第三章 平和と非日常のページ 3
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「わーっ、この服イイかも! どう庵!?」
「え? いや、俺に聞かれてもなー。でも、いいんじゃねーの?」
庵達は今、まだ真新しいショッピングセンターの中にいる。ここは二階の女子向けの小奇麗にキラキラした服屋だ。このショッピングセンター、ボロボロの工場を取り壊して出来たもので、なかなか広く、二ヶ月前に出来たのでなかなか時代に沿ったものが揃っている。だから、普通に客も多く、今日からの一週間にかけてはゴールデンウィークなので、熱気あふれるワールドカップの観客席のように込んでいる。……と言うことは、庵とこの二人の美少女達は、ここまで来るまでにもたくさんの人に見られた訳であって、
(……俺は何にもしていないのに、何で同年代の男子共から睨まれたり、舌打ちされなきゃならないのですかー!?)
「んー……、あっ! この服もイイ! 買おっかな〜」
一人だけ自分の世界に入って、ウィンドウショッピングを続ける女子高生を脇に、少女が庵に話しかけた。
「……そう言えば、まだ説明してなかったね。いろいろと」
「ん? ああ」
「このことを知れば、あなたは巻き込まれることになる。この事件だけでなく、これから起こることにも。それでも、こちら側の世界に深入りできるの?」
庵は少し戸惑う。自分は平和な世界にいたい。こういう『死と隣り合わせ』なものに関わるのはこれっきりにしたい。
だが、それ以上にこの少女の役に立ちたい、と言う気持ちが庵にある。だから、知る必要がある。もしかしたら、それは好奇心から来るものかもしれない。
庵は、一息ついて、しっかり頷いた。
そして、物語は始まる。
「この世にはいろんな『人をこえた力』があって大きく分けると、神の御業『神術』と魔の法術『魔術』。神術って言うのは既に魂になっている神や、天界にいる神や天使などとリンクして、その力の一部を使わせてもらう能力のことで、これが『人を超えた力』の王道。全ての人が一人ひとりそれぞれの神や天使とリンクできる可能性を持って生まれてくるんだけど、一生の内にその能力が覚醒する人は少ない。……これが、『絶対正義組織』の執行部隊『執行人』のほとんどが使う能力よ」
「……あの羽根も、その神術ってやつなのか?」
「そう、北欧神話の戦乙女『ヴァルキュリア』の『無重鎧の羽飾り』、私ぴったりの図式よ」
戦乙女、と言う響きに『本当にぴったりだ』と庵は思ったが、ここはあえて言わないでおく。
「次に、『魔術』ね。主として悪魔や堕天使、あと鬼も入るかな。とにかくダークなイメージがあるものは大体こっちのものだと考えていい。魔術はそういう者達を呼び出し、契約して、自分の体と結びつけるの。取り込む、って言った方が分かりやすいかも。で、その能力を使う、って言うものなんだけど、この魔術にはメリットとデメリットがあるの。メリットとしては、少しの知識と意志があれば、誰でもその能力を使うことができるの」
「はあ? じゃあ皆やってんじゃん」
「最後まで聞け。それが魔術の魅力的な部分。次にデメリットの方なんだけど、寿命が縮む、とまでは言わないけど、常に死と隣り合わせになるの。これが魔術を誰でもやっていない理由の一つね。あ、あと『仏法』って言う派があるけど、そっちは今回のことに関係ないかな。とにかくこれが、数多くの犯罪者や殺し屋、一番大きいのでは『悪魔教団侵略雑音』が使っているものよ」
「『ノイズ』……、ん? あっ! なあ、ノイズって確か電器会社じゃなかったっけ?」
「そうだけど、あくまでそれは表向きの顔。裏では人殺しも平気でやれるテロ組織よ」
テロ。庵は昨日のことを思い出す。デッドバー・リング。人を殺しても何も感じない。罪悪感がなければ、満足感や優越感もない、まるで腕に虫がいたから叩き殺した、と言っているような、そこに何の感情もない行動。そんなものに武器を持たせれば、その先には殺戮しかないのは当たり前だ。
