11 ハモンド家の食卓
「みんな、揃ったわね!」
レスリーが嬉しそうに声を上げる。
「さぁ、いただきましょう!」
大きくはない食卓には、溢れんばかりに料理が並んでいる。
食卓を囲んだ人々は肩を寄せて椅子に座り、料理の皿やサラダボウルをお互いに交換し合った。
ケインは隣に座る真樹に声をかけた。
「怪我は大丈夫なのか?」
頭に包帯を巻いた真樹は、パスタにチーズを山盛りにかけながら「大丈夫だ」と言った。
「これは旨い!」
グレービーソースをたっぷりかけたビーフステーキを頬張りながら、山本が満面の笑みを浮べた。
「このサラダも旨い!」
ベビーチェアのジャニスがびっくりした顔で山本を眺めている。
山本はスプーンを片目に当てて変な表情を作った。
「凄い食欲ね」
レスリーは声を上げて喜ぶジャニスを見て笑った。
「沢山食べてね、ヤマモトサン」
「もちろん、遠慮なく」
山本はフライドポテトを大量に自分の皿に移した。
「あっ、ちょっと、ポテト!」
ミオが慌てて叫ぶ。
「あたしのポテト!」
「ずっとアフリカにいたのか?」ケインは真樹に訊いた。
「そうだ」
真樹は大きなピザの一片にかぶりついた。
ジャニスが興奮してきゃぁきゃぁ叫び、プラスチックスプーンを振り回す。
「苛酷な環境だったことがわかるよ」
ジョージ・ハモンドは、二人の食べっぷりに眼を丸くした。
「ちょっと想像もつかないが」
「半年間、ほぼ水とレーションだけだった」
山本はフライドチキンを両手に取った。
「チキン残して!」
ミオが皿のチキンにフォークを突き刺した。
ドアチャイムが鳴り、ミオが素早く玄関に向かった。
大きな声で会話が聞こえ、ミオはタコスの並んだ大皿を抱えて戻って来た。
「ナタリアが食べてって」
「お隣さんなの」
レスリーは笑いながら皿を山本の前に置いた。
「沢山食べてね」
「さっきのは」
真樹が頬張っていたピザを呑み込んで言った。
「スペイン語じゃなかったか?」
「そう、ミオはすごいのよ。もう五カ国語が喋れるの!」
レスリーは手を合わせた。
「この子は天才だわ!」
「私も同感だ」
ジョージはワインを飲みながらケインを見た。
「ケイン、ミオを高度な教育が受けられる施設に移したらどうだろう?」
「ありがとう」
ケインは微笑んだ。
「でもケインもミオも、まだここにいたいんだ」
「嬉しいわ!」
レスリーが感激して声を上げた。
「ずっとここにいていいのよ!」
「おいおい」
ジョージが苦笑する。
真樹は鋭い眼をミオに向け、日本語で言った。
「……何が、あった?」
「え? どういう意味?」
ミオは不思議そうに小首を傾げた。
「お前はまるで」
真樹は視線を外し、タコスに手を伸ばした。
「別人のようだ」
「……そうね。そうかもね」
ミオは日本語で言った。
「私達は、変わる。そして世界も変わる。こんな平和な時代は、もう二度と来ないかも知れないわ」
「何を言っているんだ、ミオ」
ケインは小声で妹を叱った。
真樹はじっと少女を見つめ、低く言った。
「お前は誰だ?」
「私は」
ミオは強い視線を返した。
「わたし」
食卓が静かになった。
レスリーはびっくりして『何が起きたの?』とジョージに耳打ちする。
「ミオはちょっと見ない間に成長したもんだ!」
山本が英語で叫ぶ。
「すっかり綺麗になってて、驚いたよ!」
「そ、そうね」
レスリーがほっとしたように言った。
「本当にびっくりだわ!」
「では、いただきます」
山本が早速タコスに手を伸ばす。
「ジョージ」
ケインは隣に座る一家の主人に、小声で言った。
「突然だけど、聞きたいことがあるんだ」
「ほう?」
ジョージは意外そうに顔をする。
「何だね、ケイン?」
ケインは身体を寄せ、小声で言った。
