19
「魔帝軍だとっ!?」
レイラは驚愕の表情を浮かべている。
「お、お頭……」
パドの声は震えていた。他の配下の乗り組員らも、顔色を変えている。中には腰が抜けたのか、その場にへたり込む者もいた。
「お頭じゃあ、ねえ……」
返すレイラの言葉に普段のキレは無い。
「さて……」
シャズナックはレイラ達の反応を満足そうに眺めてから、話し始めた。
「前回とは違い、今回はその子を頂にきました。念のため伺いますがその子をこちらに渡してもらえませんかねぇ」
「前と変わらん。断る」
「おや、そんな事言える状況ではありませんよ。少し考える時間をあげましょうか?」
楽しそうな口ぶりで、厭らしい笑みを浮かべるシャズナックである。
エミーナは剣を持つ手に力を籠める。シャズナックの言うとおり、厳しい状況である。ざっと見たところ、魔帝残党は三十人はいる。前回たった二人に苦戦したエミーナである。
彼女の脳裏には最悪の結末が浮かぶ。アレックスを奪われ、魔帝が復活する。自らの命を失う覚悟はすでに出来ている。だが、世界を再び、混沌へと突き落とす魔帝の復活だけは避けなければならない。
ならば、死力を尽くして戦うまでだ――エミーナは眼光を鋭くする。
「レイラ殿、この場から逃げられよ」
無関係なレイラ達を巻き込むのは、エミーナには忍びなかった。
「な、何だとっ!」
固まっていたレイラがエミーナの言葉に反応した。
「奴らは魔帝軍の残党。貴女方を巻き込む訳にはいかん」
「……随分、見くびられたもんだ」
にやりとレイラは口元を歪める。
「断るね。カチコミされたんだ。何もしねえで尻尾巻いて逃げるなんざ、出来ねえ相談だ」
「レイラ殿?」
エミーナに戸惑いが現れる。
「おい、てめえら! あたしらに喧嘩吹っかけてきたヤツらを黙って見過ごせると思ってねえだろうな。こいつらが誰であれ、関係ねえ! 後悔させてやるぞっ!」
振り返ったレイラは大きく叫ぶように、部下に呼び掛けた。そんなレイラの言葉に力を貰うように、皆が目に力が戻ってくる。
「エミーナ! アンタはあたしの客だ。ここで、引き下がっちまったら、女の信義にもとる」
槍を一度高く上げると、槍頭を魔帝の残党へと向ける。
「……かたじけない。助太刀、感謝する」
複雑ではあったが、エミーナは素直にレイラの思いを受け取る。そして、改めて鋭くシャズナックを睨み付けた。
「時間をもらっても答えは一緒だ。断る」
「ほう。そうですか。それにしても、随分と勇ましいご友人が出来たのですねぇ」
愉快そうにシャズナックは手を叩く。
「おい、シャズナック。お前の悪い癖が出てるぞ。何も言わずに叩き潰せばいいものを、すぐに相手で遊ぶ」
黙ってエミーナとシャズナックのやり取りを見ていたヤボルテが低い声を出した。険しい表情でシャズナックを見下ろしている。
「これは、閣下。申し訳ございません」
仰々しくシャズナックはヤボルテに頭を下げた。
「ふん」
それに鼻を一つ鳴らして、ヤボルテはエミーナに目線をやる。
「女。魔帝陛下の復活の為に、その子を貰い受けるぞ」
手を上げ、配下の者に合図を出そうとしたヤボルテをシャズナックは止めた。
「閣下、お待ちを。この者たちの命は奪いません様に」
「……理由は?」
「はい。この者たちには、役目を与えましょう。魔帝陛下の復活を世に知らしめさせるのです」
下卑た顔つきで、シャズナックは楽しそうに話す。
「恐怖に震え、絶望を味わう役目を与えましょう」
シャズナックの言葉にエミーナはあからさまな嫌悪感を顔に浮かべた。
「昔にもどこかの町でそんな事をしたな。相変わらず趣味が悪い奴だ。……だが魔帝陛下の復活の証人にする考えは悪くない。いいだろう。お前たち、この者たちは死なぬ程度でいい」
険しい表情を崩す事なく、ヤボルテはその上げた手を振り下ろした。
一斉に魔帝軍の兵士たちが、襲い掛かってくる。
「来るぞっ! てめえらっ、気合入れろよっ!」
レイラが叫ぶ。
パドたちが返事を返す前に、金属がぶつかり合う音が響く。エミーナが向かってくる魔帝軍へと駆けだしていた。三人の魔帝軍兵士を相手に剣を振るっている。
鋭い剣撃を繰り出してくる魔帝軍の兵士の攻撃を巧みに躱しながら、エミーナも気合十分に斬りつける。
「はぁっ!」
モントレーから貰った剣はいかんなくその力を発揮している。頑強そうな鎧をも切り裂いていく。以前、魔帝軍の黒ずくめと戦った時よりも、優位に戦えている事をエミーナは感じられていた。
