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16 最終決戦


 ケインはアカツキの中で、ただ集中を保つことに専念していた。


 集中とは自分自身がブレイン・ギアと同一であると意識し続けることだ。

 自分のイメージがギアから離れてしまうと想像的構築体であるギアの形態は曖昧になり、機動もできなくなる。

 ギアを稼動させずに維持し続けるのがこれほど苦痛だとは想像できなかった。

 強靭な意志と集中力を持つプロのブレイン・バトラーにとって『何もしない』状態の方が苛酷というのは皮肉だった。


 ケインの脳裏にともすれば別のイメージが湧き上がってくる。

 それはやはり、あの少女のイメージだ。

 ケインはできれば自分の顔を自分で殴りたかった。自分はこんな大事なときに集中も保てない間抜けなのかと。


 ケインはアカツキの視覚を左右に振った。

 アシュクロフト邸のコクーン設備からエントリーしたグループAのブレイン・ギア達が、円陣を組むように灰色の仮想空間に並んで浮んでいる。

 下方には円形の転送ゲートが白く光り、膜面を震わせてずっと待機状態にある。

 励起すればいつでも飛び込めるように衝撃に備えているのだが、その待つ『瞬間』が長時間続くというのは、ケインだけでなく他のバトラーも経験がなかった。


「……まいったな」

 銀色の機体のギアがぼそりと呟く。

「なんだか、飽きてきたんだが」


「そうね、ジェット」

 ニーナが小声で同意した。

「これはキツイわね」


「うるさいぞお前ら……!」

 アントニオが押し殺した声で叱る。


「はぁ」

 ダービーの溜息が聞こえる。


「開会式が始まりました。イベント進行中」

 コンピュータのアナウンスが淡々と響く。


 —ようやく始まった。


 ケインはアカツキの中で考えた。

 しかし、この後、どれくらい待てばいいのか。

 本当にアーペンタイルは現れるのだろうか。


 ジェネラルの厳しい声が響く。

「皆、圧縮転送の衝撃に備えろ。気を抜くな!」


「了解」


「準備OKだ」


「いつでもいいぜ」


 居並んだギア達が答え、チームメイト同士でうなずき合う。


 再び沈黙が訪れた。

 誰もが身動きせず、時間の経過に耐えている。


「イベント進行中」アナウンス。


「開会式って、何時間だっけ?」

 シェリルがそっと囁く。


「今回は二時間三十七分だ」

 ランディの低い声。


「マジで?」

 パティが高い声を上げる。


「お前らなぁ……!」アントニオ。


「不正アクセスを確認」

 突然、アナウンスの声が響く。

「アクセスルート逆探知、解析中」


 全機が一斉に身震いした。


「う、嘘……?」パティ。「嘘でしょ?」


「解析終了。アーペンタイルと特定」


「来たぞ!」

 ジェネラルが叫んだ。


「転送ゲート接続。励起します」アナウンス。


 白い幕面が輝き、激しく波打った。


「行くぞ、みんな!」


 すべてのブレイン・ギアが、白いスクリーンに飛び込んで行った。




 硬い壁を突き破るような強烈な衝撃。

 激しいショックに一瞬、意識が飛びそうになる。


 —黒い槍の攻撃が来る!