「この屋敷の空調システムを見せてもらえないかな?」
「うーん」
ジョージは正直に困惑した顔を見せた。
「すまない、ケイン。いくら君でも、管理室に部外者は入れられないんだ」
「それは、そうだな」
ケインはうなずきながら言った。
「すまなかった、変なことを聞いて」
「なぜ、そんな質問を?」
「……このアシュクロフトの屋敷に」
ケインは秘密を打ち明けるように、声を落とした。
「隠されたスペースがある」
「……」
「必ずある。いや、ある筈なんだ」
ジョージはケインを見ながら、さらりと言った。
「それは、地下空間のことかな?」
「え?」
「この屋敷の地下には広大な地下空間がある」
ケインはぽかんとした顔で聞き返した。
「地下空間……?」
「ああ。コクーン室や大会議室の更に地下にある」
ジョージはワインを一口飲んで言った。
「それは非常に大きな空間だ。季節によって違うが、屋敷全体の空調パワーの何割かを振り分けて、常に一定の温度と湿度を保っているよ」
「そんなに?」
「そう。それほど広い」
推測していた不明なスペースが呆気なく判明し、ケインは拍子抜けした。
アシュレイはその地下空間にいるに違いない。
「しかし、なぜ、そんな空間が?」
「こっちが訊きたいよ」
ジョージは苦笑した。
ケインは小声で訊いた。
「ジョージ、そこに入る方法は?」
ジョージは口をつぐみ、真意を測るようにケインの顔を見つめた。
「ケイン、興味があるのか?」
「ええ、まぁ」ケインは曖昧に答えた。
「本当に?」
ケインは自分を問う瞳を見つめ、いい直した。
「ああ。ケインは、そこを調べたい」
「わかった」
ジョージはワインをぐびりと呑んだ。
「だが、不可能だ」
「なぜ!」
ケインは押し殺した叫びを上げた。
ジョージは様子を窺うように、テーブルの人々を見回した。
レスリーはシンディの口にスプーンを運び、ミオと山本は残った料理の分配数で揉め、真樹はグリーンサラダを黙々と口に詰め込んでいる。
ジョージは声を潜めていった。
「入り口がわからない」
「まさか?」
「本当だ」
ケインは実直そうな男の顔をまじまじと見つめた。
「本当なんだ」
ジョージは繰り返した。
「僕もここに赴任した時に気がついて驚愕したよ。そして屋敷の平面図をくまなく調べた。しかし、入り口はなかった。前任者も知らなかった」
「……」
「口止めされている訳ではないが、ここでその空間について話題にするものはいない」
ジョージは間を置いて強調した。
「誰も」
「では、その空間はなんのために?」
ジョージは溜息をついた。
「わからない」
ケインたちは少しの間、茫然としたように顔を見合わせた。
「もしかして……」
ケインはふと気がついて呟いた。
「サラなら、知っているかも」
「ケイン」
ジョージは真剣な顔でケインに言った。
「地下を調べるのは勧められない。いや、止めた方がいい」
「どうして?」
「今まで通り、この屋敷で『普通に』暮らしたいならばね」
ジョージが遠回しに伝えようとしている意味は理解できる。
この屋敷には何かが秘匿されており、それは触れてはならないものなのだ。
しかし……。
「そこは、隠れ家、もしくは、聖域?」
ケインの問いにジョージは硬い声で答えた。
「意味を与えると、かえって問題を見えにくくする。そこは単純に、探してはいけない場所だ」
「……」
ケインは質問を変えた。
「ジョージ、この屋敷の主に会ったことは?」
「ない」
ジョージは即答した。
「僕だけでなく、ほとんどのスタッフがない筈だ。サラのような特別な人を除いては」
ケインは思い出した。そのサラでさえ、アシュレイ本人に会ったのは十年以上前で、その時一度きりだったということを。
「彼は、実在していると思いますか?」
