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聖母の騎士  作者: 和音
13/25

11

 逃げるように廃墟と化した町を出たエミーナは川べりにいた。ただ、ひたすらに歩いてきていた。

 辺りは夕焼け色に染まり。間もなく暗闇が訪れる頃である。

 川の水で手に着いた血を洗い流す。

 洗い落とされた黒くなった血が川の流れに飲み込まれていく。それを、じっと見つめるエミーナ。

 魔帝の残党との戦いで彼女は初めて人を自らの手で殺めた。騎士となり、人を害する覚悟はあった。もちろん、不要な殺生をエミーナはするつもりはないし、出来る事ならば避けたい気持ちもあった。

 自分とアレックスを守る為、世の中の不安の種である魔帝の残党を討つ為、二人の黒ずくめの命を奪った事を後悔はしていない。いい気分ではないが、騎士となりこの旅に出た自分には避けられない事であると理解している。この先も、同じ様に人の命を奪う事はあるだろうと思っている。

 ただ、エミーナの気持ちを重くさせるのは、屍となった二人と戦った事である。いくら斬りつけても、どんな攻撃を加えても向かってきた動く屍。傷つき、臓器を飛び散らせる意思の無い亡者の光景が頭から離れる事はなかった。

 もう一度、エミーナは川へと手を入れて両手を擦り合わせた。何度も何度も手を洗う。


「あうー」


 アレックスが声を上げる。どこか、不安げな声であった。


「……すまん。大丈夫だ」


 こんな事ではダメだ――そう思うエミーナであったが、アレックスに向けるその笑顔は弱々しかった。


「そうだ。お前に昼のミルクがまだだったな」


 魔帝残党が来た事ですっかり、忘れていたのだ。


「すまんな。腹がすいただろう」


 エミーナはミルクの準備に取り掛かった。背に背負う袋から必要な物を取り出していく。

 準備が出来ると川の土手に座り、早速アレックスにミルクを飲ませる。

 警戒の為に周囲を見渡すエミーナに人影が見えた。土手の先からこちらに向かって歩いてきている。手には釣り竿を持ち、腰から籠をぶら下げている。老人と呼ばれるくらいの年である男性のようだ。

 特におかしな所もエミーナに害意を持っているようにも感じられない。近くに住んでいる者が川釣りをした帰りの様である。


「お前さん、こんな所で赤子にミルクをやっておるのか?」


 近くまで来た老人が、アレックスにミルクをやるエミーナを見て、声を掛けてきた。


「ああ、ちょっと、昼にやれなかったのでな」


「そうか、そうか」


 そう言いながら老人もエミーナの隣に腰を下ろした。

 突然、側に座った老人にエミーナは思わず身構える。魔帝の残党に襲われたばかりであるエミーナは普段より神経が張り詰めていた。


「そんなに怖い顔しなくてもええよ。ワシはお前さんにも、その子にも何の危害を加えるつもりは無いわい」


「いや、別に私は……」


 そんなにも気が張り詰めている様に見えているのか、とエミーナは自分の状況を把握し切れていない事を反省する。


「ふぉふぉふぉ、そうか、そうか」


 小刻みに震える様にして老人は笑い声を上げた。何が可笑しいのか、エミーナには分からない。


「それより……」


 笑いを止めて、老人は真っ白な顎鬚を触りながら一心不乱にエミーナの持つ瓶の口からミルクを飲んでいるアレックスを覗き込んだ。


「この子は……、こりゃ、珍しいの」


「黒髪か? この子の父親は東方大陸の出身でな」


 エミーナは以前加えた設定を口にした。


「いやいや。見た目ではない。纏っているものの話だ」


「そんなに、珍しいものを着せているつもりはないが」


 アレックスが身に付けているものは確かにどこにでもある物である。


「うーん、まあ、良いか。ところで、お前さん」


 皺が深く刻み込まれた顔で、今度はエミーナの方を見る。


「もうすぐ晩飯の時間だのう。どうだ、うちで飯でも食っていかんか? いやな、ちっとばかり、魚を釣り過ぎてのう。一人では食べきれん。手伝ってくれんか?」


 腰の籠をひょいと持ち上げ、老人は笑顔を見せる。


「え?」


 突然の意外な老人の申し出にエミーナは戸惑う。


「なーに、うちにはワシ一人だ。何も心配せんでええ。お前さんなら、ワシが十人束になても大丈夫だろう? それに……」


 老人はエミーナの服を指差す。


「そんな恰好で町に入ったら、ちょっとした騒ぎになるかもしれしの」


 エミーナの服は返り血を浴びて、赤く染まっていた。

 