「……、あ、そういえばさ、『まどー』とか『たしんとー』とかって何?」
「『魔術』『神術』は能力を発動する設計図みたいなもの。図式って呼ばれてる。実際に能力が具象するのを『魔法』『神法』、それを発現するために能力に組み込む燃料みたいなものを『魔力』『神力』、『魔の思想・生き方』を『魔道』、『神の教え・そのものの道』を『神道』、また北欧神話や日本の多神教のように、この世には『八百万の神』がいる、っていう思想を『多神道』。ここら辺のことは少し難しいかもしれないから、無理に理解する必要はないかな」
「ううむ……、」
要は理科的に『〜道』と言う考え方を元に、『〜術』と言う仮説を立て『〜力』と言う素材を使って実験してみたところ、『〜法』と言う現象が起きました。……ということなんだろうか。
「あとは『絶対正義組織』と『悪魔教団侵略雑音』、この二つの組織の関係だけど、分かるでしょ? 力を欲するは何かに振るうため、『悪魔教団侵略雑音』は破壊活動をするため、そして『絶対正義組織』の『執行人』はそれを止めるため、力の使い方が違うの。正義の味方と悪の組織が戦うのと一緒ね」
庵は考えていた。自分のような一般人が知らない世界では、こんなにもの人間がそれぞれの意志で命懸けの戦いをしている。人を殺すため、人を生かすため、人を傷つけるため、人を護るため、
では、自分は?
全く知らない瑠璃華や海老村ならまだしも、その世界に触れただけでなく一度自分を原因にその戦いが行われた庵は?
誰かがやってくれるとか、自分は平和な世界にいて当然だとか、自分は何もできないとか、そんな言い訳を並べて、自分はその世界と無関係と決めつけ、挙句の果てにはそれに触れたことさえもリセットしようとする。
ただ、自分にはそれに関わって生きていける『強さ』がないから。
あの少女のような、全くの他人のために命懸けで戦える『強さ』がないから。
この少女を護ると言いながら、護り切ることができなかった。だから、もう自分は何も護れない。
それで、良いのか?
自分に対処できない問題にぶち当たって、何もできないから目を逸らしただけではないか。
あの時、恐れずデパートに入っていったような、軽い正義感じゃどうもできないなら、もう『不可能』なのか。
あの時、命懸けで戦う少女の元へ戻った罪悪感だけでは、関わることはできないのか。
違う。
力がなくとも、役に立たなくても庵は少女を護りたい。その想いだけは貫き通したい。
だが、それをするにはどうすればいいのか、それが分からない。
「で、あんたのことだけど……、」
「ん? あ、名前でいいよ。皆そう言うし」
「慣れないからいい」
スッパリと言われた。この少女との関係がここまでだったことに、ちょっと庵はショックを受ける。だが、ここでヘコたれてはいけない。
「う……、まぁ、俺はルナって呼ぶけど……、いい?」
「……、うん」
それよりも、とルナが話題を戻す。
「あのナイフを背中に受けたでしょ? 正直に言うけど、あれは確実に致命傷だった。なのにあんたは死なずに、さらに半日で体が動かせる程度まで治した。あいつの言う通りなら『癒えることのない傷』を」
「……、ドウイウコト?」
「あんたが神道とリンクし始めてるって事、多分魔術の付加効果を打ち消すようなモノだと思うけど」
「へー! 俺すごいじゃん! あ、確かに俺さ、昔からケガの治りが早いんだよね」
その言葉にルナの眉がピクリ、と動く。
(……どういうこと? ただ回復能力が早いだけじゃ、あの傷は治らないはずだけど……、まさか……、)
「……どした?」
ルナが険しい顔をしているのを見て、庵は思わず喋りかけた。
「……、いや、なんでも。あ、もう一つ話すことがあったわね。あんたのお父さんについて」ルナは一度言葉を切って「私も詳しいことまでは知らされていないんだけど、あんたのお父さんの研究は、未完成ながら『人を絶対の存在にする研究』と呼ばれてるらしくて、フリーメーソンの方で研究されてたの。その技術を軍事利用するため、『悪魔教団侵略雑音』を中心に様々な組織から拉致されたんだけど、私たち『執行人』が拷問にかける暇もないほどの短時間で助け出してきたの」
