14
木の幹にもたれて、腕を組みながらカナックはエミーナを見ていた。
前に会った時と同じ様に旅装に身を包んでいる。
「……何か用か?」
険しい顔でエミーナはいつでも剣を抜ける態勢を取る。
前回もそうであったが、エミーナはカナックが近づいてきていたのに気づかなかった。今回も気配を感じなかった。前回は然程気に留めなかったがカナックは明らかに気配を消していた事になる。
「貴様は、何者だ?」
カナックは二度もエミーナに悟られずに背後を取った。彼女には偶然とは思えなかった。
「おいおい、再会を喜んでいるのにそれは無いだろう」
低い声のエミーナに対して、カナックの声は明るい。
「ただの旅人ではないのであろう?」
「それはお互い様でしょ」
にこにことした表情を変えずに、カナックはエミーナを指差す。
「それは、どういう事だ?」
エミーナはカナックにアレックスの正体が気づかれていると薄々感じながらも、わざとらしく首を傾げた。
「おっ。やっと会話らしくなってきたな」
「どういう事だと聞いている」
エミーナの眉間に皺が寄る。性格的にカナックの様なタイプを相手すると、彼女はどうも疲れる。そして、イライラが募ってくる。
「はいはい。アレックス君のお母さんはせっかちだねえ」
カナックは袋の中にいるアレックスに向かって手を振った。
「いや、お母さんじゃないか。アルゴン王国ラインバード侯爵家令嬢にして、王国騎士団騎士、エミーナ・ラインバードさんか」
悪戯が成功した時の子供の様な笑顔をエミーナに見せるカナック。
一方のエミーナは内心驚愕すらしていた。彼女自身の事まで正確に情報を掴んでいる。
「で、貴様は?」
内心を隠しつつも、エミーナの眉間の皺は深くなる。
「俺はガルゼナ王国諜報部の所属だよ。ま、立派そうな肩書だけど、要するにただあっちこっち行って、必要な情報を集めるだけってのがお仕事」
「隠密か」
あっさりと自分の身分を明かすカナックにエミーナは少々拍子抜けした。
「まあ、有り体に言うとそうだね。これでも、結構優秀な方なんだぜ」
自慢げにカナックは胸を張る。
「その、優秀な隠密が何の用だ?」
「分かっているくせにー」
剣に手を掛けたエミーナを気に留める事もなく、カナックはけらけらと声を立てて笑った。
「ま、いいか。一から説明するよ。俺の今回の任務はアルゴン王国が召喚したという救世主の存在の確認とその確保。初めに聞いた時は冗談かと思ったよ。どこから聞いたか知らないけど、うちの国も随分とロマンチストになったもんだって思ったもんなあ。だって、救世主なんてものはただのお伽噺。いくら魔帝の危機が迫ってきているとはいえ、そんなバカな事本気で考える奴なんていない、召喚なんか出来る訳ないって」
カナックの認識は間違ってはいない。一般の人にとっても救世主は古いお伽噺の登場人物の一人でしかない。
「最初は国境の検問でちまちまとアルゴンから来た人間に救世主について尋ねてたらしいけど、これがさっぱり。そりゃそうだよ。今のご時世で旅する者なんてなかなかいないからね。未だに続けているみたいだけどね。で、俺に調べろって命令。馬鹿げた話だと思ったけどさ、仕事だから仕方ない。調べたよ。わざわざアルゴンまで行ってね。あっ、その途中が、初めて君に会った時だよ。あれ、運命だったのかな」
「そんな事はどうでもいい」
じっとエミーナの目を見つめるカナックに、彼女は冷たく言い放つ。
「そう? じゃあ、話を進めるよ。アルゴンの王都でいろいろ調べたよ。駆り出された魔導士やら、訳も分からず準備をした人間にね。で、驚いた事に救世主の召喚に成功した、と。すぐには信じられなかったね。何度も裏付けしたもんな。その中でどうやら召喚された救世主が赤ん坊だったという事も分かった」
カナックの視線がアレックスに注がれている。
「俺の任務には救世主の確保も含まれている。いくら赤ん坊でも、救世主を確保しなきゃならない。まずは探したよ。ところが、どこにもいない。王宮にも忍び込んだが、見当たらない」
