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今回、一部に残酷な描写があります。
苦手な方はご注意願います。
ごくりと生唾をエミーナは飲み込んだ。
騎士として、今まで相手にしてきた者たちと圧倒的に違う。纏っている雰囲気その物が違うのだ。目の前のシャズナックと名乗る人物が魔帝軍の者だとエミーナは十分に納得出来た。禍々しいまでの気配を発しているからだ。
だからと言って、相手の気に飲み込まれるにはいかないエミーナである。気持ちを引き締める。
「魔帝軍の残党か。この子に用があるという事は……」
「はい。もちろん分かってますよ。救世主ですね」
「何故、救世主様を狙う? もう魔帝は死んだ。用は無いだろう」
剣を両手で握り、エミーナは神経を集中させていく。
「死んだ? 魔帝陛下が?」
不思議そうにシャズナックは問い返した。
「それは間違っていますよ。魔帝陛下は今、お姿を隠しておられるだけです。まあ、あなたの様な方では理解出来ないでしょうが、魔帝陛下は必ずや復活されます。その子はその為の生贄、と言ったところでしょうかねぇ」
そう言いながらアレックスを見るシャズナックの目は蛇のようである。
「復活だとっ!?」
「ええ。我々の崇高な理想の実現には魔帝陛下は欠かせません」
「崇高? 貴様らのやっている事は殺戮と破壊ではないか」
エミーナは魔帝に荒らされた町や村を思いだし、怒りを露わにする。
「やはり、あなたは愚かですねぇ。よく考えてください。この世界には魔帝陛下がそのお力を見せるまでどうでしたか? 国々は互いに争い、人は己の欲のままに奪い合う」
シャズナックの言葉はあながち外れてはいない。世界の歴史として国同士の争いはあったし、善良な者ばかりではない。
「そんな穢れた愚かな世界を魔帝陛下は変えようとなさっているのです。魔帝陛下という絶対的な存在によって、世界は真の平穏と安定を得られるのですよ」
見下した目でシャズナックはエミーナを見ている。
「罪なき者に殺戮と破壊を繰り返すヤツに理想を語る資格はない。それに、恐怖では人の心に安寧が訪れるわけない」
エミーナには、シャズナックの語る平穏と安定がまやかしにしか感じられない。
「分かって頂けなくても構いませんよ。さあ、もういいでしょうかねぇ。私も暇ではありませんので。お前たち、そこにいる忌まわしい救世主を捕らえなさい」
シャズナックは片手を上げて両脇に控える二人の男に指示を出す。
隣にいた一人がエミーナに襲い掛かる。一瞬にして間合いを詰めてきた。
そのスピードに何とか反応したエミーナは相手の振り下ろした剣を自らの剣で防いだ。
剣を押し合い力比べ状態になるが、やはり女性である分、エミーナの方が不利である。
押し込んでくる襲い掛かってきた黒ずくめにはまったく眉一つ動かさず表情が無い。
「くっ」
力では圧倒的に不利だと悟るエミーナの目に弓矢が放たれたのが映る。
押し付けられている剣の力を受け流して、エミーナはその場を飛びのいた。
矢が通り過ぎていくのを見つつ、次はエミーナから切りかかる。剣を持つ黒ずくめは大きく剣を横に薙ぎ払い、エミーナの接近を許さない。
さらに、エミーナの耳に矢が飛んでくる音が聞こえる。飛んでくる方を鋭く睨むと、迫ってくる矢を剣で叩き落した。
そこへ剣が振り下ろされてくる。エミーナは後ろに飛び跳ね、剣を構え直した。
数歩後ずさり相手と一定の距離を取りながら、大きく肩で息をして気持ちを落ち着かせる。
今、エミーナは己の力と経験を出し切っている。それでも、状況が有利か不利かと問われたら不利であろう事は分かっていた。彼女自身の疲労の蓄積、互いの実力、アレックスを抱えながらの戦い。その上、相手は複数である。
「くそっ」
自らの無力さに唇を噛みしめる。
ここで負ける訳にはいかない。騎士の誇りに賭けてアレックスを守らねば――
自分の気持ちを奮い立たせるエミーナ。
「騎士……」
エミーナはふと、思い出す。サーザードの王都での出来事だ。ならず者を叩きのめしたのを見たカナックに言われた言葉。
「私の戦い方は上品らしいな……」
上品とは綺麗な言い方だが、裏を返せば型にはまっているという事になる。それにエミーナは気づいた。
「んあっ」
珍しく戦闘中にアレックスが声を上げる。
「ふふ、お前もそう思うか?」
もちろん、今まで繰り返してきた剣技を捨て去る訳では無いし、簡単にスタイルを変えるなど無理である。だが、もっと泥臭く戦えばいいのではないかとエミーナは考えた。
「どうしました? 恐怖でおかしくなりましたか? その女をそろそろ殺してあげなさい」
厭らしい笑みを浮かべるシャズナックの言葉に弾かれるように、黒ずくめの男が剣先をエミーナに向け、迫ってくる。
