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翌朝、村の子供たちに罠の仕掛け方、彼ら自作の弓の改良と使い方をエミーナは教えていた。村の女の子たちにアレックスを預け、村の近くの山にも足を伸ばし、今後彼らが生きていく上で必要と思われる事を時間の許す限り伝えていた。
一晩だけと考えていたエミーナであったが、村の子供たちの事を考えると少しでも役に立ちたいという思いから、すべてが終わった頃にはもう太陽が沈む頃であった。
「すまんな。もう一晩世話になる。感謝するぞ」
村で一番大きな家の中に座り、エミーナは頭を下げた。
「いえ、感謝するのはこちらです。エミーナさんのお陰で、これから生活する上での多くの知識を学ばせてもらったのですから」
にこやかな表情でファッツもエミーナに頭を下げた。
「いや、受けた恩を返しているだけだ。私にとってはまだ返し足らないくらいだ」
今日一日、エミーナはファッツと行動を共にしていた。昨晩の気弱で苦渋に満ちた様子は一度も見せる事なく、皆を纏め、的確な指示やフォローをする立派なリーダーであった。そんなファッツは村の子供たちからの信頼も厚くまだ十五にもなっていない子供とは思えない程であった。自らもエミーナの教えを積極的に受け入れ、その理解や飲み込みも早く逆に彼女を驚かせた。
「恩だなんて……。たいしたもてなしも出来ないのに、気にしないでください」
「んあっ、んあっ」
少し照れたような顔をするファッツの傍にアレックスがやってきた。
「ア、アレックス、お前……」
エミーナは見開いた目でアレックスを見る。
「自分でここまで来れたのか」
先ほどまでアレックスは少し離れた場所で遅めの昼寝をしていた。どうやらエミーナが山に出掛けている間、村の子供たちに遊んでもらっていた為に遅めの昼寝をしていた。
「ハイハイが出来るようになったんですね」
傍にきたアレックスの頭をファッツは優しく撫でた。
「そうみたいだな……」
昨日までのアレックスは座る事は出来ても一人で移動する術は持っていなかった。しかし、今目覚めたアレックスは匍匐前進をするようにずりばいでファッツの元までやってきたのだ。
「アレックス君も日々成長しているのですね」
「そうだな……」
目を細めて感慨深げにエミーナはアレックスを見つめる。
「夕食の準備ができたよ」
アレックスの成長をしみじみと感じていたエミーナの元に夕食の知らせがきた。ちなみに今日も夕食の準備を手伝うつもりであった彼女だったが、その申し出は丁重に断られていた。
「今日は皆が山で獲ってきてくれた鳥料理だよ」
アリアがが持つ皿からは香ばしい香りが漂っている。その香りに引き寄せられるかのように子供たちが集まってきた。
「皆集まったな。今日はエミーナさんのお陰で豪華な食卓になりました」
子供たちはファッツの言葉よりも目の前に並ぶ鳥肉料理に釘付けである。
「それでは、いただきます」
「いただきますっ」
食事の時間が始まると子供たちはまさに一心不乱に鳥肉にむしゃぶりついていた。今までの食事を考えるとごちそうなのだろう。実際、子供たちは痩せ細っている子ばかりであった。これからは小さな畑や山の木の実などだけではなく、食料も豊富になっていくだろうと、エミーナは腕に抱いたアレックスにミルクをやりながら子供たちを見ていた。
目の端にファッツが入った。ふと、昨晩の事を思い出す。今のファッツは昼間と変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。夜空を眺めながら弱音をこぼしていたのが嘘のようである。
昨日の夜、エミーナはファッツに何と言えばよかったのかわからなかった。それは今でも同じである。
楽し気な食事の中、複雑な思いをエミーナは抱えていた。
夜遅く。村は静寂に包まれていた。
エミーナはいまだ一睡もしていない。もちろん、ファッツの事が気になるという事もあったが、それ以上にアレックスが寝ようとしなかったのだ。初めて自分で自由に動けるのが楽しいのか、部屋中を動き回っていた。
幾分の手直しが入っているとはいえ、まだまだ廃屋と呼ばれるような家である。下手に動いて怪我をしないかアレックスを捕まえては、寝床に戻すエミーナであったが、アレックスはそれ自体も楽しかったようで、何度も同じ事を繰り返した。
