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聖母の騎士  作者: 和音
19/25

17

 ナレントは大陸の最南端に位置し、平原が広がる国である。国土は然程広くはないが、いくつかの大きな港を抱え貿易が盛んな商業の発達した国であった。エミーナのいる大陸では唯一の共和制の国でもある。だが、昔から国の権限は強く、政府は緊急時には、下手な国王よりも、強い力を持っていた。もちろん、そうする事で王国ばかりのこの大陸では異質とも言える存在を守ってきたという側面もある。


「潮の香りがするな」


 エミーナはナレント最大の港町であるハルニアへと辿り着いていた。サンドラの家を出てから三日目であった。

 魔帝との戦争でナレントも攻撃を受けたが、残った港町の一つがこのハルニアだった。町の郊外で激しい戦いがあった様で今でもその傷跡は色濃く残っていた。幸いにも町へ侵入される前に魔帝が死んだ為、港は無事であった。

 他の多くの港町が破壊されたせいで、残ったハルニアなどの港町には多くの船と仕事を求めて、人が詰め寄せている状況である。その為、町には人が溢れ、活気に満ちていた。


「宿で落ち着いたら、海を見せてやろう」


 町を包む潮の香りを大きく吸い込みながら、アレックスに話しかけた。

 近くの宿に部屋を取り、早速町へと出かける。少し歩くと、船の並ぶ港の桟橋までやってきた。


「ほら、海だぞ。アレックス、お前は海を見るのは初めてか?」


「うあうん」


 海の波が打ち寄せる音にアレックスは、はしゃいでいる。

 楽しそうにしているアレックスにエミーナの頬が緩む。


「船があんなにも沢山あるぞ」


 小さい船から大きい船まで、所狭しと並んでいた。

 その並ぶ船を見ながらエミーナは考えていた。彼女にはこの町でしなければならない事がある。それは、船の確保である。

 女神がいると言われているセレン島はさらに南の海にある。そこまでは当然、船での移動となる。しかし、セレン島に渡る航路はない。むしろ、近づく者は一人もいない。

 これは、女神の住まう聖なる島だからという理由だけではない。大きな理由の一つ目は潮の流れである。島の周囲の流れは速く、船が流されてしまう。二つ目の理由としては風である。島から島の外へと強い風が常に吹いているので、櫓をこぐ僅かな人力と風の力を利用する帆船では進めないのである。

 かつて、謎に満ちたセレン島を目指して、多くの人が挑戦し、諦めてきた。中には船に魔道具で強力な推進力を得て、島へと向かった者もいた。しかし、突然の激しい雷雨に見舞われて、無残な結果となって終わっている。これを、女神の怒りに触れたと言う者もいた。

 そんな事もあり、今では近づく者はおろか、行こうと考える者もいなかった。

 それでも、エミーナにはセレン島に行かなければならない。


「どうしたものか……」


 アルゴンを出立する前からこの船の確保が問題となっていた。アルゴンの軍船を出す訳にもいかず、かといって、他に当たれる船も無かった。最終的には、決まらないままであった。現地に行けば、何とかなるかもしれないという希望的観測のみで話は終わっていた。


「無責任にも程があるな……」


 エミーナは顔を険しくして、ヒューイットを思い出す。

 悩んでいても仕方が無い、とエミーナは近くにいた船の持ち主と思しき男に声を掛けた。男は周りの見た目で力がありそうだと分かる者たちに荷を積み込む指示を出しながら何やら手に持った紙に書き込んでいた。


「忙しそうな所すまないのだが……」


「ん? 何だい?」


 じろりとエミーナを男は見る。


「ちょっと頼みたい事があるのだが。いいだろうか?」


「あー、何か荷があるのかい? この船は西方大陸に行くが。行先はどこだ?」


 男は慣れた様子で尋ねてきた。どうやら、ついでに荷物を運ぶ様に頼まれる事がままあるようだ。


「いや、荷を頼みたいのではない。私を乗せて欲しいのだ」


「船乗りになりたいのか? だったら、止めときな。これは男の仕事だ」


 男は再び、視線を手元の紙に移す。


「違う。客としてだ」


 エミーナは慌てて首を振り、否定した。


「それも、うちの船では無理だな。この船は荷物専用だからな。客を乗せる様な場所はないからな」


 男は再び、手元の紙へと視線を戻した。


「そうか……」


 最初からうまくいく訳無いと思っていたものの、この先が思いやられそうだなとばかりに、エミーナは声が低くなってしまう。


「どっか、行きたい所があるなら、人も乗せている船があるからよ。そっちに聞いた方がいいと思うぜ」


 親切からか、エミーナに早い所どっかに行ってほしいのか、男はそう告げた。


「そうか、分かった。邪魔したな」


 素直に引き下がり、エミーナは人を乗せてくれる船を探す。

 しばらくすると、桟橋の前で人だかりがあるのを見つける。近づくと、船へ人が乗り込んでいる途中であった。他にも船が止まっていて、それぞれの船に乗り込んでいく多くの人が見えた。