ジョージは新しくついだワインを飲み、首を左右に振った。
「まさか……」
「確かに恐ろしいと思えるよ」
ジョージはぶるっと身体を震わせた。
「存在しているかどうかもわからない『何か』に、我々は奉仕しているのかもしれないのだから」
「あら、デザートを出さなくちゃ!」
レスリーが声を上げて立ち上がった。ベビーチェアのシンディを抱え上げ、ジョージの膝に乗せる。
「ミオ、手伝って!」
「お兄ちゃん、ちゃんと食べてる?」
ミオは山本に非難の眼を向けた。
「ブラックホールに全部吸い込まれちゃうよ」
レスリーとミオはキッチンに入っていった。
「こんな美味い飯を残すなんて、失礼だろ」
山本は大皿の料理を掻き集め、もりもりと食べ続けた。
サラダを頬張っていた真樹がもごもごといった。
「水」
ケインはグラスに水を注ぎ、真樹は一息にそれを飲み干した。
「ああ、生き返った」
真樹はしみじみと言った。
「ほんとに大変だったんだな」
「これでまた、しばらくは大丈夫だ」
「またって!」
聞き咎めた山本が顔をしかめる。
「今度はどこへ行くつもりだ?」
「とにかく、本社に連絡を取る」
「明日にしようぜ」
山本はげっそりしていった。
「すぐ報告書を書かされる」
「そうだな」
真樹は素直に同意した。
「真樹さん」
「なんだ?」
「ダーク・モンクは……ここにいるのか?」
「いる」
真樹は視線を宙に向けた。
「その辺りを漂っている」
「何だと!」
山本がナイフを持って腰を浮かした。
「冗談だ」
真樹は笑った。
「その地下空間かもな?」
「聞こえていたのか」
ジョージは渋い顔になった。
「俺はもう、あいつには会いたくない」
山本は呻くように言った。
「心配するな。あれはもうこの世界にはいない。こちらから探せば別だが」
真樹は口に手をあてて欠伸をした。
「依頼がない者を探すつもりはない」
「それはありがたい」
山本は皮肉っぽくいった。
「この屋敷の生活は平穏のようだ」
真樹はジョージに視線を向けると、発音を確かめながら、ゆっくりと言った。
「だがそれは平穏であれと強く意図されているからだ」
父親の膝の上から、シンディが不思議そうな眼を真樹に向けている。
真樹は言葉を続けた。
「本当は何か、デリケートで危ういものの上に保たれている」
ジョージはふうっと息を吐いた。
「……あなたは鋭いな」
ケインはテーブルに身を乗り出した。
「そう意図しているのは、この屋敷の主、アシュレイ・アシュクロフトだ」
テーブルに残った全員がケインを見つめる。
「本当に実在しているのか。それともその記憶だけが残って、未だに人々が影響を受けているのか」
山本が顔をしかめる。
「どっちにしてもぞっとしない話だな」
「どこかで、接触できる筈だ」
ケインは考え込んだ。
「きっとまた、どこかで」
「ケイン、何があった?」
真樹が心配そうな顔で、ケインに視線を向けた。
「この半年間に、なにか大きな動きがあったようだが?」
ケインは口をつぐんだ。超知性が人間を攻撃するなどとは話せない。
真樹はケインの目を見つめ、すぐに沈黙の意味を理解した。
「……そうか」
「すまない」
「わかった。だが、無茶はするな」
「ありがとう、真樹さん」
「自分から弾丸に当たるなよ」
「そんなヘマはしないさ」
「ほう」
真樹はにやりと笑った。
「少しは学んだようだな」
蚊帳の外の山本が不機嫌そうに言った。
「おいおい、何の話をしているんだ?」
「我々には理解できない戦いがある。見えない所で、世界はどんどん変わっていくんだな」
山本は肩をすくめた。
「汗かき担当としては、まぁ、できることをやるさ」
「あああ!」
突然、真樹は両腕を突き上げ、嘆声を上げた。
「まだ、生きなきゃなー!」