エミーナはそれから逃げるように、近くにあったかつては台所の台であったであろう場所に飛び乗った。当然、黒ずくめは追ってくる。
エミーナはしっかりとアレックスを片手で抱きしめると、そこから大きく飛び上がる。迫りくる黒ずくめの上で一回転しながら、その頭を蹴り飛ばした。黒ずくめは予想外の攻撃であったらしく、そのまま前へと倒れ込んだ。
着地したエミーナはそのまま、黒ずくめに切りかかる。すぐさまそのエミーナの行動に気づいた黒ずくめは咄嗟に体を捩るが、剣先がその肩を切り裂いた。
まずは一撃を与えられた事に喜ぶ間もなく、矢が飛んでくる。
「そっちにはこれをくれてやる」
横に飛び跳ね、振り向き様に腰の短刀をシャズナックに向けて投げつける。
短刀は一直線にシャズナックへと向かうが、そこに障害物が現れた。
側で弓矢を放っていた男である。シャズナックを庇うように立ち塞がり、飛んでくる短刀を自らの体で受け止めた。短刀が喉に突き刺さった男はそのまま仰向けに倒れ込んだ。
「自らを盾にするか……」
驚きと少しの敬意を抱くエミーナへ、背後から黒ずくめがまたも剣を振り下ろす。
一瞬でも気を抜いた自分を後悔しつつ、振り返りざま、自らの剣で受け止める。しかし、気を抜いていた分、支えきる事が出来ずに、そのままエミーナは倒れ込んでしまう。
好機と捉えたのか、黒ずくめはそのまま大きく剣を振り上げる。
エミーナは倒れ込んだその手で掴んだ砂を今まさに剣を振り下ろそうとする黒ずくめの顔面目がけて投げつけた。
一瞬ひるんだ黒ずくめの腹へとエミーナは立ち上がりざまに、剣を突き刺す。黒い装束が赤く染まっていく。
初めて黒ずくめの表情に変化が見えた。苦悶に満ちた表情である。
そのまま立ち上がったエミーナは黒ずくめの男の顔を殴りつけた。剣の刃がずるりと抜け、黒ずくめは倒れ込むと、体を一度大きく痙攣させて、ぴたりとその動きを止めた。
「これは驚きですね。いや、お見事です」
シャズナックはわざとらしく両手を叩く。しかし、言葉とは違い、その顔からは本心から驚いているようには見えない。
「後はお前だけだな」
エミーナはシャズナックへと近づいていく。
「これは怖いですねぇ。いえね、私は戦闘は不得手なものでして。実は頭脳労働が専門なんですよ」
そう言いつつも、シャズナックには焦りなど微塵も無かった。むしろ、笑みさえ浮かべている。
「心配するな。魔帝の残党とはいえ、苦しまない様に一息で始末してやる」
ゆっくりとシャズナックに近づいていくエミーナ。
「それはありがたいですねぇ。ですが、最初に言いましたよね? あなたは死ぬ、と」
「間違いだったようだな」
「いえ、間違いではありませんよ。私の様な魔帝軍の上級将校には魔帝陛下より、特殊な力を与えられておりましてね……」
「特殊な力?」
立ち止まったエミーナは眉間に皺を寄せる。
「はい。ちなみに私は死者を不死身の兵として蘇らせる力です」
シャズナックの体から黒い霧が立ち上がる。たちまち辺り一帯はその黒い霧に包まれた。先程、エミーナが倒した黒ずくめが二人もぞもぞと動き始めた。
「な、何だと!?」
目の前の出来事が理解できずに、エミーナは目を見開いた。
地面に伏せたまま手足をしばらく動かすと、黒ずくめの遺体はゆっくりと起き上がった。
「死した者の再利用とでも言いましょうかねぇ。一度に蘇らされる数には限度がありますし、力も多少は弱くなりますが、死なない兵です。いや、もう死んでますか。ま、どちらにしても、なかなか便利だと思いませんか?」
シャズナックはまるで自慢の手品を披露したかの如く、得意げに語る。
「下劣な……」
エミーナは心の底から侮辱した目でシャズナックを睨み付けた。例え、敵であっても死者への冒涜とエミーナの目には映ったのだ。
確かに、魔帝軍の一部に特殊な力を使う者もいるという話はエミーナも知っていた。それが、彼らの強さの理由の一つでもある。しかし、この力は異常であり、狂気に満ちている。
「お褒めの言葉と受け取っておきます。この力にはもう一つ難点がありまして。彼らには一つしか命令できないのですよ。ですから、今回の命令は……、この女を殺しなさいっ」
シャズナックの命令に生きる屍となった二体の黒ずくめが反応した。まっすぐとエミーナに向かってくる。その目はどす黒く輝きを完全に失っている。
エミーナは近い方にいた一体へと切りかかる。シャズナックの言うように反応は遅く鈍い。簡単に腹を切り裂く。
切り裂かれた腹からは血だけではなく、内臓も一緒にまき散らす。
「っ!」
あまりに光景にエミーナは思わず顔を顰める。
腹から臓器を引きずりながらも、何事も無かったかのように、エミーナへと襲い掛かってくる。