「あー……、」
庵は思い出す。竜串ルナ、ホネット・アグゼローク、この二人の『執行人』の強さを。
あの圧倒的な実力は、元々持ち合わせていたものではないだろう。きっと、自分のような平和ボケした一般人には想像できないような、そんな過去があってこその強さなのかもしれない。
確かに、そんな人達が集まった部隊なら、敵の組織が何をしてこようと笑顔で対応できそうである。
「でも今回は違う。いつもの『ノイズ』なら、一日ほど現地の小アジトに置いとくんだけど、今回は拉致してすぐに本部に運んだ。小アジトなら潰してでも助け出せるけど、本部に移されたらおおびらに動けないから、様子を伺うしかない。しかも、世界各地の『執行人』達に刺客を送ることで足止めをしてきている。今は、相手の出方を見るしかないの」
「はあ……、そっか。でも、親父が殺されることはないんだろ?」
うん、とルナが頷く。
「『人を絶対の存在にする研究』は、あんたのお父さんだけが研究者で、その理屈はその人だけしか理解できないらしいの。だから、その研究で何を使うか分からない。その技術欲しさなら、その体を五体不満足にすることもできないよ」
だから時間はあるの、とルナは付け加える。
庵は天窓から雲の多い空を見る。今も、自分の父親は敵しかいないような場所で生きているのか。それなのに、自分はこう平和にのうのうとしていて良いのだろうか。ルナは焦る必要はない、と言っていたが何かドクドクとした違和感が止まらない。
心配、とは違うこの不安な感覚。
6
「戦争を起こす、……か。大胆なことを言うな、お前は」
工場の地下の暗闇の中、男は言う。デッドバーは答える。
「あァ、『絶対正義組織』なんざ甘ェ組織に平和なんて作れっこねえ。『悪魔教団侵略雑音』と『絶対正義組織』の全面戦争だ。俺らが平和を作る」
男はデッドバーをジロリ、と見る。そして険しい口調で言った。
「全面戦争、ということはそれなりの犠牲が出……」
「カリカリすんなよ、俺としても犠牲を出すことを好んでいる訳じゃねェ」
だから、と付け加える。
「あの実験が、必要なんだよな」
その言葉に、男は歯噛みする。できるだけ、デッドバーには分からないように、とても小さく。
そして話を進める。
「彼の意思はどうなんだ」
「協力する、とよ。そのための犠牲も承諾してな。まァ、全世界を巻き込んだ戦争で出る犠牲に比べりゃ、たかがそれだけ。つーハナシだろ」
男はまた歯噛みする。そして口を開きかけたが、その前にデッドバーの声が耳に入る。
「んで、お前は腹ァ括ったのかよ」
「……、平和の犠牲が、それだけで済むなら」
『平和の犠牲』、と聞けば、それはいけない、と思う人が大半だろう。だが、『犠牲』なしで達成できるほど、『平和』とは簡単なものではない。例えるなら、感染病のワクチン作成のようなものだ。今までに大量の血が流れ、命が失われた代償として、そのウィルスを根絶することができる。貧富や差別、暴力などの『混乱』を『戦争』を通して『犠牲』を糧に初めて、『平和』を作ることができる。彼らにできることはその『代償』を最低限に抑えることだけだ。
今度は男が先に口を開いた。
「ニューヨークから日本まで、どれくらいかかる?」
「あァあァあァ、車でアメリカ横断して、船で太平洋横断すんだから、早くても半日はかかんじゃねえの? あと、俺らのことを探るために、アメリカに来てる『執行人』がいるらしいからなァ、そっちも片付けねーと」
「……、どれくらいかかる?」
ハッ、とデッドバーは鼻で笑う。
「出発の準備しとけ。あァあァあァ、十分もかかんねェよ」
その言葉を残して、デッドバーはそこから消えた。しばらくして、男が呟く。
「……、戦争が、始まろうとしている」