 ケインは雄叫びを上げ反射的に抜刀した。

 薙ぎ払った太刀に手応えはなく、反動で機体が回転する。

 ケインは空間認識を取得するとアカツキの体勢を立て直した。


「みんな、どこだ!」


 上空を振り仰ぎ、驚愕した。

 陰鬱な赤黒い雲海が頭上を覆い尽くしている。


 それは想像もしなかった、あまりにも不気味な光景だった。

 ぐねぐねと渦を巻く赤い雲に黒々とした影がまとわりつき、空全体が血潮に浸った臓物のようにうごめいている。

 飛び込んだアーペンタイルの仮想空間の空は、暗赤色に染まった異様な空だった。


「……何だ、ここは?」


「全機上昇!」

 ワイズ・ワンの声が聞こえる。


 すぐにジェネラルの声が続く。

「密集隊形!」


 上空で目標になるように機銃のマズルフラッシュが瞬く。

 その光を目指してアカツキの周囲のギア達が急上昇して行く。


「パティ! 防御を!」

 指揮官の声が響く。


「任せて!」

 ピンクのギアが飾り袖の腕を広げた。

「クリスタル・キャッスル!」


 薄桃色の水晶の枝が空間を走った。

 閃光を放ちながら枝を分岐させ連結して行く。

 水晶の枝で編まれた球体が、合流した三つのグループ、百機のギアをすっぽりと包み込んだ。


 予想もしなかった異様な環境に動揺したバトラー達が口々に叫ぶ。


「なんだあの赤い雲は?」


「なんて気持ちの悪い場所なの!」


「見ろ! 大地が真っ黒だ!」


 赤黒い空の下は、見渡す限り黒い地表が広がっている。

 黒い地表は三角形のフェイスが繋がり合ったものだ。

 この地球環境型ステージの地表面すべてにアーペンタイルの黒いフェイスが敷き詰められ、覆い尽くしていた。


「どういうことだ!」

 誰かがヒステリックに叫んだ。

「ここは演習と全然違うじゃないか!」


「喚くんじゃない!」

 指揮官の厳しい声が飛ぶ。


「しかし」


「黙って見るんだ!」

 鋼鉄の箱は叫んだ。

「意識を切り替えろ。これが、本当のアーペンタイルだ!」


 全員が息を呑んで周囲を見回した。


 地平線の彼方まで、地表は黒く覆われている。

 この仮想空間の全域が攻撃するべき対象だった。

 しかし、それは予想されていた『規模』を遥かに越える大きさだった。


 バトラーが口々に叫ぶ。


「広すぎる! 大きすぎる!」


「いったい、どうやって攻撃しろっていうんだ?」


「とても、無理だ!」


「じゃぁ、帰れば?」

 シェリルが冷たく言った。

「ただし、出口は自分で探しな」


「な!」

 憤激したバトラーが叫ぶ。

「なんだと!」


「ジェネラル!」

 ダービーが老指揮官を見た。


「うむ」

 バーンスタインは声を上げた。

「ランディ! 上に来てくれ」


 ギア集団の中から、精密な時計の動力機構部分ムーヴメントのようなギアが現れた。そのメカニカルなギアは素早く動き、水晶の枝で囲まれた球体の最上部まで上昇する。

 小さな歯車やゼンマイが稼動している機械のギアは、顔らしい面を鋼鉄の箱に向けた。


「やっと私の出番らしいな、ジェネラル?」


「その通りだ、ランディ。索敵を頼む!」


「ちょっと待ってくれ」

 ランディは戸惑った。

「ここは地表面全部がアーペンタイルだ。いったい何を探す?」


 子供の声が響いた。

「本体」


 ランディは精密機器のボディを回転させた。

 背後にワイズ・ワンがヴェールをまとった小さな機体を浮ばせている。


「本体だと?」

 ランディは疑念を込めて訊いた。

「どうしてそれがわかる?」


「地表のフェイスは機能していない」


「攻撃して来なかったからな。つまり?」


「エンプティ」


「魂の入っていない状態、というわけか?」


「そうだ」

 ジェネラルが受けて言った。

「この環境を造り上げたアーペンタイルの本体がどこかにいる。ここでは本体そのものがコアになっている筈だ」


 ランディは少し考え、すぐに答えた。

「わかった」


 ランディは水晶の枝を抜けて、クリスタル・キャッスの上に機体を浮かび上がらせた。精密機械の内部で閃光が明滅する。

 ムーブメントの連結が外れ、歯車の隙間から眩い白い光が四方に放射された。


「ザ・バード!」


 叫びと共に光の中から機械仕掛けの鳥が羽ばたいた。

 白光の尾を引いて四方に散った機械鳥が、それぞれ機体を分裂させ二方向に進む。その先でまた分裂する。白い光の鳥は分裂を繰り返し、あっという間に白く細い編み目となって、赤黒い空の下を地平線に向かって広がって行く。