レイラたちも魔帝軍とそれぞれの得物を使い、激しい戦いを繰り広げていた。
「後悔しなっ!」
レイラの槍が魔帝軍兵士の腹を突き刺さる。そこへ切りかかってくる別の兵士にパドの鎌が振り下ろされる。
「おりゃあっ!」
鎌に切り落とされた腕が転がっていく。
エミーナの勢いとレイラの気合が効果を発し、魔帝軍相手に善戦をしていた。
そんな中、ヤボルテとシャズナックは一歩も動く事なく、状況を眺めている。
「ごろつきの集団かと思っていましたが、なかなかやるもんですねぇ」
焦った様子もなく、シャズナックがヤボルテに話しかけた。
「三分の一程がやられたようだな。魔帝陛下がお隠れになってから、我が軍も情けなくなったものだ」
答えるヤボルテも、表情に変わりは無い。
「では、その役に立たなかった三分の一の者のにはもう一度、働いてもらいましょう」
シャズナックの体から黒い霧が立ち込める。その黒い霧が倒れていた魔帝軍の兵士へと降り注ぐ。
それを見たエミーナはシャズナックを睨み付ける。
「外道がっ! またもや、死んだ者を愚弄するか!」
魔帝軍の一人を切り倒して、エミーナは叫んだ。
「愚弄ではありませんよ。前にも言いましたが再利用ですよ。さあ、お前たち、その愚か者たちを痛めつけてやりなさい」
醜悪な顔をして、シャズナックは命じた。
「な、何だ?」
倒したはずの兵士が再び立ち上がった事に、レイラたちに動揺の色が走る。加えて、その血を流し、傷ついたままの様子の恐怖すら感じている者もいた。
「その者たちは、死に人だ。いくら倒しても蘇る」
以前の嫌な戦いを思い出し、エミーナは嫌悪感を隠そうとせずに言いながら、以前と同じく、動きの遅くなった死せる兵士を蹴り飛ばした。
「は? 嘘だろ……、信じられん」
戸惑いながらも突き刺した槍に平然とする蘇った兵士にレイラは驚愕の表情を浮かべる。
動揺と恐れはレイラたちの動きを鈍くした。それまでは、互角以上の戦いをしていたが、いくら切り付けても倒れない死せる兵士に押され始める。生き残っている魔帝軍の兵士も死せる者を盾として襲い掛かってくる。
一度崩れかかったレイラたちは、次々と傷つき倒れていく。
「オメエらっ! 気合入れ直すでやすっ!」
パドの叫び声が空しく響く。そのパドも、一体の死せる兵士の足を鎌で切り落とそうとした時、背後から切り付けられた。
「パ、パド!」
レイラが、パドを切り付けた兵士を槍で叩き飛ばす。パドは命は大丈夫そうだがもう戦えそうにはない。苦し気に顔を歪めていた。
「く、くそっ!」
レイラの目に魔帝軍の兵士に囲まれて、孤軍奮闘しているエミーナが入った。目の前の兵士の腕を切り落とし、死せる兵士を蹴り飛ばしているエミーナの頭に向かって、剣が振り下ろされようとしている。
「エミーナ!」
レイラは叫ぶと同時に、持っていた槍をエミーナへと剣を振りかぶっていた兵士に向かって投げつけた。槍は見事、その兵士の頭を吹っ飛ばす。
だが、レイラは武器を失った。そんな彼女の前に死せる兵士がやってきた。片腕を失い、武器は持っていない。気付いたレイラが反応する前に、顔面を叩きつける様にして殴りつけられる。
「くわっ!」
レイラは吹っ飛ばされて、意識を失い、仰向けに倒れ込んだ。そこに、残った腕で剣を拾った死せる兵士がゆっくりと近づいていく。背を斬りつけられて倒れていたパドが這いながらレイラの側へと行き、庇う様に、レイラへと覆いかぶさる。
「レイラ殿っ! 副長殿!」
群がってくる魔帝軍の兵士を振り払い、エミーナはレイラの元へと駆けよっていく。死せる兵士の背後から、手足を瞬く間に切り落とす。頭と胴体だけになった、その死せる兵士を蹴り飛ばす。
エミーナは周囲を見回す。レイラやパドをはじめ、乗組員たちは、傷つき倒れていた。意識のある者は恐怖に染まった苦し気な表情であった。
いつの間にか残っているのは、エミーナのみとなっていた。
「くっ……」
絶望がエミーナを襲う。レイラたちを巻き込んでしまった事を後悔もしていた。思わず、膝を着いてしまう。
「さあ、もうそろそろ、いいでしょうかね」
ヤボルテとシャズナックがようやく、動いた。ゆっくりとエミーナへと近づいてくる。
「いや、いいですね。あなたのその表情」
シャズナックが嬉しそうにエミーナの顔を見る。
「んあぁ……」
袋の中からアレックスの声が聞こえる。
「アレックス……」
エミーナはアレックスの顔を覗き込む。その曇り無い瞳からは、エミーナへの全幅の信頼が伝わってきた。