「さあ、行くかの。ほれ、お前さんも、行くぞ。丁度その子も飲み終わった様だしの」


「あううっ」


 アレックスの楽し気な声に弾かれるように、エミーナも老人に続いて立ち上がった。




 老人の家は一人暮らしの割には大きく、何もない平原の中にポツンと建っているにもかかわらず、立派な造りであった。

 老人はエミーナに、モントレーと名乗った。


「ワシは釣った魚を焼いてくるから、少し待っててくれんかの」


 居間に通されたエミーナにモントレーは告げると魚の入った籠を抱えて出て行った。

 通された居間には、机とソファーが一組あり、床には赤い絨毯が引かれている。豪華とまではいかないが、それなりの生活水準が伺えた。

 壁には何段もの棚があり、所狭しと見た事のない道具類が置いてあった。


「魔道具?」


 エミーナは道具を見て気づいた。

 魔道具とは魔導士によって、魔力を注ぎ込まれた道具である。注ぎ込まれた魔力によって、簡単なものでは明かりを灯したり時を刻んだりも物、自動に動いて作業をしたり、声を記録する様な複雑なものまである。人の生活を便利にするものが大半であるが、中には武器になる物もある。

 当然、高価なものであり、これだけの数の魔道具を集めるとなると、相当の財が掛かっているはずである。中にはエミーナが見た事もないどうやって使うのかさえ分からないものもあった。

 アレックスも興味津々で、手を伸ばして触ろうとする。


「魔道具に興味があるのか?」


 香ばしい臭いがする皿を手にして、モントレーが居間へと戻ってきた。


「すごい数だと思って……」


 興味あり気に一生懸命手を魔道具へと伸ばすアレックスの手を押さえつつ、振り返る。エミーナにしたら、アレックスが触り下手に壊れたり起動させてはと思っていた。


「ふぉふぉふぉ。まだこんなにも小さいのに魔道具に興味があるのか。よし、坊主にはこれがいいかの」


 机の上に皿を置くと、モントレーは嬉しそうな表情を浮かべて棚から三角錐の形をした魔道具を手に取った。


「見ててごらんなさい」


 床にその魔道具を置き、側面に付いているスイッチを押すと、壁に絵が投影された。


「すごいな、これは」


「んあー」


 エミーナは感嘆の声を上げ、アレックスも目を大きく開けて、食い入る様に壁に映し出された絵を見ている。馬が走る様子が映し出されているのだが、驚く事にその絵は動いており、本当に馬が走っている様だった。


「気に入ってくれたかの。だったらこれは坊主にやろう」


 二人の反応を満足そうにモントレーは眺めている。


「ご老人、そう言ってくれるのは嬉しいのだが、こんな高価な物は受け取れん」


 慌ててエミーナはモントレーの申し出を断る。上級貴族の出であるエミーナでもこんな魔道具は見た事がない。


「気にせんでええ。ここにある物は全部ワシが作ったものだ」


「いや……、食事を頂く上に、こんな物まで貰っては……」


「棚で使われる事もなく置かれているだけよりも、喜んで使ってもらった方がワシも嬉しいでの。貰ってやってくれ。それより、ほれ、飯が出来た。冷めんうちに食べんとな」


 尚も遠慮するエミーナを遮り、モントレーは食事を勧める。


「かたじけない」


 壁に映る馬に未だ夢中のアレックスをソファーに寝転がせ、エミーナは机に並べられている食事を頂く事にした。

 モントレーが釣ってきた魚を焼いたもの、パンにスープが並んでいる。

 エミーナはスープを口にした。温かさが、体全体に染み渡る。改めて生きている事を実感する。


「ご老人、随分と料理の用意が早かった様に思うのだが?」


 ふと、疑問をエミーナは口にした。


「うちの家事はほとんどが魔道具任せだ。早いし、楽で助かっておる」


 調理をする魔道具まであるのか、とエミーナは驚く。


「ご老人は魔導士か? これだけの魔道具を作っておるのだ。さぞかし名のある御仁なのだろうな」


「確かにワシは魔導士だな。いや、魔導士だった、が正確な答えだのう。今ではすっかり隠居の身だわい。もう一つ訂正するなら、しがない魔導士だったの。ワシの名など知っている者はほとんどおらんよ」