「見事だね」

 ダービーが賛嘆の声をあげた。


「あの子は、エンプティって言ったわ」

 ニーナがケインに声をかけた。


「魂を受け入れるための容れ物か」

 ケインはアカツキの中で呟いた。


 ニーナは赤い空を不安気に見上げた。

「上では……、スタジアムでは、何が起きているのかしら?」


 ケインは口をつぐんだ。

 『黒い死』の実態と映像は、攻撃に参加するバトラーでも一部しか知らされていない。映像を見ていないニーナには、とうてい説明できるものではなかった。


「ワイズ・ワン、来てくれ!」

 精密機械が叫んだ。

「本体を発見した!」


 小さなギアが水晶のかごから浮き上がり、ふらつくように接近する。

 周囲を窺うような、落ち着きのない挙動だった。


「どうした?」

 ランディは訝しんだ。

「ワイズ・ワン、大丈夫か?」


「ここは怖い」

 子どものギアは身をすくめるようにヴェールの中に頭部を埋める。


「ああ、本当に異常な世界だ」

 精密機械の歯車がせわしなく動く。

「ここから出るにはアーペンタイルを破壊するしかない。ワイズ・ワン、頼んだぞ」

 小さなギアは答えない。

 ランディのギアから一本の光線がワイズ・ワンに伸びる。

「情報を送る! 皆に伝えてくれ!」

 ワイズ・ワンの仮面の顔が震えるようにうなずいた。


「発見!」


 すべてのバトラーの意識の中に、ワイズ・ワンの声が響いた。

 ランディが発見した本体の位置情報が即座に共有される。

 ブレイン・ギア全機が、一斉に同じ方向を向いた。


 指揮官が叫ぶ。

「パティ! 防御を解除!」


 薄桃色の水晶の枝が外れ、ばらばらになって周囲に飛び去って行く。


「チームごとに本体に向え!」

 ジェネラルが高らかに叫ぶ。

「攻撃開始!」


 百機のギアが猛スピードで飛翔を始めた。

 それぞれがチームの四機で編隊を組み、全速力で突進して行く。


「サムライ!」

 銀色のシルバー・ストライカーが叫ぶ。

「こっちだ!」


 ケインはアカツキを上昇させ、チームメイトに並んだ。


「凄い構築体の規模ね」

 レディ・Sが地表を見て恐ろし気に言った。

「仮想装置としては過去最大じゃないの?」


「どんな高性能のスーパー・コンピュータを使っても、これほど大規模な仮想装置を構築できるとは考えられないよ」

 ジーニアスが兵装リングを回転させる。

「とにかく、想像もつかない莫大な情報処理量だよ」


「感心している場合か」

 ジェット・ストライカーが言う。

「後ろを見ろ!」


 レディ・Sが振り返る。

「あれは、ニュー・キッズ達?」


「そうらしい」

 ケインは先行するギア集団と後方を見比べた。

「遅れている。このままだと置いて行かれる」


 ダービーが遠ざかる前方のギア集団を見た。

「皆必死になって、気づいていないんだ」


「お子様は上手く飛べないってか」

 シルバーは言った。

「やれやれだな」


「あの子たちを護衛しましょう!」

 ニーナが灰色の機体を反転させた。





 アシュクロフト邸地下。

 コクーン・コントロール・ルーム。

 室内ではエントリーした各バトラーのモニター作業が続けられ、ざわめきを押し殺した緊迫感が張りつめていた。

 サラはアームチェアから身を乗り出し食い入るようにスクリーンを見つめた。


「圧縮・解凍は正常です」

 転送ブースの技術者が報告する。

「全機転送されました」


「アッシュ・ガールとレプリカ・ギアは?」


 サラはチーフオペレーターに訊いた。


「第二陣として転送されました」


「リンクは?」


「切れてはいません。まだ」



「見せて」


 メインスクリーンに、アッシュ・ガールの視覚モニター映像が映し出される。

 赤黒い雲が渦巻く異様な空の下に、黒いフェイスが連なった平坦な地表面が広がっている。

 アッシュの視線の先、編隊を組んで飛翔して行くブレイン・ギアの集団が小さく見えた。

 アッシュはその後を追っている。


「なんて不気味な空なの」

 サラはぞっとして自分の胸を抱え込んだ。


「景色は恐ろしいのに、なにか妙に静かですね」

 女性オペレーターがぽつりと言った。

「人工知能には『世界』がこう見えるんでしょうか?」


 自分にはとても理解できない、とサラは思った。

 いや、これは人間には到底理解できない感覚だ。


 スクリーンの分割画面の一つが慌ただしく動いている。


「コクーン・ルームC、どうしたの?」

 サラはインカムのマイクを口元に寄せた。

「報告を!」


 画面の中には黒く塗られた異形のコクーンが俯瞰で映っている。

 コクーンに取り付けられた外部機器を操作しながら、技術者の一人が叫んだ。


「現れました! アレクシスです!」


「大量の情報が流れ込んできます!」


「すぐに転送を!」

 サラは画面に向かって叫んだ。


「だめだ!」

 叫び声が交錯する。

「オーバーフローする!」


 機器類に取り付いていた技術者達が一斉に飛び退った。