「ふう、やっと寝たか……」
つい先ほど、やっと遊び疲れたのか、アレックスは静かな寝息を立て始めた。
「この先も大変そうだな……」
王宮でのアレックスの世話の特訓では、あくまでその当時の彼にあったものしかしていない。しかし、アレックスは日々成長している。ある程度は先を見越した世話の仕方を教えられてはいたが聞くと実際にやるとでは大違いである。
赤ん坊の成長とは早いものだな――元々少ない子育てへの自信がさらに減っていくのをエミーナは感じていた。
アレックスの寝顔を眺めていたエミーナの耳に外を歩く足跡が聞こえてきた。おそらくファッツであろう。
遠ざかっていく足音を聞きながら、エミーナは迷う。ファッツが悩み、重圧に苛まれているのはわかる。なんとか、その心を少しでも楽にしてやりたいとは思う。しかし、エミーナにそれを解決してやれる術はない。ならば、そっとしておいた方がいいのではないかとの思いもある。
「んまあ、んまあ」
アレックスの声が部屋の響いた。寝言のようである。何か夢でも見ているのだろうか、手をばたつかせる。その手がエミーナの手に重なった。アレックスはばたつきを止めるとそのままぎゅっとエミーナの指を握りしめた。そんなアレックスの顔をエミーナは覗き込んだ。
「なあ、ファッツの所に行くべきか……?」
答えるはずがないとは分かりつつも、ふいに口に迷いを出した。
まるでその言葉に反応するかのようにアレックスの手がエミーナの指から離れた。
「行け、という事……か?」
偶然とは思いつつも、やはり放っておくのも気になるエミーナはもう一度、アレックスの立てる穏やかな寝息を確認すると家から出て、ファッツがいると思しき昨日の夜に星空を見上げた場所へと向かった。
やはり昨晩と同じようにファッツは一人夜空を見上げていた。エミーナはゆっくりと彼の傍へと歩いていった。
「今夜も星を見に来たのですか?」
ファッツが夜空を見上げたまま声を掛けてきた。
「ああ。癒されにな……」
エミーナもファッツの隣に立ち、満天の星空を見上げた。
「そうですか……」
二人は無言のまま、夜空を見ていた。
何か言うべきだと思うエミーナであったが、自然と目の前に広がる星空に吸い込まれていく感覚に支配されていった。
しばらくの沈黙の中、やはり癒されていくのをエミーナは感じていた。
「そうか。同じか。私も不安を抱えていたのだな……」
エミーナは独り言を言うように呟いた。
「不安? エミーナさんが?」
ファッツが不思議そうにエミーナの方を見上げた。その顔は昼間に見せる表情とは違い、どこか幼さを感じさせるものであった。
「ああ。そうだ。ファッツ、君と一緒だ。私も不安や自信の無さを知らず知らずのうちに抱えていたみたいだ。私は目的があってアレックスと共に旅をしている。だが、目的を成し遂げられるのか、アレックスを守り切れるのか心の奥底で不安に思っていたのだろうな」
「でも、エミーナさんは強いです。それに、知識も豊富です。不安になる事など……」
「いや、私は普通の人間だ。多少、腕には自信があるが、アレックスを世話するには役に立たん。知識だって、君らより長く生きている分多いのは当たり前だ」
「だったら、何故旅をするのですか?」
「何故?」
エミーナは考えこむ。アレックスを連れてのこの旅は言うまでもなく、任務である。騎士としての誇りや責任から投げ出す事など頭の片隅にも無い。しかし、国境を越えてからというもの、幾度にもわたる魔物の襲撃や続く野宿は辛いものであった。そして、旅はまだ先が長い。今まで以上の辛酸が待ち受けている可能性がある。任務だからという理由、騎士の矜持だけでエミーナは耐えられるのだろうかという思いが起きてきた。
「今、旅をする事がどんなに危険なの事かは、僕でも想像できます。しかも赤ん坊を連れての旅です。何か目的があるのでしょうけど、辛いとは思わないのですか?」
「確かに、辛い事もあるな……」
エミーナはその目を閉じる。視界からは輝く星々が消え、暗闇が映る。大きく息を吸い込むとその暗闇にぼんやりとアレックスの顔が浮かんだ。
「……だが、アレックスがいる。アレックスがいるから耐えられる。そんな気がするな」
目を開けて、エミーナは真っすぐファッツの顔を見る。
