第三章 平和と非日常のページ 2
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信号のない道路、芝生のある広い庭を持つ家、広い公園には噴水もあるが、今はまだ出ていない。
ここは日本ではない。世界一の経済力を持ち、世界一外国との接触が多い国、アメリカだ。
その都市部のニューヨーク、そのビル街の下、デッドバー・リングは立っていた。
辺りはゴールデンウィークと言う事も忘れているようにいそいそと歩く通勤者でいっぱいだ。車道なら何も込んでいないのだが、歩道が多い。歩行者どころか最近は自転車で通勤する人が増えてきた。
デッドバーとしても、人の多い場所は好ましくない。バスを待っているのだ。いつもなら車で移動するのだが、彼は昨日、日本でカタに相当なダメージを負っていて、とても運転できる状態ではない。
それも、会社に行くまでの話、なのだが。
「……あァあァあァ、いってえな……、マルバスの治療も俺のカースがそっち系じゃねえからまともに出来てねえ。っつか、バスおせーんだよ。今何時だァ?」
デッドバーが時計を探そうと顔を上げると、ちょうどCMを流しているビルのディスプレイの隅のほうに時計がついていた。
午前五時十分。簡単に計算すると、日本は八時ぐらいだろうか。
(……ったく、面倒事になる前に「獄魔 庵」は消しておきたかったんだけどなァ。ま、あの傷だったら死んでるだろ。多分、な)
そんなことを考えているうちにバスが来た。郊外行きのバスなので、少しボロいスクールバスサイズのものだ。その郊外の工場地帯、そこの「ノイズ」と言う電気会社の工場に彼は用がある。
降りてくる人間は少なかった。確かに、普通郊外から都市部への通勤者程度しかここ、ニューヨークのビル街に用のある人間はいないだろう。まあ、ルートが逆でも乗客は少ないのだが。
乗客はデッドバーだけだった。こっちの方が落ち着く、とデッドバーはドアに一番近い席に座り、歩道の通勤者たちを見る。
「ゴールデンウィーク、つーのに皆さん忙しいのな」
「それを言う、兄ちゃんも忙しいんじゃないのかい?」
デッドバーは独り言のつもりだったが、斜め前にいる運転手に聞こえたらしく、返事を返してきた。
「にしても兄ちゃん、スーツなんか着て、郊外に何の用だい?」
声の枯れた、定年も近いような男性の老人は、デッドバー・リングと言う人間を知らない。だからこう淡々と喋れるのだ。
デッドバー・リング。表向きは大手の電気会社「ノイズ」の会社員、だが裏向きはマフィアの中では最大規模を誇る「悪魔教団侵略雑音」の重鎮。いまはその表の顔でいるつもりなのだが、普通ではありえないものが彼を纏っていた。
魔力。
その言葉を聞いたらまず「魔法を使う時に必要な力」と思うだろうが、今のそれは違う。文字通り、魔の力だ。触れれば皮膚が裂け、肉が弾け、骨が粉々になり、すえば呼吸がおかしくなり、脳が犯されるような、そんな力。
それだけが、裏の顔だった。
別にこんな老人のために放っている訳ではない。いや、実際に放っているのはデッドバーではない。
「そうだな」デッドバーは窓越しに朝空を見て、「焚きつけた火にはもっと燃えてもらわねーといけねーからな」
その顔は笑っているのか。睨んでいたのか。
電気会社「ノイズ」と言えば、その爆発的な売上が国内に収まらず、ヨーロッパやアジアなどにチェーン会社をショットガンのように撃ち出した事で有名だ。ほぼ全ての電気製品に手をかけていて、しかもその売上は他社とは一桁や二桁違う、言うなれば超大手の電器メーカーだ。
だが、この会社には一般人は当然、親密な会社も、さらには国の上層部の人間も大半は知らない「もう一つの顔」がある。
『悪魔教団侵略雑音』
悪魔学を中心として魔女学、堕天学と様々な『魔力』を使用する図式『魔法』を使う戦闘集団。ほとんど全てのテロ、軍事衝突は裏で彼らの力が働いている。それも、全て悪い方向にしているのではなく、ある程度の『限度』をつけるのも彼らの仕事とも言える。
トラブルの原因をよく作ることから『トラブルを起こす者達』と言われている。『平和を守ろう団体』とは対極の存在。実際に両者は対立していて、しょっちゅう衝突している。
そう、『いたずら者』は『正義の味方』とは対極の存在。だが、デッドバーはそう考えてはいない。なぜなら、彼もまた平和を望んでいるからだ。
ただ、やり方が違うだけ。
元々、『トリックスター』と言う者たちは、世の中に混乱をもたらし、そして人間たち、神話上では神々たちに、互いを信じさせ、社会関係を再確認させる役回りの者たちだ。
トラブルを起こした所為で仲間はずれにされても、遠くから人間や神々の世が平和になって行くのを笑って眺めていただろう。そう、たとえ自分は仲間はずれでも。
デッドバーはそれになりたい。
自分がその輪に入れなくても、平和を創りたい。
いくら何千何万の犠牲を出したとしても、その先の未来で誰も犠牲のない世界が出来上がることを祈りながら、
そう、未来の子供達のためにも、
未来の人々がこの役回りにならぬように、この代ですべての混乱が終わるように、
「戦争を起こす」
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庵はちょっとレトロな電車の中にいる。
あの後、最終的に「皆で一緒に買い物に行きましょー!」と言う庵の提案により、その場は収まったのだが、よく考えればゴールデンウィークで商店街は休みだし、年中無休のデパートは昨日半壊したしで、どうしようか? と二人に聞いてみたところ、
「「あんたが言ったんだから、責任とって考えろ」」
と言う事だったので、病み上がりの体を引きずって、隣町のショッピングセンターに行くことにしたのだ。
だが、一難去ってまた一難。
「ちょ、押してこないでよ!」
「そっちが押してる。後、仮に私が押していても私が詰める必要はない。あなたが立てばいい」
「なな、何ですって!? あなたが立ちなさいよ! 何で前の席が空いているのに、そこに座らないのよ!?」
「そう言うなら、あなたが座ればいい。私も二人用の席に三人で座るのは窮屈だと思っていたし」
「あーっ! 何でそう上から目線なの!? あなたが座りなさいよ!」
そう、何故か庵の座っている二人用の席には庵を挟むように二人の少女が座っている。正直狭い。
隣の人達は、どっちが空いている前の席に座るかで言い争っていて気づかないのだが、庵はすごく恥ずかしかった。金髪の少女は文句なしの美少女で、瑠璃華も可愛い方に入るので、もちろんそんな女の子たちに囲まれている庵は、通り過ぎる男子には本当に殺気の籠った目で睨まれるし、中年男性からはチラ見の連続(見られるのは二人の少女のみ)だし、女子からは小言で「すごーい」とか「何? 今、二股がバレたとこ?」とか言われるしで、もうさんざんである。しかも、恋愛経験乏しい庵にとっては、この状況は刺激が強すぎる。
「いいから、あなたが座」
「だーーーっ!! 俺が座る!!」
庵は立ち上がり、70センチほどの距離をずかずかと歩いていく。その背中を二人の少女は口を開いたまま眺めていた。