 直後に黒いコクーンは稼動を停止した。


「システムダウンしました」


 サラの前に座る技術者たちがコンソールに素早く手を走らせる。


「他のシステムに影響がないかチェックしろ。帰還できなくなるぞ」


「全システムを順次チェック」


「了解」


 スタッフの交信に混じって、転送技術者の声が流れる。

「アレクシス、転送されました」


「どこ?」

 サラは席から立ち上がり、バイザーを押さえた。

「どこにいるの?」


「アッシュ・ガールがアレクシスを認識しました!」


 スクリーンのモニター画面がぐるりと旋回した。

 アッシュ・ガールが気配に気づき、振り向いたのだ。


 赤い空の下に浮ぶ白い転送リングから、黒い小さな人影が降下してくる。それは頭にすっぽりとケープを被った、中世の修道僧だった。


「あれが、ダーク・モンク……」

 サラも初めて目にする姿だ。


 転送リングの光が弱まり、瞬き始めた。


 モニター画面がふっと暗くなる。



「リンク、切れました」

 メインスクリーンからすべての情報表示が消えた。

 時間経過のカウンターだけがせわしなく光っている。


 重苦しい空気がコントロール・ルームに流れた。


 隣室に並べられたコクーンからエントリーした二十人のAグループ・バトラー達。他の施設からエントリーしたB、Cグループのバトラー達。

 百人の人間が人工知能の支配する仮想空間に転送され、いま、そのリンクが全て切れてしまった。

 再アクセスして転送リングを繋げなければコクーンに帰還できない。


「本部!」

 サラは連盟本部を呼び出した。

「リンクが切れ」


「わかっている」

 言葉を遮って、冷静な男の声がいった。

「現在、再アクセスしている」


「絶対に繋げて!」


「もちろん、全力を尽くす」


 サラは大きく息を吸うと、声を響かせた。


「繋がるまでトライし続けて!」

 サラは叫んだ。

「絶対に諦めないで!」


 男からの返事はない。

 そんなことは全員がわかっているのだ。

 しかしサラは叫ばずにはいられなかった。


 虚脱したように、サラはゆっくりと椅子に沈み込んだ。

 目頭を揉もうとして視覚デバイスを装着していることに気付く。

 指先に触れる金属の冷たさが、僅かだが意識を平静にさせる。


 バイザーの側面パッドを操作して、先程まで繋がっていたアッシュの視覚画像を再生する。

 脳の中で広い視野の全面に展開された映像が、強い臨場感でサラの意識を取り囲む。実際に仮想空間の中に浮んでいるようだ。


「……アッシュは、この光景を見ているのね」


 見上げると、赤黒い雲が空一面を覆っている。

 それ自体意志を持つもののようにうごめいている。

 サラは異様な光景に圧倒されたように、アームレストを握り締めた。





 ケインたちは回頭して後方のニュー・キッズに接近した。

 十機に満たない小集団は中心に金色のギア、ディーバを置き、周囲を警護するような隊形で飛翔している。

 それぞれが小柄で非力に見えるデザインだが、攻撃演習で見せたその特異な破壊能力の威力は計り知れない。

 しかし年齢的に幼いバトラー達はイメージで機動するブレイン・ギアの扱いに習熟している訳ではなく、またバトル自体の経験も少ない。

 圧倒的な能力とは比較にならない程、実戦の経験値が不足しているのだ。


「おい!」

 シルバーは声をかけた。

「お前ら、大丈夫か?」


 しかし、誰も答えない。

 アカツキとレディ・Sは顔を見合わせた。様子がおかしい。


「ワイズ・ワン! どうしたんだ!」

「なぜ黙っているの? エクリプス! アフロ・ブルー!」


 ケインはグループの中心を飛ぶディーバに視線を向けた。


 金色の小柄なギアは、顔を伏せぶつぶつと何かを呟いている。

 ボディから光の輪を放出しているが、光は弱々しくすぐに消えてしまう。


「まさか……」

 ケインは息を呑んだ。

「怯えているのか?」


 ディーバが陶器人形のような顔をアカツキに向け、声を震わせた。

「置いて行かないで」


 ニュー・キッズ達は必死に懸命に飛んでいたのだ。

 それも、バトラー達から置き去りにされまいと思って。

 幼い子供が大人を追いかけるように。


 別のギアが泣き出しそうな声で言った。

「ここは怖いよ」

「出口はどこ?」

「こんなとこはいやだ」

 アフロ・ブルーが青い顔を歪めた。

「お家に帰りたいよぉ」

 少女が泣き出した。

「マミー!」


 ニューキッズ達は堰を切ったように泣きじゃくり始めた。


「おい……冗談だろ!」

 ジェット・ストライカーは頭を抱えた。

「ここに来て怖じ気づくとはどういうことだ! みんなが頼りにしているんだぞ、お前達の力を!」


「やめて、シルバー! まだ子供なのよ!」


「それがどうした!」

 ジェット・ストライカーは激昂して拳をレディ・Sに突き出す。

「ジェネラルにどう伝えるんだ?」


 ケインは暗鬱な赤い空を見上げた。

 何かの気配を感じる。


