目を凝らすと地表を埋め尽くしていた膨大なフェイスが重なり合い、高くせり上がった波涛となって猛烈な早さでこちらに向って来る。
まるで何かに追われ、必死に逃げているような切迫した動きだった。
そしてその高波の上の赤い空でも、雲自体が雪崩をうって近づいて来る。
ケインはアカツキの機体を素早く水平に回転させた。
その逆巻く波は見渡すすべての地平線から押し寄せていた。
アカツキは燃える剣を構え直した。
この仮想空間全体が何か途方もない力で干渉を受けている。
そして、それができるのは……。
—ダーク・モンク!
全周の地平から、垂直に立ち上がった暗闇が迫ってくる。
有無を言わさぬ圧力で地表のフェイスも上空の赤い雲も蹴散らし、逃げ後れれば巻き込み呑み込んで、暗闇は猛烈な速さで包囲の輪を狭めて来る。
—なんだ、あれは?
怒濤のように押し寄せる暗黒に、ケインは戦慄した。
そしてその闇を自分が知っていることに、さらに驚愕した。
それはケインにとって忌まわしい記憶しか呼び起こさない、ケイン自身が持っている暗闇だった。本能の根源に潜み、いったん爆発したら制御できず、すべてを虚無に引きずり込むその暗黒の感覚。
それは膨大な量の破壊衝動そのものだ。
アカツキの足元を三角形のフェイスの群れが地滑りを起こしたように重なり合って走って行く。
すべてのフェイスは破砕したアーペンタイル本体を目指していた。
先程の赤い光の輪は、フェイスを呼び戻そうという伝達だったに違いない。地表を埋め尽くした黒いフェイスが殺到するその先に、アカツキは視線を向けた。
巨大な黒い球体が浮上しようとしている。
地表に展開していたフェイスを回収し新たな構造物を得たアーペンタイルは、ブレイン・ギアの攻撃によって失った半球の形態を取り戻し、更にその直径を十数倍にまで広げていた。
そしてアーペンタイルは地表面からゆっくりと上昇を始め、隠されていたその全貌を現そうとしていた。
その姿は完璧な球体であり、黒い惑星のように目の前の視界を塞ぐ巨大さだ。
ケインはその圧倒的な大きさに身動きできなかった。
陽が陰ったように周りが暗くなった。
ケインは空を見上げた。
上空ではどろどろと渦巻く黒雲が赤黒い雲を完全に駆逐して、天蓋を覆い尽くしている。
黒雲から地表に向けて紫電の稲妻が走った。
雷光は珊瑚のように枝を広げ、激しく明滅した。
その光に呼応するように、巨大な球体の表面を赤い光のラインが縦横に走る。
再び稲妻が瞬き、黒い球体を照らし出す。
まるで光信号で言葉を交わしているようだ。
上空の黒雲から黒衣をまとった人影がまっすぐに降下してくる。
それは背中を向けたまま、アカツキとアーペンタイルの中間で停止した。
「愚か者め」
黒い修道僧は振り返りもせずに言った。
「ダーク・モンク!」
ケインは叫んだ。
「なぜ今まで出てこなかった!」
黒い修道僧は黙っている。
「そうすれば!」
ケインは声を落とした。
「そうすれば、みんなは……」
「助かったとでもいうのか?」
ダーク・モンクは吐き捨てるように言った。
「飛び回るのが邪魔だっただけだ。どうせいなくなるのはわかっていた」
「な!」
ケインは激昂して叫んだ。
「なんだと!」
黒衣の僧は冷淡な口調で言った。
「では、教えてやる」
ケインは修道僧の背中を睨みつけた。
「数多の魂魄によって編み上げられし智慧の器」
詠唱するように重々しい声が響く。
「アーペンタイルの今の形態が、その器なのだ」
「智慧の器、だと?」
「お前達の役割はアーペンタイルをこの形態にさせること。それも強制的に、必ずな」
ダーク・モンクは低く嗤った。
「よくやったと褒めてやろうか?」
ケインは混乱した。
この黒衣の修道僧は何をいっているのか。
