閑話
一回、本編はお休みです。
召喚と救世主の同行者にエミーナが選ばれた背景です。
アレックスが体調を崩し、エミーナが必死で看病をしていた頃――。
アルゴン王国王都の貴族街の一画にある屋敷での事である。
庭はよく整備されており、四季の草木が生い茂っている。芝生は綺麗に刈り取られており、陽を浴びている。
その広い庭に面して、大きな扉が並ぶ部屋があった。扉は全て開け放たれていて部屋へと太陽の光が注ぎ込んでいた。
毛足の長い絨毯が敷き詰められている部屋の中央には低いテーブルを挟んでソファーが並べられていた。そのソファーに腰掛けている三人の男。皆一様にその身なりは上質の物で揃えられている。高価な調度品や美術品が並ぶこの部屋に相応しい雰囲気である。
「エミーナは……、今頃どの辺りにいるのだろうか」
心配そうな顔つきでそう言ったのはこの国の大臣であるアルファンドだ。
「今はサーザードのどこか、早ければ間もなくガルゼナという所でしょうね」
答えたのは、騎士団長であるヒューイット。
この屋敷の主であるボールズは黙ったまま紅茶を口にしている。彼はラインバード侯爵家の当主であり、エミーナの父である。若い頃は騎士として活躍し、家を継いでからは有能な政治家として大臣であるアルファンドと共にアルゴンを支えている人物であった。
「元気でおるだろうか」
アルファンドが不安げに呟く。エミーナは彼にとって、年の離れた妹が生んだ姪である。何だかんだ言いながらも幼い頃から可愛がっていた。
「義兄上、あの子は強い子です。心配ありませんよ」
紅茶の入ったカップを机に置き、ボールズは横にいるヒューイットに同意を求める視線を送った。
「はい、彼女は騎士団でも五指に入る実力の持ち主です」
「しかし、ヒューイットの報告の件もあるしな……」
それでもなお、アルファンドは心配そうな顔つきのままである。
ヒューイットの報告。それは、ここ最近、王都で救世主の情報を集めている者がいるらしいとの報告であった。救世主召喚の一件は公式に認めていない為、何かある時は、大抵の場合、救世主召喚の責任者であったボールズの屋敷で話し合いが持たれていた。
「予想出来た事です。救世主様の召喚には、国専属の魔導士だけでなく、外部から魔力の強い者たちにも手伝ってもらいました。それに、準備段階においても多くの人間が関わっています。どこからか、召喚の事実が漏れても仕方ありません。それに、召喚の件を掴んだからと言って、エミーナに影響はないでしょう」
自分にも言い聞かせる様な口ぶりのボールズである。また、隣のヒューイットに同意を求める様に振り向いた。
「それについては大丈夫でしょう。救世主様のセレン島へ向かって事はここにいる私たち以外で知っている者は国王陛下と世話していた侍女たち、それに侯爵の家族だけです。陛下や侯爵のご家族は言うに及びませんし、侍女たちも王宮に長く勤めて信頼の置ける者ばかりですから」
「そうだな、うん」
「義兄上、心配し過ぎです」
ヒューイットの言葉に二人は頷づく。
「ところで……」
話題を替えようとヒューイットが身を乗り出す。
「私は召喚の件はまったく部外者でしたが、何で救世主の召喚なんて考えたのですか? 一度聞いてみたくて」
救世主を召喚しようとしている頃、ヒューイットは魔帝軍との戦いへと向かう準備で忙殺されていた。
ボールズとアルファンドは顔を見合わせた。
「そう言えば、ヒューイットは召喚には関わっていなかったな」
大臣が今、思い出したかの様に言った。
「発案したのは私だよ」
ソファーに深く背を預け、ボールズは天井を見上げた。
「ボールズ様が?」
ヒューイットには、救世主召喚の発案者がボールズだという事に驚いた。彼がまだ騎士見習いの時の直属の上司が一隊の隊長であったボールズであった。その時からボールズは現実的で、堅実な人物であった。そんな彼が、真実がどうかもあやふやな古い伝承に縋るなど、想像も出来なかったのである。