 血潮のようにうごめく不気味な空の重苦しい威圧感とは違う、もっと鋭く強い痛みに似た感覚が、頭上から無数に振りかかってくる。

 それは記憶の深々層で受ける膨大な精神圧よりも、もっと禍々しく、もっと恐ろしいものだ。

 ケインの意識に痺れるような悪寒が走った。


 ケインは無意識のうちに太刀を引き抜き、天に向かって叫んでいた。


「どうしたの、ケイン!」

 驚いたニーナが声を上げた。


「何か、来る!」

 気がついたダービーが兵装ユニットを上空に向けた。


 レディ・Sがオレンジの髪を逆立て空を仰いだ。

「何かって、何よ!」


「みんな、もっと固まれ!」

 シルバーがニューキッズに叫んだ。

「何か降ってくるぞ!」


 暗赤色の空一面に、小さな砂粒のような光が瞬いた。






 LAスーパースタジアム。

 巨大な観客席から、二十万人の歓声が一瞬で掻き消えた。


 アリーナ上空に現れた黒い点が炸裂した。


 放たれたのは、黒い光だった。


 巨大なドームスタジアムは、黒い光に満たされた。

 黒い光は直進するだけではなく、会場の隅々まで染め上げるように、すべての空間をくまなく照らし出した。


 そして。


 眼を輝かせ、興奮に我を忘れて歓声を上げていた大観衆が……。

 数秒後には黒く干涸びた物質に変貌していた。


 生命を奪うための僅かなエネルギーも発生してはいない。

 爆発も、衝撃も、熱も、音も、何一つ起きなかった。

 ほんの僅かな瞬間だけ、巨大なドームの内側に黒い光が充満しただけだった。


 直視した人々がそれを『光』とさえ認識したかどうかはわからない。

 空中に現れた小さな黒点が放出したものは、今までどの生物も経験したことのない究極の『恐怖』だった。


 恐怖の本質とは、完全に異質なものを感知した時の忌避感覚にあるといえる。

 原生動物は自分を補食しようと接近するアメーバに『恐怖』する。

 自己の存在を脅かす他者への恐れ。

 超常的な現象に遭遇し、理解できないものの存在に気付いた時の恐れ。


 黒い光はその波動に乗せて、人々に浴びせかけた。

 絶対的に理解不能な『異世界の情報』という極限の『恐怖』を。


 生命は、その『恐怖』から逃げられないと悟った。

 そして瞬時に、自らの存在の放棄、つまり死を選んだのだ。


 その自死は細胞レベルで起きた。

 『恐怖』を浴びた細胞は発狂し、自らの細胞膜を破壊した。

 体液は流れ出し神経は分断され筋肉は痙攣して捻曲がった。水分を失った体細胞は断末魔の熱を発して墨のように変化した。


 突然訪れた死の驚愕と想像を絶する苦痛に顔を歪ませ、人々は虚空を掻きむしりながら絶命した。

 そして人々の魂魄は、捩じれたミイラのような肉体を座席に残し、違う次元へと飛び去って行った。

 その数、約二十万人。



 視覚デバイスをつけたセキュリティは、茫然として周囲を見渡した。

 突然、アリーナ席全体に靄がかかったのだ。

 いや、アリーナだけでなく、ドームスタジアムの観客席全体に朦朧とした《《ぼかし》》がかかっている。その中で浮かび上がるようにはっきりとピントがあっているのは、セキュリティや警察官など、視覚デバイスを装着したスタッフだけだった。


「『黒い死』が起きたんだ……」


 セキュリティは慄然として身動きできなかった。

 足元を大量の赤い水が流れていく。

 赤い水は観客席の階段を滝のように流れ落ち、アリーナを小さな湖に変え、どんどん嵩を増している。


 突然、イヤホンに誰かの絶叫が響いた。発狂したような叫びだった。


「そいつの回線を切れ!」

 チーフのデイビスが怒声を張り上げた。

「絶対にバイザーを外すな! そのまま全員、退避だ!」


「退避ですか、チーフ?」

 統合管理室のスタッフが驚いて振り返る。


「スタジアム内の関係者だ。ケイン達はここに残る。最後までな」

 デイビスはデスクに拳を叩き付けた。

「くそっ! まさか本当に起きるとは!」


 インカムの中で声が交差する。

「状況は不明!」

「何も見えません、聞こえません!」

「観客達はどこに消えたんだ!」


 若いスタッフが懸命に呼びかけている。

「全員、視覚デバイスを外すな! 速やかに退避せよ!」


「デバイスのおかげで助かったんだ」

 デイビスは声を落とした。

「ディレイ・システムの画像検閲が黒い死体を隠している」

「それでは……」

 スタッフが顔を強張らせた。

「ああ、見えないが」

 デイビスは言った。

「そこら中、黒い死体だらけだ」


 スタッフが口を押さえうずくまった。資料として見た黒い死の現場映像を思い出したのだろう。


「チーフ!」

 主任スタッフが駆け寄ってきた。

「どうしますか?」


「くそったれ!」

 呻くように言葉を絞り出した。

「プランFだ」


「そ、それは」


「最悪のプランを発動する。スタジアムの照明を落とし、すべての出入り口を封鎖。関係者を全員退去させ拘束した上でLAPDに引き渡す。絶対に誰も入れるな。何も見せるな。誰にも一言も喋らせるな」