「それに、アレックスには結構助けられている。迷った時に結果的に決断させてくれたり、きっかけをくれたりしている。確かにアレックスはまだ赤ん坊だ。一人で立つ事も話す事もない。だが、今改めて考えてみると、そんな気もするな」
以前国境の町での絡まれている夫婦を助けた時、この村に世話になり、打ち解ける事が出来た事、そして、今ファッツと話している事。エミーナは思い返してみれば、すべてアレックスがきっかけであった。
「だから私はこれからも不安や辛い事も耐えられると思っている」
根拠はない。しかし、エミーナは本心からそう思っていた。
「……僕は耐えられるでしょうか?」
「それは、私にはわからん」
言い切るエミーナの言葉に、ファッツはぐっと唇を噛みしめる。
「でも、私にアレックスがいるように、君にも頼れる仲間がいるではないか」
何故当たり前の事がわからないと言わんばかりの表情になるエミーナ。
ファッツはエミーナの言葉に目を見開き、黙り込んだ。
「……ふふ。そうですね。僕にも仲間がいるんですね」
顔から不安げな様子がすっと消えたファッツは小さな笑い声を立て始めた。
そこで、エミーナはここに来た理由を思い出す。彼女はファッツの悩みを聞きにきたのだ。そして出来る事ならその重圧を少しでも減らしてやりたっかたのだ。それなのに、いきなり自分の不安をぶちまけてしまったのだ。
「ん、ああ。ところで、ファッツ。その、だな、君は何か悩んでいるのではないか? 私で良ければ、相談に乗るぞ」
気を取り直し、エミーナはファッツに尋ねた。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
少し意外そうな顔をした後、にっこりと微笑んでファッツは頭を下げた。
「え? あの、私はあまりうまく言えない方だが、それでも頑張って何とかしたいと思っている」
「いえ、本当に大丈夫ですよ。もう大丈夫です。エミーナさんのお陰です」
そう答えるファッツの顔からは晴れ晴れとした気持ちがエミーナに伝わってくる。
「そ、そうか?」
何がきっかけでファッツがそう思ったのかわからないエミーナは困惑の表情を浮かべながら聞き返した。
「はい。僕はこの村のリーダーです。ですが、リーダーだからといって、全てを背負い込む必要は無かったんですね。もちろん、リーダーとして皆を纏めるのは当然ですが、これからはもう少し他の仲間にも頼っていきます」
「あ、ああ。頑張ってくれ……」
理由は謎のままだったが、とにかくファッツの何かふっきれたような様子にエミーナは声援を送った。
「はい。それより、エミーナさんは明日また旅に出るのでしょう? だったらもう寝た方がいいですよ」
「ああ、そうだな」
ファッツの悩みが解決したようで、エミーナは今晩はぐっすり眠れる、と頷いた。
「世話になったな」
見送りに来てくれた村の子供たちにエミーナは頭を下げた。
「いえ、僕たちもいろいろ教えてもらってありがとうございました」
ファッツら子供たちもエミーナに頭を下げる。
「ちょっとづつでいいから、料理覚えてね」
アリアは心配そうな顔である。
「ああ、努力する」
それにエミーナは苦笑いで返す。
他の子供たちとも、一通りの別れの挨拶を終えると、抱いていたアレックスを胸元の袋にそっと入れた。
「では、出立する。皆、元気でな」
「はい、エミーナさんの旅の無事を祈っています」
ファッツは普段通りのきりっとした表情である。しかし、その目にはどこか穏やかなものをエミーナは感じていた。
「ありがとう。本当に世話になった。さらばだ」
歩き始めたエミーナの背中にファッツが声を掛ける。
「あのっ、エミーナさんっ!」
振り返ったエミーナにファッツは言葉を続ける。
「もし、また、この辺りにくる事があったら、またこの村に寄ってください。その時にはこの村が立派な村になっているようにしますから」
「ああ。是非寄らせてもらおう。楽しみにしている」
エミーナは力強く頷いた。
「はい。約束ですよ」
ファッツも大きく頷いた。
「あ、そうだ」
エミーナはファッツの所まで戻ると、耳元で小さな声で囁いた。
「リーダーの心得の一つだ。たまには、辛い事を下にやらせるのも優秀なリーダーだぞ」
にやりと笑うエミーナの脳裏には騎士団の団長の顔が浮かんでいた。