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聖母の騎士  作者: 和音
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「お呼びですか?」


 扉を開け、颯爽と入ってきた騎士。騎士の中では珍しく女性である。長い髪を後ろで一つに纏め、凛とした顔からは意思の強さが窺える。名はエミーナ・ラインバード。騎士の中でも三人しかいない女性騎士の中の一人である。


「おお、エミーナか。待っていたぞ」


 大げさに両手を広げ、彼女を歓迎する男。王国騎士団の団長である。つまりはエミーナの上司であった。


「団長自らの急な呼び出しとは一体なんでしょうか? 見合いの件でしたら、一昨日もお断りしたはずです」


 エミーナは黙っていれば美人と呼ばれる部類に入る。しかし、貴族の娘でありながら、周囲の反対を押し切り騎士の道へと進み、生真面目過ぎる融通の利かない性格から、浮いた話は一つもない。彼女の父親はそれを心配し、かつての部下でもある騎士団の団長に相談していた。その結果が団長からの見合い話であった。魔帝との戦いが収束し、落ち着いた世間は今、結婚ラッシュとなっていた事が尚更、彼女の父を焦らしていた。


「いやいや、違う。今日は仕事の話だ」


 苦笑いを浮かべ騎士団を束ねるヒューイットが首を振った。


「ここだけの話だがな」


 ヒューイットにとってエミーナの父はかつての上司であり、その娘である彼女の事も幼少の頃からよく知っている。普段は厳格なヒューイットだが、エミーナと二人だけということもあり、くだけた話し方である。


「エミーナ、お前には特別な任務について欲しい」


「特別な任務、ですか」


 自然とエミーナは緊張の面持ちとなる。十五で騎士見習いから始め、十八の時に正式に騎士となり一年。このように団長直々に任務を言い渡されるなど初めての事である。しかも、特別な任務とまで言われたのだ。緊張するな、と言われる方が無理である。


「ああ。しかも極秘のな」


 益々、エミーナの緊張の度合いは増してくる。だが、彼女の表情は部屋に入ってきた時とほとんど変わっていない。


「お前は、救世主……様の話は知っているな」


「はい。遥か昔に、女神様の加護を受けて異世界より召喚され、世界の危機を救ったという伝説の救世主様の事ですか?」


 エミーナは子供の頃に本で読んだ物語を思い出しながら、頷いた。


「そうだ。その救世主様だ。お前の任務はその救世主様を護衛し、とある場所までお連れする事だ」


「は?」


 普段、動きも口ぶりも毅然としているエミーナにしては、素っ頓狂な声を出した。


「そして、救世主様を異世界へとお返しするのだ」


「あ、あの、それは……」


 更に珍しく、めったに表情を崩さないエミーナが驚きの表情が溢れていた。言葉もうまく出てこない。


「まあ、驚くのも無理はない。俺だって、最初は驚いたさ。もっとも、召喚を計画した陛下や大臣ですら、最初は半信半疑だったらしいからな」


「それは、本当ですかっ!?」


 ヒューイットの執務机の上に両手を乗せ、大声を出すエミーナ。


「すぐには信じられんかもしれんが事実だ」


 普段見せる事のない程のエミーナの大声を張り上げる姿に、少し驚きながらもヒューイットは頷く。


「いえ、私が救世主様の護衛を任されるという話は本当ですか?」


「え? ああ、お前に任せようと話は纏まっている」


「あ、ありがとうございます! 是非、お任せください!」


 腰を曲げ、エミーナは頭を下げた。


「え? え? お、おう……」


 ヒューイットはエミーナの反応が予想外であったらしく、逆に困惑の表情を浮かべる。


「救世主様とお会いできるなど光栄です!」


 エミーナは一年分の感情表現を今日一日で使ってしまう程の勢いで驚きの表情から喜びの表情へと変わっていった。

 彼女が幼い頃読んだお伽噺のような物語。異世界から召喚された救世主が悪鬼の蔓延る世界を救う物語。幼かった彼女はその物語に夢中になった。その救世主に付き従う一人の騎士。エミーナはその物語に憧れるあまり、騎士を目指したのだ。そんな彼女が、救世主を護衛の任を与えられるのだ。いくら、感情を見せる事の少ない彼女とはいえ、喜びを露わにし、高揚感にひたるも無理はなかった。