 一息に言ってから、デイビスはかぶりを振った。

「州軍が来たら観客達を運び出す。何日かかるか、わからんが……」


「了解、しました」

 スタッフは沈痛な声で答えた。


「何も考えるな」

 デイビスはスタッフの肩を叩いた。

「プラン通りにやればいい」


「しかし……」


「ケイン達には、もう」

 デイビスは声を震わせた。

「もう、それしかできることはないんだ」





 赤黒い空に砂粒を蒔いたような細かな光点が瞬いている。


「何だあの光は……?」

 シルバーは言った。

「凄い数だ」


 微細な光点はあっという間にその数を増し、空一面が青白い光で満たされた。


「来る!」

 ダービーが声を上げた。

「落ちて来るよ!」


 小さな光の点は、その大きさを増し、みるみる接近してくる。

 それは蒼白く冷たい燐光を放ち、猛烈な速さで落下してくる流星だった。


 飛翔するケイン達の目前をかすめ、最初の流星が音もなく斜めに落下した。

 蒼白い流星は黒い地表に到達すると、激突の衝撃もなく呑み込まれるように姿を消した。


 周囲に流星が次々に落下し始めた。

 空を見上げると光の矢が豪雨のように降り注いでくる。

 衝突したら無事ではすまない。

 ケイン達は飛翔を止め、ひとかたまりになって空間に浮んだ。


「防御の子はいないの!」


 ニーナがニュー・キッズに呼びかけたが、子どもたちはぶつかるように身を寄せ合い、甲高い悲鳴を上げている。


「駄目だ!」

 シルバーが絶叫した。

「間に合わない!」


「固まるんだ!」

 ケインはジーニアスとニーナを掴んで引き寄せる。


「ぶつかる!」ニーナが叫んだ。


 青白い光が猛スピードで接近してくる。

 ケインは激突の衝撃に備えて身体を固くした。

 しかし、何も起こらない。

 その代わりに、冷水を浴びせられたような異様な感覚が通り過ぎて行った。


 同じ感覚を受けたニュー・キッズ達が狂ったように泣き始めた。

 ケイン自身でさえ叫び出したい程の、おぞましいとしかいいようのない異常な感覚だった。


「うわあああああ!」

 ジェット・ストライカーがのけぞり、両手で顔を押さえた。

「なんてひどいことをッ!」


「助けて!」

 レディ・Sがアカツキの肩にしがみつく。

「ああ、神様!」


「なんてことだ……」

 ジーニアスが絶望の声を漏らした。

「あれはみんな、人の魂だ……!」


 青白く燃えながら落ちてきた流星は、人間の姿をしていた。

 人間は誰もが素裸で膝を抱え、苦痛と恐怖に泣き叫んでいた。

 青白い燐光に包まれたその姿は一瞬しか見えなかった。

 しかし、突然の死に襲われた恐れと痛みと悲しみは慟哭となって響き渡り、いつまでも尾を引いて残響している。


 ケインは、戦慄した。


 現実世界で巨大な黒い死が発生している。


 肉体を奪われた魂が、カイル・ローザンタールのいった魂の往還路を通って現実世界からアーペンタイルに向かって集まって来ているのだ。


 それは降り注ぐ魂魄の雨だった。

 長い光の尾を引いて落下する無数の青白い流星は、海に降る水滴のように黒いフェイスの中に次々に呑み込まれ消えていく。

 確かに地表のフェイスは魂を受け入れる空の器だった。

 魂の収集は本当に起きたのだ。


「ひどすぎる……」

 途切れなく落下する魂を見つめ、シルバーは声を絞り出した。

「ここは、まるで煉獄だ……!」


 —ならば。


 ケインの脳裏を一瞬だけ、スーパースタジアムの大観衆の様子がかすめる。


 —地上は、地獄だ。


 巨大ドームの中は累々と黒い死体で埋め尽くされ、正視できない程の惨状になっているはずだ。

 しかし、今は地上を心配している余裕はない。


「くそっ」

 シルバーは天を仰いだ。

「これから、どうすればいいんだ?」


「この子たちを置いては行けないわ」

 ニーナが涙声で言った。

「ねぇダービー、どうしたらいいの?」


「僕を頼らないでよ」

 ジーニアスは弱々しく呟くと、ボディを震わせた。

「とにかく高度を取ってフェイスから離れよう。魂は僕たちをすり抜ける。衝突しない」


「みんな、行くぞ」

 ケインは固まったキッズの集団に手をかけ、ゆっくりと押し上げた。

「手を貸してくれ、シルバー!」


「わかった!」

 ジェット・ストライカーもニューキッズ達を上空に押し始めた。


 青白い流星の雨は降り止まない。

 間近をかすめて行く度に、身を引き裂かれる凄絶な慟哭が流れて行く。



 上昇して行く途中、ケインはある気配を感じて顔を上げた。


 —来たか。


 遥か上空を五機の白いギアの編隊が飛翔している。

 遠い機影はすぐに赤い雲に呑み込まれた。


 —アッシュ・ガール。そして、レプリカ・ギア。


「どうしたの、ケイン?」

 ニーナが怪訝そうにケインを見る。


「アッシュ・ガールだ」

 ケインは上空を見上げて言った。

「レプリカ・ギアと飛んでいた」


「あの白いギアか」

 ダービーが痛ましげに言った。

「あの子も、来ちゃったんだね」


 ケインは一瞬だけ、逡巡した。

 しかし、やるべきことは、それしかない。

 ケインはシルバー、ニーナ、ダービーに向き合い、言った。


「俺は行く」


「え?」ニーナが驚いた顔を向ける。


「アッシュを援護する」


「な!」

 シルバーが怒鳴る。

「おい、何を言ってるんだ!」


「僕も行くよ」

 ダービーが静かに言った。

「攻撃に参加する」


「お前まで……」

 シルバーは呆然とした。


 いきなりアカツキが急上昇した。墨衣をまとった機体が瞬く間に遠ざかって行く。そのすぐ後をダービーの青いギアが飛翔して行く。