「ここか」


 どうやら、この辺りの船が人を乗せてくれる船であるようである。

 エミーナが周りを見回すと、乗船券の売り場を見つけた。小さなテントを張り、机が並んでいる。今はもう乗り込みの時間なのか、売り場の方は、係の者以外の姿は見えなかった。

 セレン島行の船があるとは思えなかったが、とりあえず、そこにエミーナは向かった。


「すまん」


 乗船券を売っているカウンターに声を掛ける。


「へい。どちらに行かれるつもりですかい?」


 恰幅のいい、日に良く焼けた男である。


「その……、セレン島にな」


 何となく、言いにくいエミーナである。


「は?」


「だから、セレン島に行きたいのだが、どうすればいいかと思ってな」


 エミーナは少し早口に、一息で告げた。


「あの……セレン島に、ですかい?」


 訝し気な目で確認する様に男が聞いてくる。


「ああ、そうだ」


 エミーナの返事に男は大きくため息を吐いた。


「いやね、たまにいるんだよ。あんたみたいな他所から来たヤツがさ。年に一人いるかいないかくらいだけどな。あそこは物見遊山がてらに行く様な所じゃねえ。何を勘違いしてるのか分からねえが止めときな。ま、いくら行きたいと思っても、あそこまで行く船なんてありゃあしねえけどよ」


 むっすりと不機嫌そうに男は言った。


「そうか」


 エミーナが予想をしていた結果通りである。然程、落胆はない。


「あんたさあ、その子の母親だろ。下らん事考えてねえで、しっかりしなよ」


 胸に抱かれたアレックスを見て、説教までされる。


「今のご時世確かに何かにすがりたくたくなるのは分かるよ。女神様に会って救って欲しいって考えても仕方ねえ時代だ。でもよ、現実を見て、しっかりしなきゃなんねえよ」


 きっとこの人は悪い人ではないんだろうと、エミーナは黙って説教を受け入れていた。




 説教から解放されて、エミーナは宿へと戻ってきていた。

 どうしたものかと思い悩む。


「まあ、まだ着いたばかりだからな」


 エミーナは前向きに考えようと自分を励ます様に声を出した。

 海を見て、はしゃいでいたアレックスは疲れたのか宿に着くと、すぐに眠ってしまった。今のうちに食事を摂ろうと、エミーナは宿の食堂へと行った。

 まだ時間が少し早いせいか、客はいない。


「もう食事は出来るだろうか?」


 厨房に向かって声を掛ける。


「えらく早いな。まあ、出来るけどさ」


 人の良さそうな宿屋の主人が出てきた。少し待つように言われ、エミーナは、席で待つ。


「お待たせ」


 エミーナの前に盆に乗った料理が出された。海沿いという事もあり、メインは魚料理である。

 香草の香りが食欲を誘ってくる。

 食欲に誘われるまま、完食した。


「馳走になった」


 久々の魚料理に満足したエミーナは主人に声を掛けた。


「ありがとよ」


 主人が笑顔で答えた。


「そうだ、主人。ちょっと聞きたい事があるのだが……」

 

 席から立ち上がりながら、エミーナは食卓の上を片付ける主人に声を掛けた。

 

「何だい?」


「いやな、船で行きたい所があるのだが、航路が無くてな。そういう場合はどうすればいいのかと思ってな」


 宿にはいろいろな客が来る。中にはそういう客もいたかもしれないと思って、尋ねてみた。


「ああ、そうか。最近はだいぶ航路が復活してきたけど、まだまだ復活してない航路も多いからな」


 エミーナの質問の意味を事実とは少し違う感じで主人が捉えている様だったが、彼女は敢えて、何も言わずに頷いた。


「まあ、金は掛かるが、船を貸切るかだな」


「船を一隻丸ごとか? どこで借りれるのだ?」


「お客さん、借りる気かい? 行く場所にもよるけど、安い金額じゃないぞ」


 主人は笑い声を立てた。


「そんなにするのか?」


 エミーナは頭の中で資金の残りを思い出しながら、聞き返した。


「商船組合に行けばいい」


 まだ客が来るまでの暇つぶしか、主人は詳しく教えてくれた。

 船は組合に正規の登録をする。でなければ商船として利用できない。そして、登録している船主は商船組合にいるらしい。定期航路に就いている船や決まった商店の荷物を運ぶ事を専門とする船主もいるが、その都度個別に仕事を受ける船主がいる事を教えてくれる。