珍しく感情を出す真樹を見て、山本が嬉しそうに言った。
「とりあえず、日本に帰ろう。次の仕事も探さないと」
「次の仕事、か」
真樹は椅子に深く腰掛けた。
「次の仕事、次の予定。人間はいつから『次』がないと生きていけなくなったのかな」
「今日は本当によく喋るな」
山本が心底驚いた顔でいった。
「熱でも出たか」
「うるさい!」
真樹はつんと顎を上げ、テーブルの下で山本の脚を蹴った。
顔を歪める山本を見ながら、ケインは考えた。
—その『次』がなかったら。あるはずの未来が消えてしまったら。
サラのオフイスで見た空白のスケジュール表、どうやっても入力できなかった未来の日付が脳裏に浮ぶ。
未来へ続く人類の時間を途切れさせる訳にはいかない。
その運命の日は、もう目前に迫っている。
アーペンタイル攻撃の総合演習が開始される。
演習の前日からブレイン・バトラー達がアシュクロフト邸に集まり始めた。
今回参加する約百機のブレイン・ギアは、五十基ある地下のコクーンの他に、外部の複数の施設からエントリーし、仮想空間で合流する計画になっている。
屋敷の地下のラウンジに集合したバトラーを前に、サラは言った。
「ワールド・バトル開会式会場はLAスーパースタジアム。でもあなた達攻撃部隊の中枢は、ここのコクーンからエントリーする」
「サラ、質問がある」
ハンコックが手を挙げた。
「攻撃に参加するバトラーには各国の代表選手もいる。当日はステージに集合し実況中継も入るが、出場するバトラーが現地にいなくてもいいのか?」
「ワールド・バトルの運営はすべて連盟傘下の企業よ。すべての計画は極秘に進められ、完璧に実行される」
サラは自信に満ちた態度で言った。
「ホテルから開会式のスタジアムに出発するのは、各バトラーに特殊メイクしたスタンドイン達よ。本人が見ても、自分だと思うでしょうね」
「なるほど」
ハンコックは苦笑した。
「攻撃に参加するバトラーは、開会式前夜にホテルを抜け出し、空軍のビッグ・オウルでここに戻ってくる」
サラの隣に立つロイ・バーンスタインが補足する。
「開会式で会場に現れるギアはすべて事前に撮影された3D映像だ。アリーナステージ上ではセレモニーとして出場するバトラー全員が整列するが、スタンドインがうまくやってくれるだろう」
「ジェネラル、ドイツ人や日本人はどうする? 別行動じゃないのか?」
アントニオがケインを見て言う。
「レイ、それにニーナとダービーは直前に体調不良で離脱してもらう。残念ながら、他国の代表チームまではコントロールできない」
皆の視線を受けて、ケインたちは『了解している』とうなずいた。
「ワールド・バトルに出場しない残りのバトラーは、数カ所の連盟研究施設に数日前から集合して、当日エントリーするわ」サラは言った。
「ニュー・キッズ達ね」シェリルが言った。
「では、紹介しよう」
ジェネラルはバトラー達の顔を見渡した。
「これが、参加メンバーだ」
サラは壁面ディスプレイに百人のバトラーを表示した。
ラウンジに並んだバトラーから小さなどよめきが生まれる。
「あの野郎も参加するのか」
「見たこともない奴がいるぞ」
「昨日会ったのに、あいつ黙っていやがった」
「喋らないのは賢明だな」
バーンスタインはにやりと笑った。
「この作戦が最高国家機密であることを忘れるな。洩らした奴は」
全員が声を揃えた。
「監獄行き!」
サングラスの男が険しい顔で声を上げる。
「ジェネラル!」
「なんだ、クーガー」
「前回は圧縮転送の失敗で何人かが入院した。今日は大丈夫だろうな?」
「充分に改善されたわ」
サラが答える。
「前回の失敗には科学者達も強いショックを受けた。基礎設計から計算し直して非常に安定した圧縮システムを」
「はっきりいえ!」
