第四章 望みと激突のページ 5
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庵たちが住むこの町は、港町なだけあって漁港が栄えている。
夜の沿岸は、卸売市場の建物があちらこちらに並び、その青白く月光に映える屋根がどこか異質な雰囲気を漂わせる。長く続く防波堤は、木の枝のように海に手を伸ばして突き出していて、白い屋根と合わせると、それはさながら巨大な烏賊の触手のように見える。
その触手の先には黒光りする潜水艇が一隻、海の上に顔を出していた。だが、海に潜むそのシルエットを見る限りではとても「潜水艇」とは言えない。「潜水艦」、―――主に軍事目的に使用される、銃器を積み、並の火器ではビクともしないように見える丸い外見をもつそれは、ただじっと、獲物の動きを待つ肉食獣のように息を潜めていた。
だが、それは「普通の人間」から見ての沈黙だ。その船がただ一つ押し殺していないものは、ある種の人間が見れば分かる。
それを含めても、ルナは絶望していた。
彼女がいるのは沿岸にある小さな工場の上だ。このあたりでは一番見晴らしのよさそうな場所だったので、ここで敵の程度を確認しようとしていたのだが、
「ありえない……。軍事用潜水艦……? しかも推定するに相当な銃器を装備してる……」
いろいろな点から、ルナはあの潜水艦を分析していた。戦力、機動性、中の人間の数、それらを考えても、やはり彼女の頭には絶望の二文字しかない。
まず、あれは米軍式だ。世界一の軍事力を持つ軍が持っている潜水艦なんて、一隻だけで小さな島ぐらいは簡単に吹き飛ばせる。暴れだして自衛隊が到着するまでには、この町は焦土と化しているだろう。しかも中にいるのであろう人間たち。五、六人に満たないぐらいの船員でこんなに大きい船を動かしていられるのは「魔術」を使っているからだろう。放っている魔力の大きさも考えて、決して雑魚ではないだろう。
ルナは片手に握り締めたレイピアを眺める。
結論から言えば、無理だ。こんな軽装備で勝てるほど「魔術」は甘くない。昔から知っていたことだが、前回のデッドバーとの戦いでそれを思い知らされた。
気づけば、冷や汗が頬を伝っていた。ルナはそれを空いた手で拭き取ると、自分の周りに「無重鎧の羽飾り」を出現させた。月光に映える純白の羽根は、彼女の周りをひらひらと舞う。デッドバーとの戦闘では出現さえもままならなかった羽根たちは、いつも通りの数と位置で、いつも通りの効果を発揮―――一般人をこのあたりに寄せ付けなくしている。
ルナは不思議でたまらなかった。デッドバーの言い様では、もう二度と出現しない筈なのに、それができている。何か、あの能力には「穴」があるのだろうか。もしそうだとしたら、あの図式を潜り抜けることができるとするならば、デッドバーだけには勝てるかもしれない。
だが、あくまでそれは「デッドバーだけ」の話だ。彼は今まで戦ってきた他の「悪魔教団侵略雑音」の者と比べれば飛び抜けて強い。しかし今回、あの潜水艦の乗組員は全てデッドバー並の「魔力」を放っている。それだけで強いかどうかは確信を持てないが、察するには相当なものだとルナは思っている。
つまり、デッドバーを何とか倒せたとしても、残りの戦闘員を倒せる自信はルナにはない。というか不可能であって、無謀な行為だ。
ルナにはもう一つ疑問があった。まず、彼らの目的は「獄魔 庵」の抹殺ではないのか? この町には現在、自分とホネットしかいない。ホネットは十分にあっちから見ては強敵なのだが、逆に言えばそれだけだ。ホネットは強いが、デッドバーぐらいの戦闘員が二人でかかれば簡単に負けてしまう。それぐらいの強さしかない。
だからこそ、たかが一人の高校生を殺すぐらいで、何故ここまでの戦力を用意する必要があるのだろう?
「何か他に目的があるとしか思えない……。とにかく、敵地に潜り込まない以上、詮索の余地はないんだけど……、ホネット遅い……」
ルナが少し不機嫌に呟いたその時、
「ほおお。これはこれは、ご到着が早いことで。さすがは『絶対正義組織』、と言ったところですかな?」
老人のようなくぐもった男の声が、ルナの耳に入った。
「―――ッ!」
彼女が反応するまでもなく、刹那、ルナの足元が爆発した。吹き飛ばされはしたが、「無重鎧の羽飾り」の能力でルナは音もなく地上に着地し、工場の方を見る。
その先には轟音を立てて崩れ落ちる白い工場と、その中から歩いて出てくる一つのシルエットがある。
「ほほう。これがデッドバー殿の仰っていた衝撃吸収の羽根です、か。なるほど、見惚れてしまうような美しさがありますね」
その声に敵意はなく、ただ淡々とした感想があった。
月光に照らされて姿を見せたのは、一人の老人。きっちりと整髪された肩まである銀髪、彫りの深い優しそうな顔には英国人の瞳と肌。そして痩せぎすな体躯、それを包むタキシードはそれら全てを「英国紳士」という印象に変えている。
第一印象から言えば清潔的なイメージが浮かぶが、その清純な体にまとわりつく黒いものが、ルナに「敵」だと認識させる。
「あんた……、『悪魔教団侵略雑音』の……」
ルナが警戒態勢に入ったのを見て、銀髪の老人は「おお、失敬」とドレスグローブを身にまとった手を横に振りながら、
「自己紹介が遅れましたな。ええ、察しのとおり。私は『悪魔教団侵略雑音』のメンバー。名をフレデリック。フレデリック・バッティスタと申します。以後、お見知り置きを」
フレデリックという老人は深くお辞儀をした後、さわやかな笑顔をルナに向けた。敵に対してのあまりの紳士ぶりに、ルナは思わずうっ、と後ずさりしてしまう。
「わ、私は敵に名乗る必要はないとお」
「おお、いえいえ。大丈夫です。無理をなさらずに」
えっ? とルナはきょとんとした顔を浮かべた。
フレデリックはさわやかな笑顔を崩さずに続ける。
「あなた方の名前なんて覚えていても無駄というものでしょう? もしかして墓碑でも探してもらいたいのですか?」
「っ! あんた……!」
「悪いのですが、ここで時間を費やすのはいささか如何なものかと。私にも一応、仕事というものがありますので。早々に終わらせていただきますよ」
老人は虚空からサーベルと取り出すと、その切っ先をルナへと向けた。
「なるほど、偶然。私も時間ないの。あんたなんかのに手間取っている暇なんてないから、早めに終わらせてよね」
ルナもそれに応えるようにレイピアを構え直す。
月光に照らされた海辺で、静かに戦いは幕を上げた。