「では、魔帝を倒したのは、救世主様だったのですね。何故、魔帝が急に死んだのか不思議に思っていましたが、今、納得しました」


 魔帝軍に押され、エミーナ自身も死を覚悟し、戦場へと出る寸前であった。それが、魔帝の死と彼の率いる軍の敗走により、騎士団の派兵も突然中止となった経緯があった。


「いや、それだがな……」


 ところが、ヒューイットは苦虫を噛み潰したような顔となる。


「魔帝を倒したのは、救世主様じゃないんだ。魔帝は勝手に死んだそうだ」


「勝手に死んだ? それは、一体……?」


 あくまで、聞いた話だが、と前置きをしてから、ヒューイットは話し始めた。


「確かに、召喚の術は成功し、事実、救世主様が異世界より召喚された。だがな、同じ頃に、魔帝も突然、全身が灰となり、崩れ落ちたそうだ。魔帝の死と召喚が関係が在ったかどうかはわからん。偶然かもしれんし、何故突然魔帝がそのようになったかもわからん。一つ言えるのは、救世主様は召喚されてから、常に誰かが傍にいたらしい。だから、救世主様が直接何かした可能性はまったく無い。まあ、俺には元々からして、わからん事だらけだけどな」


 最近薄くなりつつある頭髪をヒューイットはかき上げた。


「……」


 救世主の活躍を期待していた、エミーナにしては、複雑な思いを抱く話であった。


「ま、救世主様の召喚に成功した。そして、魔帝は死んだ。それらは事実だ」


「それで、私の任務である救世主様の警護と、どこかに送り届けるという任務とはどういう事でしょうか?」


 エミーナは気を取り直す。結果、何もしなかったとはいえ、救世主は救世主である。彼女にしたらそれだけでも十分であった。


「どこまで本当かは別にして、伝説では、救世主様は世界を救った後に異世界へと戻られた、とある」


 確かに、エミーナの読んだ物語でも最後は救世主は女神によって、異世界へと送り返されていた。


「なるほど。女神様の元まで行かれる救世主様をお守りするわけですね」


「その通りだ。ただな、いくつか問題があってな」


「問題とは?」


「いやな、どうやら上の連中は他国に黙って召喚をしたらしい。もっとも、あの当時にそんな話を信じる酔狂な国があったかどうかはわからんがな。ま、結論だけ言うと今回の召喚は秘密にしたい。もっと言うと、無かった事にしたいそうだ」


 これは政治的な問題だ、と付け加えたヒューイットは大きくため息を吐いた。彼にしたら、面倒な事に巻き込まれたという思いなのだろう。


「それでな、すまんが、お前一人で救世主様を守り、女神の住む島と言われるセレン島まで行って欲しいのだ」


 セレン島とは、エミーナたちの王国のある大陸の南にある島である。島は無人であり、女神の住まう島と昔から言われている。

 島まで、エミーナ一人で救世主様を警護して連れていく。それはエミーナにも理解できた。しかし疑問も沸き上がる。


「あの、一つよろしいですか?」


「何だ?」


「いえ、人選の理由を伺いたいです」


 エミーナが不思議に思うのは当然である。秘密裡に事を進めるのに、多くの人員で警護するわけにはいかない。セレン島まで行くには、他国を通る必要がある。その為、尚更である。だからこそ一人だけを随行で付けるという選択は理解出来る。しかし、何故、エミーナが選ばれたか、がわからなかった。エミーナは剣にも優れ優秀な騎士であったが、彼女より優れた騎士がいないという訳ではない。彼女より経験が豊富な騎士も数多くいる。それなのに、何故自分が選ばれたのか疑問を抱くのも当然であった。


「お前が選ばれた理由か……。まあ、そう思うよな……」


 ヒューイットはさっと目をそらした。


「何か特別な事情があるのですね」


「まあな。それについては救世主……様に会えば分かる。どうだ、今から会ってみるか?」


「救世主様に!? は、はい! お会いしたいです!」


 何か特別な事情があるにしても、エミーナはこの任務を断るつもりはなかった。彼女にしたら、憧れていた物語の世界が、手の届く所にあるのである。もっとも、世界の危機を救う手伝いではないが、それでも、救世主と行動を共に出来るという事は何物にも代え難い事だった。