「意外か?」
口元に笑みを浮かべて、ボールズは尋ねた。
「ええ、少し。ボールズ様はどちらかと言うと救世主召喚など、本当かどうか分からない様な事に反対されてたかと思ってましたから……」
「ワシも最初に聞いた時は耳を疑ったわい。いや、しかし、ワシも聞きたいと思っておったのだが、どうして救世主召喚など思いついたんだ?」
アルファンドも身を乗り出し、ボールズへと顔を向けた。
「まあ、あの時は我々は魔帝に追い詰められていましたからね。それでも、今思えば、私もよく召喚なんてものを進めたもんだと思いますよ」
ボールズは目を細めて話を続ける。
「きっかけは、本ですよ。エミーナはがよく読んでいた救世主様の活躍を描いている物語の」
「おお、あれか。確かワシがやったものだったな。本来なら、フレデックにと送ったものだったはずだがな」
アルファンドはまだ幼かった頃のエミーナを思い出す。兄であるフレデックにと送った本を送られた本人よりも妹のエミーナが気に入り、手放さず読んでいた事を思い出していた。
「そうです、あの本です」
ボールズも幼い頃の娘の行動を思い出し、苦笑する。思い返せば、それがきっかけで、エミーナは騎士を志したのだ。
「エミーナが騎士団の一員として、魔帝との戦争に赴く。その話を聞いた翌日でしたかね。情けない事に私は娘が命を落とすかもしれないと内心は取り乱していました。それで、何気なく入ったエミーナの部屋であの本を見たのですよ。その時に、僅かな一縷の望みを抱いたのです」
「それで、召喚を進めたのですか?」
「ああ。魔帝を滅ぼす僅かな可能性があるとな。でもな、本心ではエミーナを失う恐怖からかもしれん」
ボールズはヒューイットに自嘲気味に笑う顔を見せた。
「だからこそ、救世主様が現れた時には落胆したよ。なにせ、あのお姿だったからな」
「ああ、あの時ははワシも、魔帝に滅ぼされるのを覚悟したな」
アルファンドが相槌を打つ。
「まあ、気持ちは分かりますね」
期待した救世主が赤ん坊だったのだ。その落胆ぶりはその場にいなかったヒューイットでも簡単に想像出来る。
「でも、いいじゃありませんか。理由は分からないとしても、結果魔帝は死んだのですから」
その時の気落ちを思い出したのか、暗い面持ちとなっている二人を励ます様にヒューイットは声を掛けた。
「そうだな。今こうして話しが出来るのも魔帝が死んだからだな」
気を取り直す様にアルファンドが大きな声を出した。
「そうですね。エミーナも頑張っている事だろうからな」
ボールズもソファーの背から体を起こし、背筋をピンと張る。
ここでも、ヒューイットはもう一つの疑問を抱いた。何故救世主をセレン島まで連れていくのに、エミーナが選ばれたか、である。
救世主の存在をヒューイットが知ったのは、騎士団への同行者の人選の依頼を受けた時である。数名の候補者を絞り報告を上げたのだが、選ばれたエミーナは彼の中では驚きの決定であった。実力は確かであるが、まだまだ経験が足りないと考えていたし、何より、困難極める任務となる。下手をしたら命の危険もある。そんな任務に最終決定する立場にあるボールズが自分の娘を選ぶはずがないとも思っていた。
今のボールズの話からは娘の命を危険に曝したくないという本音が垣間見える。それなのに、危険な救世主の同行者として選んだ。矛盾をヒューイットは感じたのだ。
「ヒューイット、どうした?」
ヒューイットの疑問に満ちた表情に気づいたボールズが首を傾げた。
「いえ、救世主様の同行者の決定の件です。何故エミーナを、娘さんを選んだのかと……」
「ああ、それか。納得いかないのか?」
ボールズが納得したとばかりに大きく頷いた。対面に座っているアルファンドは急に顔を顰めていた。
