挽回
豚の解体。
首の血管を、解体用の頑丈な刃物で切って、血抜きをする。
手と袖口が赤く染まる。
嫌な感触が残る。
全身をたいまつの火であぶって、体毛と皮を焼く。
焦げ臭い。
顔をしかめる。
適当な木の板で、全身をこする。
焼けた毛と皮がボロボロと剥がれ落ちる。
「ふうっ……」
夕暮れ時にも関わらず、汗で服が身体に張り付く。
動物の解体というのは、体力の他に、気力も消耗する。
ましてうさぎ程度ならともかく、豚は大きい。
慣れれば何も感じないのだろうが、慣れたいとは思わない。
「しかもだ。なぜかヌイが、さっきからこっちを見ているし」
コカトリスと戯れながら、無表情でオレの作業を観察している小さな姿。
他人の視線がある以上、泣き言を漏らさず見栄を張るしかない。
オレは努めて平静に、豚の腹を刃物で引き裂く。
大量とも思える内臓を、裂けた腹からごっそりとかき出す。
気持ちのいいもんじゃない。
腕に力を込めて頭部を切断し、脇腹の骨をバラし、生き物の支柱ともいえる背骨を抜き取る。
「干し肉は好きか、ヌイ?」
「ううん」
そりゃあそうだろう。
塩漬けにして、干して乾燥させただけの肉だ。
長持ちするのが唯一の利点で、美味いかと問われれば否だ。
「とはいえ、旅の必需品だぞ」
「桃の砂糖漬けが好き」
「それ高価なうえに日持ちしないからな」
「勇者との旅、どうだった?」
「……む」
豚の肉を切り分けていた手を、しばし止める。
確かに魔王からすれば、勇者の旅なんて知りようのない内情だ。
興味が沸くのもわかる。
「と言われても、特別なことはない。ユウとセンが王都アマニールを旅立った。田舎に引きこもっていたオレが、途中で仲間に加わった。道中、魔物に困っている町や村があれば助けた。最後に、魔王城に到着して負けた」
「引きこもってた?」
「ああ。だからオレは、魔王を倒して栄誉を手にすれば、下り坂だった人生を一気にやり直せると思った。上手くいかないもんだな」
「そう」
オレは台車に、豚の肉や骨、袋詰めにした内臓を積んでいく。
「仲間を裏切る勇者なのに、人助けはしてた」
「不思議か? ユウ曰く、王国最大のハーレムを建てることが、唯一にして絶対の目的らしいからな。善良な外面を演じるために、努力は惜しまないヤツだったぞ。座右の銘は、英雄色を好むだったが」
「勇者のイメージと違う」
「魔王を倒せれば勇者だ。それ以上でも以下でもない」
「先代魔王は、どんな勇者に倒されたの?」
「さあな。昔の話だし、人間の書物にはそこまで記されてない」
まあ先代の魔王が、魔物を率いて積極的な侵略を行ったからこそ、魔王は危険という認識が、アマニール王国全体に根付いてしまったわけだ。
オレが台車を押して歩き出すと、ヌイも最後の緑葉を放り投げた。
自室に戻るのだろう。
「コケー」
近くの木に引っかかった緑葉を求めて、コカトリスが幹を駆け上がる……って、おい。
ニワトリと大差ない分際で、木登りができるのかこいつら。
「コケー」
いやダメだった。
落ちた。
さすがにこれくらいの魔物は、動物と大差ないな。
……ん?