もう一体もエミーナへと剣を振り下ろす。素早くそれを避けると剣を持つ腕を切りつけた。しかし、それを気にも留める事なく、エミーナに向かって剣を振る。臓器を引きずりながらもう一体もエミーナに襲い掛かってきた。
その場から大きく後退し、エミーナは肩で大きく息をつく。
なおも、彼女に追いすがり、剣を振るう二体の屍から逃げるように後退を続ける。
「どうしました? 遠慮なく戦ってくださいよ。彼らは例え首を刎ねられても戦えますから」
愉快そうにシャズナックはエミーナが戦う光景を眺めている。
「本当に下衆なヤツだな」
虫唾の走った顔でエミーナはシャズナックを睨み付けた。
睨み付けるエミーナにまたもや、二体同時に切りかかってくる。迫ってきた剣を薙ぎ払い、またもや間を取る。
今の彼らは生きていた頃より動きが遅い上に、力も弱まっているようで、エミーナにも十分対応出来ていた。動きも勢いだけで直線的で意思を感じられる事が無い。
しかし、いくら切り付けても倒れる事はない。それに何より死んだ者を傷つけているという行為は、エミーナにとっては抵抗を感じる事であった。
逃げ回る様な形になったエミーナはいつの間にか家の壁を越え表へと出ていた。
これではキリが無い――疲労にジワリと襲われ、額から汗が一筋流れ落ちてくる。
二体の屍はそんなエミーナを気に留める事無く、ただ、シャズナックの下した命令のみを実行する為に向かってくる。
一歩下がった彼女の腰に何かが当たる。それは町に入ってきた時に見た古井戸であった。
「……」
意を決したようにそのまま動く事なく、剣を構え直すエミーナ。
ただ、ひたすらエミーナを殺す意思しかない屍がエミーナの目の前まで来ると、大きく剣を振りかぶる。
その瞬間にエミーナは横に飛び跳ねると、剣の腹で剣を振り下ろしている屍の後頭部を叩きつける。
頭蓋骨が割れる音と共に屍は頭から、古井戸へと落ちて行く。
落ちた屍の向こうにいたもう一体の屍は落ちていく仲間であった者を気にする風もなく、エミーナに襲い掛かってくる。
エミーナは飛び上がると、向かってきていたもう一体の屍の側頭部へ同じく全力で剣を振り切った。
屍はバランスを崩すものの、井戸には落ちない。耳が肩に着くくらい首が直角に曲がっている。
着地したエミーナは体をくるりと回し、その勢いのままもう一度屍を井戸に向かって落ちるように、剣の腹を打ち当てた。剣から、ピシりと亀裂音が走る。
体を大きく傾け、屍は古井戸へ消えていった。
大きく息を吐きながらエミーナは古井戸に聞き耳を立てた。
井戸の底からガサガサと動く音がしている。井戸の底にありながらも、エミーナを殺す為にその行方を求めているのだろう。
「素晴らしい。これでは、あの亡者どもは何も出来ませんねぇ」
シャズナックは元いた場所から一歩も動いていない。
「次こそ、お前だ」
気力を振り絞り、エミーナは剣を構える。
「貴女、お名前は?」
「貴様の様な外道に名乗る気はない」
シャズナックをエミーナは睨み付ける。
「それは残念です。ま、いいでしょう。どうせ、またお会いする事になるでしょうからねぇ」
嫌悪感を人に抱かせる笑みを浮かべるシャズナックの手には小さな箱が乗っていた。
「私は今回、我らが感知した光の力の正体の確認に遣わされただけです。まあ、予想通り救世主だったのですね。救世主を捕らえられれば良かったのですが、私の仕事はすでに終わっています」
「逃げるのかっ!?」
「はい。仕事は終わりましたから。次にお会いする時には、最後までお相手しますよ。あなたが死ぬ、最後までねぇ」
そう言うと、シャズナックは手のひらの箱の上にもう片方の手を乗せた。するとシャズナックの体の周りに白い霧が現れ、彼の姿をかき消してしまった。
「待てっ!」
エミーナは腰の短刀を投げつけるが、そのまま壁に当たっただけであった。
落ちた短刀を見つめたまま、その場にエミーナはへたり込んだ。
先程まで聞こえていた井戸の中の蠢く音が消えていた。シャズナックが去った事で術か解けたのであろう。
あたりが静寂に包まれる。
「アレックス……」
「んあっ」
「すまない。嫌なものを見せてしまったな……」
どこかうつろな表情でアレックスを見る。
「大丈夫か?」
エミーナはアレックスへと顔を近づけた。
「あう、あう」
声を出すアレックスの手が伸びてきて、そっとエミーナの頬に触れた。その小さな手で彼女を優しく撫でる。
「ふふ。私を心配しているのか? 私なら大丈夫だ。心配ない」
エミーナもアレックスの頭を撫でようとして、剣を握る自分の手が血で染まっている事に気づいた。
旅に出た時から使っていた剣にも大きくヒビが入っていた。もう一回、剣を使えば折れてしまう程のヒビが戦いの激しさを物語っていた。
「……準備して、ここから離れよう」
自分の手から視線をアレックスに戻す。
「ここには、これ以上いたくない……」
エミーナは小さく呟くと、立ち上がった。