クーガーは声を荒げた。
「だ、大丈夫よ」
サラは硬い声で答えた。
「なら、いい」
クーガーは吐き捨てるように言った。
「あんな頼りない転送装置で犬死にしたくないからな!」
クーガーの別人のように苛立った様子にバトラー達が驚きと不審の眼を向ける。サングラスの男は集団の後ろに下がり、壁にもたれて腕を組んだ。
「入院している娘の容態が悪いらしい」
ジェネラルはサラに耳打ちした。
「臓器移植手術が近いそうだ」
サラは眉根を寄せた。
「あの様子では、エントリーさせない方が」
「それは、私が決める」
「しかし」
「私が指揮官だ」
老紳士は皺に埋もれた眼を光らせた。
サラは異物を呑み込むような顔で同意した。
バーンスタインはバトラー達に向き合い、厳しい口調でいった。
「前回の轍は踏むな!」
バトラー達は緊張した面持ちで指揮官を見つめる。
「仮想空間に出たら最も近いギアとツーマンセルを組め。まず防御態勢だ!」
ケインは黙ってうなずいた。
転送リングが励起した段階でアーペンタイルからは攻撃の目標にされる。むざむざとやられる訳にはいかない。
「今回の総合演習におけるアーペンタイルの仮想進化モデルは、前回のものよりもより広範囲に広がっていると予想される。しかし、相手のスケールに呑み込まれるな。どんなに大きかろうと徹底的に破壊するイメージを撃ち込み続けるんだ」
これまでになく厳しいバーンスタインの口調に、緊迫感が高まる。
「そして、今回は新しい目的が加わった」
老指揮官は重々しく言った。
「アーペンタイルの内部に『コア』が存在するかどうかを確認する」
「コア?」ハンコックが訊く。
「アーペンタイルは自己のプログラムそのものを監視し反映する自律AIだ。その自己進化のメタプログラミングの中で、全体を統御するコアを獲得したと思われる。コアは自己進化の中でアーペンタイル自身が造り出したものだ。神経細胞が脳にまで発達したように」
「脳?」
パティが不思議そうに眼を丸くする。
「なんだか生き物みたいね」
「とにかく」
シェリルが腕組みする。
「そのコアを探し出し、攻撃すればいいのね?」
「そうだ」
ジェネラルは答え、ゆっくりとバトラー達の顔を見渡した。
「コアへの攻撃は現時点で最も有効であると科学者グループは推論した」
バーンスタインの細めた眼が冷たい鋼色の光を帯びる。
バトラー全員が息を呑み、老指揮官を注視した。
「コアを発見次第、私の指示に従って集中攻撃を行う」
決然とした口調でいう。
「必ずコアを、破壊するんだ」
サラが壁面ディスプレイのグラフィックを指し示した。
「今回から、圧縮転送のための仮想空間を設定したわ。エントリーしたブレイン・ギアはこの空間に集合し、待機する」
「レプリカ・ギアは?」
「使用するのは各自の判断に任せるわ。イメージの供給が必要になるし、攻撃時にコントロールできる状況にあるかもわからない」
「俺は使うぜ」
アントニオが宣言した。
「俺は気にいっている。負担にはならない」
「期待しているわ、アントニオ!」
サラは頼もしげに言った。
「アントニオは戦力になる」
ジェネラルは名指しで褒めた。
「皆も難しく考えずにレプリカ・ギアを使うんだ。攻撃力は倍増する。オートモードでいい」
「自分のコピーが勝手に動き回るなんて、見たくないな」
誰かの声に、ジェネラルの顔がさっと険しくなった。発言したバトラーがこそこそと人の影に隠れる気配がする。
ケインはなんともいえない嫌な気持ちになった。
百人のバトラーが集合する最後の総合演習だというのに、なにか浮き足立つような落ち着きのない雰囲気が流れている。
なにより老練なバーンスタイン自身が余裕を失っているように見える。
それは不吉な予感しかケインに与えなかった。