「そんな船主に直接交渉する訳だよ」


「なるほど。だが、高いのだろうな……」


 相場は分からないが、決して安くはない事は分かる。


「まあ、安い船もあるは、あるが……」


 そこまで言ってから、主人は言い淀んだ。 


「あるのか?」


 あまり話す事に乗り気ではなさそうな主人にエミーナは頼み込むと、渋々と行った感じで話し始めた。


「商船組合が表としたら、裏があるんだ」


「裏?」


「ああ、組合に登録してない船がな。要は非合法の闇業者的なもんだよ。荒っぽいで済めばいいが、下手したら命と荷を奪われても仕方ねえ。海賊上がりか、現役の海賊だ。頼む方もまともな奴じゃ頼めないよ」


「で、それはどこで頼める?」


「港にあるコルコていう酒場でって噂を聞いた事はあるが、本当かどうかは分からんなぁ」


 ここまで、話した主人ははっとした顔つきになる。


「お客さん、ここまで教えといて何だが、やめときなよ。いくら安くても命を失ったら意味がない」


「ああ、分かっている。組合で頼む」


 心配する主人を置いて、エミーナは部屋へと戻った。主人の心配を他所にエミーナは例え、裏の船商売でも酒場に行く可能性も考えていた。




 翌日の朝からエミーナは商船組合へと出かけた。

 数人の船主と話す事が出来た。


「無理だ」


「そんな冗談に付き合っている暇はねえんだよ」


「あんた……、大丈夫かい?」


 一言で断る者、怒り出す者、心配する者。反応は様々であったが、共通して言える事は皆、セレン島へ船を出してくれる者がいないという事だった。

 エミーナはある程度は予想をしていたが、まともに話を聞いてくれる人もおらず、落胆の色を濃くする。昼前には、商船組合の中でエミーナは変人扱いされるまでになってしまっていた。


「仕方あるまい……」


 宿の主人は盛んに止めてはいたが、教えてもらった酒場へと向かう。

 酒場はすぐに見つかった。なかなかの店構えではある。

 扉を開けると、中から酒の匂いが漂ってくる。店の中は暗く、昼間だというのに多くの客で賑わっている様である。店の奥にカウンターがあり、その向こうにはマスターらしき人物もいる。

 赤ん坊を胸に抱いたエミーナに好奇の目が注がれる。

 アレックスは酒の匂いに顔を顰めていた。


「親子二名様ご来店だあー」


 ふざけた大きな声が聞こえる。周りから笑い声が起きた。

 エミーナは声のした方を睨み付ける。


「赤ん坊のミルクはここにはねえぞ。ここで、その胸から出してやれよ」


 下衆な笑い声が巻き起こる。

 エミーナは眉間に皺を刻みながらも、気にしない様にして店の奥へと進んでいく。


「なあ、俺にもミルクをくれよー」


 明らかに酔って顔を赤くした図体のでかい男がエミーナの前に立ち塞がった。


「どけ」


 エミーナは静かに男に告げた。


「ミルクくれたらなあ」


 男は嫌らしい笑みを浮かべる。周りも同様の表情を浮かべて二人を見ていた。

 エミーナの肩に手を回してきた男の顔面に彼女は拳を叩きつけた。男は仰向けに倒れ、体をぴくぴくと動かしている。


「てめえ、兄貴に何しやがるっ!」


 傍のテーブルにいた若い男がエミーナに殴りかかってきたが、さっとそれを避けたエミーナは足を折り畳むと、その若い男の腹に膝を食らわせる。若い男も先ほどの男と一緒にその場に倒れ込んで、目を向いている。

 

「そんなにミルクが飲みたいのなら、自分の母親に頼め」


 エミーナ一言、そう言うと、男二人を冷たい目で見下ろした。彼女のその言葉に笑いが起きる。その笑いはさっきまでとは違い、楽しそうな笑いだった。

 周囲も店のマスターもちょっとしたイベントは終わったとばかりにすぐに元の雰囲気へと戻る。

 エミーナは店の奥へと進むと、カウンター席に腰を下ろした。


「ご注文は?」


 腰掛けたエミーナにカウンターの向こう側からマスターが注文を尋ねた。


「酒はいらん。ここで船を手配出来ると聞いて来たんだ」


 マスターは顔を歪める。そして、品定めをするかの様にエミーナをじっと見た。


「お客さん、悪いが――」


「隣、いいか?」


 マスターの言葉を遮って、エミーナに声が掛かった。

 赤いマントを身に付けた女性が立っていた。


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