 二機のギアは、降り続く青白い流星雨の彼方に消えて行った。


「くそっ!」

 シルバーは怒り狂った。

「あいつら勝手なことしやがって!」


 ニュー・キッズ達は小動物のように互いの身を寄せ合い、震えている。

 もう泣き叫んだりはせず、感覚を閉ざして外界を拒絶しているようだった。


「どうする、ニーナ!」

 ジェットは周囲を見渡し、声を荒げた。

「これじゃぁ身動きが取れない!」


「ごめんなさい」

 ニーナの声に、シルバーはぎょっとして振り返った。


「私も、行くわ」


「おい、ウソだろ……!」


「ディーバ、聞いて」

 レディ・Sは、固く眼を閉じている金色のギアに声をかけた。

「空から眼を離さないで。転送リングが復活したら、すぐに飛び込むのよ」


「ニーナ!」

 シルバーは愕然とした。

「こいつらを置いて行くのか?」


「戦うしかないの」


 レディ・Sのオレンジ色の髪が燃え上がった。

 手を伸ばし、キッズ達の機体をそっと抱きかかえる。


「みんな、生きて」



 身を翻すと、オレンジの残像を引きながら稲妻のように飛び去って行く。



「……おい」

 ジェットは仲間の飛び去った方向を茫然と見つめた。

「冗談だろ?」


 地平線の近くで小さく赤い爆炎が灯った。

 炎は周囲に広がり、すぐに消える。

 再び散発的な爆発が起こり、ちかちかと光を瞬かせた。


「本体への攻撃が始まった……」


 ジェット・ストライカーは小さなギア達を振り返った。

 やりきれない思いがこみ上げてくる。どうして今になってそんな感情が湧き上がるのか。どうしてもっと早くそれに気づかなかったのか。悔恨の思いが心を締め付ける。


 しかし、もう、遅い。


「すまなかった」

 シルバーは重く声を落とした。

「こんな所に連れてきちまって」


 広げた手の上でビーコンを想起する。

 シルバーは構築した小さな仮想装置をニュー・キッズの上に浮べた。

 ビーコンは黄色い灯を点し、救難信号を発信し始める。


「サラ!」

 赤黒い雲を見上げる。

「絶対に、気付いてくれよ!」


 ジェット・ストライカーの脚部が可変ノズルに変形した。

 青い炎を轟然と噴き出す。

 銀色の機体はあっという間に赤い雲の中に消えて行った。





 それは黒く大きな丸い丘のようだった。

 アーペンタイルの本体が黒いフェイスの地表から半球形の姿を現している。

 盛り上がった黒い丘と地表が接する部分には赤い輪が光り、鼓動するように明滅している。

 本体は地表と接する赤い光輪を通じて、仮想環境を覆い尽くした無数のフェイスと接続しているようだった。


 科学者達が想定していた黒い槍の攻撃を受けずに、ブレイン・ギアの集団はランディの発見した本体に迅速に到達した。

 後続のニュー・キッズが追いついて来ていないが、目標を前にして待つことはできない。ジェネラルは攻撃を決断した。


「全シューター、前へ!」

 ジェネラルが命じる。

「レプリカ・ギアを展開!」


 レプリカを構築したバトラーは、自機の前に分身を並べた。


発射ファイア!」


 最前列のシューターとそのレプリカがミサイルを一斉に射出した。

 数十発のミサイルが空間を突進する。

 バトラーによってミサイルの飛行速度はまちまちだ。

 重要なのは、相手にダメージを与える爆発イメージの強さだった。


 着弾のタイムラグはあったが、全弾が命中した。

 巨大な爆炎の壁が眼前に立ち上がる。

 最初の攻撃のように散発的ではなく、火力を集中した攻撃だった。


 薄れた爆炎の向こう側から、黒々とした丸い丘が姿を現した。

 ブレイン・ギア達の前に聳えるアーペンタイルの本体は、シューター渾身の攻撃を受けても微動だにしていない。


 黒い丘の前を、白い鳥達が飛び交っている。


「表面のフェイスは破壊。ダメージ確認!」

 ランディが実況中継するようにまくしたてている。

「穴があいている。いや、内側から新しいフェイス。もう修復された!」


「再生能力があるの?」

 シェリルのギア、ネフェルティティが装飾短銃ゴージャスデリンジャーを構えた。

「それでは、これはどう?」

 黄金のトリガーを引く。


 銃口から炎が噴き出す。

 異様な程ゆっくりと射出された装飾弾丸が、周囲に輪を描いて複製される。

 その周囲に大きな輪が生まれ、更により大きな輪が繰り返し現れた。

 宝石を散りばめた一発の銃弾が、同心円状に数千発の弾丸に増殖分身した。


素敵ゴージャスでしょう?」


 ネフェルティティがウインクをする。

 分身を終えた数千発の弾丸が一直線にアーペンタイルに殺到した。


 地表から盛り上がった黒い半球形の上で、火炎、氷瀑、雷撃、衝撃波、爆発が同時に沸き起こった。様々な攻撃属性を振り分けた装飾弾丸の威力は凄まじい。

 半球形の一部がえぐり取られ、また一部にはぽっかりと大穴が開いた。


「行けるぞ!」

 ジェネラルが叫ぶ。

「攻撃を絶やすな!」


「連射がきかないのは知っているでしょう」

 シェリルが後退する。


 ハンコックのブラック・コブラが進み出た。

「シューター、ボマーは一斉射撃だ!」

 黒いギアは叫んだ。

「ケインに続け!」


 肩に担いだ巨大なロケットランチャーが火を吹いた。

 九発のロケットが連続して射出される。

 動画がループするように、休みなくロケット弾が飛び出し続けた。


 着弾したミサイルや砲撃がアーペンタイルを炎に包んだ。

 上空から投下された様々な爆弾が更に爆炎を重ねて広がる。


 巨大な半球形の燃える火の山が出現した。


「ニュー・キッズはどうした!」