「貴様、王宮に忍び込んだのか!」
さらりととんでもない事を口にしたカナックにエミーナは思わず叫び声をあげた。彼女ら騎士は王宮の警備も担当する。聞き逃す訳にはいかない事であった。
「うん。それも俺らの仕事の一つだからさ。ま、今回は見逃してよ」
カナックは両手を合わせてエミーナに頭を小さく下げた。
「……ふん」
複雑そうな表情を浮かべてエミーナは小さく頷いた。
「ありがとうな。それでさ、調べて少し前まで王宮に正体不明の赤ん坊がいたという話と女性騎士が一人突然休養を取ったという噂を耳にしてさ。その時、ピンときたんだよね。アルゴンとサーザードの国境近くで会った赤ん坊を連れた君と重なってね」
「厄介な奴と偶然にも会ってしまったのだな」
顔を顰めて、エミーナは自分の運のなさを恨めしく思う。
「そんな言い方されると傷つくなあ。こっちは三日前にやっと帰ってきて、慌ててガルゼナ全土に捜索の手配をしたんだ。真面目に働いたんだよ。少しはねぎらって欲しいな」
苦笑しながら、カナックはわざとらしく肩を落とす。
「こっちはお陰で大変だ。ガルゼナ全土に手配とはまったく余計な真似をしてくれたな」
忌々し気にカナックを睨み付けるエミーナはじりじりといつでも動ける態勢になり、腰を少し落とす。
「ごめんね。こっちもお仕事だからさ。君はセレン島が目的地だろ? だったらきっとガルゼナを通ると思ってさ。案の定、検問所も通っていたのを確認もしたよ」
「そこまで、分かっているのか」
「うん。女神様の元にいくんでしょ? 救世主様を元いた世界に返す為にさ」
「そうだ。だから、この子をお前らガルゼナに渡す訳にはいかん」
語気を強めて、エミーナは剣の柄を持つ手に力が入る。
「それは、困ったな。やっと、君に追いついたのに……」
カナックは相変わらず、笑顔のままである。
「んあっ」
突然、アレックスが声を上げる。どうやらおむつ交換の催促らしい。
「おっ。アレックス君は元気がいいね。いい事だ。俺と一緒に来るかい?」
満面の笑みを浮かべて、カナックは両手を広げる。
「おむつを替えて欲しがっているのだ。早く替えてやる為にも、お前を何とかせねばならんな」
エミーナ全身に闘気を纏い、剣を抜いた。
「ちょっと、待った! 先におむつを替えてやれよ。かわいそうだろ」
「何?」
カナックの意外な言い分にしばしあっけに取られる。
「もちろん、その間は俺は手を出さないからさ。約束する」
「信用出来る訳なかろう」
気を取り直し、エミーナは剣を構え直す。
「本当だって。俺は約束を守る。ほら、アレックス君も替えて欲しそうだろ」
カナックの言う通り、アレックスは袋の中でムズムズと体を動かしている。
「……本当だな?」
エミーナは疑いの眼差しでカナックを睨み付ける様に見た。
「ああ、本当だよ。早く替えてやってくれよ」
エミーナは剣を一旦、鞘へと戻すと、カナックから少し離れた場所で、アレックスのおむつの交換を始めた。おむつを交換しつつも、視界にカナックを入れたままで、警戒は怠らない。
「へー。手慣れたもんだね」
カナックが感心した様にエミーナのおむつ交換の様子を眺めていた。
「まあな。最初は手こずったがな」
思わず普通に答えてから、エミーナは今の状況に戸惑いを覚えた。
おむつ替えが終わり、アレックスを再び袋に戻した。カナックは言葉通り、じっと動かず、興味深げにおむつ替えの様子を見ていた。
「待たせたな」
エミーナは手に剣を持ち、カナックの前に立った。考えてみれば、不思議な状況ではあったが、気を取り直し、気合を入れ直す。
「いや、気にしないでいいよ。それよりさ、大人しくアレックス君を渡してくれないかな。出来れば穏便に済ましたいからね」
「私も穏便には済ませたい。そっちが引き下がってくれないか?」
「うーん。お互い引け無さそうだね」
胸元からカナックは短剣を取り出す。
「ああ、その様だな」