 少し寂し気な顔を見せ、最後は自嘲気味に話した。


「しがない魔導士とは、思えんな。先程の魔道具といい、家事の大半を任せられる魔道具といい、そこいらにある物とは桁違いな物だと思うのだが……」


 エミーナの知っている世間に出回っている魔道具とは、次元が違った。


「ふぉふぉふぉふぉ。まだお若いお前さんにそう言われると、いろいろな事が報われるような気がするのう」

 

 笑い声を上げ、顔の皺が濃くなる。


「ワシも若い頃はガルゼナ政府に所属する魔導士でのう。日々、研究を続けておった。毎日、人々の生活に役立つ物をと思い、励んでおった。ワシも若かったからか自信があっての。魔力が人より強かったし、少々特殊な力もあったからの」


 昔を思い出しているのか、モントレーは目を細めて話す。

 

「ところがじゃ。お前さんも知っておろうが、ガルゼナは軍事国家。何よりも、軍備の強化が優先される。生活に役に立つものより、軍に役立つもの。魔術より、剣や槍、弓矢という国だ」

 

 エミーナは食事の手を止め、モントレーの話に聞き入る。


「元々、我ら魔導士と呼ばれる者が出来る事は、魔道具の製作とそれに魔力を注ぐ事。それと、魔法陣を描き、魔術を発動する事だ。もちろん、軍事目的の物もあるが、魔道具は大した威力は無い。魔術は、威力のある物もあるが、多くは時間や手間が係る。つまりは実戦向きではないということでのう」


 確かに、魔道具は大半の物が生活に役立つ事を目的としている。また、魔術は強力なもの程、魔法陣も大きく複雑なものになり、必要な魔力も大きくなる。


「ガルゼナという国はワシらのような魔導士を特に必要とせんかった。魔力が大きかったワシは魔法陣への魔力を注ぐ任についての……」


 モントレーは目を伏せる。


「ワシはその仕事が嫌でのう。なにせ、人を殺す片棒を担ぐのだ。いくら戦争といえどものう。ワシは人の役に立つ魔道具を作りたかった」


 人を殺す――モントレーの言葉にずきりとエミーナの心が痛む。


「上に盾着いたワシはお払い箱だ。もう十年ちょっと前かの。その後すぐに魔帝とやらが現れて、帰ってこいと言われたが断った。それ以来、ここで魔道具を作りながら気ままな生活を送ってるわい」


「そうであったか。でも、不思議だな。魔帝との争いで、よくここが魔帝に荒らされなかったもんだな」


 アルゼナは魔帝軍から侵攻を受けている。事実、モントレーのこの家から近い、魔帝の残党と遭遇した町は徹底的に破壊されていた。


「気ままな生活を送っていると言っても、そこは魔導士だ。魔道具でこの家を隠すくらいなら簡単だったのう」


 にやりと笑いをモントレーは浮かべる。


「なんと……」


 モントレーは簡単そうに言っているが、実際にはそれがどれほど高度な技術か、エミーナでも理解できる。


「いつかは見つけられるとは思っておったが、見つかる前に戦争は終わったのう」


 モントレーは立ち上がると、壁に動く絵を映し出していた魔道具のスイッチを切った。そして、部屋の隅から毛布を取ると、そっとアレックスに掛けた。

 疲れていたのだろう、いつの間にかアレックスは寝息を立てていた。


「すまない。眠っているのに気づかなかった」


 エミーナは頭を下げる。


「この子には退屈な話だったかの。ま、そういう訳でワシは今ではただの年老いた元魔導士、という話だ。……それより、お前さん、今晩は泊まっていきなされ」


 窓から外を見ると、すでに日は暮れ暗闇に包まれている。


「いや、そこまで迷惑を掛ける訳には……」


「その子もよく眠っておる。それに、暗い中へお前さんたちを送り出したらワシが気になってなって眠れん」


 茶目っ気の溢れる顔をモントレーはエミーナに見せた。


「何から何まで、すまない。お言葉に甘える」


「客間があるでの。そこを使ってくれ。案内しよう」


 そう言って、エミーナを案内するモントレーに、血で塗れた姿をしていた自分に何も思わないのだろうか、という思いを抱きながらも、彼女は素直に感謝していた。


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