 ジェネラルは周囲を見回し、苛立たし気に叫んだ。

「今なら止めをさせるというのに!」


 上空から青いギアが急降下してくる。

 ジーニアスは鉄箱の前で急制動をかけた。


「ジェネラル!」

 ダービーは叫んだ。

「ニューキッズは来ません!」


「なぜだ!」

「強いショックを受けて、戦意喪失しています!」


 ジェネラルは愕然とした。思いもしなかった事態に声を震わせる。

「そんな……ばかな!」


「本当です!」

 ダービーは語気を強めた。

「皆、怯えています」


 老指揮官は言葉を失った。


「ジェネラル、作戦変更だ」

 指揮官の前に赤い闘牛士のギア、エスパーダ・ロホが進み出た。

「もう一度火力の総攻撃を!」


 アントニオはちらりと赤黒い空を見上げた。

 遥か上空をソードマスター・アカツキが何かを探すように飛び回っている。


「その後、斬撃系が突っ込む」

 視線を戻したアントニオは、指揮官に言った。

「再生できないように内側から切り刻んでやる」


「特攻するつもりか?」

 ランディが険しい口調で訊いた。


「攻撃力を最大限に発揮する方法だ」

 エスパーダ・ロホは深紅の長剣を引き抜き、高々と掲げた。

「それで、フィニッシュだ!」


「わかった」

 ジェネラルは答えた。

「そうしよう」


「みんな、聞け!」

 アントニオは周囲に展開するブレイン・ギアに号令した。

「次の攻撃で決着をつける! すべてのイメージを撃ち尽くせ!」


 ピンクのギアが首を傾げた。


「不服か?」

 エスパーダ・ロホが見咎め、鋭く言った。

「これは命令だ!」


「ちがうってば」

 パティが炎上する黒い半球を指差す。

「あれは、なに?」


 アントニオは振り向いた。


 炎に包まれた半球形から、細く黒い線が空に向って垂直に伸びている。

 数百本近い細い黒線は平行して等間隔に並び、空間に櫛目を引くように伸び上がって行く。


「あの線は……なんだ?」

 ハンコックが疑わし気にいった。

「あれは攻撃なのか?」


 黒線の束が突然停止したように見えた。


「止まったぞ!」


「違う!」

 シェリルが叫ぶ。

「みんな、逃げて!」


 ギア集団と同じ高度に達した線の束は直角に折れ、正面から突っ込んで来ていた。止まって見えたのは、向かってくる細い線の先端を見失っていたのだ。


 弾かれたように、ギアが散開する。


 回避の遅れたブレイン・ギアが黒い線に機体を貫かれた。

 それらのほとんどは自律回避のできないレプリカ・ギアだ。


 反射的に散開したギア達は、くねくねと折れ曲がりながら生き物のように追ってくる黒い線に慄然とした。

 不規則に軌道を変え急反転して振り切ろうとする。

 しかし黒い線は正確に追従し、執拗に追ってくる。

 追い詰められたバトラーが一瞬の迷いを見せた瞬間、黒い線は瞬時に伸展し、ギアの機体に突き刺さった。


 あちこちでバトラーの悲鳴と絶叫が響く。

「挙動が読まれている!」


 高度を取ったランディは悲痛な声を上げた。仲間のギア達が逃げ惑い、そして次々に黒い線に追いつかれ突き刺さされていく。

「フェイントも効かない。逃げ切れない!」


「黙っていろ!」

 アントニオが怒声を上げた。

 深紅のギア、エスパーダ・ロホは上空からアーペンタイルを見下ろした。

「人間をなめるなよ!」


 伸ばした指先を、アーペンタイルに突きつける。

 エスパーダの前に並んでいた七機のレプリカ・ギア達が一斉に反応した。

 ダイブするように頭から急降下する。


 半球形のアーペンタイルから新しい線の束が射出された。

 レプリカ・ギアは密集隊形をとり、赤い長剣を構えて真っ逆さまに突っ込んで行く。

 伸び上がって来る黒線に向け、七機のレプリカは長剣を突き出した。

 振動する剣の領域を重ね合わせた振動の塊が黒い線の束を粉砕し、レプリカはそのまま本体に向かって突っ込んで行く。


「うおおおおおおおお!」

 赤い闘牛士がレプリカのすぐ後方で雄叫びを上げた。

「くたばれっ!」


 新しく突き上がってくる黒い線の束を粉々に砕きながら、レプリカ・ギア達は本体に到達した。

 七機のギアは激突寸前で急停止し、くるりと回転する。

 そのまま全機が同じ動きで長剣を表面のフェイスに突き立てた。


 無音の響きを残して、アーペンタイルの表面がごっそりとえぐり取られた。


 ぽかりと開いた大きな穴の中心に、エスパーダの赤い機体が猛スピードで突っ込んだ。

 半球形のアーペンタイルが身震いするように振動する。

 次の瞬間、側面を突き破って赤い機体が飛び出してきた。


 アントニオは空中で急制動をかけ、振り返った。

「回避しろ!」


 レプリカ・ギアたちが同じ挙動で上空を見上げる。

 真上から黒い線が降り注ぎ、七つの機体を貫いた。


「くそっ!」

 アントニオは素早く周囲を見渡した。

 残後左右に無数の黒い線が走り、鉛筆が画用紙を塗りつぶすように、どんどん空間を狭めて行く。

 僅かな隙間から、こちらに銃口を向けているシェリルのギアが見えた。


「助ける!」

 ネフェルティティは装飾銃を発射した。

 銃口から複数の属性を込めた装飾弾丸がゆっくりと姿を現す。

 しかし、装飾弾は分身を始める前に何本もの黒線に貫かれ、空中で停止した。


「そんな!」

 シェリルは喘いだ。

「弾丸を射抜くなんて!」


「シューター! 撃て! 撃ちまくれ!」

 指揮官が叫ぶ。

 赤いギアがいた空間に、線が交差して黒い塊ができている。

「アントニオ!」


 絶叫が響き、消えた。

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