ラウンジでのミーティングが終わった。
バトラー達は地下通路をコクーン室に向かう。並んで歩くバトラーは、ジェネラルの前ではできなかった話をしている。
「前回でも、あの白いギアが現れなければ、我々はやられていた」
ランディが暗い声で言った。
「そうね」
パティが同意する。
「《《あれ》》が更に進化しているとしたら、かなり問題ね」
「かなりどころじゃない」
ハンコックは首を振り、前後を歩くバトラーを見回した。
「みんな、勝算はあると思うか?」
バトラー達が口々に声を上げる。
「今回は百人の大戦力だ。集団で闘えば攻撃力は二倍にも三倍にもなる」
「作戦次第だな。索敵と攻撃を上手くかみあわせれば」
「大量のフェイスが連動して動くのは、やはりコアが指示を出しているに違いない」
「そう、そのコアがあいつの弱点だ!」
「そいつを破壊できれば、きっと他のフェイスは沈黙する!」
「もう忘れたの? 前回の相手の動きを」
シェリルが冷静に言った。
「あのスピードは脅威よ。みんな、あれを上回るイメージは持てた?」
周囲が静まり返る。
その指摘は、自分ではなく、誰かがやってくれるだろうと考えていたことだった。
「心配してもきりがないぜ!」
カルロスが大声を上げた。
「とにかく、行けばわかる!」
「とっても力強いお言葉」
パティが肩をすくめる。
カルロスは気にした様子もなく、伸ばした顎髭をしごいた。
「この前は少しビビったが、今日は完璧に叩きのめしてやる!」
ケインの隣を歩くニーナが呆れた顔をした。
「あのおじさんは気楽でいいわね」
並んで歩いているダービーが首を振った。
「カルロスのブレイン・ギア、ディーモン・ペインはとてつもなく強力だよ」
「あの化け物か」
後ろからぼそりと言うシルバーを、ニーナが睨む。
「こら、言葉に気をつけて」
「まぁ、確かに抵抗感はあるよね」
ダービーは微妙な表情をした。
「でも、彼が能力を発現できる余裕があったら、前回は全く違う展開になっていたと思うよ」
「いいや、俺は気に入らない」
シルバーは露骨に顔をしかめた。
「『悪魔のイメージ』を使うなんて正直どうかしている。人間の力じゃない」
「念のためにいうけれど、悪魔や魔界はもちろん存在しない」
ダービーは講義をするような口調で言った。
「悪魔も魔力も人間の作り出したイメージだよ。すべての民族に共通する超自然的な畏怖の象徴で、人の心の奥底深く根を張っている」
「解釈はどうでもいい」
シルバーは突き放すように言った。
「人間が本来持っていたとしても、あんなおぞましいものを自分の心から引っ張り出せるのが気持ち悪いんだよ!」
「シルバー、もうやめなさい」
ニーナがたしなめる。
「他人のブレイン・ギアを批判しても始まらないわ」
「ギアとして構築できるイメージは、その想起に強い必然性がある」
ダービーは我慢強く言った。
「あの悪魔的な力も、カルロスにとっては『必然』なんだよ」
「どこが必然だよ!」
シルバーは顔を歪めた。
「あいつは最低のサディスト野郎で、絶対に悪魔崇拝者だ!」
ニーナとダービーが振り返り、はっきりと非難する眼でシルバーを睨む。
シルバーは舌打ちをすると、そっぽを向いた。
ケインはますます気分が重くなった。
シルバーがこれほど不機嫌さを見せるのは初めてだった。
シルバーだけでなく、クーガーの攻撃的な態度も感情の不安定さを感じさせる。周囲のバトラー達も神経が苛立っているように早口だったり、反対に不安に声を沈ませていたりする。
歴戦のベテラン・バトラー達が平常心を保てていないようにケインには思えた。
ケインは前方を歩くサラに追いつき、横に並んだ。
「どうしたの、ケイン?」
サラは手にしたデータパッドを操作しながら言った。