目の前へと歩いてきているヤボルテとシャズナックを見て、エミーナは最後に、せめてもの意地とばかりに、ヤボルテに一太刀浴びせる決意を固める。機会は一瞬であろうが、もし彼を倒せたなら、状況は一変するに違いなかった。
しかし、それが失敗したら、すべてが終わりである。
エミーナに残された出来る事は一つしかない。それは、彼女自身の手でアレックスの命を絶つ事。
魔帝の復活だけは、何があっても阻止しなければならない。その復活に欠かせない存在であるアレックスを彼ら魔帝の残党の手に永遠に渡さない方法はそれしか残されていなかった。
エミーナにとっては、自らの命を失うより辛い選択である。
「アレックス……」
エミーナは、もう一度その名を口にする。
アレックスはまだ赤ん坊とはいえ、救世主である。魔帝の復活に利用されるなど不本意であるはずだ。そして、彼女自身もそう強く思う。
「私が一緒だ。……どこまでもな」
決意の籠った目でアレックスに微笑む。
「んあっ」
アレックスも笑顔を見せる。
「お別れの挨拶は済みましたか?」
エミーナの目の前までヤボルテとシャズナックが来た。二人は冷たい目でエミーナを見下ろす。
「エ、エミー、ナ……」
意識を取り戻したのかレイラの掠れた声がエミーナに届く。しかし、体はうまく動かない様だ。
「あなたのお友達はご立派でしたねぇ。後は、魔帝陛下のご復活を知らしめるのも立派に努めて欲しいものです」
シャズナックが、レイラを下げずんだ目で眺める。
今だ――。エミーナは勢いよく立ち上がると大きく飛び上がり、残された渾身の力を込めて、剣をヤボルテへと振り下ろした。
剣はヤボルテの首へと打ち付けられる。だが、その手応えはまるで、固い鋼鉄の塊を叩き付けた様であった。
エミーナの手に痺れが走り、剣と一緒に弾き飛ばされた。強く地面に体を打ち付けたエミーナは、飛びそうになる意識を必死で保つ。
体が自由を取り戻す間もなく、エミーナの剣を持つ腕をヤボルテに掴まれ、体ごと持ち上げられる。
「この体に傷を付けるとは大したものだ」
低く声を出す、ヤボルテの首筋から一筋の血が流れだしていた。しかし、切り傷程度のものである。致命傷どころか、ほとんどダメージが無いであろう事は一目瞭然であった。
「あなた、お忘れですか? 我ら上級の将校は魔帝陛下から特殊な能力を頂いているのですよ。閣下はその、強靭な肉体です」
馬鹿にした様な口ぶりをするシャズナックの声である。
「貴様には敬意を表して、我が自ら始末してやろう。一人くらい殺しても問題あるまい」
「ア、アレック、ス……、と、共に……」
エミーナは何とか腰の短剣へと手を動かす。しかし、やっとの思いで掴んだ短剣は簡単にヤボルテに払い落とされた。
もはや自分の命もアレックスの命も自分ではどうする事も出来ないエミーナ。
「最後まで諦めぬとは見事。だが、これで終わりだ」
傍に控えていた一人の兵士から、ヤボルテは剣を受け取る。
「ふ、ふ、ふんぎゃあああ!」
アレックスが突然、激しい泣き声を上げる。そのアレックスの体から青白い輝きが発せられる。
「な、何だ、これはっ!?」
顔を顰め、ヤボルテは叫ぶ。
「おんぎゃあああああっ!」
泣き叫ぶ声が一段と大きくなるにつれ、青白い光も強くなり、辺りを埋め尽くしていく。
「な、体がっ……!」
シャズナックは驚きの表情となり、自分の手を見る。その手は崩れ落ちていき、灰の様になり、零れ落ちていく。
「そ、そんな、馬鹿なっ」
驚きから恐怖へと抱く感情を変えて、シャズナックは姿を失っていく。
青白い光に包まれた魔帝軍の生き残っている兵士も死せる兵士も次々とその形を崩していく。
エミーナの腕を掴んでいたヤボルテの腕も灰と化していく。エミーナは地面に落とされる。尻もちを着いたまま、彼女は後ずさりした。
「ば、馬鹿な、な、何故」
崩れ落ちていく己の体を呆然と見つめるヤボルテの隣で、シャズナックは完全にその姿を消して、灰と化している。
「魔帝陛下の復活がっ、我らの理想がっ!」
そう最後に叫んだヤボルテも完全に崩れ去り、大きな灰の山へとなる。周囲にはあれだけいた魔帝軍の兵士は皆、灰となっていた。
吹き込んできた潮風に灰が飛ばされ、散り散りになる。
青白い光とアレックスの泣き声が止み、周囲に沈黙が訪れる。
「ア、アレックス!」
エミーナがアレックスを抱きしめる。
「んあう」
無邪気な声でアレックスが身をよじる。そんなアレックスの様子に構う事なく、エミーナは抱きしめ続けた。