「残っているのはお前だけだ。智慧の器は私が持ち帰る」
ダーク・モンクはゆっくりと言った。
「お前の役目は、終わったのだ」
「終わった……?」
ケインは茫然として繰り返した。
「帰るがいい」
ダーク・モンクは腕を真っ直ぐに伸ばし、天を指した。
「偉大なる父の、慈悲である」
頭上を見上げると、遥か上空に小さな白い円が光っている。
転送リングが再接続されたのだ。
あの円に飛び込めば、現実世界に戻ることができる。
生きて帰ることができる。
しかしアカツキは、ゆっくりと顔を黒衣の修道僧に戻した。
「俺は、アーペンタイルを破壊する!」
黒衣の僧を見据えて叫ぶ。
沈黙が流れた。
「破壊しろといったのは、アシュレイだ!」
ケインはいい募った。
「アーペンタイルを破壊し、人類を救えと!」
背中を向けたまま、ダーク・モンクはぼそりと言った。
「馬鹿め……」
「ダーク・モンク!」
ケインは炎の太刀をその背に向けた。
「そこをどけえええ!」
「まだわからぬか」
修道僧は深い嘆息を洩らした。
「では、退かせてみろ、人間」
その言葉を聞き、ケインは炎の太刀に裂帛の気合いを込めた。
剣先から紅蓮の炎が噴き出し、ダークモンクに襲いかかる。
その前に突然、黒い霧が立ちはだかった。
剣の炎は黒い霧に包み込まれて火勢を失いってしまう。
「その炎は闇の求道者に植え付けられたもの。お前の破壊衝動ではその程度だ」
ダーク・モンクは蔑むようにいった。
「思い上がるな、愚か者め!」
ケインは茫然として刀を下げた。
自分ではこの終焉の炎を発現できないというのか。
荒神の力がなくては、本当のメギドの火は生まれないのか。
いったい、どうすれば……。
アレクシスは背後のアカツキを完全に無視して、眼前の巨大な球体に向き合った。両手を司祭のように大きく広げ、厳かな声で呼びかける。
「智慧の器よ!」
尖った指先から紫電の稲妻が四方に走った。
「私は迎えに来た。偉大なる父の元に帰るのだ!」
球体の表面が赤く瞬く。
アレクシスは考えるように少し間を置いていった。
「それは、お前の言葉か?」
赤い光が走る。
「いいや、違うな」
アレクシスは傲然と言い放った。
「お前は器でしかない。考えることはできぬ」
黒い球体は沈黙する。
「違うか?」
アレクシスは小さく笑った。
「それとも、お前はそうではないと思っているのか?」
やはり、黒い球体は答えない。
修道僧は声を荒げた。
「答えよ!」
拒絶するように深紅の閃光が強く瞬く。
「それが答えか?」
赤い閃光が激しく走る。
「では、その言葉は、造り主の言葉と考えていいのだな?」
黒い球体は、再び沈黙した。
「わかった……」
アレクシスは被ったフードに手をかけ、肩に降ろした。
「また、長い時間がかかるな」
この上なく重く深い嘆息が流れた。
「……残念だ」
黒雲を凝縮したような頭部が露になる。
内部で雷光がはためき、呼応するように上空の黒雲が激しく明滅した。
「すべては大きな流れの中にある」
アレクシスは低く言った。
「……これも必然か」
僧衣が抜け殻のように落ちて行く。
人の形をした黒い霧が溶けるように流れ出し、仮想空間に拡散していく。
目の前に聳えるアーペンタイル全体が赤く発光した。
攻撃の意思表示か、それとも懸命にメッセージを発しているのか。
「待たせたな」
上空の黒雲がどろどろと鳴動し、暗い声が響いた。
「ここからは、おまえの仕事だ」
アレクシスの低く嗤う声が黒雲に流れていく。
黒衣の僧は、何を言っているのか。
「……撃つが良い!」
その瞬間、空間が静まった。
いや。
鳴り響く雷鳴を消し去るほどの。
どよめく世界を圧するほどの。
巨大な発射音が。
炸裂した。