「いえ、そういうわけでは……。ただ、剣術などの腕や今までの経験など彼女より上だと思っていた候補もいましたから」
アルファンドの様子を気にしつつも正直な思いをヒューイットは口にした。
「確かにな。腕や経験ならエミーナより上の者がいたのは分かっている」
「なら、何故?」
「諦めないからだ。エミーナは頑固なくらい諦めない、いや、諦めるという事を知らないのかもな」
「諦める事を知らない?」
ヒューイットは騎士団長としてエミーナを見てきた。確かに彼女は努力家であり、一度決めた事は完遂する。救世主の世話の特訓時も、一度は国王や目の前のアルファンドへの怒りから、辞退しかけているが、それ以降は一度も弱音すら吐かなかった。
「そうだ。誰が選ばれても辛い旅となる。ならば、それに何があっても耐えられる人物に任せなければならない。そして、私はあの子程、諦めない者を知らない。あの子は私や周りの強い反対を押し切ってまで騎士になるくらいだからな」
貴族出身、それも有力な上位貴族の出である女性が騎士となった事は異例な事であった。貴族の令嬢は学校を卒業すると、どこか貴族に嫁ぐのが一般的だった。
エミーナは両親や兄はもちろん、親族総出で反対し、説得を試みたが、折れる事はなく、周囲の奇異の目も気にする事なく、半ば強引に騎士見習いとなっている。
「なるほど……」
ヒューイットは納得する。あのエミーナなら一度心に決めた事は絶対に曲げる事はない。
「ワシは今でも、納得はいかんがな」
むすりと黙り込んでボールズの話を聞いていたアルファンドが口を開いた。彼は危険な旅にエミーナをやる事を最後まで反対した一人だった。
「義兄上、そう責めないでください。家族だけでなく、執事ら使用人にも随分と責められたのですから」
ボールズは苦笑する。
「当然だ」
「分かってます。でも、救世主召喚の時に何だかんだ言っても私情を挟んでしまったんです。娘かわいさにね。だからこそ、同行者の人選には私情を挟まずに決めました。私はエミーナを選んだ事は正しかったと思っています」
「……理解してるつもりだ」
一言そう言って、アルファンドは紅茶を口にした。
「ありがとうございます。私も人の親です。何度も止めたいと思いましたよ。何度も自分で決めた事を覆そうとも考えました。だからこそ、特訓中にも顔を出しませんでしたし、見送りも、城門の端からそっと見送っただけですし。顔を見たら、きっと止めたでしょうからね」
ボールズは力なく笑みを浮かべた。
「わかっておる。お前もあまり自分を責めるな。……最近、食事もあまりとってないそうじゃないか。妹から聞いたぞ」
心配そうな眼差しをアルファンドはボールズに向ける。
ヒューイットもよく見ると、心なしかボールズが痩せたのに気づいた。
「お前がしっかりせんでどうする。まだまだ、世界は混沌としている。それはこのアルゴンとて他人事ではない。それに、エミーナも頑張っているのだぞ」
「そうですね、義兄上。ご心配お掛けしてすみません」
ボールズはアルファンドに頭を下げた。横に座る心配そうな表情を浮かべているヒューイットにも笑顔を見せる。
「ヒューイット。お前にまで心配かけるな。すまん」
「いえ……」
ヒューイットは首を横に振る。
「そうだ。エミーナが帰ってきたら、婿探しをしなければな」
名案を思い付いたとばかりに、ボールズはポンと手を叩いた。
「ワシもそれは気にしておった。エミーナもそろそろ嫁にやらねばならん年頃だ」
急に生き生きと話だす二人にヒューイットは下を向く。彼にしたら出来れば巻き込まれたくない話である。
「ヒューイット、誰かいい者はおらんか?」
似合いの相手を探せとせっつくボールズとアルファンドに苦笑いで曖昧に応える。
見合いのセッティングなど進めたら、帰ってきたエミーナに抗議されてしまうなと、何とかこの話題から逃げる方法がないか考えるヒューイットであった。