失敗
荷車を引いて帰城した。
改めて外から魔王城を眺めると、壮観とは言いがたい。
城本体の造りは、無骨ながらしっかりしている。
しかし石造りの城壁はあちこちがひび割れ、あるいは崩れかけている。
というか外堀がないのはどういうことだ。
そもそも城門が1日中、開きっぱなしで、門の体を成していない。
城の屋根から天を目指すように突き出た塔にも、当然のように見張りの魔物が不在だ。
誰が来ても迎え撃つという、正々堂々とした意思の表れなら、いっそ感服する。
「綺麗になーれ、綺麗になーれ」
……。
その城門でミッケが踊っていた。ホウキを掲げ、自身はゆっくりと回転している。
「あら、ジロー。お帰り。遅いわよ……って、何その憐れみの目は?」
「いやまあ。人間、疲れてると突拍子もないことをしたくなるよな」
「……あたしは魔物だし、念のために言うけど、掃除してるのよ」
ミッケがじろりと睨んでくる。
「掃除って、ホウキで掃けばいいじゃないか?」
「それじゃ掃除にならないじゃない」
「は?」
「え?」
……。
何か根本的に、認識の差異があるようだ。
「あー……。ちょうどそこに、ゴブリンか誰かの食べ残しが落ちている。ミッケ、悪いがちょっと掃除して見せてくれないか?」
「ええ」
ミッケは先程と同じように、ホウキを両手で携えて回り始めた。
使用人用のドレススカートが、柔らかく風をはらむ。
「綺麗になーれ、綺麗になーれ」
「お、おお……?」
オレは目を見張った。
パン屑と思しき食べカスが、見る見るうちに、空気に溶け込むように消滅したのだ。
「終わり。どう?」
「驚いた……。強いて名づけるなら、お掃除魔法ってところか?」
「へ? これ魔法なの?」
今度はミッケが目を丸くした。
「どう見てもそうだろう。お掃除妖精の名は伊達じゃないな。オレにはとても使えそうにない」
「そういえばあんた、魔法使いだったわね。まあ、あたしは魔法でもそうじゃなくても、綺麗になってくれればいいんだけど」
そう言ってミッケは、ホウキを地面に突いた。
「で、ジロー。帰ってくるの遅いわよ。食材はちゃんと運んできたみたいだから、今回はいいけども」
ミッケは荷車に積んである野菜を一瞥した。
とりあえず量は問題ないようだ。
「人間ってのは魔物のように、底なしの体力を持ってないんだ。それより、チーズが普段より少ないと言っていた」
「どうして?」
「チーズ喰いに荒らされてるらしい」
「ああ、それなら仕方が……あんた、その妙に得意げな顔は何?」
「解決してきたからな。ケンタウロスの若頭にも感謝された」
「へえ……。どうやって?」
オレは事のあらましを説明した。
小屋の造りが問題だったこと、建て直せば済むこと、若頭がオレの案を検討するらしいこと。
しかし伝えるうちに、ミッケの表情が徐々に冷めたものに変わっていった。
「……まあ、あたしはあんたを責めないわ。人間の言うことだもの。ケンタウロスの若頭も、同じ気持ちだったでしょうし」
「どういうことだ?」
「人間は魔物の常識とか文化を、よく知らないでしょう? 仕方ないわ」
「……だから、どういうことだ?」
何を言いたいんだ。
気に入らない。
ミッケのこの目だ。
オレが小さい頃、魔法学校にいたときに、こういう目をする教師がいた。
難しい問題を解けなくても、知らないのだから仕方がない。
初めから期待などしていなかったと、言葉より雄弁に語る冷めた目つき。
ミッケが嘆息した。
「あのね。今でこそ集落を作るけど、ケンタウロスって元々、1ヶ所に定住しない種族だったの。馬だし」
「だから何が……いや、まさか」
熱くなりかけたオレの頭が、僅かに冷えた。
一ヶ所に定住しない種族だった。
つまり、せいぜい雨風を避けるための、その場しのぎの家屋だけ建てられれば、それで充分だったことになる。
当然、建築技術などは、人間と比較にならないほど低いだろう。
「……つまり、あのみすぼらしい小屋こそ、ケンタウロス族が建てられる精一杯の貯蔵庫だった」
「そ。あんたが偉そうに指導したところで、ネズミが入り込まないほどしっかりした小屋を建てるのは難しいでしょうね」
オレは俯いた。
羞恥と屈辱で、頬が紅潮するのを感じた。
ケンタウロスの若頭が、優しげな目つきでオレを見下ろしていた意味を、ようやく理解する。
オレはケンタウロス族を侮辱した。
それどころか、上から目線で助言してやってもいいなどと思い上がった。
そして無知な人間の若造だからやむなしと、寛大な心でケンタウロスに許してもらったのだ。
だが、何よりもオレの拳を震わせたのは、ミッケに指摘されるまで、得意満面の自分を微塵も疑わなかったことだ。
ミッケの視線が、ひどい辱めに感じられた。
失敗は嫌いだ。
とりわけ、ひけらかした知恵が失敗に繋がったときなど、羞恥で自分を許せなくなる性分だ。
「ジロー。とりあえず荷車を裏庭まで運んだら、ちょっと休んでいいわ」
やめろ、気遣うな。
らしくない。
「じゃあ、あたしは掃除の続きがあるから――」
「ちょ、ちょっと待て! 待ってくれ」
オレは焦燥に駆られた。
このままではダメだ。
失敗したままではいけない。
見下されたまま、情けをかけられたままではいけない。
「もう一度やる。やらせてくれ。今度こそ必ず、どうにかしてみせる!」
「ダメよ。あんたにそんなことは期待してないし、ケンタウロスにだって悪いもの」
ミッケはにべもない。
オレはすがりつかんばかりの勢いで詰め寄った。
失敗は嫌いだが、成功で補える。
人から見下されたまま終わるなんて、屈辱の極みだ。
挽回しなければ。
「ジロー」
オレは仰け反った。
ミッケが、オレの鼻先にホウキの柄を突きつけたのだ。
「あたしだって人間は好きじゃないわ。せっかくヌイ様が拾ってくれたから、あんたのことは壊れないように扱うけど、だからってそんなにわがままを聞いてあげる気はないの」
「ぐ……」
「元気そうだから、休憩はなし。次は干し肉を作ってくれる? ゴブリンに持たせるぶんが減ってきちゃって」
くそ……。
オレは魔王城における自分の地位を、改めて思い知った。
「……でもまあ、早めに終わったら、余った時間で考えるぶんには、好きにして」
「ミッケ……」
……こいつ、実は面倒見がいいな。
そういえば日常的に城の魔物をまとめているのは、ヌイよりもミッケのほうだ。
妙に納得できるものがあった。
「わかった。しかし干し肉の材料がないんだが」
「今朝方ゴブリンたちが、森から豚を獲ってきたわ」
「……まさかそれをオレに捌けと?」
「豚を捌いたことないの?」
「あるにはあるが、生理的に無理というか、二度とやりたく……」
「あんたを干し肉にしてもいいけど」
「さて日が暮れる前に済ませるか!」
この城における地位の向上を、断固として目指す。
オレはささやかに決意した。