「なにか、皆の気分がおかしくはないか?」
ケインは小声で言った。
「どういうこと?」
「苛立っていたり、不安そうだったり、普通じゃない」
「はぁ」
サラは溜息をつくと立ち止まり、ケインを壁際へ引き寄せた。
「こういう時、あなたは特別なのだと、つくづく感じるわ」
「何を言っている?」
「皆、怖いのよ」
サラは青い瞳で射るようにケインを見つめた。
「とても恐ろしいの。この攻撃演習が文字通り命懸けだと理解しているから」
バトラー達が次々にコクーン室に入っていく。
「前回はアッシュが現れなければ、全員がアーペンタイルの攻撃で深刻なダメージを受けた筈よ。今日だって一人も集まらないかも知れないと思った」
ケインは口をつぐんだ。
サラは胸に溜まった空気を吐き出すように言った。
「でも、ほとんどのバトラーが再び集まってくれた。確かにギャランティは莫大だけど、それだけじゃない。彼等自身が、彼等自身の意志で、生死を賭けた戦いに戻って来てくれたのよ。心が圧し潰されそうな恐怖をはね除けてね」
「恐怖……」
ケインは呟いた。
「そうか、怖いのか」
「ケイン、あなたは怖くないの?」
「いや、別に」
いきなりサラは噴き出した。
ケインがむっとしていると、サラは少し穏やかな口調になっていった。
「アシュレイがいっていたわ、あなたはとてつもない経験をしてきたって」
「アシュレイが?」
「そう」
サラは金髪をかきあげた。
「数え切れないほどの戦場で生死の境をくぐり抜けて来たと。現代でそんな経験をした人はいないでしょうね」
「好きでやった訳じゃない」
ケインは口をへの字に曲げた。
「でも、どんな苛酷な体験を強いられて来たにせよ、そのすべての過去を糧としてあなたは成長したの。今ここにいるのは、まぎれもないあなた自身よ」
サラはケインに向かい合い、肩に手を置いた。
「今の自分を受け入れなさい。そして、自分を信じなさい」
ケインは居心地悪そうに身体を揺らした。
「ファンにもそういわれたよ、もっと自信を持てと」
「貴重なアドバイスね」
「その子は、まだ十歳だ」
「その言葉を宝物にしなさい」
サラは肩を震わせ、笑いを堪えている。
「でもケイン、そんな小さな子にまで心配されるなんて」
「俺は!」
ケインは憤慨して叫んだ。
「自分を信じている。ただ自惚れたくはない。それだけだ」
サラは真顔に戻り、深くうなずいた。
「俺は知っている。アーペンタイルは過去の人間の魂でできていると。あの黒いフェイスの中からこちらを見る眼が忘れられない。それを破壊するなんてやりきれない!」
ケインは一息に言うと、首を振った。
「どうしてこんなことになってしまったんだ?」
サラはケインの背中に手を当て、歩くように促した。
「行きましょう」
既にバトラーたちは全員がコクーン室に入っている。
人気のない、がらんとした天井の高い通路を歩きながら、サラはケインに身体を寄せた。
「私も、アシュレイが絶対的存在ではないと気づいたわ」
サラはケインの耳元で、声を潜めていった。
「彼はどこかで進む方向を間違えてしまったのかもしれない」
ケインは驚いてサラの横顔を見つめた。
「本当のことをいうと、アラスカの研究施設は、連盟でもほとんど誰も立ち入れない聖域のような場所なの。あそこには何かが隠されているような気がしてならないわ。私は、それを確かめに行く」
「アラスカ……」
ケインは小さく言った。
「アッシュは?」
「今回は参加しない。絶対安静が続いているの」
サラは重い吐息をつく。
「ケイン、この総合演習が終われば、あの子に会いに行けるわ」
「そうだ」
「ならば今は戦うことだけに集中して。気持ちを奮い立たせて!」
コクーン室のドアが開いた。
「絶対に帰ってくるのよ、ケイン!」