険しい表情のエミーナと笑顔を崩さないカナックが対峙する。
先に動いたのはエミーナだった。一陣の風が吹くと同時にカナックへと剣を振り下ろす。鋭いその剣撃を彼は難なく避ける。
エミーナは素早く剣を横に払い、カナックに追撃を加えた。今度は体を反らしその攻撃から逃れる。
さらに剣を振るうエミーナに対して、カナックはその素早さを生かした動きで攻撃を次々と避けていく。
「いやあ、さすがはアルゴン王国の騎士様だ。ガルゼナでも、君程の剣の腕を持つ人間は中々いないよ。うちの軍の方にスカウトしたいくらいだ」
かなりの動きをしているはずであるが、カナックには疲れがある様には見えない。
「ガルゼナとは強欲な国だったのだな。何でも欲しがる」
軽蔑の眼差しでエミーナは応えた。
「まあね。確かに強欲だな。魔帝がいなくなった今、ガルゼナは世界を制するつもりだしね」
「愚かだな」
エミーナの剣が言葉と共いカナックに襲い掛かる。
「かもね。でも、決して間違った考えじゃないと思うよ」
ここで初めてカナックが攻撃に転じる。エミーナの剣をさらりと避けた後、体を反転させ、短剣を素早く突き出す。
「ガルゼナは戦争を起こすつもりか?」
突き出された短剣を後ろに飛びのきエミーナは躱す。
「そうなるだろうね」
カナックはさらに踏み込み、エミーナへと短剣を振り下ろす。それを、剣で受け止めるエミーナの顔には嫌悪感が溢れている。
「でも、その後を考えてみなよ。ガルゼナが世界を制した後をさ」
一歩下がり、エミーナと距離を取るカナック。
「国同士の利害の衝突。無謀な領土的野心を抱いた国家。今まで戦争を起こしてきたのは、それぞれの国のエゴだ。そして、そんな隙を魔帝が突いた。その魔帝が滅んだ途端、また各国は元に逆戻りだ。今はまだ表面化してないけど、対立は鮮明化してきている」
一定の距離を保ち二人が向かい合う。お互いに隙を伺い動かない。
「でも、一つに纏まればそんな心配は無くなる。確かに、一時的に血は流れるだろうけどさ。ガルゼナの元に世界が一つになれば、戦争の無い世になると思うよ」
「魔帝やその仲間と同じ考えだな」
剣を構えてエミーナは低い声で言った。
「どういう意味?」
「つい最近、魔帝の残党と出会ってな。貴様と同じ様な事を言ってたな」
シャズナックと出会った事、そしてその後の戦いを思い出したエミーナは顔を顰めた。
「君は人気者だね。魔帝軍の残党にも気に入られているのか」
楽しそうにカナックは笑い声を上げる。
「ああ。残念な事に嫌な奴らばかりが寄ってくるな」
「そりゃあ、気の毒だね。でも、魔帝側も救世主狙いか。だったら尚更、ここでその子を貰わないといけないね」
今まで常にカナックの顔に張り付いていた笑みがすっと消えた。
「何故、そこまでこの子に拘る?」
戦いながらも話続けるカナックにつられたかエミーナはふと疑問を口にした。
「知らないの?」
不思議そうな表情を浮かべてカナックは聞き返す。
「何をだ?」
エミーナはアレックスが救世主である事は分かっているが、特に他の赤ん坊と変わった所があるようには旅をしていても感じられなかった。
「魔帝もね、元は人間だったらしい。俺たちと同じね。いや、同じと言うのは少し違うかな。とてつもない魔力を持っていたらしい。周りが怯えるくらいのね。そんな彼はいつの間にか、異形の者を引き連れて魔帝と称した。異形の者、彼の部下は元は人間だったとか、魔の世界から呼んだとか言われているけど、本当の所は誰にも分からない。魔帝自身についても、はっきりした事は分からないけどね。まあ、一つ確実に言える事は彼が世界を変える程のとてつもない大きな力を持っていた、という事」
一息ついたカナックは視線をアレックスに移す。
「そして、今この世界には、もう一人大きな力を持つ者がいる。女神の加護を受けて、伝説とも言われる救世主様。そう、アレックス君だよ」
「やはり、愚かだな。私は長くこの子と一緒にいるがそんな事を感じた事はない」