オレは木の幹を凝視した。
コカトリスがよじ登り、途中で落ちた。
それだけだ。
しかし。
「……ふむ。ヌイ、でかした」
小首を傾げたヌイに、軽く笑ってみせると、オレは台車を押して裏庭を後にした。
オレは再びケンタウロスの集落に赴いていた。
今度はミッケも一緒だ。
「若頭。あのときは、その……悪かった」
謝罪は苦手だが、まずは謝らないと始まらない。
オレが頭を下げると、ケンタウロスの若頭は、「構わなイ」と首を振った。
「それで、もう一度だけオレの案を聞いてくれないか? 必ず上手くいかせてみせる」
「いちおう、あたしも事前に案を確認したけど、今度はいけそうよ」
「ふうム。ミッケ殿まで仰るのであれバ、とりあえず聞かせてもらおウ」
オレの確信に満ちた目と、ミッケの肯定を受け、若頭は腕組みをした。
「最初に断っておくが、小難しい建築技術は必要ない。ただ単に、チーズの貯蔵庫を新築するときに、柱の長さを2倍にするだけだ」
「するト、天井の高さが2倍になるナ」
「いや、ならない。代わりに、床を高い位置に作る。はしごを使って、入り口まで上るわけだ」
「……そういえば昔、辺境の人間がそういう家に住んでいるのヲ、見た覚えがあル」
「ああ。高床式といって、今では廃れてしまったがな」
若頭は、眉間にしわを寄せた。
「しかシ、チーズ喰いは柱を登ってくるだろウ」
「だろうな。そこで、柱の途中に、円盤状の板を備え付ける。チーズ喰いから見れば、がんばって柱を登ったところで、まるで天井のような板に出くわすわけだ。当然、やつらはこれを超えられず、落下する」
「……ほウ」
「チーズ喰い返しとでも名づけるか。長ければネズミ返しと呼んでもいい」
「ほほウ」
若頭が唸る。
一考の余地ありと、その顔が物語っている。
「だガ、我らケンタウロスは4本足ダ。はしごを上るのハ、難しイ」
「別にはしごにこだわる必要はない。それこそ木の板をわたして、坂道のように入り口まで上ってもいい」
オレが肩を竦めると、若頭は瞑目した。
オレはここぞとばかりに言葉を重ねる。
「貯蔵庫を新築するのはちょっとした手間だが、これが上手くいけば、チーズ喰いからは永遠におさらばだ。もちろん他の貯蔵庫にも応用できる。かたや失敗しても、かけた手間の他に、実害はない。上手くいくと確信しているがな」
「……うム」
若頭は静かに、首を縦に振った。
「なるほド、とりたてて穴も思い当たらなイ。上手くいくかもしれないナ。今度こそ本当二、検討させてもらおウ、人間」
よし!
結果が出るまで喜ぶのは早いが、ひとまずは失敗を挽回できそうだ。
オレは内心で安堵した。
「あんた、嬉しそうね」
「そうでもない」
ミッケに指摘され、慌ててむすっとした表情を作る。
若頭は、そんなオレたちを微笑ましそうに見下ろしていた。
「新築してから結果が出るまデ、しばらくかかるだろウ。成否は必ず知らせるかラ、待っていてくレ」
「ああ、若頭。期待している」
「ところで賢い人間」
何事かとオレが見上げると、若頭は右手を差し出した。
「よけれバ、名を教えてくれないカ」
オレは一瞬、ぽかんとした。そうして、ごつごつしたケンタウロスの手を取る。
「ジロー・アルマだ」
そうか。
オレはもしかすると、魔物に認められたのか。
いや、魔物なんぞにどう思われたところで、何か価値があるわけでもないが。
「あんた、やっぱり嬉しそうね」
「……そうでもない」
緩みそうになる頬を抑えるのは、それなりに苦労した。
「ジロー、これ」
あれからしばらくして。
ミッケがオレに、小さな皮袋を渡してきた。
「これは……コショウ!? こんな高価なものを、いったい?」
「ケンタウロスの若頭からお礼よ。チーズ喰いの被害、なくなったみたい」
……!
「そうか。別に嬉しいわけじゃないが、まあ、くれるものはもらっておこう」
「……あんた、尊大なうえに素直じゃないなんて、救いようがないわね」
「ほっといてくれ」
しかしコショウか。
いざとなれば金にも換えられるし、何かのときに役に立つかもしれない。
大切に持っておこう。
「まあ、その」
見ると、ミッケが苦いものを口に入れたような顔をしていた。
「小賢しいだけの人間だと思ってたけど、ちょっとは見直したわ」
「……ふん」
「何その陰険な笑い」
「別に」
オレのように捻くれていないだけ、確かにミッケはまだ可愛げがある。
魔物だからといって、十把一絡げにして嫌ってきたのは、もしかすると愚者の判断だったかもしれない。
オレはそんなことを考えるようになった。