「そうか。じゃあ、早速行くか」


「はい!」


 王宮内にいるという救世主に会いに行く事が急に決まった。突然の話でありながらもエミーナは期待に胸を膨らませていた。




 自然とエミーナの期待に膨らませていた胸の鼓動が高まってくる。騎士への昇格試験の時ですら、感じなかった緊張感に包まれていた。当初の期待感はあるものの、いざ救世主の部屋の前まで来ると、緊張の方が勝ってしまっている。

 ヒューイットに連れられて、王宮内の一画にある建物にやってきた。流石に王宮だけあって、貴族育ちのエミーナから見ても、建物も装飾もすべてが豪華であった。しかし、今のエミーナにはそんな物も目に入らないくらい緊張していた。扉一つ隔てた向こう側に救世主がいるのだ。


「いいか?」


 普段エミーナが見せる事が無い程顔を強張らせているのを見て、ヒューイットは苦笑いしながら声を掛けた。


「は、はい」


 返す返事もどこかぎこちなく声が上ずっていた。


「そんなに固くなる事ないぞ。……まあ、仕方ないか。ここで突っ立っててもしょうがないから、もう入るぞ」


 ヒューイットはエミーナの緊張がほぐれる事はないと判断したのか、扉を軽くノックして部屋への扉を開けた。

 やはり、豪華に造られ、装飾品も高級なものばかりのその部屋には三人の侍女がいた。三人は騎士団の団長であるヒューイットに頭を下げる。その中の一人の腕には赤ん坊が抱かれている。

 エミーナは不躾ではあると思いながらも部屋の中をきょろきょろと見回す。


「あの、団長。救世主様はどちらに?」


 彼女の目には、三人の侍女と赤ん坊が一人しか見えない。


「……救世主様なら、目の前におられる」


 疲れた様子でヒューイットは答える。

 侍女の一人がエミーナの前に進み出てきた。赤ん坊を抱いた侍女である。


「あの……、こちらにおられるのが、その……救世主様です……」


 申し訳なさそうな顔をした侍女が、自らの腕に抱く赤ん坊をエミーナの方に差し出すように見せてきた。


「……団長……」


「何だ?」


「よくわかりません」


 無表情なエミーナは声も低くなっていた。


「何がだ?」


 釣られるように、ヒューイットの声も低くなる。


「説明をお願いできますか」


「だから、その赤ん坊が救世主様だ。それ以上は聞かないでくれ……」


 普段は鬼とも呼ばれる程の厳しさも持つヒューイットが弱弱しく項垂れていた。


「あの……、抱かれてみますか?」


 救世主の赤ん坊を抱っこしている侍女がエミーナに尋ねてきた。


「え? 私が?」


 一瞬、戸惑ったものの、断るのを良しとしない雰囲気を感じたエミーナは恐る恐るそのまだ小さな赤ん坊を受け取った。部屋に入る直前とは別の意味で体が硬くなる。

 赤ん坊はこの国では珍しい黒い髪を持っている。エミーナもそうだが、多くは金髪である。それに、顔の凹凸が小さくのっぺりとしている。確かに珍しい風貌ではある。

 この子が救世主? という言葉がくるくるとエミーナの頭の中を駆け回る。


「んあっ」


 すやすやと眠っていた赤ん坊がエミーナの腕の中で身をよじるように動いた。


「子供が出来た親戚の所へお祝いにきた様な気分です……」


 思わず出たエミーナの本音に答える者はいない。


「あの……、団長。私がこの子……、いや、この救世主様をセレン島までお連れする、と?」


「ああ、そうだ」


 決してエミーナに目を合わせようとせずに頷くヒューイット。


「私一人で?」


「ああ。一人で」


「私は子育ての経験はありませんが」


「知っている」


「赤ん坊の知識もありません」


「だろうな」


「ちなみにこの救世主様は何が出来ますか?」


「泣く、寝る、ミルクを飲む……かな」


「……そうですか」


「あ、二日程前から寝返りも出来るようになったそうだ」


「……」


 エミーナとヒューイットの淡々と進む会話が途切れると部屋には静寂が訪れた。

 その時、ブリュブリュという何とも言えない音と共にエミーナの腕に赤ん坊の纏う布ごしに生暖かい感触が伝わってきた。


「まあ、救世主様」


 侍女が慌てて飛んできた。


「……」


 どうやら、エミーナの腕の中でうんちを出したようであった。


「申し訳ございません。今、おしめを取り替えますので」


 エミーナの腕から侍女は赤ん坊を取り上げた。

 しかし、エミーナは微動だに出来ず、その場に固まったままであった。 


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