エミーナはカナックの話を鼻で笑う。
「それはまだ赤ん坊だからじゃないかな。俺も魔力とかそんな話は専門外だから、よく分からないけどさ。成長と共にすさまじい力を出すって、上は思っているみたいだね」
「今から自分たちに都合のいい様に育てておこうという事か」
「そういう事だね。さて、もうそろそろ終わりにしたいね。最後にもう一度聞くけどさ。素直にその子を渡してくれないかな?」
持っている短剣を手の平の上でくるくる回しながら、カナックは首を傾けて尋ねた。
「断る」
エミーナは迷いも無く即答する。
「それは残念」
カナックは言い終わると同時に一瞬でエミーナとの間合いを詰めて短剣を顔目がけて突き出した。あまりの速さにエミーナは寸での所で何とか避けるが彼女の髪を短剣が切り刻む。
カナックは続けざまに、手首を返して短剣をエミーナに振り下ろす。エミーナは剣でそれを薙ぎ払う。
カナックはその態度、話しぶり、表情からは想像出来ない実力の持ち主である事をエミーナは痛感していた。中でも、その素早さは目を見張る物であった。一瞬でも気を抜けば、たちまちその短剣に切り刻まれてしまうのが彼女には分かる。
「貴様も、ガルゼナも間違っている」
気を引き締め直し、エミーナは剣を構える。そして、神経を研ぎ澄まし、集中を高める。
「力で抑えつけ、多くの犠牲を払って作った纏まりなどに価値は無い。悲しみと怨嗟で、必ず綻ぶ」
今度はエミーナから、間合いを詰め、カナックの足を狙う。
「そんな事言ってたら世界は混乱のままだね。それとも君には他に何か考えがあるとでも?」
エミーナの攻撃を小さな短剣で止めると、空いている手で殴りつけた。彼女の顔面を捉えたその力は華奢な体のカナックに似合わず強く、そのまま吹っ飛ばさた。
「そんな物ない。だが、旅をしてきて思った。もう血を流す争いはしてはならないと。そんな愚かな事をしてはならないと」
エミーナには旅の途中で見てきた事を思い出す。子を失った自暴自棄の男。大人から見放された子供だけの村。生きる気力を失った目をした者。それらは全て、以前は普通の穏やかな生活を送っていたはずである。
「綺麗事だ。それではいつまで混乱が続くかわからないよ」
「ああ、そうかもな。だだの綺麗事だ。でもな、その綺麗事を追い求めるのは、間違っていないはずだ」
切れた唇から流れる血を拭い、エミーナは立ち上がる。
「下らない理想だね」
初めて笑み以外の表情がカナックの顔に出た。面白くなさそうな、それでいて、複雑そうな感情が見える。
「そうか? 悪くないと思うがな」
カナックの反応にエミーナがにやりと笑う。
「……かもね」
カナックは腰を落とし、目線を鋭くする。それに対してエミーナは中段の構えを取る。静寂に包まれ、二人はお互いに視線を外さない。
二人が互いに向かって駆けだしたのは同時であった。
先にエミーナの剣の間合いに入ったのは当然カナックである。突き出された剣をさらりと躱すと、自らの持つ短剣が彼女へと届く位置へとさらに踏み込む。
カナックが自らの間合いに入るその時である。
「んあうぅ」
アレックスが大きな声を上げた。
普段から突然のアレックスの上げる声を聴き慣れているエミーナ、赤ん坊と接する機会の無い慣れていないカナック。両者にわずかだが、違いが生まれた。
カナックは一瞬だが、アレックスに気を取られる。そこに隙が生まれた。
エミーナは躱された剣を一気に横薙ぎに払う。カナックの胸を切り付けられると剣の勢いに押され、仰向けに倒れ込んだ。
「くっ!」
カナックに苦悶の表情が浮かぶ。エミーナはそこに、肩口へも一閃を浴びせた。そして、カナックの持つ短剣を蹴り上げる。蹴り飛ばされた短剣は木に当たり、草むらの中へと消えていった。
勢い良く突進してきた分、胸への一撃はエミーナが思っている以上に効果があった様で、カナックの上半身は真っ赤に血に染まっていた。
そんなカナックをエミーナは少し寂し気な目で見下ろしていた。